未来永劫


 ふわりと温かな湯気が上がる。と同時にハーブの良い香りが鼻腔をくすぐった。どうやらピピィさんがお茶を淹れ直してくれたようだ。


「シェルはね、なぜ元神のハイエルフ始祖がことごとく失敗しているのかずっと調べていたのよ。メグちゃんの中にいる存在が邪魔しているというだけで、こうも長い年月失敗し続けるのはなぜか。そして、シェルはなぜ器としてダメだったのかって」

「え?」


 思わず疑問の声を漏らしてしまったけれど、そういえばシェルさんは以前、神に戻るという目的を持っていたんだっけ。つい記憶の彼方に追いやってしまっていたよ。


 ハイエルフ始祖がなぜ神に戻りたがったのかを知るため、そしてその長年の野望を叶えてやりたいがための暴走だったというのは後から聞いた話だけれど……そうだとしても、色んな人から許されないことをしたのは事実として残っている。


 そっか。あれからその野望は諦めたけど、原因は調べていたんだね。


 で。今ピピィさんはたぶん、シェルさんがいくら努力を続けても自分が神の器となることは叶わなかった、ってことを言ったんだよね。

 っていうか、だからこそ魔王の血も引くハイエルフとして、素質のありそうな幼い私を使おうとしたんだったっけ。


「何かが足りていなかった、シェルはそう結論付けたわ。条件が足りないからこそ、ハイエルフ始祖はどうしても邪魔をしてくる存在に敵わなかったのだと。そこで、メグちゃんの存在について不可解な点を調べさせてもらったわ」

「え、えっ!? 私について、ですか?」

「ごめんなさいね、勝手にコソコソと調べるようなことをして。でも、やっぱり不思議だと私でも思うのよ。なぜこうも都合よく、ハイエルフと魔王との間に子が成せたのかしら? エルフならまだしも、純潔のハイエルフとの間の子なんてこれまで記録にすらないのに」


 奇跡という言葉で片付けてしまえば、そこまでなんだよね。私はずっと、その奇跡という言葉を鵜呑みにして考えることをしてこなかったけれど、考えてみれば疑問しかない。可能性としてはあり得なくもないから、余計に深く考えてなかった。


 ピピィさんは、ギルさんにもお茶の入ったカップを渡しながら説明を続ける。


「他種族との間に生まれた子は、魂を宿さない。それは恐らく事実で、それが恐ろしいから誰も掟を破ろうとはしてこなかったの。つまり前例がなかったわ。元々出生率の少なすぎる種族で、他種族とだなんて本当に奇跡でも起きない限り無理よ。でも、メグちゃんは伝承通りに魂を持たない状態で生まれてきた。その時の貴女を、私たちは見てはいないのだけれど」


 そうだ。確か私の母様であるイェンナさんはハイエルフの郷で私をこっそり生んだって聞いた。マーラさんが協力してくれて、誰にも存在を気付かれないように三十年近く私を育ててくれたんだっけ。


 当時、ピピィさんたち郷の人たちはシェルさんによって意識を操作されていたから知らないんだよね。ピピィさんがちょっと非難のこもった目でシェルさんを睨んでいるのはそのためである。シェルさんはチラッともピピィさんを見ないけど。


「話を少し戻すわね? 元神が神に戻るための条件はなんだったのか。そこで目を付けたのが魔王の暴走だったの。シェルはその能力によって、代々魔王の身体の中に別の声があることに気付いていたのよ。神に戻りたいと渇望する声と、それはダメだと阻止するか細い声。それを思い出して、元神はハイエルフではなく魔王の身体を使うようにしたのだとシェルは考えた」


 ハイエルフが元神にまで見捨てられた種族なのだと認めるのが耐えられなかったのね、とピピィさんは言う。

 シェルさんは、ピピィさんが説明をし始めてから変わらず難しい顔で黙り込んだままだ。ただ、否定をしないということはその通りなのだろう。


 だからこそ、ムキになってあの事件を起こしたのかな。ハイエルフこそが神に戻るんだって。でも自分では無理だから、たとえ混血でもハイエルフである私の身体を使おうと……?


