変化
「にゅー……」
眠い。とーっても眠い。でもたぶん、そろそろ起きる時間だ。
だって、今日はオルトゥスに帰る日。ハイエルフの郷の療養からこの大会会場にやってきて、ずっと帰っていない我が家。軽く後片付けを手伝わないといけないし、みんなにも挨拶しに行かないといけない。
今日は朝早くから忙しいんだから。今、今すぐ起きないと。起き、ないと……。
「ククッ」
「んう……?」
私が重たい瞼を押し開けては閉じていく、というのを繰り返していると、耳元で低い、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。再びゆっくり瞼を押し開けてその声の方に目を向けると……。
「おはよう、メグ。やはりまだ眠そうだな」
「おっ、はよー、ござい、ましゅ……ギルしゃん」
美しいご尊顔が目の前にありましたとさ。
しかもからかうような微笑みで。これには目が覚めた。バッチリ覚めましたとも。しかし、寝起きに目の前イケメンドッキリは心臓に悪い。噛み噛みにもなるというものだ。
ドッドッと早鐘を打つ心臓を落ち着かせていると、ギルさんがサラリと髪を耳にかけてくれながら私の体調を聞いてきた。
「どこか辛いところはないか? 昨日はかなり身体に負担がかかっただろう」
こっ、この状況でそのセリフを言っちゃいますか……! それ、なんて朝チュン? うっかりあらぬ妄想をしてしまいそうになるよ。
これは、まずい。
これは、やばいって……!
心臓を落ち着かせるどころか余計に速いビートを刻んでいる。ひえっ、落ち着けメグ、ギルさんは純粋に私を心配してくれているだけなんだから!
「えーっと、なんだかすごく眠くはあるけど、それだけだよ。平気!」
実際、疲労感がまだ抜けきってないくらいでどこも辛くないし、痛いところもない。魔力もかなり安定しているどころか、リヒトのコントロールのおかげでかなり楽だ。
久しぶりにぐっすり眠った感じもするし、疲労感さえなければ絶好調といっても過言ではない。
「そうか。今日はオルトゥスまで一気に帰るからな。辛くなったらすぐに言ってくれ」
「う、うん、わかった。ありがとう、ギルさん」
ギルさんの微笑みがどこまでも優しい。労わる心が伝わってくるようだ。でも直視出来ない。なんでだろう。
……なんだろう。なんか、こう、変だ。何って、私の心臓がだよ。それに、顔も熱い。
おかしい。これまでは普通に受け入れて、むしろ抱き着きにいっていたのに、今はそれが出来ないというか気恥ずかしいというか。
リヒトと魂を分け合った影響、かなぁ? 恥ずかしくてたまらない……!
「おっ、お腹空いちゃった! 私、顔洗ってくるね!」
「? ああ……」
突然ガバッと起き上がってベッドを降りた私に、ギルさんは少しだけ目を丸くしている。だけど特に何を言うでもなくすぐに自分もベッドから降りると、どこからともなくいつものマントを取り出した。
そしてそのまま、外で待っている、とだけ言い残してテントを出ていった。テントの入り口が閉められたのを確認した私は、全身から力を抜いて盛大にため息を吐く。
「っ、はぁぁぁ……。どうしちゃったんだろう、本当に」
心臓がうるさい。顔が熱い。恥ずかしくてギルさんの顔が見られなかった。
……思い当たることはある。たぶん、今更ながら自覚をしたのだ。いくら父親みたいに慕っているギルさんでも、所詮は他人で、男の人なんだってことを。
でもそんなこと、とっくに承知の上だったのに。
「……リヒトのせいだ」
たぶん、間違いなくそうだ。リヒトは絶賛、クロンさんに片思い中だもんね。そういう複雑な恋心ってやつが私にもわずかに影響を与えているんだ、と思う。
だってそうでも考えなきゃ、説明がつかないもん。こんなにもドキドキが止まらない理由が。
顔を洗いながらパシッと両頬を軽く叩く。……よし。頭ではちゃんと理解出来た。切り替えていかないとね! 鏡に映る私の顔がほんのりと赤いままな気がしたけど、それはきっと叩いたせいだ。
