温かな影の中で


 はっ、放心している場合じゃない! おそらく顔が真っ赤になっているであろう私を見て、ギルさんがフッと目を細めて笑った。


「ど、どうしてそんな話に!?」


 慌てる私に、ギルさんの手が伸びてくる。そのまま私の腰を抱き寄せたギルさんは近距離で微笑んだ。ひゃあ、距離が近いっ!


「番というのは同じ家に住むものなのだろう?」

「そう、なの……?」


 正直、頭が回らなくなりかけているけど頑張って聞いた。えっと、身近な番さんはどうだったかな?

 リヒトとクロンさんは魔王城に住んでいるし、オーウェンさんとメアリーラさんはオルトゥスに住んだままだ。でもそれ以外の人たちは確かにそれぞれ自分たちの家に二人で住んでいるかもしれない。


 あ、ダメだ。私の知る範囲ではそれが常識なのかわからないや。わかることと言えば、リヒトたちのような例もあるから必ずしも二人で住むわけじゃないこと。それに……。


「俺たちはオルトゥスに部屋を借りて住んでいる。特に問題もないし、仕事するにも便利だからわざわざ外に家を持つ必要はないんだが……」


 ちょうど今、私が考えていたことをギルさんが言ってくれた。

 そうなんだよ。職場はオルトゥスだし、むしろ引っ越すメリットがあまりないのだ。便利すぎるし、快適だしね。


「そ、そうだよね。別の家からわざわざオルトゥスに通うことになるんだもん。何かあった時にすぐ伝わらないこともあるだろうし……」


 むしろ生活は少し不便になっちゃうよね。だからかな、あの場所から巣立つことなんて考えたこともなかったなぁ。オルトゥスが私の家って感覚だったから。


 実際は保護されて、そのままなんとなくずっと住んでいるだけなんだけどね。他に住む場所もなかったからいつの間にかオルトゥスが我が家になったのだ。

 今となっては魔王城があるけど、結局ここにいたいっていう私の意向を汲んでくれてそのまま住んでいる。


 それもまぁ、魔王になったら魔王城に引っ越すことになるのだろうけど。そう考えるとますます家を買う意味がなくなってしまいそう。


 正直、メリットはほとんどない。ないんだけど、それとは話が別というか、その。ごにょごにょ。


 ……ほ、本心を言えば、ギルさんと二人で住むという申し出は私の胸を高鳴らせていた。

 だって、本当に二人きりでずっと一緒にいられるってこと、でしょ? そ、そりゃあお仕事もあるし、四六時中ずーっと一緒にいられるわけじゃないけど!


 それをどう伝えるべきか俯いて考えていると、ギルさんの方から先に口を開いた。


「確かにデメリットは多い。だが二人で暮らせる。それはこれ以上ないメリットだと思うんだが」

「! わ、私っ、ギルさんと二人で暮らしたいっ!」


 食い気味にそう返事をしてしまってハッとなる。今、だいぶ恥ずかしいことを大声で言っちゃったな? 顔が熱い。


 スッとギルさんが私の頬に手を当てた。その大きな手はとても温かくて、反射的に擦り寄ってしまう。私はこの手が本当に大好きなんだ。


「なら、探しておく。メグが成人したら一緒に住もう」


 そして、優しく目を細めてそんなことを言うイケメン。わ、私の番様がカッコ良すぎて辛い……!


 続けてギルさんは、サラッとお金のことは心配しなくていいと告げた。あー、まぁ。ホイホイと土地が買えちゃうレベルの魔道具を人に与えるくらいですしね。それはそうでしょうけれども。


 でも私だって何かしたい。働いているわけだし。でも、私がお金を出すと言っても鼻で笑われてサラリと流されるに違いない。ならば!


「じゃあ、家で使う家具とかは全部私が買うっ!」

「いや、それは……」

「だって、私の家でもあるんだもん。私が選んで、私が買ったものも使いたいっ!」


 ここだけは譲れません! 両拳を握って力説すると、ギルさんは観念したように小さくため息を吐いた。


「わかった。そうしたいなら、そうするといい。それがメグの望みなら」

「やった!」


 ギルさんとしては、お金は全部自分が出すつもりだったんだろうけど……同時に、私がそれだと気にするということまでお見通しなんだと思う。だって番だからねっ!

