とても長い一日

虫の知らせ


 ゾワリ、と魔力が揺れた。


 それはほんの僅かな変化で、普通だったら気にも留めない程度の揺れだった。でも、なんとなく嫌な感じがする。それと、懐かしい感覚。


 あの時と同じ。リヒトと魂を分け合う前の、魔力が意思を持った時のようなあの感じだ。


 これはあまり無視出来ないかもしれない。でも、なぜ今になって?

 あれからかなりの年月が過ぎた。私はもうすぐ大人になるし、魔力の制御だってしっかり出来るようになったのに。


 ああ、違う。


 魔王となったその時は、また一気に魔力が増えるんだ。もちろん忘れていたわけじゃないけど、ここ最近はずっと幸せな日々が続いていたから気が抜けていたのかもしれない。


 自覚が足りなかったのかな。覚悟を決めていたつもりになっていただけだったのかもしれない。異変というものはいつだって突然起こるのだ。もっと危機感を持つべきだった。


 魔王として、力が流れ込んでくると言うことはつまり……その日が近づいている、ってことなのに。

 でも、悲しい気持ちで過ごすよりは良かったのかな、とも思う。


 ああ、寂しいなぁ……。いなくならないでほしい、な。


『その願い、叶うぞ』


 ふと、どこからともなく声が聞こえてきた。男の人とも女の人とも取れる、どこか神秘的な声。でも、なんとなく嫌な感じがする。


『私なら、その願いを叶えられる。さぁ、取引をしないか』


 取引? どういうこと? というか、誰なの?


 キョロキョロと辺りを見回す。何もない。ただの一面真っ白な空間だ。

 あ、そっか。ここは私の夢の中なんだ。私は今、眠っているんだね。


 誰? 私の夢に勝手に入ってきたのは。取引なんて、出来っこない。いくら願いを叶えてくれるといっても、そんな怪しい言葉に惑わされたりしないんだから。


『大切な者の命を救いたい。それは誰もが思う尊き願い。お前が心の奥底で、本当は強く願っていることはわかっているのだぞ』


 どういう、こと? なんでそんなこと、どこの誰ともわからない人に言われなければならないの。

 そうは思うのに、まるで全てを見破られているかのような悪寒を感じる。ギュッと拳を握ると、喉の奥で笑う声が耳に残った。


 なん、なの。夢渡りの術者でもある私の夢に入って来るなんて。私が未熟だから?


 って、それを考えるのは後。さすがにこれを無視は出来ない。しっかり覚えておかなきゃ。この人は誰なの? モヤモヤする。


「ああ、今度こそ食い止めたいのに……!」

「!?」


 背後で、今度はハッキリとした声が聞こえて勢いよく振り向く。するとそこには、私を見て驚いた様子の青年が立っていた。


 胸元までのサラリとした黒髪を軽く結い、片側に流した、どこかおっとりとした雰囲気の……絶世の美青年だ。

 人……? とは、何かが違う気がする。もっと神聖で、触れてはならないような雰囲気。


「僕が見えるようになったの? メグ」

「な、なんで私の名前を……っていうか、貴方は誰!? ど、どうして夢の中に……」

「ああ、良かった!!」


 青年は私の言葉を遮って、腕を伸ばしてくる。そして私が何も反応出来ない内に、気付けば青年の腕の中に閉じ込められていた。


 え、待って。私は警戒していたんだよ? それなのに、こんなにもあっさりと捕まるなんて。

 青年本人はとても無邪気にギュウギュウと私を抱きしめてくる。


 意味不明さに拍車がかかって、背筋に嫌な汗が流れた。さっきの声といい、一体何者なの?


「ついに僕に気付いてくれたんだね。ずっと待ち望んでいたんだよ。君ならやってくれるって」

「あ、あのっ、離し……」

「君ならやってくれると信じていたよ。愛しい愛しいメグ。誰よりも神に近い子」


 離してもらおうともがけばもがくほど、彼は私をきつく抱きしめてくる。い、痛い……! 夢の中なのに! 早く目覚めなきゃ……!


