side ルドヴィーク


『嬉しいわ。そう言ってくれて。でも、いいの? 私が貴方を見送らなくても』


 メグとの移動中、シエラのことを思い出していた。彼女の墓参りの時は、どうしても過去を思い返してしまう。それも、毎年恒例のことだった。そしていつも最初に思い出すのは彼女のあの言葉だ。あの問いに、私は迷わずこう答えたものだ。


『もちろんだ。君のいない世界は耐えられないけれど、そんな苦痛を君に感じさせるのはもっと嫌だからね』


 私とシエラが番となった時、私からシエラに告げたのだ。君の最期は私が看取りたい、と。ああ、あの頃が懐かしいな。もう400年も前のことだ。世界が荒れる前も、今のように平和だったっけ。この先ずっとずっと、私はシエラと共に生きていくのだと信じて疑わなかった。それが、たった200年で終わりを迎えるなんて、あの頃の私は思っても見なかった。もちろん、シエラでさえ思いがけないことだっただろう。


 世界が荒れ始めて、各地で魔物が暴れまわるようになった。魔王の力が覚醒し、魔物たちの気性が荒くなっているのだと知ってはいたため、当時は魔王を憎みもした。だが、大きな魔力の制御ができない苦しみには共感できた。私はそれなりに苦労してきたから思えることかもしれない。魔王を憎むのはお門違いだとわかっていたのだ。だが、迫り来る魔物の群れと日夜戦い続けなければならない日々に、どうして、と思わずにはいられなかった。


『いいかい、シエラ。決してこのシェルターから出てはいけないよ』

『わかっているわ。私は弱いもの。わざわざ危険な場所に出て行くなんてことしないわ。それより……ルドヴィーク、貴方こそ気をつけて』

『もちろん。言ったろう? 私は君を看取るその日まで決して死なないよ』


 番となった二人は、寿命でこの世を去る時、どちらがどちらを看取るかを決めることが出来る。それは亜人の特性で、私たちも例外ではなかった。魂と魂の結びつきによって、例え元々の寿命が彼女より短かったとしても、彼女が寿命で亡くなるまで私が死ぬことはない。その特性は、寿命の長い我々亜人へのギフトとも言われているし、出生率が低すぎるが故の措置のための特性とも言われているが、未だにはっきりとは解明されていないという。


 ただそれは、寿命による死だけに有効で、事故や事件での死には適応されない。もちろん、私は彼女とのその約束を破るつもりはこれっぽっちもなかったけれどね。だから、心配なのは彼女の身の安全だけだった。シエラは蝶の亜人で、金色の羽根がとても美しい女性だ。特に火に弱いため、火を使った料理さえさせたくなくて、私がいつも料理を振舞っていたほどだ。だから、地上は彼女にとって危険極まりない場所。私は仕事で暴れる魔物を倒さねばならないため、彼女を地下のシェルターに移動させた。


『でも、貴方も蜘蛛の亜人。火には弱いでしょう? 貴方は医師だし、本職は戦うことではないから心配よ』


 そう言って、私が外に出て戦うのを、彼女は酷く心配してくれていた。あの時、頰に当ててくれた手の温もりは今も覚えている。


『そうだな。それなら十分気をつけて向かうことにするよ。もし危険が迫っていたら、私たちはお互いにわかる筈だろう? きっと何も起こらない。またすぐに会えるさ』

『そう、そうよね。ええ、信じるわ』


 そして、抱きしめ合った私たちは、そこで別れた。あの時、離さなければ……!


「ん、にゅ……」

「! メグ。……寝たのかい? ふふ、久し振りに日中に眠るメグを見たな」


 最初は目をキラキラと輝かせて外を眺めていたメグだったが、途中で飽きて気付いたら眠ってしまったのだろう。乗り物に乗っているのは眠気を誘うというからね。今日は移動ばかりだから、このまま寝かせておこう。うっかり車両から落ちてしまわないよう、私の糸でメグと車両を固定する。よし、これで大丈夫だ。


 思考の渦に入り込んでしまっていたな。メグのお陰で鬱にならずに済んだ。だが、あの時の後悔は今もなお私を苦しめる。私の愛しいシエラ。なぜあの日、外に出てきてしまったのだろう。あれが、彼女の口から聞いた最期の言葉になるなんて。




 魔物を次から次へと倒し、どれほどの時間が経過したのかわからなくなった。そのうち、私は怪我をした仲間たちの手当へと仕事が移り変わっていく。キリがない。誰もがそんな風に思っていた時だ。突如、私の胸がギュッと締め付けられ、脳内に警鐘が鳴り響いた。

 最初は虫の知らせかと思ったんだが、キリがないと思われた魔物退治もかなり落ち着いてきたところだったし、なにかがおかしいと気付くのに数秒を用いた。


『おい、ルド。大丈夫か?』


 私が胸を押さえて呻いているのを見た仲間が声をかけてくる。大丈夫だ、と返事をしようとした時、誰かが叫んだ。


『お、おい! 村が! 俺たちの村から火が上がっているぞ!!』


 村? 私たちの? なにを言われているのかわからなかった。そもそも、私たちは村に魔物が入ってこられないように駆逐していたのではなかったか。

 叫んだ仲間の指の指す先に目を向けてみれば、確かに村の方から煙が上がっている。ここから見ても分かるほど、視線の先は赤い火で埋め尽くされていた。


 ──ルドヴィーク……──


 瞬間、頭に直接彼女の声が響いた。それは、弱々しくて……この胸の痛みの正体がわかった私はすぐさま村に向かって駆け出したんだ。


『お、おいルドヴィーク! 危ねぇぞ!』

『火が収まってから行くんだ! 大丈夫、みんなは地下に避難しているから……!』


 そんなことはわかっていた。私だって彼女を地下に送り届けたのだから。でもこの胸のザワつきが、すぐに行けと私を追い立てた。今すぐに彼女の元に、と。私は仲間たちの声を振り切ってまっすぐ村を目指す。