 なんだか、ちょっと切なくなっちゃうな。もちろん、あの行為を肯定なんて出来ないけど。


「でも、結局は代々魔王でさえ神に戻ることは叶っていないわよね? 身体を乗っ取ることは出来ても神には戻れていない。ハイエルフの身体はダメ、魔王の身体でもダメだった。もちろん、人間は身体が弱いからそもそもダメでしょうね。ハイエルフ始祖が、試したことがあるのかは……わからないけれど」


 それはそうだよね。魔力も持たない、寿命も短い人間の身体が耐えられるとは思えない。試していないといいんだけど……。知らないところで悲劇があったなんて思いたくないもん。


「八方塞がりだったと思うわ。そんな中、全ての条件を満たした身体が現れた。奇跡としか思えない状況で、ね」


 ……そこまで言われて、やっとピピィさんが何を言いたいのかがわかった。


 奇跡は起きないから奇跡、だったっけ……?


 ドクン、と心臓が音を鳴らして、嫌な汗が流れる。


「お前は、意図的に作りだされた神の器だったのだ」


 久しぶりにシェルさんが口を開いた。その言葉がグルグルと脳内で繰り返される。


「ハイエルフとは違う種族との間に生まれた子には、魂が宿らない。それはハイエルフ始祖が作った呪いだ。そして、それをハイエルフたちに伝えて決して破らぬようにと掟を作ったのが、恐らく邪魔をしている存在だったのだろう」


 つまり、レイはその頃から必死で私たちを守ろうとしてくれていた……?


「ハイエルフが掟を遵守し続けたからこそ、神の器が作られることはなかった。しかし、ついに掟を破る者が現れた。しかも相手は現魔王。願ってもないことだっただろう。……つまり、アレがお前を宿したのは奇跡などではない。ハイエルフ始祖がそのチャンスを逃さず、自らがその身に宿るために生み出された身体だったのだ」


 アレ、というのはイェンナさんのことだ。そして、生み出された器はこの、私の身体……。全てが繋がっていって、納得してしまう。


 私の中にいるレイも、ただ黙ってこの話を聞いている気配がするのが余計にリアルだった。否定、しないんだね。


「本来、お前の中にはハイエルフ始祖の魂だけが入る予定だったのだろう。強大な力に耐え得るよう、身体が成長するまで待つつもりでな」

「……だけど、私の魂が入ってしまった……?」


 声が掠れている。だって、とても恐ろしくなってしまったんだもん。


 それじゃあ、私は。私は……!


 やっぱり、邪魔な存在でしかなかった、ってことになる。完全なイレギュラーだ。この世界に来てはいけなかった魂なんだ。


「異世界の人間の魂が、な。だが奇しくもこれでお前という器は、あらゆる種族を網羅したことになる。神の土台となるハイエルフの身体、魔物を統べることの出来る魔王の血、そして初代勇者と同郷である人間の魂」


 あ、そ、そっか。つまり、私のこの魂がなかったら結局のところまだ足りていない状態で、神に戻るという野望は失敗していた?

 そのことに、うっかりホッとしてしまったけど……いやいや、安心なんて全然出来ない。


 だって、野望が叶ってしまう最後のキーとなってしまった、ってことだもん。


「お前はもはや、いつでも神になれる状態にある。そしてそれは、長い戦いの末にハイエルフ始祖もついに神へと戻れる機会が訪れたということだ」


 この世界に訪れた転機だ、これは。


 意図したものではなかったとはいえ、私がこの世界に来てしまったことが、今になってこの世界に大きな影響を与えようとしているんだ。


「初代ハイエルフ……えと、ハイエルフ始祖が神に戻ったら、世界は丸く収まるの……?」

「……そうね。でもそうなったらメグちゃんは」


 震える声で確認すると、ピピィさんが少しだけ迷うような素振りで答えた。


「器から、最初に宿ったお前の魂が追い出されることはない。神であるために必要な物だからだ。永遠にその器の中でただ存在する。ハイエルフ始祖が許さない限りな。つまり、死ぬこともなければ生まれ変わることもない。……器争奪戦に敗れれば、お前は未来永劫、囚われの魂となるだろう」


 え。それって……。


 つまり、二度と大好きな人たちに会えないということ……?


 で、でも、私は幼い頃に幸せそうに笑う大人になった私を見た。だからきっと、きっと……?


 そこまで考えて、ヒヤリとした考えが過る。


 あの時の私は、本当にだったのだろうか。


 全てが上手くいき、この身体を支配したハイエルフ始祖だったら……? 私を安心させてくれたあの微笑みが、彼の勝ち誇った笑みだったとしたら?


 ぐらりと視界が歪む。たぶん、身体も傾いたのだろう、ギルさんがしっかりと抱きとめてくれた。その手の力がいつもよりも強くて、ギルさんもまた不安に感じているのが伝わってくる。


 私はただ、震える身体が崩れ落ちてしまわないよう、足に力を込めることしか出来なかった。

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