愛されエルフ
sideギルナンディオ 前編
これまでで最も、メグの手を離すのが辛い瞬間だった。
だが惜しんでいる暇など一瞬もない。こうなった時にはどう動くか、事前に話し合ったのだから。
離れて、とメグが叫ぶよりも早く後ろに飛んだが、円形上に放たれた魔力の威力は凄まじく、防御が間に合わない。おかげで多少の切り傷を作ってしまった。
まぁ、この程度は傷の内にも入らないが、メグが気にするから出来れば無傷でいたかったところだ。
そんなことよりも今はメグ……いや、メグの身体を使う何者かの方をなんとかしなければ。ギリッと歯を食いしばる。
魔力を放った後、その者はゆっくりと俯いていた顔を上げた。その表情は抜け落ちており、絶対にメグではないということがすぐにわかる。
顔を上げずとも、気配で全く違う者だということはわかっていたが。
愛しい人の身体を奪う者だと思えば、自ずと目つき鋭く相手を睨んでしまうのは仕方のないことだろう。
「ああ、良いな。馴染む。今までで最も馴染む器だ」
ソイツは、メグの声でそう呟いた。
全身が震え、抑えきれなくなりそうなほどの怒りを感じる。
そう、あの時。メグが人間の大陸に転移されて救出に向かい、傷だらけの姿を見た時と同じくらいだ。
「ギル! 落ち着けよっ!?」
「っ、わかっている……!」
わかってはいる。だが、正直リヒトが声をかけてくれていなければ、暴走していたかもしれない。
メグの身体を傷付けるわけにはいかない。ソイツがどれほど憎くても、直接攻撃をぶつけることが出来ないというのが歯痒かった。
「くっそ、なんて魔力だよっ……! これ、まだ攻撃じゃねぇよな? やべぇ……っ」
未だにソイツからは魔力の風が発せられており、近付くことも困難な状況だった。
あまり弱音など吐きたくはないが、リヒトがそう言うのは無理もないと思えてしまう。
俺もリヒトも、塔の上から吹き飛ばされないようにするので精一杯だ。
魔大陸でも一、二を争う戦闘力を誇る俺たちでさえこうなるのだから、ソイツが街へ向かったらと思うと恐ろしい。
メグも、被害は最小限に抑えたいと願っていた。なんとしても阻止しなければならない。
「ついにこの時がきた。やっと神に……成れる!」
ソイツは腕を広げて恍惚な笑みを浮かべた。俺やリヒトにすら気付いていないようだ。
こいつにとって、俺たちはいてもいなくても変わらない存在なのだろう。
ああ、苛立つ。
自分よりも圧倒的に強者だとわかるからだとか、敵わないとわかることが悔しいからだとか、そんなことはどうでもいい。
……やめろ。メグはそんな邪悪な笑顔を見せたりしない。
「さて、レイの未練を絶とうか。神と成る第一歩だ」
レイ? 未練?
言っている意味はわからなかったが、その言葉からは不穏な予感しかしない。
「何を、する気だ……? その前に、お前は誰だっ!」
今にも動き出してしまう気配を感じて、少しでも引き留めるために問いかける。
ようやく、ソイツはゆっくりと目だけを動かして俺たちの方を見た。
たった今、こちらに気付いただろうに特に驚いた様子はない。意外そうに俺たちのことを観察しているように見える。
まるで、最初からそこにあった一切興味のない「物」が急に喋り出して、不思議に思っているかのような……そんな反応だった。
ソイツは僅かに首を傾げると、面倒臭そうに告げる。
「軽々しく口を開くな」
俺たちを見下すように一瞥した後、ソイツは軽く人差し指を動かした。
たったそれだけの動きで、俺とリヒトに風が纏わりつく。本来なら魔術発動前に感じるはずの僅かな魔力の揺れも感じなかった……!
ほんの数瞬の間に俺たちは小さな竜巻に絡めとられ、宙に浮かされる。このようにされるがままとなるのは、まだ力もなかった幼い頃以来だ。
これが、神なのか……? ここまで手も足も出ない存在なのか……っ!?
「虫ケラが知る必要などないだろう。どうせ私が全てを消し去るのだ。無駄なことよ」
カッと頭に血が上る。
やめろ……その顔で、その声で、人を虫ケラなどと言うな! 消すなどと言うな!
メグの身体で、世界を破滅へ導くなど絶対に許さない!!