「ああ、目覚めるんだね。でも気を付けて。もう逃げられないところまで来ているから」

「え……」

「それと、このことは誰にも伝えてはいけないよ? すごく危険だ」

「!?」


 心が騒めく。悪寒が止まらなかった。だけど、この人は……。


「また、夢の中で。メグ、僕の愛しい子」


 サラサラと景色が消えていく。不穏な言葉を最後に聞いて、私はゆっくりと目を覚ました。




「っていうか、なんて言った!? あの人ぉ!?」


 ガバッと文字通り跳ね起きた私は、第一声にそんなことを叫んだ。


 覚えている。もうバッチリ今の夢の内容を覚えてるよ! 子どもの頃とは違うのだ。大事な夢はちゃんと覚えていられる。


「愛しい子、誰よりも神に近い子。そう言った」


 胸の前で手を握る。まだ心臓がバクバクと激しい音を鳴らしていた。

 謎の青年に捕まった怖い夢。だけどもっと怖いと感じたのは……実はあの青年ではなく、最初に聞いた声の方だった。


 望みが叶うとか、取引だとか。その単語がすでに怪しさ満点で、絶対にあの声には乗ってはいけないってわかる。

 より意味がわからなかったのは青年の方だけどね。彼に関しては、驚きの方が強かったかもしれない。いや、怖かったけど。


 一体、どういう意味で言ったのだろう。というかそもそも誰なのか。声の主も、青年も。


 そう考えながらも、私は不思議とその答えを知っている気がした。心当たりがある、と言うべきか。


「もしかして……」


 そこまで呟いた時、今度は胸の奥からフワリとした温かな何かを感じて違う意味で鳥肌が立つ。


 な、何? 今度は何!? 現実にも夢の影響が!?


 そう思って少し焦ったけど、たぶん違う。だって今回のこれは、なんていうかものすごい幸福感に包まれている感覚だから。


 数秒間その場で停止して、ハッと気付いた。わかった、これは。


「……成人したんだ。私」


 亜人が成人した時は、確実にそれとわかる感覚がある。感じ方は人それぞれだけど、間違いなく今自分が成人したと自覚するんだって前にレキが教えてくれたよね。


 間違いない。たった今、私は成人したんだ。それがハッキリとわかるこの感覚がすごく不思議なんだけど、身体中が歓喜に震えていて、次から次へと幸せな気持ちが溢れてくるのだ。うわ、なにこれ。


 そうして溢れ出た幸せは、私の身体から一気に光の花びらとなって飛び出した。


「う、わぁ……!」


 その幻想的な光景と幸福感にしばし呆然としてしまう。人によって感じ方が違うと聞いてはいたけれど、まさか光の花びらが身体から放出されるとは思わなかった。


 この光の花びらは、たぶん私にしか見えない類のものだと思う。あ、いや違う。精霊たちには見えているっぽい。


『ご主人様ぁぁぁ! おめでとうなのよ! 成人、おめでとうなのよーっ!』

『キャッ、すてきーっ! 大人になったのね、主様!』

『めでたいんだぞ! 宴するんだぞー!』

『うむ、ついにこの時がきたのだな。感慨深いのだ』


 ショーちゃん、フウちゃん、ホムラくん、シズクちゃんが目の前に現れて、それぞれが祝福してくれる。いつも以上に精霊の光が輝いているようだ。


『メグ様ーっ、おめでとうやなぁ! 今日から大人の仲間入りやってー!』

『メグ様、成人おめでとう! ボクも、ボクも嬉しい』


 続けてライちゃんとリョクくんもお祝いのために周囲を飛び回ってくれた。ふふっ、みんなもいつも以上に綺麗だよ!


