救出劇
sideラビィ 前編
あたしの最も古い記憶は──地獄だった。
「おい、なに休んでんだよぉっ!? 疲れた? 動けねぇ? ……けっ、使えねぇガキだぜ」
何のために働かされてるのかわからない。この仕事が何の役に立つかもわからない。聞くことさえ許されていなかったから、ひたすら言われた通りに働く毎日。
寒い日も、暑い日も、雨の日も、雪の日も。ずっと外で重たい荷物を運んでは戻りを繰り返し、1日に1食の、味のしないご飯を食べて眠りにつく。
疲労や熱で動けない日は、ご飯をもらえない。その代わりに身体のどこかに痣をもらえるだけだ。
物心ついた時からそんな生活だったから、辛いとか、助けてとか、そんな事さえ考えたことはなかった。
ただ生きるために、働くしかなかったんだ。どんなに苦しい想いをしても、生きるために。
ここでこうして働くために、生まれてきたんだって信じていたし、それが当たり前だった。それが全てだったんだ。
「ほんっとうに、ガキってのは使えねぇ。見た目が良いわけでもなし、特別な技能があるわけでもなし。ただの動くお荷物だな! 飯を食う分、損してるぜこっちはよぉ!」
そんな言葉を毎日かけられ続けて仕事をした。意味まではわかってなかったよ。後になって理解したけど、あの時、理解できなくて良かったと心底思う。馬鹿で得するなんてね?
そんな日々が地獄であったと初めて気付いたのは、ここのお偉いさんたちが一気に死んだ時だった。誰かに捕まったとか、殺されたとかそんな話じゃない。
感染力が強く、死ぬ確率の高い流行病が原因だったのさ。
おかげでこの地獄のような日々は終わりを告げたけれど、流行病で仲間が次々に死んでいくのを見届けるのは、それはそれで地獄のようだった。
あたしを含めた数人が、その病を発症することなくいられたのは不思議だったよ。なんでも、生まれつき体内に抗体を持っていたとかなんとか。よくはわからないけど、そのおかげで命拾いしたってわけ。
晴れて奴隷だったあたし達は自由の身になる。けど、突然の自由を与えられても、どうしてらいいのかわからない。だってあたしは、働くことしかできないんだから。それ以外に、どうやって生きたらいいのか、さっぱりわからないんだ。
あたしにとって「自由」は、「死ね」と言われているのと同じだった。
こうして数人がそれぞれ好き勝手に去って行った。このままここで、ゆっくりとやってくる死を待つだけなのか。何もせず、わからず、呆然と立ち尽くしている間にやってくる、「死」というものを待つのか。
あたしはこの時、生まれて初めて「恐怖」を知った。
そんなあたしを、「恐怖」から救ってくれたのが、ゴードンだったんだよ。
「一緒に行くか?」
「……そうする」
あたしより10才ほど年上のゴードンは、頼りになった。キレやすくて言動が荒々しい奴だけど、そんなものはどうでもよくて。あたしにとっては唯一、ゴードンが頼れる兄貴だったんだ。
どこをどう流れて辿り着いたのかはわからない。あたしは、ゴードンについて行っただけだったからね。そうして巡り合った。──人身売買組織に。
そこで、
奴隷は
それが、常識。あたしたちも特に悲観はしなかったし、何も思うことはなかった。
「ちっ。突然、魔大陸側からの商品が届かなくなっちまった。こうなりゃ犯罪者だけを待ってたんじゃ商売にならねぇ。魔術の使えねぇ人間は安いんだがそうも言ってらんねぇな。貧しそうな家に行って、金が欲しけりゃ誰かを売れ、って言ってこい」
「売らないなら金だけ置いて掻っ攫ってこい」
あたしたちは、言われた仕事をどんどんこなした。そうすりゃ、飯が3度も食えたし、たくさん連れ帰った時には金だってもらえたから。
あたしは特に成績も良かったよ。力任せに乱暴に連れてくる男どもに比べて、優しく声かけてやりゃ、簡単に連れて帰れる事を覚えたから。傷もなく、健康な奴隷が手に入るってんで重宝されたのさ。
「なぁ、セラビス。奴隷ってのはどうして人の形をしてるんだろうなぁ……?」
寝る前には、ゴードンと飲みながら少し話をするのが日課だった。ある晩、心底不思議そうにゴードンはそう呟いたんだ。
「やっぱ、人の形してた方が、何かと便利だからかもしれねぇなぁ……」
あたしと違って、捕らえられた奴隷を捌いていく仕事をしていたゴードンは、
「俺たちは運が良かったよなぁ、セラビス。奴隷だったのに、人間になれたんだからよ」
でもきっと、奴隷も同じ
「奴隷は人として生きることを許されてねぇ生き物なんだ。俺たちは許されたってことだよなぁ? 俺らは、人としての価値はねぇが、奴隷としての価値はあったんだぜ、きっと」
嬉しそうに笑うゴードンに、一体何が言えただろう。人としての価値? 生きることを許されない? それは、誰に? 神様?
