sideギルナンディオ


 予定よりも早くに仕事が終わった。本来ならあと2日はかかる見通しだったが、余計なことを考えないようにと没頭したからか、いつも以上に早く終わらせてしまったようだ。

 このままオルトゥスに戻ってもいいが……。どうしてもそんな気にはなれなかった。


 理由など、考えなくてもわかる。間違いなくメグのことだ。


 ハッキリとしたきっかけがいつだったのかはわからない。だが、なんとなくメグと顔を合わせるのが気まずいと感じたのはやはりあの日、メグの武器を見に行った時だろう。俺だけではなく、メグもあの時から妙に気にしているのがわかった。


 年頃、か。異性に触れられることに敏感になっている。頭ではわかっていたのに、俺はいつもの癖で触れようとしてしまった。我ながら配慮に欠けた行為だったと反省している。

 メグがそのことで、俺を傷付けてはいないかと悩んでいるのもわかっていたが……。気にするな、と声をかけることも出来ずにいた。


 情けないことだな……。だが、これ以上考えてはいけないという思いに襲われ、あれ以降はひたすら仕事を詰め込んだ。


 ダンジョンへ修行に向かったメグが、成り行きでアニュラスの双子とともに攻略することになったと聞いたのは、メグが向かったその日の内のことだった。

 メグはもちろん、あの双子の実力も噂で聞いていたから、正直なところあまり心配はしていない。

 付き添いのワイアットも最近はさらに実力をつけてきているしな。万が一にも危険な目には遭わないだろう。


 それに、メグなら試験も合格し、人間の大陸に調査へ向かうことになるだろう。そう確信出来るほどの実力を持っているにもかかわらず、メグは自信がなさそうにする。そこだけが唯一の欠点とも言える。自分の実力が世間一般から見てどれほどすごいのかをわかっていない。


 その原因は俺たちにあるとも言えるんだが。オルトゥスというトップクラスの実力者の中で育っていれば、そう簡単に自信がつかないのもわかる。基準が高すぎるのだろう。

 だからこそ、今回は双子と一緒に攻略することでその辺りの認識を少しでも変えられることを期待している。


「……ケイ」


 大きくため息を吐き、街に入ってからずっと俺の後をつけてきていた人物の名を呼ぶ。

 このまま無視して宿に戻っても良かったが、コイツは恐らくそれでも声をかけてくる。撒くことは簡単だが後で文句を言われるのも面倒だ。それならこちらから声をかけてさっさと要件を聞こうと考えた。

 まぁ、大体の察しはつく。前にもあったしな。


 昔の俺だったら考えられない選択だ。

 メグと出会ってからというもの、俺はオルトゥスの仲間との交流もあまり不快とは思わなくなった。出会う前なら今のこの状況も全力で回避したことだろう。後で文句を言われたとしても、聞き流すか聞く前に姿を消すかしたはずだ。


