大事な約束


 リヒトが去った後、サウラさんがようやくいつもの調子でみんなに指示を出した。とはいっても、やっぱりどこか元気はないけれど。


「ギルはオルトゥスメンバーにこのことを伝えてきてちょうだい。仲間内だけにしてね。最後に一目会いたい人はたくさんいるだろうけど、大勢は無理だもの」

「わかった」

「ルドはこのまま頭領のところにいてもらえる? 貴方の判断で他の医療メンバーと交代しても構わないから」

「引き受けるよ」


 それから、この三日の間は出来るだけ重鎮メンバーには頭領の下にいてほしい、とサウラさんは告げた。色々とやらなければならないことは……全て後回しにするとのこと。


 今は、お父さんとの時間を大切にしてほしいもんね。その気遣いに涙が出そうだった。


「メグちゃんは……」


 一通りの指示を終え、室内に人が少なくなってきた頃にようやくサウラさんが私に目を向けた。


「……はい。私は、リヒトがここに来たら一緒に魔王城へ行こうと思います」


 私は出来る限り笑顔を心掛けて答えた。でも、きっとあんまり上手には笑えていないと思う。サウラさんが今浮かべている笑顔みたいに、どうしても悲しい気持ちが外に出ている気がした。


「……そう。決めていたのね? 頭領はそのこと……」

「知ってます。だから、それまではお父さんの近くにいてもいいですか?」


 でも、私もサウラさんもそれについては触れない。出来るだけ明るくいよう。強がりだろうがなんだろうが笑わなきゃ。


 笑え。笑え。

 泣くにはまだ、早いんだから。


「ええ……もちろんよ! いてちょうだい!」


 サウラさんも私の気持ちに応えてくれるかのように飛び切りの笑顔を見せてくれた。少しだけ目元が赤いけど、きっと気のせいだ。


 それからサウラさんは自分も少し席を外すわね、と言い残して足早に部屋を出て行った。


 私はゆっくりとお父さんが眠っている仮眠室に足を踏み入れる。ルド医師がそんな私に気付いて口を開きかけたけど、声を発さずに口を閉じた。

 そのことに感謝しながら、私の方から口を開く。


「ルド医師、私……リヒトが来るまでずっとここにいていいですか?」

「ああ、そうか。……メグはもう、決めているんだね?」


 頭領の最期を見届けられないということを。


 続けられなかった言葉を汲み取って、私はゆっくり頷く。


「私の診断は当たっていたってことかな。ああ、答えなくていいよ。大体わかる」


 それはお父さんの命が三日ほどだってこと、だよね。ルド医師は悲しそうに目を伏せて静かに告げた。


 本当に全てを察してくれるな、この人は。おかげで私は泣き出してしまわないように、口を引き結んで微笑むだけですむ。


「……おや、また誰かが来たようだ」

「え?」


 黙ったままでいると、ルド医師が顔を上げて入り口の方に目を向けた。私もつられてそちらに向けると、入り口のドアから控えめにそっと顔を覗かせている人物と目が合う。


「メグちゃん……」

「マキちゃん……来てくれたんだね」


 ルド医師に目を向けると軽く頷いてくれたので、マキちゃんを手招きする。

 マキちゃんは恐る恐ると言った様子で部屋に入って来た。それからベッドで眠る弱ったお父さんを見て切なそうに眉を寄せた。


「ギルさんが、私もオルトゥスのメンバーだからって教えてくれたんです」

「よかった。もし伝わってなかったら、私が呼びに行こうと思ってたんだ」


 さすがはギルさん。わかってくれているなぁ。心の中でギルさんにありがとうと告げると、ほのかに胸が温かくなるのを感じた。たぶん、伝わったんだと思う。


 マキちゃんは私の隣にやってくると、おずおずと口を開く。


「実は私……頭領と約束をしていることがあって。頭領は、忘れているかもしれないんですけど」

「約束?」


 ルド医師の質問にギュッと拳を握りながら頷いたマキちゃんは再び話し始めた。


「実は、かなり前に頭領に頼みごとをされたことがあって。えっと、私の前世の記憶をメグちゃんが探ってくれたことがあったでしょ?」


 そう言われてふと思い出す。あったね、そんなこと。それで、マキちゃんが環のお母さん、つまりお父さんの奥さんである珠希の生まれ変わりだってことがわかったんだよね。


 その時、確かにお父さんはマキちゃんに一つ頼みがあるって言っていた。なんだか歯切れの悪い感じで。

 それで、マキちゃんてば頼みごとを聞く前に二つ返事で即答したんだよ。せめて話を聞いてからオッケーしてって笑い合ったっけ。