 そんな私の意思を汲んで、ちゃんと聞いてくれるのが何より嬉しい。


「大人になるのがますます楽しみになってきちゃったな」


 不安はある。魔力の暴走もあるし、父親たちとの別れも。だけど、ギルさんはこうして未来に幸せを提示してくれる。それがあるから前を向いていられた。


 未来には悲しいことばかりじゃないんだってことを、何度だって再認識させてくれるから。


「メグ、不安か」

「うーん……不安な気持ちは、消えてなくなることはないって感じかな」


 それと同時に、ギルさんは時々こうして不安についても聞いてくる。心配性だなぁとは思うんだけどね。仕方ない、これがギルさんだ。


「その不安の種は、時が経つごとに膨らんでいくのだろう。だから」


 だけど今日はその確認だけではないようだった。


「対策をしよう」

「対策……?」


 不安を不安のままにしないでおくための対策を考えたいとギルさんは言った。

 具体的に対策が打てれば、それがうまくいく、いかないにかかわらず安心に繋がるだろうから、とのこと。


 それは確かに。何も出来ないからソワソワするし、不安になるのだ。出来ることをしておけば、少なくとも後悔はしないよね。


「万が一のために打てる手は全て打つ。準備だけはしておく。具体的には……」

「? 具体的には?」


 ギルさんは一度迷ったように言葉を止めた。どうしたのかな? 不思議に思って顔を見上げると、ギルさんは渋々といった様子で続きを口にする。


「……いざという時に、助けてもらえる者にあらかじめ連絡を取っておくといい」


 助けてもらえる者に……つまり、誰かに頼れということだ。

 あ、そういうことか。ギルさんがあまり言いたがらなかったのは、出来れば自分がどうにかしたいと思ってくれているからだ。


「本当なら、俺が全てを解決したい。メグに関する問題は全て、誰にも手を出させたくない。俺が自らの手で解決してやりたい」


 そう、こういうことなのである。大真面目に言うので、どうしてもときめく。心拍数が上がる。


「だが、そうもいかない問題なのはわかっている。俺がワガママを通したって良いことなどないと」


 ギルさんが拗ねてる……! ちょっと可愛いっ。

 あまり態度が変わらない人なんだけど、よく見るとほんの僅かに変化が見て取れて意外とわかりやすかったりするのだ。


 そっと右手を取られ、少しだけ強めに握られる。顔を上げるとギルさんの真剣な瞳と目が合った。


「俺が、絶対にメグを守る。もし何かがあっても必ず救う。そのために、人の助けを借りるんだ」


 どれほどの力や、頭脳や、魔力があって、優秀な人材であったとしても、人一人で出来ることには限界がある。

 きっと、私の知らない昔のギルさんだったらそんなことを考えもしなかったんだろうな。


「あのギルさんが、人の手を借りるだなんてね」

「茶化すな。自分でもそう思ってる」


 でも頼れる人がいる、いわゆる人望があるというのも力の一つだとは思うけどね。

 クスクス笑っているとやっぱりギルさんは拗ねたように目を逸らした。それがなんだかおかしくて、余計に笑ってしまう。


 ふいに、グイッと身体が浮いた。だ、抱き上げられたっ!?

 しかも気付けば視界が真っ暗になっていて、いつの間にかギルさんの影の中に引き込まれたのだと気付く。


 ギルさんは二人きりになりたい時、たまにこうして私を影の中に連れて行くのだ。番である私だけが一緒に入れるその空間は、真っ暗だけどとても温かさを感じる私の大好きな場所の一つでもある。


