sideユージン中編


 近付くにつれて、その黒い点がどうやら人であることがわかってきた。そこまでの距離は遠かった気もするし近かっだ気もする、不思議な感覚だ。時間の概念がない空間なのかもしれない。よくはわかんねぇけど。

 しかしまぁ、黒い点が地獄の入り口じゃなくて良かったような悪かったような。いや、まだ死神って可能性もある。俺は歩みを止めずにひたすらその人物に近付いていく。そして、緊張感がどんどんと薄れていくのを感じた。


「……なんだ、お前か。おい死神。起きてんなら返事しろ」


 その人物まであと数メートル、ってところで正体には気付いてたよ。目の前までやってきた俺は、蹲ったまま動かないそいつに声をかけた。なんだよお前、服も着てねぇのかよ。俺が同性でよかったな? イェンナだったら問答無用でぶん殴ってるところだ。


「おい、アーシュ。起きてることはわかってんだよ。それともなんだ、男の俺にさえ全裸を見られたくはねぇのか?」


 いつもの調子でクッと笑いながら再び声をかけると、アーシュはようやくゆるゆると顔を上げた。ここんところずっと龍の姿しか見てなかったから、人型の姿は久しぶりだ。

 くっそ、相変わらず腹立つくらい整った顔をしてやがる。顔色は悪いし、目の下はクマがくっきりだしで、なかなか酷ぇ面してんのにイケメンとか、殺意がわくぜ。すでに殺した後だが。


 俺と目があったアーシュは、驚きに目を見開き、唇をわなわなと震わせ始めた。こっわ。だが俺はそれを気にしないような素振りで片手を上げ、軽い口調で久しぶりだなと声をかけた。だがその声にすぐには反応出来なかったらしい。アーシュは口をパクパクさせて震えながら俺を指差している。餌を欲しがる金魚みてぇだな、おい。


「ゆ、ユージン、お、お前、なぜこんなところにいる!?」


 それからどれだけ経ったかはわからねぇ。時間の感覚がないからな。まぁどうでもいい。しばらくしてからアーシュがやや掠れた声でそう言ったんだ。


「なんでって……。お前に食われたからかな。あぁ、勘違いすんなよ? 俺が自らお前の口の中に飛び込んだんだ」

「……は?」


 魔王であるアーシュの、ここまで間抜けな反応は初めて見たかもしれねぇ。性格は残念だが、基本的に話し言葉や態度はそれなりに魔王っぽいからな、こいつ。


「で、お前の腹ん中で自爆した。だからお前も俺も、生きてないんじゃないか?」


 そうは言ってもアーシュが死んだことまでは確認出来てないから、もしかすると死んだのは俺だけかもしれないが。そう言うと、じわじわと話の内容を理解したアーシュはみるみる内に、これ以上青くなるものなのかってくらい顔を蒼褪めさせて、俺に掴みかかってきた。お、なんだよ、元気があるじゃねぇか。


「な、なんてことをしたのだ、ユージン! お、お前、そ、それじゃあお前は……!」

「うるせぇな。どうしようもなくなったら殺せ、っつったのはお前だろ。ったく無理難題なんだよ、軽く頼みやがって。こうする以外にお前をどうやって殺せってんだ。勇者の剣でもあんのか? あぁっ!?」


 俺の胸倉を掴んで揺すりながら言うアーシュの迫力は凄まじいものだった。正直、初めて見たその鬼気迫る様子に、ちと焦ったよ。そんな態度は絶対に見せてはやらんが。

 さらにアーシュは、そうは言ってももっと他にやりようがあったであろう、と激昂してくる。


 ……なんか、ムカついてきたな? だから俺も、わがままばっかり言ってんじゃねぇ、とアーシュの両肩を掴んで言い返してやった。くそ、服を着てねぇから掴みにくい! 


「だからといって、己の命を簡単に犠牲にするなど、愚か者のすることであるぞ!」

「あぁっ!? だったらお前がさっさと正気に戻ればよかったじゃねーかよっ!」

「ええい、やかましい! この馬鹿者めが! バーカ! ばぁぁぁか!!」

「言い方ぁ! お前、子どもかっ!?」


 しばらく真っ白な空間で、俺とアーシュは取っ組み合いの殴り合いをした。死んだ後だというのに痛みも感じたし、殴り殴られた顔は腫れた。


 どれだけ殴り合ったかはわからねぇ。こうしてコイツと喧嘩するなんて初めてのことだ。俺らの実力は似たり寄ったりだったが、単純な殴り合いでも強さは拮抗していたと思う。だが、やはりアーシュは弱っていたようで、最終的には俺がマウントを取り、アーシュを黙らせる結果となった。

 はー、疲れた。大体、めちゃくちゃ苦労してお前の言う通りにしてやったというのに、なんで俺が殴られなきゃなんねーんだよ。理不尽すぎねぇか?

