悪への誘惑
魔王城を出て、城下町を抜けた頃には辺りは暗くなっていた。自分に隠蔽の魔術を薄くかけたから、城下町の人には気付かれなかったし、魔王城にいるみんなにはほどよく気配を残せたと思う。
そうして誰もいない街道に出た時、私の心情を察知してか、精霊たちが私の周りに集まってきた。
『ご主人様? もしかしてだけど、いけないことするの?』
「ショーちゃん。うん、でもどうしてもしたかったの」
いけないこと、という単語選びがなんだか面白くて、ちょっとだけ肩の力が抜ける。
でも、ショーちゃん本人は少し心配そうだ。他の精霊たちにも伝わってるよね、私が不安定なことくらい。ごめんね、不安にさせて。
『きゃっ、アタシちょっとワクワクしちゃうっ』
『不謹慎であるぞ、フウ!』
『ええやないのー。ウチは賛成やで! メグ様はいい子すぎやもん。たまにはこういうことがあったってええやん!』
そんな私を元気づけるためか、精霊たちはあえて明るく話してくれる。本当にいい子たちだなぁ。頼りない主人で申し訳なくなる。
『ご主人様、泣いてもいいのよ?』
そんな精霊たちを微笑ましく見ていたんだけど、ショーちゃんにはお見通しみたい。そりゃそっか。でも、今そんなことをしたら魔力が漏れて出てきちゃう。それに……。
「うん、でもなんでだかうまく泣けなくて……けど大丈夫。ちゃんと相談するって約束してるから」
『そっかぁ。わかったのよ!』
まだ少しだけ心配そうな顔を浮かべながらも、ショーちゃんは私の周りとくるりと飛んだ。それに合わせるように他の子たちも一緒になって周囲を飛ぶ。
夜に精霊たちの光を見ると、より綺麗に見えるなぁ。
さわさわと夜風が草の葉を揺らす音が心地好い。涼しい風が、だいぶ長くなった私の髪も揺らす。
そうしてしばらくぼんやりした後、私はポツリと呟いた。
「……リヒト」
ものの数十秒ほどで、私の前に人影が現れる。笑っちゃうくらい反応が早い。魂の繋がり、恐るべし。
「……なんて顔してんだよ、メグ」
「……ごめん、リヒト」
そんなに変な顔していたかなぁ。あんまり自覚がないや。だけど、なぜかリヒトが泣きそうな顔をしていたから、たぶん私はかなり参っているんだろうな。自分的には笑顔を見せているつもりなんだけど。
「ちゃんと、爆発する前に呼んだよ。話、聞いてくれる?」
リヒトを見上げてそういうと、グッと言葉に詰まったリヒトが私を引き寄せる。そのまま片腕で胸の中に引き寄せられた。
「はぁぁぁ、爆発寸前じゃねぇか……遅ぇよ。もっと早くに呼べっつーの」
「ごめん」
「いや。でも、呼んでくれただけえらい。約束守ってくれたんだな」
さっきまでうまく泣けなかったのに、今は少しでも言葉を発したり動いたら泣きわめくかもしれない。ギュッと頭を抱えられたまま私は拳を握りしめた。
「俺さぁ、ロニーに頼まれてるんだよ。約束したんだ」
ただ黙って我慢している私に向かって、リヒトは静かな声で話しかけ続けてくれる。ロニーに?
