永遠の眠り


 父様の部屋のドアをノックすると、すぐにクロンさんが出てくれた。

 さすがというべきか、クロンさんの表情はいつもと変わらない。ただほんの少し、いつもの無表情に緊張感が滲んでいる気がする。


「お待ちしておりました、メグ様。ザハリアーシュ様も心待ちにしておいでです」

「ありがとうございます、クロンさん」


 快く私たちを招き入れたクロンさんは、その後すぐにお茶の準備をしてまいりますと入れ替わるように退室していく。


 その姿を少し見送ってから、私はすぐに父様が横になっているベッドに近付いた。


「おお、メグ! やはり来てくれたのだな!」

「もちろんだよ。言ったでしょ? 疑ってたっていうなら、またあの時みたいに怒るからね!」


 父様はビックリするくらい元気だった。いつも通りにテンションが高いし、顔色も良い。嬉しそうに出迎えてくれて、私の軽口にも笑って答えてくれている。


 ただ、横になった状態からピクリとも動けないみたいだった。


「不思議なものでな、体調が悪いわけでもないのに身体が動かせぬのだ。ユージンは苦しんでおるのだろうな……ヤツが動けぬから、我も動けぬのだろう」

「そう、だね。でも、お父さんはずっとニコニコしてたよ。苦しいだなんて素振り、誰にも見せてない」

「カッコつけておるな。ユージンらしい」


 私もそう思う。父様と顔を見合わせてクスクス笑い合った。


 あれだけ言葉も途切れ途切れで、弱々しかったんだもん。普段、そんな弱い姿を見せないお父さんがだよ? きっと、本当はものすごく苦しい状態なんだろうなってことくらい想像がつく。


 それでも、お父さんがそう見せないようにしているのなら、その意思を酌みたかったから。

 だからルド医師だって、たくさんのお見舞いを許可してくれたんだろうしね。


「終わりというものは、意外と呆気なく来るものなのだな。そんな気はしていたのだが、ここまで実感がないといつ終えたのかも気付かぬ可能性が高そうだ」

「父様がそんな調子だと、私泣けないかもしれないな」

「そんなっ!? 娘には泣いて縋られたいぞ!」


 まったくもって緊張感のない現場である。オルトゥスとはまるで雰囲気が違って本気で涙が引っ込んじゃうよ。


 ほんと、父様は最期まで父様だ。なんだかフッと肩の力が抜けた。


「メグ、もう心構えは出来ておるのか」


 ベッド脇に置かれていた椅子に座ると、父様が天井を見上げたまま静かな声で聞いてきた。


 心構え、かぁ。思わず苦笑してしまう。


「んー……あんまり。一気に頭に詰め込んだからかなぁ? 父様には色々と教えてもらったし、あとはやるだけって感じではあるんだけど、覚悟だけが足りてないや」

「仕方あるまい。我もそうであった」


 やっぱり? 私たちは目を合わせてクスッと笑い合う。たぶん実際に魔王として仕事を始めたとしても、暫くはそんな実感もないまま仕事に追われる日々になるんだろうな。目に浮かぶよ。


 それに、オルトゥスでの仕事も区切りを付けなきゃいけないしね。みんなに挨拶もしないといけない。


 オルトゥスにはもう行けない、なんてことはないけど、拠点は魔王城になるだろうから。


 ……住む場所は、まだ未定だけどね。その、そこはギルさんと相談する予定だから。その話があるからこそ、私は頑張ろうと思えるんだ。現金なヤツだけど。


「我の時は、魔王となる少し前から力の声が聞こえて来たものだが……メグにも聞こえているか?」


 父様に言われてギクリとする。父様が言っているのは意思を持った魔力の声、つまりクリフトテレスの声のことだよね。


 これって、答えても大丈夫かな。またこの前みたいに意識が飛んだりしないだろうか。


「……う、うん。時々、だけど」


 どうやら、この返答に関しては首の魔術陣にも影響はなさそう。ホッ。なんとなく、大丈夫な気はしていたけど緊張したよ。

 ……ついにその時が来たから、隠す必要もないってことなのかな。もしくは、相手が他ならぬ現魔王だからかも。


「そうか。魔力の方は? 暴走しそうか?」

「そう、だね。今は平気だけど……たぶん、引き継いだらすぐにでも暴走すると、思う」


 父様がいなくなってしまった後の懸念事項を伝えるっていうのも気が引けるけど、嘘を吐くわけにはいかないからね。案の定、父様は悔しそうに顔を歪めてしまった。


「でも、大丈夫。なんとかなるから。ううん、なんとかしてみせるよ」


 そっと父様の手を取って軽く握りしめる。


 父様からも少し握られたけれど、力が入らないみたいで弱々しい。そのことがどうしても切なくなってしまうなぁ。


 でも、今は安心を与えたい。これまでたくさん父様のことを頼りにしてきたんだもの。


 今度は私が、父様に。


「……私で、全部終わらせてみせるから」

「メグで、全部を……?」


 今回、私の中にいるレイと会話をしたことでわかったことがある。


「うん。もうこの世界に転移してきてしまう勇者がいなくなるように。魔王になる者が、魔力暴走を起こしてしまわないように」


 魔王が代々魔力暴走を起こしてしまう、その原因。


 それさえ解消されれば、魔王を引き継いだ時に膨大な魔力を引き継ぐことも無くなるし、それをなんとかするために勇者となる存在と魂を分け合う必要もなくなる。


 テレストクリフが、次の魔王候補の身体を乗っ取ろうとしなければ魔力は増えない。

 そして、私の身体はこれまでのどの魔王よりも神と成るのに適したものなんだよね?