 今も、面倒だと思う気持ちはある。自分でもどんな心境の変化があったのかはわからない。だが、蔑ろにする気がなくなったのは確かだった。


「んー、やっぱり気付かれてたかぁ。なかなかうまく隠れていたと思うんだけどなぁ」

「今は仕事が終わった後で、まだ気を張っていたからな」

「そっか。じゃあ次は油断している時を狙うことにするよ。んー、そうだね。例えば……メグちゃんと一緒にいるオフの時とか?」


 メグの名が出てくるとどうしてもわずかに反応を示してしまう。通常なら気付けない程度のものだが、付き合いの長いヤツなら気付いただろう。ケイももちろんその一人。

 クスクスと笑いながらからかうように横目で俺を見ていた。再び大きくため息を吐きたくなる。


「なぜお前がここにいる。遠征はお前の担当じゃないだろう」

「たまたま、引き受けていた仕事の関係でこっちにくる必要があったのさ。ボクがここにきたのもついさっきだよ」


 その言葉に嘘はなさそうだ。だが、俺を見つけたのは偶然ではないだろう。問い詰めると、あっさり探していたと認めた。隠す気など最初からなかったようだ。


「ねー、わざとなんだろう? メグちゃんが人間の大陸に行く日に仕事を入れたのって」


 やはりその話か。以前、バーに連れて行かれた時から妙に探りを入れてくる。面白がっている、というよりはお節介を焼いているような印象だ。

 迷惑なことに変わりはないが、そもそもコイツも人の問題に立ち入るタイプではないはずなのに珍しい。これもメグの影響なのかもな。


「寂しそうだったよー? どうしてそんなことをしたんだい?」

「……心配のしすぎでうまく見送れないと思ったからな」


 想定内の質問に、用意していた答えを返す。だが、ケイはそれでは納得しなかった。


「それだけじゃないんでしょ?」


 まだ聞き出そうというのか。

 以前のやり取りの時から、こいつはその時の俺さえも気付いていなかった、俺の本心に気付いていたのだろう。……いや、そうじゃないな。


 俺が頑なに認めようとしなかった事実に気付いていた、が正しい。


「もう自分でも気付いているんだろう、ギルナンディオ。メグちゃんへの本当の気持ちに」


 そして今、ついに真っ直ぐぶつけてきた。様子見をして触れてこなかったというのに、今になって直球を投げてくるとは。

 それほど、俺やメグの様子がおかしいと感じたのだろうな。こいつがそうなら、他のメンバーもおそらくは同じことを感じていたのだろう。


「保護者としての愛情じゃない、別の感情があるはずだ。君の番は、娘としての感情なんかじゃ……」

「メグはまだ成人前だ」


 俺たちのことを思うからこその言葉だとはわかっている。以前までなら鬱陶しいとしか思わなかったが、今ならそれもわかる。

 だからといって、最後まで聞いてやるほど優しくもない。ケイの言葉を途中で遮って、恐らくこれで伝わるだろう言葉を端的に告げてやった。


 メグはまだ子どもなのだ、と。


「……なんだ。もう認めていたんだ」


 多くを語らずとも察してもらえるという点では、ありがたい話だ。だが肯定する気はない。否定も出来ないが。


「言いたいことはわかるよ? 子ども相手に大人が手を出すのはちょっと、ってね。一部そういう嗜好の変態がいるのも確かだし。でも君は違うだろう? 君にとってメグちゃんは、魂が求める相手なんだろう? 番ってそういうものだって聞いてるよ。ボクにはいないからわからないけど」


