優しい記憶


 真っ白な空間でスッと目を開く。とりあえず、夢の世界には来られたようだ。でもまだここは自分の夢の中。マキちゃんの気配が右前方から感じるから、そっちに行けば繋がれるだろう。


 やっぱり夢の中に入ってしまえば色々わかるなぁ。自分に出来ることや出来ないことがすぐにわかるのは便利だ。起きている時も、少しくらいわかればいいのにって思うけど、ないものねだりだよね。


 さて、あんまり時間をかけてもよくない。早速マキちゃんの夢に渡るため、私は気配を辿って白い空間を歩き始めた。


『……来た』


 ……? あれ? 今、なんか声が聞こえた気がする。でも、ここは私の夢の中。私も何か夢を見ているのかな?


『今日は……何……かな……? たの、しみ……』


 その声は男の人の声とも女の人の声とも言えない不思議な声で、誰かに話しかけているというより独り言を呟いているようだった。


 予知夢、かな? それとも誰かの過去? わからないけど、今そっちに気を取られていちゃダメだね。目的を忘れたら危ないんだから。


 気にはなるけど、気持ちは切り替えないと。私はその声に気付かないフリをして真っ直ぐ目的地に向かった。


 しばらく進むと声は聞こえなくなり、次第に景色が変わって行く。ある場所に一歩足を踏み入れた時、この瞬間にマキちゃんの夢に入ったんだってことがすぐにわかった。本当に便利である。


「ケホッ、お、兄ちゃん……仕事、行くのぉ……?」

「ああ、食べるもの買わないといけないから。マキが元気になるようなものを買ってくるからさ」

「い、行かないでよぉ。寂しいよう……」

「マキ……ごめんな」


 ここは見覚えのある場所だ。人間の大陸で、マキちゃんと会った場所。ルディさんとフィービーくん、そしてマキちゃん3人の家だった場所だよね。

 まだマキちゃんもお兄さん2人も小さいから、これはマキちゃんの過去だね。こんなに小さい時から苦労してきたんだなぁ。そのことに少しだけ胸がギュッとなる。


 もちろん、乱されたりはしないよ。今は幸せに向けて頑張っているのを知っているんだから。心を強く持って、マキちゃんの夢の中を慎重に歩き進めていく。


 次第に、魂の在処がハッキリとわかるようになってきた。リヒトと半分に分け合った時も、そうだったよね。でも今回はマキちゃんの魂に触れるだけだ。それだけでたぶん、記憶の一部なら流れ込んでくると思う。

 リヒトと違って魔術に耐性のないマキちゃんだから、実態を保ってはいないと思う。だからシャボン玉が割れないように、そんな気持ちで触れるつもりだ。


「あった……」


 そうして辿り着いたのはまた白い空間。今度はマキちゃんの精神世界みたいな場所に来た。

 フワフワと漂う雲のようなものがあり、その形が丸になったり人型になったりと揺らめいている。すごく不思議な光景だ。


「あの人型は前世の姿、だと思う。マキちゃんの人型の時もあるけど、そんな気がする」


 シルエットだけではお母さんかどうかはわからない。やはり触れてみないといけないみたいだ。ハッキリその姿が見えたらいいんだけど、そう簡単にはいかないか。


 タイミングを見計らって触れないといけない。雲が前世の姿になったその時に触れないと、記憶は流れてこないから。……たぶん。


「じゃあ、失礼するね? マキちゃんとその前世の人……」


 ドキドキしながらタイミングを待つ。丸くなって、マキちゃんくらいの人型になって、また丸くなって。……今だ!

 ソッと手を伸ばし、人型の雲に触れる。


『友尋さん……』


 優しい、女の人の声が聞こえてきた。それからブワッと周囲の景色が変わっていき、どこか見覚えのある部屋が広がる。ここは、病院……?