「おっはよー、メグ! 今日はいつもよりちょっと遅かったね? 珍しい」
「アスカ、おはよう! え、えへへ。疲れてたのかな? ちょっと寝坊しちゃったみたい」
昨日起きた出来事は、たぶんまだ数人しか知らないと思う。夜、なかなか拠点に戻らなかったから不思議に思われたかな、って心配だったけど、魔王に引き留められて一緒に食事をしていた、ってことになっているらしかった。
あり得る理由過ぎて完璧である。実際、一緒にいたから信憑性も高いだろう。
本当は、別に秘密にする必要はない。でもあえて混乱させる必要もないからね。
けど、私の魔力暴走の件に気付いていた人たちなら、今日の私を見て違いに気付くかもしれないな。そういう実力者たちはだいたいの予想もついているだろうし、きっと頭領がなんとかしてくれたのだろう、とか思ってくれると思う。
基本的に、よほどのことがない限りは深く聞いてはこない、空気の読める人たちだからね。ま、重鎮メンバーくらいにはお父さんからの説明がいきそうだと私は予想しているわけだけど。
「メグ、おはよう」
「あ、ロニー! おはよう」
そんなことを考えながらアスカの前に座って朝食を食べ始めていると、隣の席にロニーがやってきた。早朝トレーニングに行ってきたからこれから朝食なのだそう。大会は終わったというのにいつもの習慣を崩さないロニーはさすがである。
「あの、言いたくなかったら、いいんだけど。……もしかして、なんとか、なった?」
しばらくは黙々と食べていたんだけど、意を決したのかロニーがおずおず、と言った様子で聞いてくる。気にしてくれていたんだね。そして、なんとなく雰囲気が変わったことにも気付いたのだろう。ロニーもそういう、いわゆる
「……うん。ロニーにはちゃんと話しておきたいって思ってるんだ。後で聞いてくれる?」
「ん、もちろん。……僕も、メグに聞いてほしいことが、ある」
どのみちロニーには話しておくつもりだったから、むしろ聞いてもらえてよかったよ。私の言葉に微笑みながら了承してくれたロニーは、続けて少し顔を強張らせて話がある、と言った。なんだろう、緊張している様子だけど。
「みんなー! もう半刻後には出発準備を始めるわよ! それぞれのテントはもちろん、分担して片付けをしてちょうだい!」
そこへ、サウラさんの明るい指示の声が飛んでくる。おっと、急がないとね。すでに食べ終えていたロニーは、話はオルトゥスに帰ってから、と言いながら食器を持って席を立つ。私も急がなきゃ!
「ロニーがメグに話? ……愛の告白?」
「そんなわけないでしょ! ほらアスカ、いつまでも食べてたら出遅れちゃうよ!」
慌てて朝食を口に運んでいると、もはや何個めなのかわからないおにぎりを頬張りながらアスカが変なことを言う。ロニーも私もお互いを本当の兄妹のように思っているのでまずあり得ないけど、今の私にその手の話題は刺激が強いからやめてもらいたい。自然と顔に熱が集まってくるんだよーっ!
あー、もう! 魂を分け合ったことでこんな弊害があるだなんて思ってもみなかったよ! はぁ。
そんな複雑な心境ではあるけれど、時間は待っていてくれないので行動あるのみである。
朝食を終えて急いでテントに戻ると、そこはすでにテントを収納し終えたのか、何もない空き地になっていた。同じテントを使っていたのはギルさんなので、早々に片付けてくれたのだろう。仕事の早いイケメンである。
周囲を見回すと、場所を区切るための魔道具やその他共同で使っていた洗い場なんかは大人たちがテキパキと片付けており、その作業もほぼ終盤といった様子。
で、出遅れちゃったな。そもそも、寝坊したのが悪いんだけど。あの時ギルさんに起こされてなかったら、きっといまだに寝ていただろうなぁ。
あの時、ギルさん、に……。
「メグ」
「ひゃうっ!? わ、あ、ぎ、ギルさん!」
うっかり朝の出来事を思い出しているところに、背後から声をかけられた私は文字通り飛び上がって驚いた。そんなに驚くとは思わなかった、とギルさんには謝られる始末である。も、申し訳ない!
