魔力増加の秘密


 メグちゃん、とこちらを労わるような優しい声でハッと意識を呼び戻された。ピピィさんがそっと私の頬に手を当てて、口元だけで微笑んでくれている。


「あのね。私たち、ずっと準備をしてきたのよ。貴女がいつか、我を忘れてしまった時のために」


 私がハイエルフ始祖に意識を乗っ取られた時のため、か……。

 父様も、魂を分け合う前は何度も意識を乗っ取られていたんだよね。あれが、私の身にも訪れるということだ。


 それ自体はわかっていたことだけど、この話を聞いたあとだと余計に怖い。


 だって、二度とが戻って来られなかったらどうしよう。私の意識は保たれたまま、この身体の奥に封印されてしまうのかな。これまで私の中で、ううん、歴代魔王の中で過ごしていたレイのように?


 そうだ、レイ。彼はずっとそんなに寂しい思いをしてきたの? それはハイエルフ始祖も、だよね……。


 ずっとずっと、気の遠くなるような時間を、色んな人たちの身体の中で、誰にも認識されることなく。たった一つの願いだけを抱え続けながら。


 ギュッと拳を握りしめる。弱気になっちゃダメだ。同情も命取りになる。それこそ、身体を明け渡す助けになってしまうだろうから。


 私は顔を上げてピピィさんに質問をした。相変わらず掠れていたけれど、ちゃんと声は出る。よし。


「ピピィさん、その準備というのは?」


 ピピィさんはそんな私を見て少しだけホッとしたように息を吐いた。心配させているんだな。申し訳ない気持ちはもちろんあるけど、やっぱりありがたい気持ちが大きい。


「ええ。私の特殊体質は絶対防御。だからね、メグちゃんが意識を手放している間は、私の結界が貴女を包み込むわ。閉じ込めてしまう形になるけれど……」


 つまり、この身体を初代ハイエルフが乗っ取っている間は私を閉じ込めてくれるってこと? それって。


「貴方が、知らない間に周囲に被害を出してしまわないように。魔物たちを使役してしまわないように、ね」

「っ!」


 わかってくれている。私が何に一番傷付くのかを。それを阻止しようとしてくれているんだ……!


 じわりと涙で視界が滲む。


「ごめんなさいね。本当は、貴女の魂がハイエルフ始祖の魂に打ち勝つ、そのお手伝いを近くでしたかったわ。でも、私もシェルも全盛期ほどの力がない。だから足手纏いになってしまうと思ったの。しかも、元神様を相手に私の絶対防御がどこまで通用するのかもわからないわ。だから私たちに出来るお手伝いはこれだけなの。無力よね……」


 私は滲み出した涙を飛ばすように顔をブンブンと横に振る。

 きっとたくさん考えてくれたんだ。その上で、自分に出来る精一杯をしてくれている。


 そうだ、そうだよ。私だって自分に出来る精一杯をしていくしかない。ピピィさんに応えるためにも、私が諦めるわけにはいかないよね。


 ピピィさんは一度奥の部屋へと向かうと、大きな石を持って再び戻ってきた。あれは、魔石? すごく大きい。

 それに、下手すると見落としてしまうんじゃないかってくらいに無色透明だ。あんな魔石は見たことがない。


 隣を見ると、ギルさんも驚いたように目を丸くしている。


「絶対防御を魔石に込めたわ。発動にいくつかの条件が必要になってしまうけれど……その分、防御の効果は同等になるように調整したから。実はね、オルトゥスの力も借りたのよ? 貴女のお父さんに」

「頭領に……?」


 ピピィさんがふわりと笑って言った言葉にギルさんが反応する。


 今のお父さんは遠出をすることがほとんどない。ほぼオルトゥスで仕事をしているのだ。その……寿命が近付いているからね。

 無理はさせないように、ってサウラさんを筆頭に見張っているような感じで。お父さんは苦笑しながらも大人しくそれを受け入れている状態なのだ。


 だから、いつの間にそんな協力をしていたのかと驚いたんだと思う。私もビックリだし。


「ふふ、力を借りたと言っても通信魔道具で助言をもらったり、人を紹介してもらったりしただけよ。ユージンに無茶なことはさせていないわ」

「そ、そっか。お父さんは顔が広いもんね」


 そんな私たちの心配を察したのだろう、ピピィさんはすぐに説明を付け足してくれた。

 それなら納得。魔石に魔法を込めるだけならハイエルフの人たちにも出来るけど、発動条件を整えたり、力の調整なんかは専門的な知識が必要なんだもんね。私もよくは知らないんだけど。


「私の力を十分に発揮するには、どうしてもこの大きさと透明度が必要だったのよ。ちょっと嵩張るんだけど……収納魔道具があれば平気かなって思って」

「それはもちろん平気ですけど……こんなに無色透明な魔石、一体どこで……」


 オルトゥスでさえ見たことないってすごいと思うんだよね。ギルさんも初めて見たような反応だし。アニュラスの人なら何か知ってるかな?


 だけど、ピピィさんは人差し指を唇の前に立ててふふっ、と微笑んだ。あーなるほど、内緒ですね!