あたしは信じない。もし神様なんてものがいるなら、なぜ人は平等じゃないんだ。
村の人たちは、嫌なことと良いことは、人生で上手いこと採算取れるように出来てるって言ってた。それも、信じてない。
だって、それならあたしは。この先とびっきりの幸せが待ってるって事になる。そんな事、あり得ないじゃないか。
幸せの重さだって、みんなバラバラだ。あたしなんか、飯が1度食えるだけで幸せだと思ってたのに、今や3度食えなきゃ苦しいと思ってる。幸せに限度なんかないんだ。
神様なんて、誰も見たこともないあやふやなもんに、そんなの決めてもらいたくなかった。
月日が過ぎて、あたしも30才間近になった。ゴードンなんかいいおっさんだ。気付けば、ゴードンとあたしが組織のリーダー的存在になっていたよ。
そうなる前も、コロコロ交代してきたけどね。みんな手際が悪いんだよ。あっさり捕まりやがって、詰めが甘いったらないね。
きっとこの先もずっと、こうして生きて、そして死んでいくんだと思ってた。そんなある日出会ったのが、リヒトだったんだ。
リヒトを拾ったのは気まぐれだった。あたしは仕事の都合上、たまたま街の近くの小屋に寝泊まりしていて。拾ったはいいが邪魔になるし、すぐに追い出すつもりだった。子どもだったからちょうどいい商品に、って考えが、なぜか少しも浮かばなかったのは未だに不思議。
しかも、リヒトに魔力があるってわかった時、あたしはこう思ったんだ。
ゴードンに、知られちゃいけないって。
なんで、それがダメなんだ? 自分で自分の思考がよくわからなかった。
これ以上はダメだ。あたしの心の奥で、そんな声がした。怖くなったあたしは、深入りしないように気をつけたよ。後ろめたい事は、全て国のせいにして、真実を隠すのが精一杯だった。
「お前っ、だれだよっ! 俺を帰せよ……家に帰せーっ!!」
「はいはい、じゃあ勝手に帰んな。達者で暮らせよー」
リヒトは面倒くさいガキだった。出て行くって言うから放っておいたりもしたけど、結局、戻って来やがって。……心配、するだろ。馬鹿。
そろそろ、例の転移陣を発動させる、との連絡がきた時は、気を引き締める必要があった。リヒトとの生活で、あたしもだいぶ緩んでたからね。
長年、集めに集めた魔力持ちの子ども。どいつもこいつもちょっとしか持ってないから、ここまで集めるのにとても時間がかかったんだ。……リヒトがいりゃ、すぐだったろうなんて事は、考えないようにしてた。
本当にこの魔術陣が、魔力を多く持つ子どものみを集められるのかを訝しんでいたゴードン。あたしだって、そんなものわかんない。でも盗みに入った奴は、長いこと城の魔術研究者として潜入し、念入りに下調べをしたってくらいだから信用できると思う。
そうして集められた魔力の多い子ども達は、別の魔術陣に魔力を流し続けてもらうって寸法だ。今度は少しでも魔力を持ってる子どもを集めるだけの転移陣だ。しかも、一度に数人まで、って制限付き。大勢で来られると対処できないからね。そんな複雑な設定までできるなんて、魔術ってのはなんでもありだねぇ、と呆れさえしたよ。
全てうまくいく、そんな風に思ってた。リヒトもだいぶ大きくなったし、きっとひとりで生きていける。そろそろお別れの時だって、そう思ってた。何だかんだ理由をつけて、長い間ここで過ごしてきたけど。
いい加減あたしは、本拠地に戻らなきゃいけないから。そう覚悟を決めたんだ。
だから、外にいるリヒトが突然消えたのを見て──あたしは青褪めた。
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