母の部屋


「つ、ついたぁ……」


 ぜぇぜぇと息を切らしながら、私は今、あのふざけた看板の前で呼吸を整えています。お風呂にする? ご飯にする? って文字を見るたびにへんにゃりと力が抜けてしまうのでいい加減変えてほしいと思う。ほんと、これ誰が作ったの?


「……相変わらず何もないところだな。だが、魔力の流れで場所はわかるようになったが」


 そう、しかもこれやっぱりハイエルフにしか見えてないみたいなんだよね。一度でもこの郷に入ったことのある人は、二度目も入れるらしいんだけど、看板はわからないという変な仕様。だからなぜなの、作成者の意図を聞きたいっ!


「…………」

「? なぁに、ギルさん?」


 変な顔で看板を見つめていたからだろうか、ギルさんからの視線にふと気付いて首を傾げる。ギルさんはいや、と呟いてからそっと私の頭を撫でた。


「ずいぶん、体力がついたと思っただけだ」


 そういえば、息が整うのも早くなったし、何より自分の足でちゃんとここまでたどり着くことが出来た。休憩も挟んだから1日半かかったけどね。でも、これはあの幼女時代を思えばかなりの進歩ではなかろうか。ほとんど自然魔術のおかげだ、ということは置いておく。だって! 魔術なしで登ってたらもっと早くにへばってるよ! この無駄に多い魔力を惜しげもなく使っているからこそなのだ。それでも、やっぱり体力はついたと思うけどね? たぶん。


「さぁ、行くぞ」

「はいっ」


 ギルさんがそう言ってマスクを上げ直す。私はそれに返事をしてからギルさんと手を繋ぎ、郷へのアーチをくぐった。


 いつも通り一瞬で景色が変わり、美しい光景が目に飛び込んでくる。目を閉じてゆっくり深呼吸をすると、身体の内部から癒されていくような気がした。やっぱりここの空気は特別なんだなって実感する。


「ああ、来たね。話は聞いていたよ」

「あ、えっと。こんにちは。メグです。お世話になりますっ」


 ぼんやりとしていると、ハイエルフの青年が声をかけて来た。青年と言っても見た目からしてそう思っただけで実際は数千年とか生きてるからね。もちろん整いすぎた美形である。この青年に限らずだから、もはや美術館に来ていると思った方がいい。


「私は今回、君たちの世話係ってことになるのかな。世話っていっても、困ったことがあった時や質問なんかを聞くだけってところだけどね。何度も顔を合わせているのにまだ名乗っていなかったよね? 私はウィズディアベイサム。ウィズでいいよ」

「ウィズさん! よろしくお願いします」


 ギルさんも私も改めて名乗り、きちんと挨拶をし直した。たしかに自己紹介をし合ってはいなかったな。何度も会ったことがあるとはいえ、お墓参りにちょっと顔を出す程度だったしね。それに長すぎて本名を覚えられる気がしないよ……これを覚えて間違えずに呼ぶハイエルフさんたちはやっぱり頭がいいんだと思うんだ。がんばれ私の脳。


「君、ギルナンディオは、かなりの使い手であるとお見受けするけど……丸1日ここにいる、というのはやめておいた方がいい。時々外に出て、体調管理をするんだよ」

「ああ、そうさせてもらう。感謝する」


 体調管理? そう思って首を捻っていると、ウィズさんがそれを察して説明してくれた。


「ここの空気は清浄だろう? 我々にとっては薬だが、他の種族にとっては毒になり得る。少しの時間なら良い効果をもたらすが、これからしばらくはここに滞在することになる。彼にとっては厳しい環境になるってことだね」


 そういえばエルフの郷でも、観光客が使える泉は効果が薄めてあるって聞いたことがあったな。エルフたちの住む村の、エルフと魔力の多いものだけが行ける場所に源泉があって、その効果はやっぱり段違いだった。ここはその倍は効果があるから、そりゃあ確かに他の人にとっては毒になっちゃうね……。そっか、問題は郷の清浄な空気が乱れちゃうだけじゃないんだ。


「ギルさん、絶対に無理はしないでね? 心配だよ……」


 私のためにと側にいようとしてくれるギルさんは、とっても優しいから無理をしないか心配なのだ。それに、私の目ではギルさんが無理をしているかどうか、見極められる自信もないし。


「大丈夫。私も見ておくから。そうだな……半日に一度、外の空気に数刻触れればまったく問題はないだろうから」

「半日に一度ですね! 朝と、夕方って決めておきましょ、ギルさん!」


 みんなが解決策はあるって言ってたのはこういうことかぁ。でもまぁ、1日2回のお薬だと思えば覚えやすい。そう思って拳を握りしめて提案したら笑われてしまった。なぜぇ!?


「ああ、わかった。そうさせてもらう」

「約束だよ?」


 何度も念を押す私は少ししつこいかもしれないけど、笑ってくれたのでまぁいっか。でも本当に、ギルさんがこれで体調崩すなんてことになったらとっても大変なので注意して見てなきゃね! けど、ホッとした。ひとつ目の不安が解消されたからね!