怒りが力へと変換されていく。
身体の内側から燃えるような熱い力が込み上げてくる。
影の力が黒い炎を形作り、それに包み込まれるようにして魔物型へと変化した。
人型の状態で竜巻に拘束されていたため、大きな魔物型に変化するとさらに締め付けられる。
ギシギシと聞こえる嫌な音は、身体が悲鳴を上げている音だ。
だが、そんなものはどうだっていい。たとえ全身の骨が折れようとも、約束を守らなくてはならないのだから。
「ぎ、ギル……! くっそ、俺だってっ」
近くでリヒトの叫び声が聞こえてくる。俺と同じように魔力を限界まで高めて脱出を試みているのだろう。なかなか、根性のあるヤツだ。
そのことに、微かに肩の力が抜ける。
そうだ、力を効率的に使うには力任せにしてはならない。ある程度の余裕を持たせなければ出来るものも出来ないのだから。
リヒトのおかげでいくらか冷静を取り戻せたようだ。
メグの祖母であるピピィに託され、オルトゥスの研究者たちがより威力を底上げした封印の魔石は影の中に保管してある。
今の俺がすべきことは、その魔石でメグの身体ごと動きを止めること。
だが確実にソイツの動きを止めるためには、術者がソイツと目を合わせて名前を呼び、確実に文言を耳に入れる必要がある。術者とは無論、俺になる。
こうなることは予測していた。身体が乗っ取られた瞬間、間髪入れずに力が解放されるだろうと。だからそのつもりでいてほしい、と他ならぬメグに頼まれたのだ。
それならば、乗っ取られる前からメグの側にいて離れなければいいのではないかとも訴えたが……それは危険だと首を横に振られた。
一度離れて、リヒトと協力して隙を狙ってほしいと、それはもう何度も念を押されたな。
メグの判断は正しかったと思う。あの魔力の風を、メグの手を握ったまま受けていたら。
全身にダメージが入り、今頃ろくに動けなくなっていたことだろう。
だが結局、こんなにもあっさりと捕まってしまった。警戒していたにも関わらず、だ。
情けないことだが、もう一度同じ状況になったとしても結果は同じだっただろうと予想がつく。
ならば、まずはこの拘束を解くまで。過去を悔いる時間などない。常に前進しなければ。
「っ、ああああああああっ!!」
こんなにも声を出すのはいつぶりだろうか。若い頃の頭領と、本気でやり合った時だったかもな。
どうにか魔物型に変化して、竜巻を無理矢理広げることが出来た。その瞬間、すぐに人型に戻ることで生じた隙間から拘束を抜け出す。
「む……」
ほんの僅かに苛立った様子を見せたソイツを見て、わずかに溜飲が下がる。
意外だったか? お前の言う虫ケラが、拘束を解こうとしているのが。良い性格をしているな、俺も。
「なるほど、なるほど」
ソイツは、暫し俺を観察すると何かに気付いたかのように目を細めた。その後、何度も頷きながら口角を上げる。
「忌々しいあの娘が、大切に思う者、か」
舌打ちをしたくなるのを堪え、油断なく体勢を整える。ソイツはさらに笑みを深くし、心底嬉しそうに言葉を続けた。
「好都合だ」
ゾクリ、と背筋が凍るような笑みだった。
自分がその纏う雰囲気だけで気圧されたことに気付き、腹に力を込める。
「ここでお前を殺せば、あの娘の心を簡単に折れる!! そうなれば、この身体は永遠に私の物だ!!」
高笑いをしている隙を突いて、俺はリヒトを拘束している竜巻に影鳥を捻じ込む。油断している今だから出来たことだった。
当然、そのチャンスを逃すリヒトではない。僅かに出来た隙間から、身体を滑らせてどうにか地面に着地した。
「いいか、リヒト。絶対に死ぬんじゃない。死んだら俺が殺す」
「おい、それメグのためだろ。その言葉にほんのわずかでもいいから俺への心配を入れてくんない?」
俺たちの反撃はここからだ。一度は捕らわれたが二度と同じ過ちは繰り返すまい。
どうにかしてソイツの名前を聞き出し、近付いて魔石を押し当て、目を合わせながら文言を唱える。
たったそれだけのことだ。……とても簡単に出来そうもないが。
絶望的な状況だというのに、俺もリヒトもいつの間にか口元に笑みを浮かべていた。
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