sideユージン前編
────アーシュはすでに、自我を失っていた。長年ずっと耐えてきたが、圧倒的な魔力の前についに屈してしまった。よく耐えたと思うぜ。俺だったらとっくの昔に気が狂ってるところだ。この精神力の強さには素直に感服する。
「ユージン! どうしますの!? このままでは……!」
龍となったアーシュは仲間である俺やイェンナのことをすでに認識しておらず、手当たり次第に魔術をぶっ放していた。人気のない場所まで誘導してきたとはいえ、このままじゃじりじりと押されて魔大陸全土が焦土と化す。俺とイェンナだけでアーシュを抑え込むのはすでに限界だった。
だから俺は、最終手段をとることに決めた。出来ればそんなことはしたくなかった。だが、アーシュに俺らの声はもう届かない。
「おい! アーシュ! ……っ、やるぞ! やるからなっ!?」
「っ、そん、な……!」
アーシュを止めるにはもう……殺すしか、ない。アーシュを傷付けないよう食い止めるのは骨が折れるが、命の危険を気にしなくていいというのならやりようはあるからな。
そりゃ、俺だって出来ることならそんな選択はしたくないって思ってる。だが、アーシュはいつかそんな日が来るってわかっていたんだろうな。俺たちがそれぞれの秘密を打ち明けあったあの日から、何度となく話して聞かされていた言葉があったから。
『なぁ、ユージンにイェンナよ。もしも我が我ではなくなり、見境なく人々や魔大陸を脅かすだけの化け物となったら。その時は、戸惑わずに我を殺してくれぬか』
話の終わりに、毎回同じことをアーシュは俺たちに頼んだ。自分を殺せる実力を持つのは俺たちくらいだからと。愛する魔大陸の民を、自分のせいで苦しめてしまうのは、死ぬより辛いからと。
「イェンナ、俺を恨んでいい」
俺は、アーシュのその気持ちがわかる気がした。残念な男だが、真っ直ぐで、どこまでもお人好しで、優しいのがアーシュだからな。誰よりも魔大陸を愛し、生きる人々を愛し、自分の強さを嘆き憂いていたのを近くで見てきた。まぁ、付き合い自体はそんなに長くはなかったが、そんなもん関係ねぇ。
だから、これ以上苦しむのなら、アーシュの望みを叶えてやりたいと思う。
だが、イェンナは違う。こいつは、たぶんアーシュに惹かれている。そんな話を聞いたわけでもないし、素振りを見せたこともないし、なんなら本人に自覚もないかもしれない。
だがやはり近くにいれば見えてくるものがあったからな。これでも既婚者なんだ。生きてる年数はこいつらよりも遥かに短いが、恋愛に関してはちょっとばかり先輩だと自負している。
そしてそれはアーシュも同じ。互いに惹かれ合っているだろうことを、俺だけが知っているんだ。
だからこそ、イェンナはやると決めたところでいざとなったら躊躇うだろう。アーシュはアーシュで、イェンナにそんな残酷なことはさせたくないと、本心では思っているだろうからな。
だから、俺がやるんだ。汚れ仕事は全て引き受ける。俺はたまたま異世界から迷い込んだ、帰る場所も守りたい場所も何もない身。適任だろう?