 ……それと今更だがこれ、全裸の絶世の美男子を組み伏せる俺の図ってさぁ、絵面がやばいな? まぁいい。気にしたら負けだ。


「はぁ、はぁ……。やっと、大人しく、なりやがったな、アーシュ」


 加えてこのセリフもどうもヤバさを感じる。いや、だから気にしたら負けだ。

 はーっ、疲れるなおい。なんだよ、すでに死んでるのに息も上がるってどういうことだよ。もしかして死んでねぇのか? だとしてもこのおかしな空間、おそらくは精神世界でも疲れを感じる仕様、どうにかならねぇ? 死んだ後くらい安寧をくれ。


 ゆっくりと何度も深呼吸をして、どうにか息を整えていく。


「冷静になったかよ。で、聞かせてくれんだろ? ここはどこなのか、お前は知ってるんじゃないか?」


 よっ、とアーシュの上から退いて、隣に座り込んだ俺はようやく話を切り出した。俺はアーシュに食われにいって自爆して、気付いたらこの空間にいた。で、同じ空間にアーシュがいるっていうんだから、なんとなく想像はつくんだがな。その予想があまりにも現実離れしてるもんだから、いまいち信じられない。だから、アーシュに答えを求めた。なんとなく・・・・・、アーシュは全てを理解してるって、そんな気がしたんだ。


 アーシュは何も言わずに荒い呼吸を繰り返していたが、そのうちグスグスと鼻を鳴らし始めた。

 情けねぇなぁ、おい。だが、周囲に誰もいないこの場所でくらい、情けない姿を晒しちまえ。今、こいつの顔を見たら溢れ出てくる涙でグチャグチャなんだろうと思う。美形の泣き喚く顔ってのも見物だろうが、さすがに自重した。

 こいつが落ち着いて話し始めるまで、俺はずっと何もない白い空間を睨み続けることにした。


「……ここは、我の精神世界だ」


 ようやく、アーシュは口を開いた。精神世界か。なるほどね。そんな気はしていたが、やっぱり不思議だ。だいたい、人の精神世界に俺のような他人がなんで入り込めるんだよ、って話だろ?


「ユージンがここにこられた、ということは。やはり、お前は……。死んだ、のであろう」

「そうか」


 つまり俺は霊体ってことか。それなら余計に痛みとか疲れとか感じさせるのやめてほしいんだが。それとも、これが霊の普通なのか?


「随分、あっさりとした物言いではないか。死んだのだぞ!?」

「んなもん、覚悟の上に決まってんだろ。だが、まぁ……。これでお前が死んでなかったら、死に損だけどな」


 ただ、俺が死んだだけの結末。なんともまぁ間抜けな話ではあるが、俺がいなくなるだけなら問題はない。ただ、アーシュを止められるヤツが他にいるかどうかが気がかりになってくる。


「いや、おそらくは我も死んだのであろう。我の、意志を持った力は確実に」

「ってことはお前は生きてんのか!?」


 それは、つまり。……一番、いい展開じゃないか? だって、正気に戻ったってことだろ? なんだ、死に損じゃなさそうで安心したぜ。


「なぜ喜ぶのだユージン! 我のせいでお前の尊い命が犠牲になったのだぞ! そんなこと、そんなこと、我は到底許せぬ!」


 あー、うん。悪かったよ。その怒りはもっともだ。俺だって同じことをされたら怒る。けど、死んじまったもんは仕方ねぇだろ? 俺がそう言うと、アーシュはゴニョゴニョと何かつぶやき始めた。


「……だ、だから、その。我は許さぬからして、ワガママを通しても良いと思うのだ。ユージンとしては本意ではなくとも、我はやはり……。む? もしかすると、これはもはや悩む必要がなくなったのではないか? そうだ、そうとも! うむ、決めたぞ!」

「何言ってんのかさっぱりわかんねーよ」


 勝手に悩んで勝手に結論を出したらしい。置いてけぼりにされたのが癪で、俺はゴツンとアーシュの後頭部を軽く小突いてやった。全裸魔王のくせに。

 涙目で抗議をしたアーシュだったが、自分の伝え方もよくなかったと気付いたのだろう、すぐに説明をし始めた。


 曰く、魔王という存在には対となる存在が必ず現れるのだということ。そしてその存在は、魔王がその力を初めて覚醒させた時、無自覚に召喚してしまうということ。召喚された者は勇者と呼ばれ、魔王を唯一抑えることの出来る存在となること。