 まぁ、あれほどの魔石の出所なんて知られたら色んな人が狙うだろうし、当たり前ではある。


 小さく頷くことで返事をすると、ピピィさんが魔石を私に手渡しながら目を伏せた。


「だから安心して。まずは成人の儀をしてきなさい、メグちゃん。こんな時だけれど、ううん。こんな時だからこそ、お祝いごとはしっかりするべきだわ。ね?」


 こんな時だからこそ……。そっか。


 もしかしたら、私の成人のお祝いはもう二度と出来なくなるかもしれないんだ。そういうことなのだろう。


 それどころか、私自身がもう二度とこの世に出てくることが出来ない可能性がある。


 そんな未来は嫌だ。絶対に。嫌だ、けど。


 この身体をハイエルフ始祖に受け渡せば、それでこの悲しい魔王の運命を断ち切ることが出来るって考えがどうしても浮かんでくる。

 お父さんやリヒトのように、急に異世界に飛ばされる人もいなくなるし、魔王が魔力暴走で苦しむこともなくなる。魔物の暴走によって戦争が起こることもない。


 全てが丸く収まって、平和になるんだ。


 そもそも、後から来てこの身体を奪ったのは私の方。本来、私の魂はこの世界に来る予定なんかじゃなかったのだから。

 とっくに私は死んでいて、どこかで生まれ変わっていたのかもしれない。マキちゃんみたいに、全てを忘れてこの世界に転生していた可能性だってある。


 せっかく全てが終わるところだったのに、私という存在がいるせいで負の連鎖が続いてしまうんだ。


 それがわかっているのに、私はこのままのうのうと幸せに生きていくことが許されるのだろうか。


『神になれば、地上の生き物の寿命を延ばすことも容易い』


 私の葛藤を聞いていたのだろう、脳に直接響くあの声が私を誘惑した。


 神になれば、お父さんや父様が死ななくて、済む……?


「っ、聞くんじゃない! バカ娘!!」


 焦ったようなシェルさんの声が聞こえてきた。えっ、シェルさん? そんな声も出せるんだ……?


 シェルさんがあんなにも慌てているのに、私はそんな呑気なことを考えていた。


 でも次の瞬間、私の目の前にいたのは別の人物で……あまりにも自然に移り変わった光景に思わずきょとんとしてしまう。


「君に術をかけているのは、別の者だよ。メグにもわかるよね?」


 目の前にいる人物、レイは唐突にそんなことを言う。前振りも何もなく、まるでついさっきまで普通に会話をしていたみたいに。


 だけど、なぜか私もそれを不思議には思わなくて、当たり前のように頷きながら返事をした。


「わかります。……でも私、あの声は意思を持った魔力のことだってずっと思ってました」


 私が答えると、レイはあははと明るく笑う。


「逆だよ。彼が意思を持っているから、魔力が彼の思うままに暴走するんだ。君が魔王の威圧を放った、あの幼い頃からずっと、僕らは君の中にい続けたんだよ」


 そんな気はしていたけど、改めて言われると微妙な心境になるなぁ。それってつまり、私のことをずっと見てたってことでしょ?

 成功も失敗も、楽しかったことも辛かったことも、恥ずかしかったことまで全部。


 でもまぁ、神様が相手じゃ知られていても仕方ないかな、なんて諦めにも近い感情を抱く。


「今の僕らは無力だ。でも、彼はその強い意思の力でもって今も野望を果たそうとしている。僕はね、それを止めるために呪いを利用しているんだよ」


 呪い……? あ、さっきシェルさんが言ってたことだ。他種族との間の子には魂が宿らないっていう。

 呪いなんて酷いと思ったけど、そのおかげでこれまでのハイエルフたちは神となる器を作らずに済んでいたってことだもんね。


 私がハッとなって顔を上げると、レイはただ黙って曖昧に笑った。自分から教える気はないのかな。


 それならば。私はずっと思っていたことを、確信を持って口にした。


「その彼というのは……ハイエルフ始祖のこと、ですよね?」

「……うん、そう。彼の名前はテレストクリフ。これは鍵だよ。しっかり覚えておいて。いいかい? 君が今後、意識を手放した時はいつも彼がその身体を自由に操るようになるだろう」


 テレストクリフ。それが初代ハイエルフの名前。そして、私とこの身体の争奪戦をする相手の名前か。

 ……鍵って何。あんまり情報を増やさないでほしい。


「魔王の身体もね、元々はみんな一般的な魔力量しかなかった。でも僕らが次代魔王の身体に移り、徐々に目覚めていくことで最終的に三人分の魔力を抱えることになる。これが、魔王の魔力が増加してしまう仕組み」

「さ、三人分……!?」


 そりゃあ抱えきれなくなるはずだよ! パンクするはずだよ! それも、神様の魔力でしょ? 膨大×膨大じゃん! 


 他の人はともかく、よく耐えてたよね、私の身体。


「だけど不思議なことに、メグの身体に来た時は、なぜか僕だけが先に目覚めたんだよ。君が前に魔力暴走しかけたのは単純に未熟な身体で制御しきれなかったから。もちろん、彼も目覚め始めていたからその影響もあったけどね」


 まさかそこで勇者と魂を分け合うなんて思わなかったよ、とレイは困ったように肩をすくめている。


 そうだったんだ……確かに、前回と今では魔力暴走の感じ方が少しだけ違う。っていうか、三人分なんて絶対に抑え切れないよ。


「彼はそれを全て制御出来る。メグには出来ないことだよね? わかってる。でもね、メグ。必ず勝って。身体を彼に受け渡したらダメだ。メグが神になりたいと言うなら止めないけど、彼に譲ることだけはしちゃダメ」

「そ、それは、なぜ……? 全てが丸く収まるんじゃ……」


 急に、レイはギュッと私の両肩を掴む。さっきまで明るく笑っていたのが嘘のように真剣な眼差しで。ちょっとだけ肩が痛い。


「それは────」

『この身体は、私の物だ……!!』


 レイの言葉と重なるように聞こえたのは、あの声。テレストクリフの声だ。


 レイの声が搔き消えてしまうほど、脳内に直接響いてくる。


「クリフ! どうしてわからないの!?」


 激しい頭痛に目を閉じたのとほぼ同時に、レイの悲痛な叫びが微かに聞こえてきた。

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