「恨んだりなど、いたしませんわ。私も、手伝います」
だからイェンナには俺を恨め、と言ったんだが……。そうだった、イェンナは気の強い女だったな。最初こそショックを受けたように顔を蒼褪めさせていたが、すぐに切り替えて俺にだけ責任を負わせはしないと、キッパリ言い放った。
その気持ちがありがたい。俺はただ一言、助かるよと告げた。
もちろん、イェンナに手を下させたりはしない。それは譲らないつもりだ。というか、どのみちイェンナの力ではアーシュにとどめを刺せるほどの攻撃は出来ないからな。協力させることさえ本当は嫌だったが、アーシュの気を逸らしてもらわないとさすがに俺も踏み込めない。心苦しさはあったが、俺はイェンナに援護を頼むことにした。
「行くぞ!」
「ええ!」
付き合い自体はそんなに長くはないが、ともに戦った経験と互いの相性の良さから、細かな作戦を話す必要はなかった。一言ずつそれだけを言い合った俺たちは、それぞれ別の方向に向けて走り出す。
俺は気配を消してアーシュの死角となる場所へ、イェンナは逆にアーシュの目線の先へ。あいつは、得意な水の自然魔術でその身に鎧のような物を纏うと、ジェット噴射で一気に飛び上がった。
いやぁ、水の魔術ってさ、もっとこう……。まぁいい。魔術の使い方は人それぞれだからな。大人しそうな外見をしておいて、戦闘スタイルはとことん派手なイェンナ。……その姿も、もう見納めになるかもな。
今はそれよりも自分のことだ。チャンスは一度。アーシュを確実に殺すにはあれしかない。アーシュから頼まれてから万が一の時のためにあれこれ考えていたんだが、結局のところいつも結論は同じだった。
首を切り落とそうとしても元々硬い鱗な上に魔力でガチガチだから無理だ。せいぜい傷がつく程度だろう。毒も効かねぇし、あらゆる魔術での攻撃も多少擦り傷を作る程度だ。
ったく、だいたい龍なんていう俺にとっちゃ伝説の生き物を、どうやって殺せっていうんだよな? この世界に来る前はただのしがない壮年サラリーマンだぞ、俺は。そもそも、魔大陸で最強である存在こそが魔王であって、アーシュなんだからよ。最強を殺すとか無理ゲーにもほどがあるってんだよ。
『我を殺せるのは、お前だけだと思うのだ』
……まったく、無理難題を押し付けやがる。
知らず知らず、口角が上がっていたことに気付く。なんだ俺、笑ってんのかよ。これは、恐怖か? いや、日本にはもう戻れない俺には帰る場所も会いたい人もいない。いや、会いたい人はいるが、無理だってわかってるからな。つまり、この世に未練なんかないんだ。
確かに、この世界はなかなか面白い。だが、あまり深入りしないようにしようと決めていた。それはもう二度と、環の時のようなあんな別れの辛さを味わいたいくないっていう、俺の弱さだ。
逃げたかったんだ。生きることから。
だから、この現実味のない世界で俺は無茶を続けた。でも、なぜかスペックの高い俺の身体や魔力量の多さにより、そう簡単には死ねなかったし、この程度の戦いや自殺で死ぬなんて情けなさすぎる、とズルズル生きてきた。
こんなことになるんなら、死に方なんかこだわるんじゃなかったよ。
お前らに会う前に、人生をとっとと終わらせるべきだった。お前らのせいで、今は死んだらほんの少し未練が残るじゃねぇか。お前らの結婚式には行きたかった、とかな。
だがな、アーシュ。お前が苦しんでるのを見て、それを救うために命を散らすんなら、それも悪くないって思うんだ。もしかすると、そのために俺がいるのかもしれねぇし。そりゃ考えすぎだろうけどよ。
イェンナに向けて真っ黒な龍が火を吹こうとしたその瞬間を狙い、俺は瞬時にその龍、アーシュの目の前に跳躍した。おー、目の前で見ると大迫力の口だな。牙も鋭いし、これで噛み砕かれたらさすがに生きてはいられねーなぁ。痛そうだし。
「なっ、ユージン!?」
「あとは頼んだぞ、イェンナ!」
焦ったようなイェンナの声が聞こえたが、振り返って返事をする余裕まではなかった。
悪いなイェンナ。これしかねぇんだ。自分が手助けしたせいで俺やアーシュが死んだって、苦しむことがなきゃいいが。まぁ無理か。本当に申し訳ねぇと思ってるよ。
だが、やらなきゃいけない。アーシュを今ここで殺さないと、魔大陸もアーシュも、取り返しのつかねぇことになっちまう。俺は躊躇なくアーシュの口の中に飛び込んだ。やっぱ、攻撃は体内からが一番効くだろ? さすがに内臓まで頑丈だったら飲み込まれ損だし、消化されるのを待つしかなくなるが。あー、それは勘弁だな。……絶対に、殺す。
「しっかり味わえよ、アーシュ。出来れば丸呑みにしてくれ。よく噛まれると困るんだ」