『珠希、大丈夫か?』

『うん。それよりも見た?』

『おう、見たぞ』


 少し若いお父さんと、写真で見たままのお母さんが話している。ベッドに寝ているのはお母さんで、お父さんはお見舞いに来ているみたい。


『うちの子が一番可愛かった!!』

『ふふっ、でしょう? うちの子がいっちばん可愛いよね! 私もそう思うの! あ、痛たた……』

『おいおい、無理すんな。お前、腹切ってんだから』


 これ、は。もしかして、もしかしなくても……私が、生まれた日? お母さんは私を生む時、帝王切開だったって聞いた覚えがあるもん。


『まだまだ若いから平気ですぅ。すぐに治っちゃいますぅ』

『逞しいな、おい。そんで、母親として頼もしいな』

『でしょ? 父親にも頼もしくなってもらいたいなー』

『お、おう。当然だろ』


 軽口を叩き合うお父さんとお母さん。だけど、二人はとても幸せそうで……。


 知らない間に、私は涙を流していた。




 ゆっくりと瞼を持ち上げる。遠くの方で聞こえていた私を呼ぶ声が、だんだん近くなってくるこの感覚。うん、覚醒出来たみたい。


「メグ、大丈夫か」

「お父さん……うん。大丈夫だよ」


 心配そうに私を覗き込むお父さんにハッキリとそう返すと、ホッとしたようにお父さんが表情を緩めた。


「こ、こちらもめ、目覚めました!」

「ふぁ……あ、あれ? 私、なんで寝て……?」


 隣ではマキちゃんも目を覚ましたみたいだ。ラーシュさんも安心したように肩の力を抜いている。

 でも、マキちゃんは寝ぼけて何をしていたのかもすぐには思い出せないみたい。大丈夫、たぶんすぐに思い出すよ。夢の中でのことはわからないかもしれないけど。


「うん、二人とも問題はなさそうだね。心拍数も魔力も問題なし。ただ、今日は早めに休むように」

「わかりました」

「え、えーっと……?」


 ルド医師からの言葉にも首を傾げるマキちゃん。たぶん、普通に寝ぼけているような状態だと思うんだけど。自分が誰かわからない、ってなる前には引き上げたつもりだから。


「あ! そうでした! 確か私の夢をメグちゃんが見て、前世を調べるんでした。あ、あれ? ってことは終わったんですか? 実感がないです……」


 よかった、状況を思い出したみたい。そして予想通り、夢のことは覚えていないみたいだった。よし、夢渡りは大成功だね。


 ……本当は、声をかけたかった。もっと見ていたかった。私の記憶にないお母さんが目の前にいるんだもん。


 だけど、あのままその欲に負けて見続けていたらきっと戻れなかったと思う。懐かしすぎて、優しすぎて。幸せな気持ちで溢れてしまう夢ほど、目覚めたくないものだから。我ながら英断だったと思う。


「泣いていたみたいだが……」

「あれ、ほんとだ。こっちでも涙が流れていたんだね」


 お父さんが気遣うように聞いてきたので目元に触れると、確かに少し濡れている。号泣したわけではなさそうでちょっとだけホッとした。


 お父さんに視線を向けると、答えを求めているのがよくわかる。聞いてもいいのかっていう戸惑いや、やっぱり予想通りだったんだな、っていう確信みたいなものも見て取れた。

 特級ギルドの頭領ともあろう人が、そんなに顔に出しちゃうなんて。ま、意地悪しちゃダメだよね。でもついクスッと笑ってしまう。


「うん、そうだよ。マキちゃんの前世は、お母さんだった」


 すぐに教えてあげると、お父さんの目が少し揺れる。そして一度目を閉じてからゆっくりと微笑んだ。


「そうか……」


 心構えが出来ていたからか、すんなりと受け止められたみたいだ。

 それに、お父さんの気持ちはちょっと私にもわかる。その想いの大きさは違うだろうけどね。この世界にお母さんの魂が引き寄せられてしまったってことはなんとも言えない気持ちなんだけど、やっぱり嬉しいっていうか……安心したなぁって。