「みんな、ありがとう……! お祝いしてくれてすごく嬉しいよ!」


 そうして我が精霊たちにお祝いされた後、次から次へと精霊の光が集まってきた。

 みんなが祝福するように私の周りを飛び回り、すぐにその場を去って行く。そうしたらまた違う精霊たちがやってきて同じようにしていくのだ。


 じ、事前に精霊たちにお願いしておいてよかったよ……! ちゃんと順番にお祝いに来てすぐその場を去ってくれるからこの程度で済んでいるんだと思う。それでもかなりの数だけど。

 たぶん今日は一日中、こんな感じで精霊たちが入れ代わり立ち代わりでお祝いに来てくれるんだろうなぁ。自然魔術の使い手が見たら顔が引きつるかもしれない。


 とても嬉しい。嬉しいよ? 実感がじわじわと湧いてきたし、成人したんだなぁって浸りたいところではある。


 しかーし! しかしだ!


 今日は目覚める前から情報量が多くない!? 素直に喜びたいのに夢のことが気になりすぎるんですけどぉ!?


 ただ一つだけハッキリとわかるのは、今の私が一番にしなければならないのは考察ではないということだ。


「ぎ、ギルさぁんっ!!」


 唯一の番であるギルさんの名を呼ぶ。成人したら、真っ先に知らせるって決めていたから。


 なんかもう色々ありすぎてややパニックになってしまった感はある。声がちょっと焦っていたかもしれない。

 だからかな? 名前を呼んだ数秒後、ギルさんは影移動ですぐに私の部屋に来てくれた。


「メグっ! どうし、た……」


 しかも焦ったような顔で私の近くに来てくれた。あ、ごめんなさい。心配させちゃった。

 その心配を解消するべく、私はギルさんに向かって両手を伸ばす。そしてそのままベッドの上に立た上がってギュウッと首筋に抱きついた。


「成人した! 今! 私、成人したよ! 大人になれたよ、ギルさんっ!」

「っ!」


 興奮気味にそう告げると、ギルさんはハッと息を呑んだ後、やや躊躇いがちに抱き締め返してくれた。

 温かな体温をじんわりと感じて、ますます幸福感に包まれる。


「……おめでとう、メグ。真っ先に呼んでくれたんだな」

「うん。だって約束だったもんね」


 首に回していた腕を緩め、ギルさんの顔を見上げる。優しくて愛おしい黒い目が私を見下ろして微笑んでいた。一緒になって喜んでくれているのがわかる。


 やっと、同じ立場になれた。やっとギルさんと同じ大人になれたのだ。幸せすぎてどうしよう。


「だが。いくら大人になったからといって、さすがに情熱的すぎるな」

「え?」


 ふと、ギルさんが困ったように笑う。情熱的……? その意味がわからなくて数秒ほど首を傾げる。

 だけどすぐに気付いた。あ、わ、わ……! わ、私、今は寝起きで、つまりまだ寝間着のままで。


 白いネグリジェ一枚だけで、ギルさんに抱きついていたみたい……?


「あ、わ、あわわ……」

「部屋の外で待っている。身支度を整えてこい」


 一気に顔が火照って、もはや言葉が何も出て来なくなっていた。ギルさんもようやく私を離して、ゆっくりと上半身を起こす。

 恐る恐る見上げたその顔は真っ赤になっていて、私に出来るだけ目を向けないように逸らしているのがわかった。


「……次に寝室に呼ばれた時は、俺も何をするかわからないからな?」

「ひぇぇ……」


 部屋を出る直前、少しだけこちらに顔を向けたギルさんはそう言い捨てて出て行った。


 な、何をするかわからないって。えーっと。えっと。……さ、さすがにここで疑問符を浮かべるほど馬鹿じゃない。もう、私は大人なのだから。


 そっと自分の唇に指を当てる。


「ここも、解禁、なのかな……?」


 勝手に想像して、自爆する。枕に顔をうずめて足をジタバタさせてしまった。


 ごめんなさい、ギルさん。もうしばらく、外に出られそうにないです……!

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