「ち、違うの。ぼーっとしてたからビックリしただけ!」
「そうか。まだ疲れが残っているんだろう。例の件で、身体が慣れていないのかもしれない。片付けはやっておくから、無理せず休んでいてくれ」
余計に気を遣わせてしまったようだ。うっ、寝坊もしたのに役立たずでダメな私……。思考が読まれたのだろうか、ギルさんがフッと笑う気配がした。
「本当に気にしなくていい。メグの様子がおかしかったのは、皆が知っていたことだ。休んでいても怪しまれない。実際に本調子でないのなら嘘でもないだろう? 無理をすることの方が、余計に心配をさせることになるぞ」
おっしゃる通りです。そうだね。事実、私はまだ身体と魂が慣れていないのだろう。他のみんなに比べて体力もないから、大会を通して疲れも溜まっているのかもしれない。
大丈夫だって思っていても、知らない間に負担がかかってる、なんてことはよくあることだし。
「じゃあ、あの、お言葉に甘えて休んでるね。ありがとう、ギルさん」
「ああ。出発の時にまた声をかける」
そう言って、ギルさんが私の頭に手を伸ばした。撫でてもらえるんだな、と嬉しく感じながら大人しくその手を受け入れた。……のだけ、ど。
「! メグ!? 顔が赤いぞ。それにどことなく息苦しさを感じている……? 熱があるのかもしれない。レキを呼んでくる」
ギルさんに触れられた瞬間、なぜか一気に顔に熱が集まってしまったんだよね。直前まで朝の出来事を思い出していたからだ、とすぐに察した。ひえぇ!
「だ、大丈夫! 違うの! ちょっと前の出来事を思い出して恥ずかしくなっちゃっただけなの! 気にしないで!」
「思い出す? 何をだ?」
「き、聞かないで……!」
無自覚に追い打ちをかけるのはやめていただきたい! 私はパタパタと手で顔を仰ぎながらギルさんから一歩距離を取った。
「あの、本当に大丈夫だから! あ! 私、出る前にみんなに挨拶してくるね。せっかく来てくれた友達にも会いたいし!」
「そう、か? わかった。だが、無理はするな。それと、すぐに戻ってくるんだぞ」
ギルさんの返事を聞いてはーい、と返事をしながら私はすぐに逃げるように走り出す。だって、なんとも居た堪れない気持ちになっちゃったんだもん! ごめんね、ギルさん! あなたは何も悪くない!
それに、ほら。友達に挨拶したいのは本当だし! 戦った相手はもちろん、ウルバノとはほとんど話が出来てないからね。せっかく応援に来てくれたのに、ちゃんとお礼も言えないのは嫌だったし。そうだ、うん、そう!
何に対するものなのかはわからないけど、私は自分に言い訳をしながらまずは、と魔王城の皆さんがいる隣のスペースへと急いだ。
「ウルバノ!」
魔王城のスペースに来てみたはいいものの、ここも片付けと出発準備で少し慌ただしい雰囲気だった。でも、私と同じで手持無沙汰な様子のウルバノを発見。
すぐに声をかけると、こちらに気付いたウルバノが振り返ってくれた。
「めっ……!」
私に気付いたウルバノはものすごく驚いたように身体を硬直させてしまったけど、逃げられなかっただけよかったと思おう。怖くて動けない、なんてことはないと思いたい。
「やっとゆっくりお話し出来るのが、帰る直前だなんてね。えへへ、応援してくれたってリヒトに聞いたよ。だから、ありがとうって言いたかったの」
きっとまだお喋りするのは苦手だろうから、言いたいことだけを伝えて私はその場を去るつもりだった。
「またお手紙、書くからね! それにこれからは魔王城にも、もっと遊びに行くようにするよ。だから、またその時に色々と聞かせてもらえると嬉しいな」
ウルバノの手紙は来るたびに上達が見えてすごく楽しみなのだ。きっと、これからはもっといろんなことを知れるだろうし、ゆっくり仲も深めていければいいからね!
さ、次はアニュラスのスペースに行って、ルーンやグートに挨拶しよう。そう決めた私は、ウルバノにまたね、と声をかけて後ろを向いた。
その時だ。クイッと軽く服の袖を引かれて振り返ると、思いの外近い位置にウルバノの姿があった。
どうやら引き留めたのは彼らしい。予想外なこの状況に、私は目を丸くしていたと思う。
「お、オレ! 強く、なります。戦いを見て、勇気が出たから。それで、それで!」
ウルバノは私の前で片膝をつく。それから右手を胸に当てながら私を見上げた。長い前髪の隙間から、髪と同じ青色の、ウルバノの瞳が真っ直ぐ私を見つめてくる。
「それで! オレは強くなって、メグ様に生涯お仕え、します……! させて、ください!」
まるで宣誓をするかのように、そう言った。
え。……えーっ! お仕えって、ど、どーいうこと!?
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来週、第3部の最終話になります。
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