贈る言葉


 しっかり腫れた目を冷やして落ち着いた頃、寝ているお父さんが起きる気配がした。

 慌ててルド医師と一緒にお父さんのベッド脇に近寄って顔を覗き込む。


「……おわ、なんで、お前らが……いんだ?」

「ふふっ、おはようお父さん。よく眠れた?」


 ゆっくりと目を開けたお父さんが、どこか寝ぼけた様子でそんな第一声を溢したので思わず笑っちゃった。あまりにもいつも通りの寝起きのお父さんだったから。


 だけど、やっぱりいつもとは違う。お父さんは上半身を起こそうとして身動ぎし、上手く力が入らなかったようで諦めたように力を抜いた。


「ああ……なるほど、な。その時が、来たか」


 そんな自分の様子を瞬時に理解したお父さんは、焦るでもなく目を閉じてフッと笑う。

 全てを受け入れている顔だ。それがとても切なくて、思わず唇を噛んだ。


「ルド、俺はあとどのくらい……持つかわかってる、のか? 俺の予想だと……まぁ、明日くらいが、限界なんだが」

「随分と弱気だな、頭領。残念ながらあと三日は生きるよ」

「マジか。しぶといな……俺」


 ククッと笑うお父さんの声はやっぱり弱々しい。だけどさすがはお父さんといったやり取りだった。ルド医師も困ったように笑っている。


 そうして会話が途切れた時、お父さんはようやくマキちゃんの存在に気付いたようだった。


「マキ……」

「あの、その……」


 そういえば、マキちゃんはお父さんがあの約束を覚えているか不安がっていたっけ。どう声をかけていいものかを迷っているみたいだ。


 まぁ、貴方の死期を悟って慌てて来ましたって言うのもどこか不謹慎に感じるよね。気持ちはわかる。

 でも大丈夫。お父さんは絶対に覚えていると思うから。


 私の予想通り、先に口を開いたのはお父さんの方だった。


「ありがとうな、マキ。頼みごと、覚えていて……くれたんだな」

「っ! は、はい、あのっ」

「何も、言わなくていい。はは、まさか、覚えていてくれてるなんてな……俺は人に、恵まれてる……」


 目を閉じたまま嬉しそうに言うお父さんを見ていたら、もう何も言えないや。

 マキちゃんも油断すると泣きそうなのか、グッと唇を噛んでいた。私たち、たぶん今は同じ顔をしているんだろうな。


 でもマキちゃんは、涙を堪えてニコリと笑ってみせた。


「当然です。頭領からの頼みを忘れるわけないじゃないですか!」

「……頼もしいな。嬉しいよ……ありがとう」

「どういたしまして、です!」


 二人は顔を見合わせて微笑み合う。そんな二人を見ていたら、胸の奥から懐かしさのようなものが込み上げてきた。


 私に母親の記憶はないから、不思議な感覚なんだけど……。覚えていないだけで、こういう二人の姿を赤ん坊の時に見ていたのかな?


 良かった。最初に浮かんだのはそんな感情だった。これで、お父さんは安心して逝けるって、そう思ったから。


 お父さんが目覚めて小一時間ほどが経った頃、仮眠室が賑やかになり始めた。

 お父さんの情報を聞きつけた人たちがオルトゥスに戻って来たのだろう。バタバタという足音と、次から次へと入室してくる人の気配がした。


「おい、頭領! なん、なんでっ……!」

「ジュマ。騒ぐなら問答無用で追い出すよ」

「ぐっ、だ、だってルド……!」


 ジュマ兄の、こんなに焦った顔は初めて見たかもしれない。いつもピンチになってもニヤッと笑っている人だからかな。

 お父さんの弱々しい姿を見て一気に眉尻が下がり、ジュマ兄までもが弱ってしまったように見えた。


「ルド、別に構わない……オルトゥスは、基本的にいつも、うるせぇ、だろ……」


 最期の瞬間まで、自分はオルトゥスの頭領でいたいから。


 お父さんはそう言いながら楽しそうに笑う。つまり、みんながここに押し寄せてきても構わないと言っているんだ。


 医者としてはあまり良いとは言えない様子のルド医師だったけど、すでにお父さんの寿命は決まっていて変えることは出来ない。


 本人の意思を尊重しようと決断を下し、それでもぐちゃぐちゃになってしまわないように、一人当たりの時間を決めて順番にお父さんのお見舞いに来ることを許してくれた。


 お父さんの下には本当にたくさんの人がやってきた。


「うぅ、ど、頭領……!」

「湿っぽいのは、やめろよ、ラーシュ……」

「わ、わかっ、うぅ、む、無理だよ……」


 ルド医師の指示の下、お父さんに一言ずつ声をかけては退室をしていく皆さん。


 最後のひと言はそれぞれ違っていて、ラーシュさんみたいに泣いてしまう人もいれば、チオ姉みたいにあえて冗談を言う人がいたり、カーターさんやマイユさんのように真面目にお礼を告げる人もいた。