「お前だって、同じだろう?」


 影の世界で、ギルさんは意地悪そうに微笑みながらそう言った。抱き上げられているので、その微笑みは自分の視線よりもやや下にある。


 私も同じ……か。人の手を借りるのが珍しいってことだよね。

 ああ、うん。心当たりがありすぎるよ。私の理由としては、自分で何でも出来るからではなくて人に頼るのが下手すぎるってだけだけど。


「……その通りです」


 今度は自分から、コツンとギルさんと額同士をくっつける。気恥ずかしさから、そのまま二人で笑い合った。


 私たちは、全然似ていないようで似ている部分が結構あるもんね。改善はしていても、完全に治っていない短所とか。


 でも、ちゃんと学習してる。仲間もたくさんいる。きっと何があっても乗り越えていける。いや、乗り越えていこう。


「抱き上げられるのはすごく久しぶりだなぁ」


 昔は体力がなかったから、すぐに誰かに抱っこされていたよね。色んな人に抱き上げられたけど、一番落ち着くのはギルさんだった。

 抱っこマイスターだって思っていたけど、あの頃から特別を感じていたのかな。


「これからいくらでもしてやる」

「そっ、それはちょっと恥ずかしいから、あの、たまに! たまにでいいです!」

「遠慮しなくていいんだぞ」


 い、意地悪な顔してるーっ! しかもポンポンとあやすように背中を叩いてくる。

 もうっ、最近はすぐにからかうんだから! よし、私だっていつもやられっぱなしじゃないんだってところを見せてやる。


 スッと両手を伸ばしてギルさんの首に腕を回す。そのまま勢いに任せて、ギルさんの目尻の辺りにキスを落とした。


 あれから何度もギルさんからはされているけど、私からは初めてだ。

 本当はすっごくドキドキしてるけど、頬を膨らませながらギルさんの顔を見下ろしてやった。顔が熱い。


「あんまり、子ども扱いしないで、くだ、さい……」


 見下ろした先のギルさんは驚いたように目を丸くしていた。それからじわじわと顔を赤く染めていく。

 わ、わ、貴重な姿を見た! つられるように私も顔が赤くなっていると思う。


「勘弁してくれ……我慢が効かなくなる」


 私の肩口に顔を埋めたギルさんが弱った声でそう言った。これはまた貴重なお姿である。


 せっかくなので、動揺している気持ちを落ち着けるようにギルさんのサラサラな黒髪を撫でた。影鷲姿のモフモフ羽毛を少し思い出して、ちょっと落ち着く。


「ダメでーす。私はまだ子どもなので色々と我慢してくださーい」


 先に弁えてくれたのはギルさんの方なのだ。それを私の方から破るわけにはいかないし、ギルさんがここで破るのはもっとダメである。

 だからちょっと優越感に浸りながら冗談めかしてそう言うと、ギルさんがパッと顔を上げて後頭部に手を回し、私の頭を引き寄せた。


「わ、あっ! ちょ、ギルさ、あ、待っ……!」


 頬や瞼、額などに大量のキスの嵐が降ってくる。ギャーッ! ギブ! ギブ! 私の負けですぅ!!


 最後に唇の近くギリギリにキスをしたギルさんは、満足したように笑って私を見つめてきた。


「覚えておけよ?」

「わ、忘れちゃうかもしれない、なー……?」

「……まだ足りないか」

「う、嘘です! 忘れませんっ!!」


 これ以上は心臓が発作を起こすよーっ! 停止するよーっ!

 やや涙目で必死に主張すると、ギルさんがクックッと笑った。永遠に敵う気がしない。


 これ、大人になった時にどうなっちゃうんだろう。あ、あんまり調子に乗り過ぎないようにしよう、そうしよう。


 本当は早く影から出てオルトゥスに戻らなきゃ行けないんだけど、温かな暗闇の中で私たちはしばらく二人だけの時間をここで過ごした。

 この幸せを、生涯大切にしよう。これから先の明るい未来を思い浮かべながら、私たちはどちらからともなく抱きしめ合う。


 私はこれから大人になるけれど、もう何も怖くない。


 悩みも不安も全て、一緒に抱えて乗り越えてくれる人が出来たのだから。



────────────────


これにて、少女期完結となります!

前後編に渡る少女期。メグだけでなく他のキャラも成長出来たんじゃないかな、と思います。


次回から成人編がスタートします。


全3章を予定しており、それが終われば完全完結となります。

伏線回収のためかなり頭を使って書くのでしばらく更新のお休みをください……!

遅くとも年始には再開します。


どうぞ、大人になったメグが最後の試練を乗り越えるまでお付き合いくださいませ。

いつもお読みいただきありがとうございます!


阿井りいあ

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