弱音
お父さんの仮眠室を出て、執務室を出る。そのすぐ後ろからギルさんと、少し離れてリヒトがついて来てくれていた。
三人揃って誰も何も言わない。リヒトなら、部屋を出なくてもそのまま転移出来るはずなのに黙って先頭を歩く私について来てくれている。
そのまま真っ直ぐオルトゥスの外に出るまでの間に、何人もの人とすれ違った。きっとお父さんに会いに行ってくれる人たちだろう。
心の中で感謝しつつ、ひたすら無言で出口まで歩く。そうしてオルトゥスの外に出た時だった。
「……サウラさん?」
人の通らない茂みに、隠れるように後ろ向きで佇んでいたけれど……あの小柄な身体とエメラルドグリーンの綺麗なポニーテールは間違いない。
そういえば、いつの間にかお父さんの部屋からいなくなっていたっけ。
明日、みんなで見送るって言っていたから、今あの場を離れていることは不思議ではないけど……サウラさんが特に用もなくオルトゥスの外にいるのがなんだかすごく珍しくて、違和感があった。
だからつい、声をかけてしまったのだ。
「っ、メグ、ちゃん……!」
だけど、見ないフリをしておけばよかったとすぐに後悔した。
だって、きっとサウラさんは誰にも見られたくなかっただろうから。隠れるようにしていたんだもん、考えればすぐにわかることだったのに。
振り向いたサウラさんの目は、真っ赤に腫れていたから。
「あ、はは。ごめんね、情けない姿を見せちゃったわ! 大丈夫よ!」
サウラさんは慌てた様子でグイッと目元を腕で拭っていた。
そんな、こんな時まで気丈に振舞わなくていいのに。いつも通りの笑顔を見せてくれてはいるけれど、赤くなった目や鼻を見たら余計に胸が締め付けられるよ。
「っ、無理、しないでくださいっ。私、サウラさんがすごい人だってこと良く知ってます。だから……」
どうしても、放っておくことなんて出来なかった。だって、一人で泣くことでしか吐き出せないなんて辛いもん。
この人はとても強い人だ。だからこそ、誰かが支えにならなきゃいけないと思う。
それが私である必要はないけれど、それでもこんな姿を見ちゃったら黙ってなんかいられない。
だから私は、ギルさんと一緒にサウラさんに近付いた。言いたいことを今、伝えなきゃ。
「ちょっとくらい、ほんのちょっとだけでも弱音を吐いたって、サウラさんがすごいって思う気持ちは何も変わりませんから! だから、あの、サウラさん。我慢なんてしないで……?」
「っ、ぅ……メグ、ちゃぁん……」
話している途中からサウラさんのエメラルドグリーンの瞳が潤み、私が最後まで言う前に涙腺が決壊してしまったようだった。
サウラさんは手で何度も涙を拭いながら、抱えていた思いを吐露していく。
「私がっ、しっかりしなきゃいけないのに……! これからのオルトゥスを支えて行かなきゃいけないのに! 頭領に任せたって言われたのに……っ、なのに」
ああ、この小さな肩にはとても重いものが乗っかっていたんだな。
だけど、私たちは何も疑問に思うことなく、この人なら大丈夫だって思ってた。
ううん、思わせてくれていたんだ。他でもない、サウラさんによって。
「わた、私……っ、頭領のいないオルトゥスを、この先どう支えていけばいいのか、わからないわ……っ!」
突然オルトゥスのトップに立たされてしまうのだから、その重圧に押しつぶされそうになることくらい、私なら誰よりも理解出来たはずなのに。
それなのに私ったら、自分のことで精一杯で……。
悔しい。いくらすごい人だからって、悩まないわけがないじゃないか。なんで私はそんな簡単なことにもっと早く気付けなかったのだろう。
「サウラ」
私が悔しさで何も言えなくなっていると、ギルさんがサウラさんの正面に片膝をついて目線の高さを合わせた。
サウラさんは涙を拭う手の間から、目だけでギルさんを見上げている。
「……その。みんなで、支えればいい。全てをお前一人で背負おうとするな。俺も……他の頼りになる仲間も、いるだろう」
「ぎ、ギルぅ……!」
どこか照れくさそうなギルさんはフイッと目線を逸らし、サウラさんはますます目に涙を溜めた。
そのままサウラさんは、感極まった様子でガバッとギルさんに飛びつく。
「ごめぇん、メグちゃん! 少しだけギル貸してぇ!!」
「こ、こんな時にそんな気遣いまでしないでくださいよ! もう、サウラさんってば」
律儀なことである。しんみりとしていたのについ笑っちゃったよ。
ギルさんも苦笑しつつ、ちゃんとサウラさんを抱き留めてあげている。
「だ、だって、あのギルがそんなこと言うなんて反則よぉ! あんなに『俺は一人で生きていく』みたいに孤独感を漂わせていたギルがよっ!? 誰よりも仲間って単語が似合わなかった男がぁ!」
「……」
サウラさんの言いたいことはとてもよくわかるけど、あまりの言われようにギルさんが真顔になっている。あ、あはは……!
