囚われのメグ
気持ちの悪い沼にはまっているかのような心地だ。
ねっとりとした泥が体中に纏わりついて、思うように動けない。それどころか、頭がボーッとして身体に動けという命令さえ出せていないんじゃないかって感じ。
このまま沈んでしまったら、楽だろうな。沼は冷たくて、ちょっと気持ち悪いけど……力を抜いて楽になりたいって思ってしまう。
だってなんだか息苦しいし、このままは辛かったから。
「メグ!」
「……」
でも、それを許さないとばかりに誰かが私の名を呼んだ。聞いたことのある声。えっと、誰だっけ。確か……。
「レイ……?」
「そうだよ。意識をしっかり保って。楽な方に流れてはいけない!」
苦しくて、辛いのに、眠ることを許されないなんて。なんでダメなの? なんで頑張らなきゃいけないんだっけ。
ダメだ、うまく頭が回らない。ねぇ、レイ。知っているなら教えてよ。どうしてこのまま眠ってはいけないの?
「大切な者はなに? メグが絶対に守りたいものは? そう簡単に忘れてしまえるようなものじゃないでしょう?」
「たいせつな、もの……」
うっすらと目を開けると、必死な様子で私に声をかけ続けてくれる黒髪の青年が見えた。
彼はどうしてここまで一生懸命なんだろう。それに応えてあげたいけど……眠くてどうしようもない。また瞼が下りてきてしまう。
「愛する人が傷付いてる! そのままでいいの!? メグ!」
愛する人……? 再びほんの少しだけ意識が覚醒して、言われたことを繰り返して声にする。
『メグ……!』
どこかで、私の名を呼ぶ声が聞こえた。この声はレイじゃない。もっと低くて、温かくて、愛おしい。
「ギル、さん……」
ああ、そうだ。私の愛する人の声だ。それで、傷付いている……?
……えっ、傷付いてる!? ギルさんが!?
急激に意識が覚醒していく。グイッと何かに身体を引き上げられたような感覚だ。でも実際に引き上げられたわけじゃない。
えーっと、どうしたんだっけ。今は……生身じゃない、ね。うん。また夢の中かな? そう思って魔力で探ってみたけど、それともまた違う。
ああ、そうだ。ここは私の心の中だ。
正確にはまた違うのかもしれないけど、そういう表現がしっくりくるのでそう呼ぶことにしよう。
「え、あ、あれっ、何っ、この状況!?」
改めてよく見れば、私は身体のほとんどを黒い何かによって絡めとられている状態だった。
さっき夢現だった時も気持ちの悪い沼の中にいる感覚だったけど、概ねそのままの状況だった! ひえぇ、気持ち悪い! 抜け出したいぃ!!
でもいくら抜け出そうともがいても、黒い何かがまとわりついてくるだけで全く抜け出せそうにない。嫌ぁぁぁ!
「ああ、やっと意識がハッキリしたね。よかった。第一段階はクリアだ」
「第一段階? それに、ちっともよくないよぉ!」
ホッとしたように微笑むレイだったけど、ほんと、まったく安心出来る要素がないんですがっ!
「このまま眠っていたら、二度と君が身体を取り戻すことが出来ないところだったから」
「それは由々しき事態ですね!! うん、よかった! 確かによかった!」
これはもがいてどうにかなる問題じゃないといち早く気付いた私は動きを止め、大きく頷きながらレイに答えた。
でも良い状況とは言えない。ピンチなのは変わらないままである。
作戦とはいえ、自分から身体を受け渡したのは早まったかなぁ。でも、レイはこうするしかなかったと言うし。
「強引に奪われていたら、たぶん君は目を覚まさなかったよ。自分から明け渡したからこうしてギリギリのところで目覚められたんだ」
「そっか。でも、レイがいなかったら同じ結果になっていたかもしれないよね。ありがとう」
レイが起こしてくれたからこうして目覚めることが出来たんだもん。お礼を言うのは当たり前のことだ。
でも、レイは私がお礼を言ったことをとても驚いているみたいだった。感覚の違いってヤツかな? 神様と人とは色々とズレていそうだもんね。
ともあれ、まずはこれからどうするかを考えないと。
「一応ね、事前に色々と作戦は練っていたの。時間がなかったからあまりじっくりとは考えられなかったんだけど……どうにかして、テレストクリフの名前をギルさんに伝えられないかって」
ギルさんだけじゃなく、オルトゥスの人たちからも聞いた話によると、神様の名前は特別なものだから呼ぶことで動きを少しだけ止めることが出来るんじゃないかって。