 ちゃんと、生まれ変われたんだなってわかって。


「え、え? あれ? お、お母さん……?」


 軽く混乱しているのはマキちゃんである。あ、そうだった。確信するまでは黙っていたんだもんね。知り合いかもしれないとは伝えていたけど、まさかお母さんとは思うまい。

 ラーシュさんやルド医師も驚いたように目を丸くしている。ですよねー。


 すぐみなさんに説明すると、マキちゃんはお父さんや私を交互に見て顔を赤くしたり嬉しそうに微笑んだり困惑したりとなんだか忙しいことになってしまった。さっきのお父さんみたいである。ごめん、ごめん。そうだよね。


 数分かけて事実を飲み込むと、マキちゃんはほうっと長い息を吐いた後に、最後は柔らかく微笑んだ。


「そう、ですか。頭領の奥さん……」


 なんだか照れちゃいますね、と笑うマキちゃんは可愛かった。お父さんは苦笑を浮かべてその様子を見ている。


「でも、なんだか納得かもしれません。だって頭領に会った時は、メグちゃんの時と違って懐かしい気持ちの他に切ない気持ちがあったので」


 そうだったんだ……。やっぱり、魂で何かを感じ取っていたのかな。それってすごいよね。生まれ変わってもお父さんや私を魂が覚えていたってことなんだから。人の思いや魂の可能性を感じるよ。


「ビックリはしましたけど……。嬉しいです。私、前世でも幸せだったんだなってわかって!」


 前世でも、って言った。つまり、今も幸せだってことだよね。そう思ってくれることがとても嬉しい。


 よかった。前世のことを知ってもマキちゃんはマキちゃんのままでいてくれそうだ。


「ま、そんなこと関係なくマキはこれからもオルトゥスで好きなだけ研究してくれ。お前にはお前の今の人生があって、それを大事にしてもらいたいからな」


 お父さんとしても、その辺はもちろんわかっているんだよね。同じ魂だけど、マキちゃんとお母さんは別人なんだもん。


「ただ、一つだけ頼みたいことがあるんだが……あー、でも嫌なら断ってくれていい」


 けど、珍しく言い難そうにそう言ったお父さんに思わずマキちゃんと目を見合わせてしまった。いつもだったら軽い調子で「頼むな!」って無茶振りしてくるのに。

 気持ちの切り替えは出来ても、多少お母さんに対する思いが邪魔をしているのかもしれない。


 一方、切れの悪いお父さんを見てマキちゃんは強気にニッと笑った。


「頭領にはとてもお世話になっているんです。私に出来ることならなんだってします。それとも、その頼みって言うのは私には出来そうにない難しいことなんですか?」

「い、いや。難しいってことはねーが……」


 笑顔の通り、強気に言葉を連ねるマキちゃん。お父さんの言葉を遮る勢いである。お、おお、なんだかすごい。


「それなら、もちろん協力します。それに、頭領? してほしいことがあるなら、嫌なら断ってもいいじゃなくてぜひお願いしたいって言ってくれた方が私も引き受けやすいです!」


 最終的には両手を腰に当てて説教しているみたいなスタイルに。お父さんもたじたじである。

 これは珍しい光景だ。これだけで、お父さんがお母さんには敵わなかったんだってわかっちゃうね。今度はラーシュさんやルド医師と目を見合わせて苦笑してしまった。


「ははっ、まいったな……」


 お父さんも当然、苦笑いだ。頭を掻いてから降参、と小さく両手を上げた。


「わかった。じゃあ、その時は頼むぜ、マキ」

「任せてください!」

「いや、さすがに内容を聞いてから判断してくれ……?」


 た、確かに。頼みごとの内容を聞いてから改めて判断していいんだよ? なんだか心配になっちゃう。

 だけどマキちゃんは心配無用、と言わんばかりにあははと笑った。


「頭領だけじゃなく、オルトゥスの方々にはすごく良くしてもらっているんです。答えなんて一択に決まってます!」


 その姿がまた少しだけ懐かしく感じて、お母さんなんだなぁって妙に実感した。


 マキちゃんとお母さんには違う部分もたくさんあると思う。逆に確かに魂が同じなんだなって感じる瞬間もたくさんあって、とても不思議。

 でも嫌じゃない。とても嬉しい。事実を知れて本当によかったって、心が温かくなるのを感じた。

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