 だからこそ、それに失敗すれば諦めもつくんじゃないかって思うのだ。


 出来れば説得したいんだけどね……。でも私のような、余所の世界からヒョイッとやって来て、この身体に入り込んだ一般人でしかない魂の声なんか聞く気はなさそう。


 だからそれは、レイの役目。正直、結局は私が頑張るというより他人任せになっちゃうんだけど。


「出来るのか……? ああ、いや。そうではないな」


 さすがに詳しい話は何も出来ないから意味深な言い方になってしまったけれど、父様はそれらの疑問を全て呑み込んで微笑む。


「メグなら、やってくれるのであろうな。我は疑ってはおらぬぞ」

「……うん。ありがとう、父様」


 私だって不安だし、うまくいくかなんてわからない。もしかしたら意識奪われ、身体を乗っ取られてこの魔大陸が大変なことになってしまうかもしれない。


 でも、これから旅立つ父様にそんな不安なんて持って行ってもらいたいくないもん。

 私を無条件で信じてくれる父様のためにも、私が私を信じなきゃ!


 弱々しく握ってくる父様の手を、両手で包み込んでギュッと握る。


 指が綺麗で、それでいて大きくて、優しい手。この手に何度も抱き上げられたし、何度も頭を撫でてもらったよね。


「暗くなってきたね」


 ふと、窓の外を見ると陽が暮れてきていた。このまま夜になって、日付が変わったらついに「例の三日後」になってしまう。


「せめて……あと一度だけ朝日を見られれば良いのだが。最愛の、娘と共に」


 一緒になって窓の外に視線を向けていた父様がポツリと呟く。


 誰に言われずとも、自分の寿命がいつ尽きるのかがなんとなくわかっているようだった。


 残念ながら、その願いが叶わないということも。


「……私、ずーっとここにいるからね。父様」


 父様の言葉には何も返せなかった。だから、こんな当たり障りないことしか言えなくて。


「我は、幸せ者だな」


 それでも本当に幸せそうに微笑みながらそう言うので、込み上げてくる涙が溢れてしまわないようにするので精一杯だった。


 口元に笑みを浮かべたまま目を閉じた父様は、その表情のまま眠りについた。

 スゥスゥと立てる寝息にこれほど安堵したことはない。今夜はとても眠れそうにないと思った。


 それから私はただ黙ったまま、眠る父様の顔を見つめながら手を握り続けた。


 彫刻のように整った顔は、眠っているからこそより美しく見える。こんなにも長時間じっと見つめ続けたのは初めてだけれど、いくら眺めていても飽きない美しさだ。


 陽が完全に落ち、クロンさんが軽食やお茶を運んで来てくれたけど……とても喉を通りそうになかった。

 ちょっとでも食べた方がいいことはわかってるんだけどね。でも今は、少しの時間も父様から目を離したくなかったのだ。


 クロンさんはもちろん、ギルさんやリヒトもそんな私を咎めることはなかった。気持ちを酌んでくれたんだと思う。


 あとはたぶん、みんなも同じ気持ちなのかな。


 誰も、一言も発さなかった。


 いつもなら眠る時間になった頃、魔王城にいる医師が様子を見に来てくれた。父様から、今夜来てくれと頼まれていたという。

 なにそれ。父様ったら準備万端じゃないか。


 立つ龍は跡を濁さないのだ、とお父さんから聞いたことわざを自分流に言い換えて語る父様が脳裏に浮かぶ。得意げに笑って、胸を張る父様が容易に想像出来た。


 だんだんと、寝息が聞こえなくなっていく。


 ────結局、父様が再び目を開くことはなかった。


 深夜、日付が変わってから数時間後。


 父様は、そしてお父さんは、この世を去った。


 私は、握っていた父様の手をそっと離すと、手のひらに自分の頭を摺り寄せる。


 この手が、私の頭を撫でてくれることはもうない。


 もう、二度とないんだね。


「……メグ」

「ん、大丈夫」


 自然と頬に流れた一筋の涙を、ギルさんが指で拭ってくれる。


 それをキッカケに、私はようやく立ち上がって父様から離れた。

 急に手が寒くなったけど、それを深く考えないようにギュッと拳を握りしめて立ち上がる。


「クロンさん、父様のことをお願いします」

「……畏まりました」


 クロンさんは深々と頭を下げてくれた。


 今の魔王城で最も長く、そして一番近くで父様を支えてくれたクロンさんも、思うことはたくさんあるはずだ。それなのに、いつも通りの冷静さを見せてくれる。


 ただ、少しだけ頭を上げるのが遅かったかもしれない。

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