「お前が、近いうちにこうなるってわかってた。その時ロニーがさ、自分は旅に出ててすぐには気付けないからって。優しい兄たちに感謝しろよ?」
そういえば、ロニーも私にそんなようなことを言ってたな。悩んでいるように見えたって。自分はその時すぐに駆け付けられないからリヒトに相談してって。
離れ離れでもいつも思ってるって。大事な妹だから……って。お見通しだったんだなぁ。
「なぁ、メグ。お前はいい子すぎるんだよ」
しばらくの沈黙を挟んだ後、リヒトがグリグリと私の頭を撫でた。うっ、ちょっとだけ力が強い。
それからリヒトは私の両肩に手を置き、軽く屈んで私の顔を覗き込む。
困ったように眉尻を下げて、口元に笑みを浮かべたリヒトと目が合った。私は、泣いてしまわないように口を引き結ぶ。
「だからさぁ……悪いこと、しようぜ?」
そんな私に向かって、リヒトは悪そうに笑った。
悪いことって。その言葉があまりにも予想外で、私はものすごく変な顔になっていると思う。相変わらず泣きそうなのを我慢しているところに、不意打ちで妙なことを言われたんだもん。
リヒトはそんな私を見てプッと小さく吹き出した。ちょっとだけ心に余裕が生まれた。
「例えば今、お前は夜に一人で出歩いた。いつものいい子なメグならそんなこと絶対にしないよな?」
その通りである。こんな暗い中を一人で歩くなんて初めてだ。明るい時間帯は許されているけど、相変わらず夜は誰かと一緒じゃないと怒られるもん。
というか、魔大陸は安全なオルトゥス周辺でさえ、夜の一人歩きはあまり良いとされていない。それなりの実力者じゃないと危ないからだ。
つまり、私は保護者達の言いつけを破っていたのだ。しかもここは魔王城周辺で、街の外でもある。バレたら色んな人からのお説教コースは免れない。
けど、リヒトはそれでいいんだよと言った。私に悪いことをさせようとしているらしい。悪い大人だ。
「メグが満足するまで付き合ってやるから、思いつく限りの悪いことでもしに行こうぜ」
だけど、悪くないと思った。やけになっているわけではないけど、今の私に必要なのは発散なんだと思う。
せっかくリヒトが付き合ってくれるというのだ。なってやろうじゃないか、悪い子に。
「ほら、なんかねぇの?」
いたずらっ子のように笑いながらリヒトが言う。悪いこと、か。それなら、今一番やりたいことがある。
「……ま」
「ま?」
ずっと泣くのを我慢していたから、すぐには声が出て来なくて一度口を閉じる。そして長く息を吐き出してからリヒトを睨むように見上げて私は言った。
「魔力を、ぶっ放したい。思い切り」
「……そうきたかぁ」
リヒトの口元が引きつっている。まぁ、そりゃそうなるよね。私が思い切り魔力をぶっ放したらどうなるかなんて考えなくてもわかるもん。やばいって。
だけどやりたい。思い切り叫びたい、みたいな衝動と同じ感覚で魔力を放出したいのだ。
「ハイエルフの郷。リヒト、その近くまででいいから連れて行って」
「そ、それはいいけど……そこなら大丈夫なのか?」
たぶん、今の私は据わった目をしていると思う。相変わらずリヒトの笑顔が強張っているから。
申し訳ないなって思うよ? 無茶なこと言っちゃってさ。でも無茶じゃないのだ。ハイエルフの郷にはあの人がいるから。
「魔力暴走をしかけた時、あの場所で魔力を放出したから」
そうと決めたらウズウズし始めちゃって、今の私には丁寧に説明してあげられるような余裕がなくなっている。そのため、素っ気なくて冷たい言葉になっちゃった。
だけどリヒトはそれだけですぐに思い当たったようだ。魂を分け合う前の大変だった時のことだと察してくれたのだろう。
なるほど、と呟いて再び笑ってくれた。器の大きな兄である。ごめんね、ほんと。
「おっし、それならいっちょぶっ放しに行こう。ただ、俺は郷の中には入れないだろうから、外で待たせてもらうけど」
「……別に、送ってくれたらそのまま帰ってもいいんだよ」
これは嘘だ。本当はワガママだけを言いたいのに、私の中にわずかに残った遠慮が顔を出してしまった。それならもっと言い方を考えてくれ、と自分でも思うけど。随分かわいくない言い方をしちゃったな。
「ばぁか。それじゃ意味ねーじゃん。話、聞いてほしいんだろ? 一度スッキリしてさ、その後いくらでも聞いてやる」
でも当然、リヒトには全て筒抜けだ。
もう敵わないなぁ。昔は、あんなにやんちゃですぐ感情が表に出る少年だったのに。クロンさんと結婚してからというもの、大人の余裕が出ちゃってさ。頼もしくて悔しい。
「本当はクロンさんと一緒にいたいくせに」
「クロンのことは愛してるけどな。今はお前の方が大事だ」
「浮気だぁ……」
「メグ相手に? 笑える」
おかげで軽口を叩けるくらいには余裕が生まれたよ。やっとリヒトの服をギュッと握れるくらいには動けるようになった。
「……助けて、ほしい」
「……ああ、任せろ」
それだけを最後に、私は唇を噛みしめた。瞬きだってしない。
リヒトは私の手をギュッと握ると、行くぞと声をかけてから転移の魔術を発動させた。
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