 そして勇者は稀に、異世界からやってくるということ。


「我が力に飲み込まれ、この精神世界から抜け出せなくなった時、暴走して意思を持った力が教えてくれたのだ。そんなことも知らなかったのかと馬鹿にされた。代々魔王から受け継がれる伝説だそうなのだ」


 勇者は存在こそすれ、いつも魔王の前に現れるわけではないという。これまでも事前に知識として知っており、力を覚醒させずに済んだ魔王や、魔大陸中を探して適任者を選び、その者を勇者とする方法もあったという。

 もちろん、さっさと力を覚醒させ、異世界から勇者を呼び出す者も多かったというが。いずれにせよ、魔王となった者は勇者の存在をどうにか埋めるべく、多大なる苦労をするものらしい。


 なん、だよ。それじゃあ、まるで……。


「ユージンは、我の対となる勇者なのだ。……っ、すまなかった、ユージン! お前をこの世界に呼び寄せたのは、我だ。いくら呼び寄せた自覚がなかったとはいえ、我が逃げ出すことなく向き合っていれば、もっとしっかりと調べていればそれも阻止出来たはず。……ユージンを、家族と引き離してしまったのは、我なのだ」


 こいつが、魔王としての力を覚醒させたから俺はこの世界に連れてこられた、ってのかよ。


 ガツンと頭を殴られたような衝撃が走った。それから理解が及ぶとフツフツと怒りが湧いてきて……。そしてすぐに収まった。怒りをアーシュにぶつけたって仕方ねぇって思ったのともう一つ。


「……謝らなくていい、アーシュ。お前が召喚しなかったら、俺はあの時、元の世界で命を落としていただけだったからな」


 結局のところ、環を置いていってしまうことに変わりはないんだ。乗っていたタクシーごと崖から転落なんて、助かるとも思えねぇもん。

 むしろ、生き延びられた今が、人生のボーナスステージみたいなもんだ。よくわからねぇ世界に放り込まれて、散々苦労して、来た当初は何にぶつければいいのかわからない怒りでかなり荒れはしたけどな。


 でも、今は怒っちゃいない。もらった命でそこそこ楽しませてもらえたって、そう思えるからな。イェンナや、アーシュのおかげで。なんかムカつくから言ってはやらねぇが。


「お前は、お前は優しすぎるぞ、ユージン……」


 だから、別に優しいわけじゃねぇ。ちょっとラッキーだったって思ってるくらいだ。消え入りそうな声で呟いたアーシュの一言には、聞こえないフリをしてやった。


「で? そんなことはどうでもいいからさっさと教えろよ。何を決めたって?」

「そ、そんなことで片付けるのか……。ま、まぁ良い。聞いてくれ。ユージンが命を懸けて我の暴走した魔力の意思を消し去ることは出来た。だが、それは一時的なものなのだ」


 なんでも、結局のところアーシュは生きているため、このまま生活を続けていれば、いずれはまた抑えきれない魔力が増え続ける。そうなると、再びその力が今回とはまた別の意思を持ち始めて暴走してしまうというのだ。アーシュが生きている限り、悪夢は繰り返されるってことか。……まじかよ。


「やっぱり、お前を完全に殺すべきだったな……」

「ぶ、物騒であるぞ!? その通りではあるが! しかし根本的な解決にはならぬ! 我が死ねば、また次の魔王が選ばれ、その者が同じ苦労をするだけであるからな!」

「ぐっ、それもそうか。……それならお前を殺しちゃダメじゃねぇか! 問題の先送りだろ? なのに自分を殺せなんてどの口が言いやがったんだ! 馬鹿アーシュ!」

「ぐぬぅ、そ、それは我もわかっておる。だが仕方ないであろう!? この精神世界に閉じ込められるまで、我にだってその事実はわからなかったのだから!」


 俺たちは再びギャーギャーと言い争った。が、無駄に疲れるだけだと悟った俺は、長いため息を吐いた後、仕切り直してアーシュに問いかける。


「……で? その解決策は?」

「うむ、よくぞ聞いてくれた。ユージンよ。……どうか、我とひとつになってはくれぬか?」

「…………は?」


 どこまでも真面目な顔と声色で全裸の美形魔王にそう言われた俺は、瞬時に数メートル後退ることとなった。

 いや、意味が違うとは思うけど、怖ぇよ!!

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