「ギル……貴方がそう言えるまでになってくれて、とても嬉しいわ。そう、そうよね。こんなにも頼もしい仲間が他にもたくさんいるんだもの……! でも、でも寂しいわ! 頭領に死んでほしくないわ……っ!!」
「……ああ、そうだな」
「うわぁぁぁん!! 怖いわ! 怖いわ、ギルぅ!!」
それからしばらくの間、サウラさんはギルさんの胸の中で泣き続けた。
しばらく、といってもそれはほんの数分ほどの時間だった。
本当はもっと気の済むまで泣いてもらいたかったけど、サウラさんが思いの外すぐに泣き止んだのだ。
それから身体を離したサウラさんは魔術で顔を洗った後、恥ずかしそうに告げた。
う、上目遣いのサウラさんが可愛い……!
「あの、ありがとう、二人とも。そのぉ、今のことは……」
人差し指同士を突きながらそんなことを言われてしまっては、全力で察するしかありませんね! ギルさんと目を合わせて互いに頷く。
「サウラさんは見送りに来てくれただけです、よね!」
「過保護だからな、サウラは」
そう。いつものように、いってらっしゃいと言いに来てくれただけなのだ。
弱音も、涙も、私たちの胸の中にしまっておくよ。サウラさんが、オルトゥスのみんなが不安にならないようにと必死に隠そうとしてくれたことだもん。絶対に誰にも言ったりなんてしない。
「あー……俺は少し離れたところにいたんで。暗いし。何かあったんすか?」
タイミングよく私たちに近付いて来たリヒトもまた、抜群の対応力を見せつけてくれた。さすがだね!
「もーっ、三人ともカッコ良すぎるわ! ふふ、元気出た!」
私たちの言葉を聞いて一瞬だけきょとんとした顔を見せたサウラさんは、それからすぐにクスクスと笑ってくれた。ああ、いつものサウラさんだ。
「こっちのことは任せてちょうだい。今の私は無敵よ!」
ドンと胸を叩いて朗らかに笑うサウラさんに、先ほどまでの弱々しさは一切なかった。
きっと、これからも心が弱ってしまうこともあるだろう。その時は、今回みたいにギルさんや他の重鎮メンバーがすぐに支えになってくれるよね。
私も、ほんの少しでも支えになれるようになりたい。自分の問題を乗り越えたら、絶対に。
「……はい! じゃあ、行ってきますね!」
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね!」
そうして今度こそ、私たちは三人で魔王城へと転移した。恐らくベッドで横になっているであろう、父様のもとへと。
※
魔王城は妙に静まり返っていた。空がどんよりとした雲に覆われているからってだけじゃないと思う。
きっと、悲しい別れが迫ってきていることをみんなが察しているからだろう。
リヒトを先頭に魔王城内へ足を踏み入れると、執事や侍女の皆さんが一斉に頭を下げて出迎えてくれた。
再び顔を上げた彼らの表情はやはり暗い。そのことが心苦しかったけど、私はそれに笑顔で応えることにした。
「こんにちは。少しの間、お世話になりますね」
なんてことのない当たり障りない挨拶だったのに、私の言葉を聞いて何人かが言葉を詰まらせ、目に涙を浮かべた。
だけど私は、特にそれらに触れることなくリヒトを追い越して先に進む。真っ直ぐ、父様の自室へ。
「リヒト。こんな時にアレだけど……今しか出来ない話だから」
二階へと進み、少し歩を進めたところで私は一度足を止める。真っ直ぐ前を向いたままリヒトに話しかけ、そして振り返った。
「頼みたいことがあるんだ」
「……魔王が眠りについた、その後のことか」
「さすが。察しが良いね」
眠りについた後、だなんてうまい言い回しをしてくれたものだ。意味は同じなのに「死」という単語を使わない配慮は今の私にはありがたい。
「……そういうことなら、任せとけ。ギルも一緒でいいんだよな?」
「ああ。頼む」
特に説明がなくとも、リヒトはあっさり察してくれた。魂の繋がりはこういう時に便利だ。これで、安心して父様を看取れる。
「もしも、私の身体が乗っ取られたら。その時は……」
最悪のことを、今から考えておかなきゃいけない。たくさんの人たちの、安全のためにも。
作戦は簡単な言葉だけで十分。だってリヒトもギルさんも、それだけでわかってくれるから。ほんと、頼もしいよね。
険しい表情を浮かべる二人に向かって曖昧に微笑んだ私は、それ以上は何も言わずに、再び前を向いて父様の自室に向けて歩を進めた。
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