『は、速い……! ルド! ルドー!!』


 仲間の声が聞こえたのはそこまでだった。私は必死で村に向かう。もうもうと煙が立ち込めて、呼吸も苦しくなってきた。チリチリと熱気が私を襲い、その熱だけで身体のあちこちに火傷を負っているのがわかったが、この足を止めるわけにはいかなかった。


 そうして辿り着いた村は、すでに火の海に飲み込まれていた。けれどそんなことはもはやどうでも良い。私は魂の呼ぶ声に従って迷わず足を進めた。そしてその先、もう少しで川に辿り着くという場所に、彼女を見つけたんだ。美しい金色の羽が焼け焦げ、力なくうつ伏せで倒れている彼女を。


『っシエラ!!』


 私はすぐに駆け寄って彼女を抱き上げた。彼女の意識はすでになかったが、辛うじてまだ息をしているのがわかった。このままここにいてはダメだ。私は彼女を抱え、すぐに川沿いに避難した。必死で走り続け、ようやく火の手が届かない開けた場所に着くと、ようやく彼女をそっと地面に横たえた。


 医者というものは、難儀な職業だ。……認めたくないのに、彼女がもはや手遅れであるということがわかるのだから。抱きかかえた時から、気付いていたんだ。彼女の腹部が大きく抉れていることに。


 でも、彼女はまだ息をしていた。意識はなかったけれど、確かに生きていて。そして私は彼女との約束を守らなければならなかったから。


『シエラ。安心してくれ……ちゃんと、私はここにいるから』


 彼女の最期を看取ること。これだけは、絶対に守らなければならない約束だった。でも、間に合ってよかったなどと、口が裂けても言えなかった。思いたくもなかった。と同時に、間に合わなかったとも思いたくなかった。なんて、矛盾しているのだろう。


 ギュッとシエラの手を握り、彼女に語りかけ続けた。村を守るつもりが、守れなくて悪かっただとか、どうして外に出てきたんだ、とか。


 愛している、だとか。


 ──ありがとう。私、幸せよ。愛しているわ、ルドヴィーク──


 脳内に、直接流れ込んできた彼女の思考。最期の、魂の言葉。それを最後に、彼女は逝ってしまった。私を、置いて。


 認めたくない。こんなにも早く、お別れするなんて。私の寿命はまだまだ先で、これから先をずっと君なしで生きなければならないのか、という虚無感。いっそ私も死んでしまいたいという強い思い。けれど、それは医師としての私が許してくれない。なぜ私は医者になんかなってしまったのだろう。


 涙も流せずに、ただ呆然と彼女の手を握ったまま。私はずっとその場から動けなかった。少なくとも、丸1日はそうしていたのだと思う。

 村の消火が終わったと、ある人物から声をかけられてはじめて気付いたから。


『……眠らせてやらないか? 彼女を』


 それ以外に、なにも言われなかったことがどれほど救いだったか。きっとこの人も、大事な人を失った経験があるのだろうと、なんとなく察した。彼はそのまま当たり前のように彼女の亡骸を燃し、埋葬を手伝ってくれたのだ。


『ごめんなぁ……散々、熱い想いをしただろうに、燃やさなくちゃなんねぇ。でもこの火は、死者をちゃんと導いてくれる聖なる火だ。ゆっくり、休んでくれな』


 彼女に火を放つ時に、彼女にかけてくれた声があまりにも慈愛に溢れていて。私はこの時になってようやく声を上げて泣いた。彼は黙って私の肩に手を置いて、ずっと隣にいてくれたのだ。


 それが、頭領ドンだったな。思えば長い付き合いだ。村が火に飲まれて、地下シェルターにも熱が入り込んで来たため、みんなで揃って逃げたらしいという話も頭領ドンから聞いた。シエラが皆に指示を出し、たくさんの仲間たちを救ってくれたことも。


 君の番は君と同じで、多くの人を救ったんだな、と言われたら。そりゃあ、私は医者を辞められない。頭領ドンに上手いことやられたな、と今では思う。




「あう、寝、ちゃってた……? ルドせんせ、ごめんなさいー!」


 幌の中から慌てたようなメグの声が聞こえてきた。どうやらお目覚めのようだ。謝る必要なんてないのに、まったくこの子のこういうところはずっと変わらない。


「いいんだよ、メグ。よく休めたかい? もうすぐ着くから」

「わ、わかりました! もう寝ないですよっ」


 ほっぺに寝ていた時のあとが残っていて少し赤くなっているな。そんな様子に少々荒れていた心が癒されていくのを感じた。ああ、メグが来てくれて良かったかもしれない。いつもなら、この記憶に引きずられて私はとことん無愛想になってしまうから。


「ふふ、メグ。ほっぺにあとが付いているよ」

「ふえぇぇっ!?」


 だから、ほんの少しからかうことを許してほしい。慌てて真っ赤になるメグは、やはりとても可愛らしかった。

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