 そんなことは、わかっている。


「そういう相手に巡り会えること自体が奇跡なんだ。羨ましいよ、とても。……ねぇ、もっと正直になりなよ、ギルナンディオ」


 ケイはやや怒ったようにこちらを見据えた。番という特別な存在に出会える奇跡。これは魔大陸に住む者なら誰もが憧れるという。

 俺には生涯、縁などないと思っていた。望む者の下に現れればいいのに、世の中うまくいかないものだな。


「……メグは今、大人になるまでの複雑な年頃だ。安易に近付いて心を乱すのは、良くない」


 ケイは、恐らく本当に羨ましいと思っているのだろう。コイツは孤独が好きではない。だからこそいつもフラフラ遊び歩くし、人の多い場所を好む。

 だからこそ俺の煮え切らない態度に苛つくのかもしれないが、だからといって八つ当たりするのは筋違いだ。


「確かにそうかもしれないけど、突然離れてしまう方がメグちゃんの心は乱れると思うけど……」

「……違う、俺だ」

「え?」


 自分らしくない。それはわかっていた。この程度の揺さぶりで心が乱れるなど。だが、メグとの問題に触れられると苛立って仕方ない。

 好き勝手なことを言うな。そっちにはそっちなりの、そしてこちらにはこちらなりの苦悩というものがある。


「触れずにいられるわけ、ないだろう……!」


 メグのことは大事だ。自分のことよりもずっと、ずっと。だが俺は自分勝手でもある。触れずに程よい距離を保ち続けるなど、到底耐えられる自信はなかった。

 それによってメグを傷付けることがあったならば、俺は自分を生涯許せなくなる。


 俺の言葉を聞いて暫し目を瞬かせたケイは、そのまま呆気に取られたように呟く。


「……意外と堪え性がないんだね」

「うるさい」


 ケイはいつも通りにクスクス笑った。俺としたことが、失態を晒したな……。


「よくわかったよ。ボクもこれ以上余計なことは言わない」


 悪かったね、とケイは人の多い大通りへと方向転換した。思うところはあったが、引き止めることなく無言でその背を見送る。

 そのまま立ち去るかに見えたケイだったが、一度だけ顔をこちらに向けて捨て台詞を吐いた。


「……嬉しいよ。君もただの男なんだって知れて、ね」


 そんな、余計な捨て台詞を。


 ただの男、か。俺はいつから、ただの男ではなくなったのだろうな。グッとフードを思い切り下げて俯く。


「俺は今も昔も……変わらず、ただの情けない男だ」


 いくら強くなろうとも、頭領や魔王に認められようとも、己の実力には自信があったとしても。


 俺は、に自信があったことなど一度もない。俺が俺で良かったと思うことも。だが……。


『ギルさん!』


 傷付けたくない。せめて早く大人になってくれ、メグ。




 宿に着き、部屋に結界を張る。普段は近くの森で簡易テントを使用するか、影に潜るのだが、仕事の内容上、この宿に泊まる必要があったので仕方がない。予定ではもう1泊することになっているのが憂鬱だ。


 仕事が早く終わったからとオルトゥスに帰還すれば済む話なんだがな。普段なら迷わずそうする。だが今は帰ろうという気にはなれない。


 余った時間を無駄に過ごすことなどいつぶりだろうか。オルトゥスに所属してからは初めてかもしれない。ソロで活動していた頃は休むも働くも自由にしていたから、その時以来か。


「本当に、情けないな。俺は」


 あの時より、心は弱くなった気がする。自分が何かを失うことが怖いなどと思う日が来ようとは。しかもそれを悪くないと思う自分がいることにも驚きだ。


 いつまでも見守ると決めていながら、油断をすると独占欲が顔を出す。それを抑えながら過ごすことのなんと息苦しいことか。

 このままでは仕事にも、そしていざという時にメグを守るという誓いにも影響を及ぼしかねない。それだけはなんとしても避けなければ。


 最終手段を使う。


 鏡の前に立ち、あまり見たくない自分の容姿を晒す。そして鏡の向こうにいる黒い瞳の男と目を合わせた。


「この『想い』を影に封じる。封を解く鍵は、そうだな…… 『メグの方から俺に触れた時』だ」


 メグはもう、自分から俺に触れてくることはない。年頃ゆえか、恥ずかしさが勝つからだ。

 だからこそもし自分から触れてくれる時がきたのなら、メグが大人になったか、もしくは吹っ切れてくれた時になるだろう。


 これでいい。これで気負うことなく、これまで通りメグと接することが出来るだろう。大切に思う気持ちはそのままに、真の想いは影に沈めよう。


 解かれる日が来るか、来ないか。それも全て未来に委ねる。認めろ、これが俺の弱さだ。


 だがもし解かれたら、その時は遠慮など出来ないな。


 自重気味に笑った鏡に映る俺は、ゆっくりと目を閉じた。再び目を開けた時────




「……む。自己暗示をかけたのか、俺は」


 裏の仕事をする上で、情報の漏洩を防ぐために知った情報を封じることがままある。後で必ず思い出せるだろう鍵を同時にセットしてあるから問題ない。

 問題ない、のだが。


「いつもより、後味が悪いな……」


 よほど封じたくはない情報だったようだ。こういう時は思い出さない方が良かったりするのだが……仕事ならそうも言っていられない。


 予定よりも早く仕事が終わった。本来ならあと2日はかかる見通しだったはずだが……まぁ、上手くことが進んだのだろう。


 さっさと宿を出て、オルトゥスに帰還するとしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る