「ここがメグとギルナンディオに過ごしてもらう部屋だよ。昔はイェンナリエアルが使っていたんだけどもう随分使ってなくてね。掃除も済ませてあるから自由に使ってくれ」

「母さまが……ありがとーございます!」


 部屋に案内してくれたウィズさんは、何かあったら誰でもいいから声をかけてね、と言い残してその場から去っていった。きっと、私たちが気兼ねなく支度を済ませられるようにと気遣ってくれたのだろう。優しい。

 通された部屋はもはや部屋の域を超えて小屋と呼んだ方がしっくりくる建物だった。たぶん木とか植物系の自然魔術で作り上げただろう木造の小さな小屋。ハイエルフたちからしたらこの小屋の一つ一つが部屋という認識なんだろうな。


 小屋だけでなく、テーブルやベッドなど、家具も全部木でできていて温もりを感じる。布団はこれ、糸から布を織り、布から作り上げてるっぽい。綿なんかも自分たちで調達してるんだろうな。これだけ長寿で魔術にも長けてたらこの出来栄えにも納得だ。でもフワフワで手触りもいいのは職人技といえよう。

 部屋の中をゆっくり歩き、最後にポフンとベッドに倒れ込む。フワフワのお布団からはお日様と木のいい香りがした。


「母さまも、ここで寝てたのかなぁ」


 そんなことを考えてちょっとだけしんみり。あ、そういえばベッドはこの一つしかないな。ウィズさんは私とギルさんで好きに使ってって言ってたから、寝る時どうしよう。私もギルさんも簡易テントを持ってるから困ることはないんだけど……。


「ね、ギルさん。今日だけ、一緒に寝てもい?」

「む」


 甘えん坊になってるなぁ、私。やっぱり色々不安なんだなって実感したよ。だってさ、だってさ……オルトゥスから離れていつ爆発するかわからない魔力の爆弾抱えてて、やっぱり怖いんだもん。


「あっ、ダメならいいの! ちょっと、言ってみただけで……」


 でもなんか、言ってて小っ恥ずかしくなってきた。もうお姉ちゃんなんだから、しっかりしなきゃダメだよね! なんて思って慌てて誤魔化していたら、フッと笑う気配を感じた。恐る恐るギルさんを目だけで見上げてみると。


「今日だけ、でいいのか?」


 絶句。何って、イケメンすぎて。ニヤッとちょっとだけ意地悪そうに微笑むイケメンの破壊力はやばいと思いまーす! 顔に熱が集まるのを感じる。声にならない声がはくはくと口から出てきてさながら餌を求める金魚状態ですよ、わたしゃ。


「……お前は本当に甘えることをしないからな。そのくらい、毎日だって構わない。迷惑だなんて思うな。ちゃんと言ってくれた方が俺は……嬉しい」

「……っ」


 そこへ追撃のイケメン発言! もはや声を出すことを諦めた私は思わずギルさんにダイブ! ギュッと腰のあたりに抱きつけば、感謝の気持ちが伝わるかな? 抱きつくことで癒し効果が発動。頭を撫でてくれるこの手のなんという安心感。はー、落ち着くー!

おかげで冷静さを取り戻した私はバッと上を向いてちゃんと声に出してギルさんに伝えた。


「ありがとーギルさん! じゃあ、毎日一緒に寝よ?」

「……ああ、わかった」


 ギルさんが一緒でよかった! あと、勇気出して甘えてみてよかったよ! えへへ。 




 それから私たちはまず母さまであるイェンナさんのお墓参りに行くことにした。まずは挨拶が大事だよね! お墓に近付くに連れて空気もさらに清浄なものになっていく。そういえば、この辺りで父さまとシェルさんが大暴れしたんだっけな。今にして思えばよくやったよねって思う。こんなに綺麗な場所で戦うなんて! ハイエルフの郷には入ることさえ出来ないほどの結界があったのに、それすらも超えて魔物もたくさん入ってきたんだもんね。郷の内部に父さまがいたからかもしれない。ほんと、ヤバかった。魔王の威圧は結界をも超えてしまうんだな……怖い。絶対制御出来るようにならなくちゃ。


 ダメダメ不安になったら! 魔力が暴走しちゃうかもしれないからね! ほら、今はその時のことなんかなかったかのように元通りになってるし。……それもすごいよね。数十年経ってるとはいえ、痕跡が跡形もなくなってるのはやっぱりすごい。ハイエルフ、すごい。


「相変わらず、美しい泉だな」

「うん……エルフの郷の源泉も綺麗だったけど、ここのはもっと澄み渡ってる」


 なんて例えたらいいかな……えっと、エルフの郷の泉の方が親しみやすさを感じるんだよね。でもここのは高貴な感じというか畏れ多さを感じるというか。そんな差があるのだ。どちらも魔力が整えられていく心地良さは変わらないけど、たぶんこっちの方が回復にかかる時間も短いかな。なんとなくでしかないんだけど。


 そんな泉をゆっくり眺めつつ、私たちは墓石の並ぶ場所を通りすぎて少し離れた位置にある真っ白な墓石の前で立ち止まる。白さに濁りが一切なくて、イェンナさんの心の美しさが現れているな、って頬が緩んだ。


「こんにちは、母さま」


 それから、静かに墓石に向かって口を開いた。

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