俺の言葉が届いてるのかどうかはわからねぇが、とりあえずいつも通りに憎まれ口をたたいてやる。
お前だって、いつも通りがいいだろう? なぁ、アーシュ。
バクンッと黒龍アーシュの口が閉じられたのがわかった。飛び込んだ勢いそのままに喉元を通り過ぎたのだろう、噛まれずに済んだことに少しだけホッとする。
あちこちに身体をぶつけまくってるが、どうやらアーシュの体内へと侵入することが出来たようだ。たぶんな。はっきりとはわからねぇ。真っ暗だし、落下は止まらねぇし。
だが、胃酸の海に落ちたら身動きが出来なくなる。ただの胃酸ならまだいいけど、魔王だし龍だしアーシュだし、どんな効果が付与されてるかわかったもんじゃない。
必死すぎて、躊躇うことさえなかったな。俺は自分の知っているものならなんでも魔術で生み出せるというこの能力を使って、なんかこう、適当に組み合わせたら爆発しそうなやつを手当たり次第に生み出した。
何を出したのかはよくわからねぇ。だって俺、化学とか苦手だったし。でもまぁ、数打ちゃ当たるだろう。無計画だなぁって思うよ。もっと真面目に勉強しときゃよかったって。
ま、それでも結果オーライだろ。無事、アーシュの体内で大爆発は起きた。もちろん、俺自身も巻き込んで────
たぶんそのおかげで、アーシュは無事に死んだ。そして、俺も。
……ああ、変な顔すんなよメグ。あくまで一度死んだと思う、って話だ。俺らが目の前にいるって時点で、結局のところ大丈夫だったってわかってんだろ? 落ち着いて最後まで聞けって。
お、おい、メグ。そう怒るなよ……。自分を大切にしろ? あの時は俺には何もないって思ってたから、仕方ねぇだろ。それにそのセリフはお前にだけは言われたくねぇ。血は争えねぇなぁ?
ククッ。ほら、何も言えねぇだろ? 俺ら、うっかりしてると自分を犠牲にしがちだよな。おう、そうだ。反省しろよ、メグ。俺もだがな。
えーっと、どこまで話したっけ。そうそう、こっからが大事なんだよ。よく聞いておけ?
お前らにはいまいち理解はしづらいだろうが、これは実際に起きたことだ。俺もアーシュも同じことを覚えていたし、間違いなく事実。
ああでも、メグ。お前にはわかるかもな。お前は不思議な夢を視る。たぶん、それと似たような現象だと思うからな。
……じゃあ、続きを話すぞ。
────気付けば、俺は真っ白なだけの空間にいた。
死後の世界かと思ったが、どうにも実感がない。ま、考えたって仕方ねぇか。苦しまずに死ねたならそれでよかったじゃねぇか。あの後どうなったのかは気になるが、ここであーだこーだと考えていても何にも変わらねぇしな。
しかし、この先どうすりゃいいんだ? 見渡す限り真っ白で、どっちに行けばいいのか、この場から動かない方がいいのか、なにもかもがわからない。それに、俺の身体は生きてた頃と何も変わっていないように思える。服もさっきまで着ていたものと変わらねぇし。もっとわかりやすく頼むぜ、死後の世界。
ぼーっとしてるのは性に合わねえ。そう思った俺はひたすら前に向かって歩き出した。もしかしたらいずれ、あの世にでも辿り着けるかもしれないしな。
歩きながら考えたのは、やはりあの後どうなったのかってことだ。
勝手にアーシュの口ん中飛び込んで、爆発で吹き飛んで、二人揃って死んじまってたら、イェンナは怒っただろうなぁ。それとも、泣いただろうか。勝手すぎますわよ、とか言われてそうだな。
はぁ、気がかりだ。後処理も大変だろうし、イェンナには殺されても文句言えねぇなぁ。もう死んでるが。
……日本に残した環は、どうしているだろうか。運が良けりゃ、このまま日本に戻れるんじゃないか? この世界に来た時も死の間際だったし、あり得ない話じゃねぇよな。だが、世の中そんなうまいこと出来てねぇだろうし、あんま期待するのも虚しい。
「ん?」
ツラツラとそんなことを考えてたら、遠くの方に黒い点が見えてきた。そう、黒い点だ。それ以外に例えようがないな。どのくらい遠くにいるのか、不思議と距離感も掴めない。
ただ、真っ白なだけの空間に、その黒い点はとても目立った。そりゃあ、気になるだろ。当てもなく歩くより、目的地を目指して進んだ方が気分も上がる。
でも黒い点ってのがなー。もしかしたらブラックホールとか地獄への入り口って可能性もある。けどまぁ、俺はある日突然、娘を1人残して別世界に旅立っちまうようなダメな親父だ。これは俺の人生で最大の罪だと思ってる。その罰だ、ってんなら受け入れてもいいって思った。
何もかもを受け入れよう。心は不自然なほど凪いでいる。俺はただひたすらに、その黒い点に向かって歩き続けた。
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