 その全てをお父さんは嬉しそうに聞いていて、とても幸せなんだってことが見ているだけでわかる。


 それからも、この日は夜までにたくさんの人が訪れた。


 各特級ギルドのトップも駆け付けてくれたのには驚いたよ。さすがと言うべきか、皆さんとても冷静にお父さんと最後の別れの言葉を交わしてくれた。


 他にもお父さんにお世話になったという人がたくさんいたけれど、全ての人と言葉を交わすことは出来なかった。途中でお父さんが疲れて眠っちゃったからね。


 それでも、ひっきりなしに人がやってきてはお父さんの顔を見て帰って行く。本当に、大勢の人が別れを惜しんでくれていた。


 お父さんは、本当にたくさんの人に感謝されるすごい人なんだって改めて実感出来たよ。誇らしいよ、お父さん。


 翌日の夕方、ついにニカさんがオルトゥスに帰って来た。顔色は悪かったけど、取り乱したり慌てる様子は見せないところがさすがだ。

 だけどその表情は硬くて、色んな感情をグッと耐えているんだなってことがわかる。


「ニカ、か。悪ぃな、わざわざ……任務中だってのに」

「当たり前だろぉ、頭領よ。こんな時に帰らねぇなんて、俺が一生後悔してもいいってぇのかぁ?」

「はは、それは、酷だよな……じゃあ、ありがとう、だな。お前に会えて……良かったよ」


 すでに時間はあと一日もない。お父さんの声は少しずつ小さくなっていて、今にも命の灯が消えてしまいそうだった。


「昨日も今日も、まだまだたくさんの人が来ると思うわ。でもね、最期は……この初期メンバーとマキちゃんで見送りたいって思うの。いいかしら、頭領?」


 サウラさんの言葉に、お父さんはゆっくりと頷いた。とても嬉しそうに微笑んでいる。


 そっか。皆で見送ってくれるんだね。そのことにとても安心出来た。


「メグ」

「……リヒト」


 ニカさんが来たってことは、リヒトもいるってことだ。ここまで転移で連れて来てくれたんだもんね。


 それはつまり、私もそろそろ父様のところに行かなきゃいけないってことでもある。だからその前に、私ももう一度お父さんと言葉を交わさなきゃ。


 最期の、言葉を。


 私はお父さんのベッドの横に立つと、その場で膝をついて目線を合わせた。お父さんはゆっくりと顔をこちらに向けてくれる。


「……お父さん。本当はね、あの教会で結婚式を挙げてるとこ、見てほしかったな」


 出来れば心残りになるようなことは言いたくなかったんだけど、これだけ人生を謳歌したんだもん。少しくらい、残される側の気持ちを聞いてくれてもいいよね? 酷い娘かな?


 でもね、どうしてもワガママを言いたくなったのだ。最後の言葉だからこそ。


 お父さんは小さく笑って、俺はホッとしてると答えた。なんとなくそう答えるような気がした私は、一緒になってクスッと笑う。


「渡したくなくなるだろ……ギルなんかに、よぉ」

「随分な言い草だな、頭領」


 私のすぐ後ろに立っていたギルさんが、恨みがまし気にそう言った。そのことがおかしくてさらに声を上げて笑ってしまう。


「成人まで、見守れたから……十分だ」


 その言葉は、本音と嘘が半々くらい込められている気がした。


 少しだけでも結婚式を見たかったって思ってもらえたのかな? それがすごく悔しくて、嬉しかった。矛盾してるけど、本当にそう思うんだ。


「メグなら、大丈夫、だ……何が、あっても」

「うん。私なら大丈夫。何があっても」


 だって、お父さんが言うんだもん。きっと乗り越えられる。自信しかないよ。


 私がそう即答すると、お父さんはちょっと驚いたみたいだった。ふふん、弱音でも吐くと思った? 私だって成長しているんだから。


「メグ。……・・。俺の娘だ。どちらのお前も……愛してるぜ。ずっとな」


 ちょ、ちょっと。

 ズルいよ。

 なんで最後の最後で素直になるの。


 愛してるだなんて、そんな言葉は前世も含めて言ったことなかったじゃない。……お母さんには、言ったことがあるのかもしれないけど。


 オルトゥスの頭領からそんな言葉が出て来るとは誰も思ってなかったみたいで、その場にいる誰もが目を見開いていた。

 当の本人はしてやったり、とでも思ったのかニヤッと笑っている。もう、そういうところがお父さんだよね。


「……っ! 私も、だよ、お父さん。生まれてきて良かった。ここで生まれ変われて、またお父さんに出会えてよかった。私は幸せだよ、お父さん。ずっとずーっと、愛してるよ、お父さん」


 涙は流れたけど、笑顔は崩さなかった。絶対に。


 お父さんがゆっくりと手を伸ばしてきたので、その手を取ってギュッと握りしめる。


「ふ、ギル、羨ましいか……?」

「……それはこっちのセリフだ」


 そんな中でも、お父さんはギルさんへのマウントを取ろうとする。ギルさんもギルさんで譲る気がないのが笑っちゃう。


 けど、ギルさんの声には切なさと、悔しさと、覚悟が込められていて……その意味は簡単に理解出来た。


 これから先は、自分が私の側にいるからって。そう言ってくれたんだよね?


「メグを、頼んだぞ。ギル」


 その意味を察せないお父さんではない。私から視線をギルさんに移し、そう言った。その目は弱々しさなんて微塵も感じない、いつもの強い光を放った目だった。


「ああ。必ず、守る。共に生きると決めたからな」

「なら、いい」


 それが、お父さんとギルさんが交わした最後の言葉。


「メグ、楽しくやれよ……!」

「うん。思い切り楽しむよ!」


 これが、お父さんと私が交わした最後の言葉。

 お互い、笑顔でいられたよね。


 これから先、辛い別れがたくさんある。

 私はたくさんの人を見送ることになる。


 それでも、長い人生を最後の瞬間まで楽しむつもりだ。


 尊敬する、お父さんのように。

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