それを伝えると、レイはああ、と頷いて感心したように頷いた。
「神と呼ばれる者の名は特別だからね。ただ、人から呼ばれたとしてもほんの少しだけ動きを止める程度の抑止力しかないかな。でもそれが大事な一手になる可能性はあるね」
やっぱり名前は特別なんだ。でもそこまで重要ではなさそう。
思えば、レイは自分から私に教えてくれたもんね。その程度の認識だったから教えてくれたのかもしれないな。
ただ、絶対に敵わない相手だからこそ、そういう小さな一手が大事だったりもするのだ。特に、ギルさんやリヒトならそのわずかな隙を無駄にはしないはず。
「それでね? なんとか伝えたいとは思ったんだけど……」
「ああ、首の魔術陣で妨害されていたからね。その勘は正解だよ。でも、今なら妨害もないから伝えられるんじゃないかな」
「うん。それもわかるし、そうしようと思ってた。でも、いざとなるとどうすればいいのかわかんなくって」
ギルさんには力強く、必ず私が伝えるからって言っておきながら、実際は方法が何も思いついていない。謎の自信だけはあったから、いざとなったらわかるかなって軽く考えてたんだよね。こういうところがつくづく私である。
「あはは、メグって本当に見ていて飽きないよ。こんな時だというのに、笑っちゃうなんて」
「も、もうっ! これでも必死なんだよ!」
適当だと思われるかもしれないけど、その時その時を必死で生きてるんだよ、私だって!
でも、まぁ、行き当たりばったりなのは事実だし自覚もあるので笑われても仕方ないです、はい。
「頼もしいから笑っているんだよ。ねぇ、メグ。自信があったんだろう? なら、すでに方法は君の中にあると思うよ」
「私にはすでに、わかっているってこと?」
レイはニコニコしながらこちらを見つめて頷いている。私からどんな方法が出てくるのかを楽しみに待っているようにも見えた。うーん、そうは言ってもなぁ。
「……祈るしか」
「じゃあ、それが正解なんだろうね」
えぇ? そんなことでいいの? でも、今の私に出来るのはその程度だ。魂の状態だけど体の自由を奪われているわけだし。
ここは心の奥の方だろうから、表に出て身体を取り戻すのにはまだ時間がかかりそうだし。
祈る、か。冗談みたいな考えではあるけど、確かにそれが正解なのかも。だって、私とギルさんは番同士なんだから。
強く祈れば、伝わるかもしれない。
目を閉じて、ギルさんに意識を向ける。
どうか見せて。貴方の見ている景色を。どうか教えて。貴方が今、どんな気持ちなのかを。
すると、ぼんやりとだけどイメージが浮かんできた。イメージは途切れ途切れでよくは見えなかったけど、どうやらリヒトと死闘を繰り広げているみたいだ。私に攻撃出来ないからか、回避してばかり、なのかな。
うぅっ、二人が本気を出して攻撃すればもっとテレストクリフの動きも止められると思うのに。
まぁ、私の身体は脆そうだから戸惑うのもわかるけど。でも魔大陸中の、ううん、人間の大陸もだね。この世界、全ての命がかかっているんだから思い切って攻撃してほしい。ああ、もどかしい。
今見えたことをレイにも伝えると、彼はふむと腕を組んだ後に小さく微笑んだ。
「クリフにとってもこの身体は大切なはずだよ。神へと成ったらいらなくなる器ではあるけど、それまでは絶対に必要だから」
「……そっか。この身体と私の魂があるからこそ、全ての条件が揃っているんだっけ」
つまり、テレストクリフも攻撃されたらこの身体を守ろうとするってことか。それを伝えるか、どうにか気付いてくれたら私の身体にも攻撃してもらえるだろうか。
「それにしても……条件が揃っていたって神に戻れない、よね?」
レイは愛を知ったから地上に堕とされたのだと言った。だから、今更どんな条件を揃えたところで戻れないんじゃないかと思うんだけど。
私が疑問を口にすると、レイはこれまで穏やかに微笑んでいたその顔からスッと表情を消した。
「……すでにクリフは神に戻ろうなんて思ってないよ」
え、どういう、こと? だって、そのために長い間ずっと……。
ゾクリ、と背筋が凍る思いがした。
「戻るんじゃなくて、新しい神になろうとしているんだよ。クリフは」
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