 でも結局、どんな頼みごとをされたのかはわからないままだ。きっと後日、改めて話をされたのだろう。


「あの後、頭領と二人で話すことがあって。その時に言われたんです」


 マキちゃんの目はウルウルと涙で潤んでいて、それでも泣かないようにグッと堪えているのがわかった。


『マキに頼むのは間違っているし、今こんな話をするのはどうかとも思うんだが……今世では、マキよりも俺の方が先に死ぬことになる。その時は、俺を看取ってくれないか?』


 そんなこと、頼んでいたんだ……。込み上げてくるものがあって、鼻の奥がツンとする。


 マキちゃんはズビッと鼻をすすってから、さらに言葉を続けた。


「自分は前世で、奥さんであるタマキさんを見送ったから……今度は彼女に見送られて逝きたい、って。ただの自己満足だから、嫌なら断っていいって。そう言ってました。あと、誰にも内緒だからなって言われてましたが、この約束は忘れちゃいました!」


 マキちゃんの優しい嘘にクスッと笑いがこぼれた。そっか。忘れちゃったんなら今ここで喋っちゃったのも仕方ないよね。もしかしたら今もお父さんは聞いているかもしれないけれど、笑って許してくれるだろう。


 ゴシゴシと腕で涙を拭ったマキちゃんはパッと顔を上げて晴れやかに笑った。


「私がその頼みを断るわけないんですよ。絶対に守ろうって思いました。だから、こんな時だけれど約束が守れそうでホッとしてもいるんです。あっ、もちろん、頭領がいなくなることを安心しているわけじゃ……!」

「わかってる、わかってるよマキちゃん。大丈夫」


 いつになく早口になったマキちゃんを落ち着かせるために、両手を小さく横に振る。そんなこと考えてないってことくらい、ちゃんとわかってるもん。


「頭領は、もう忘れちゃったかな」


 人差し指で頬を掻きながらはにかむマキちゃんを見ていたら、自然と笑みが浮かんでくる。いやいや、それはない。


「絶対に覚えてると思うよ。それで、きっとすごく喜ぶと思う」


 お父さんは、そういう人なのだ。そんなこと、言った本人でさえ忘れてたのにってことをずーっと覚えているような人なのである。

 私はマキちゃんの手を両手でギュッと握った。驚いたような目と私の目が合う。


「マキちゃん。私からもお礼を言わせてね。本当にありがとう。お父さんの最期の望みを叶えようとしてくれて」


 最期、という言葉を口に出したら急に涙が出て来そうになってしまう。もう、笑っていようって決めたばかりなのに。


 ほら、マキちゃんもつられて目が潤んでしまっているじゃないか。


「お礼だなんて……こちらが言いたいくらいだよ、メグちゃん。こんな大事な役割を託してくれて、頭領には感謝しかないんだから。だからね、メグちゃん」


 ツゥ、とマキちゃんの涙が頬を伝っている。いや、違う。私もだ。お互いに手を握り合うその力が込められる。


「頭領のことは、私がちゃんと見送ります。だから、こっちのことは心配しないでいいよ。メグちゃんはお父様のところに行ってあげてね」

「マキちゃん……!」


 涙を耐え切れなくなった私は、勢いのままマキちゃんに抱きついた。首元に手を回した私を、マキちゃんはそっと受け止めて抱き締め返してくれる。ものすごい安心感だ。


 ああ、お母さんだ。

 この時のマキちゃんに、私はお母さんを感じてしまった。


 だからかな、涙がとめどなく溢れてきて、大人になったばかりだというのに子どもみたいに縋りついてしまう。


「悲しいよ、寂しいよ……! でも、笑顔で見送りたいって思うから……っ」

「うん、うん、そうだよね。大丈夫。後で一緒に思いっきり泣こう? 私も我慢するから。ね、メグちゃん」

「うん……うん……っ!」


 優しく温かな手が私の背中を撫でてくれている。いつの間にか私よりもずっと大きくなっていたマキちゃんの身体は、フワフワとしていて、優しくて、お母さんの記憶はないのに懐かしさを感じる。


 ああ、早く泣き止まなきゃ。お父さんがいつ目覚めてもいいように。笑顔でおはようって言うんだから。


「さ、二人とも。これが必要なんじゃないかな?」

「ルド医師ぇ……」


 二人で抱き締め合いながら泣いていた私とマキちゃんを、黙って見守ってくれていたルド医師がそっと冷たいタオルを差し出してくれる。泣いた後の冷たいタオルだなんて、すごく懐かしいな。幼い時はよく使わせてもらっていたっけ。


 それを思い出して、私はようやく笑顔を取り戻すことが出来たのだった。

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