sideルドヴィーク後編
医務室に着いたらすぐに風呂の準備をした。と言っても、すでに他の者に頼んでおいたので後はメグを入れるだけだったが。
最初は私が手伝いに、と名乗り出たのだが……流石にそれは! と眠いながらもメグはごねにごねた。あまり自分の主張をする子ではないので、おそらく眠すぎて素が出ているのだろう。ここは素直に
メアリーラに頼むと、大喜びで引き受けてくれた。普段荒くれの怪我の治療ばかりさせられているからか、「荒んだ心のオアシスなのです!」と涙を流している。……そんなにストレスだったのか。彼女はまだ若いし、元気が有り余っているからそんな様子は感じられなかったが、ここまで喜ぶなら今後は彼女にメグの身の回りの世話をたまに頼むのも良いかもしれない。部下の職場環境に気を配るのも私の仕事だしね。
こうしてお風呂から上がってきたメグは、ケイが用意したというネグリジェを着ていた。……とても似合っていて可愛らしい。シンプルな寝巻きでこれだ、着飾ったらどうなるのだろうという心配が浮かんだ。着飾る事自体は大賛成なんだが。
メアリーラの生活魔術によって髪もしっかり乾かされ、歯磨きも終えたという。後はベッドに寝かせるだけだ。
「おやすみ、メグ。ゆっくり休むんだよ」
メグにとって、今日はさぞ長い1日だっただろう。体も心も疲れが残っているはず。せめてここでは、なんの心配も感じずに眠って欲しいと願った。
メグが寝入った後、サウラから上がってきた、それぞれが提出したらしいメグに関する報告書に目を通す。
「記憶喪失の疑い、か……」
予想通りの記述に眉を顰める。メグのあった状況から見ると、もっと人や物事に恐怖心を抱いていてもおかしくない。むしろ、その様子がほぼ見られないのは不自然だ。
目もキラキラと輝いていたし、不安や恐れの色が見られなかったことから、記憶喪失というのはほぼ確定であると考えられた。
「外見年齢よりも内面が発達している……確かにな」
それからメグに関わった誰もが抱いた違和感がこれだ。メグは幼い見た目と話し方とは裏腹に、対応や考え方が大人のそれなのだ。大人びている、と称するには不自然で、社会に出て何年も経っている経験豊かな大人、と言った方が納得出来るほどだった。
見た目より実年齢がずっと上、という種族もいるにはいるが、メグは外見の特徴からいってエルフだし、自然魔術が使えそうだというシュリエの報告からもそれは間違いない。そのため外見と年齢は大体一致しているはずだ。
加えてギルからの報告には、本人におかしな魔術がかけられている形跡はない、との事。ギルが言うなら間違いないため、魔術によって姿を変えている、という線もない。
だとするなら他ならぬメグ自身が、あれほど幼いにも関わらず、大人と変わらない対応を強いられていた、もしくは大人でもキツい環境で育った、と考えるのが自然だと思われた。
「となると……メグの保護者や育った環境について調べる必要があるってことか。だが、そこは私の管轄外だな」
私に出来ることは、メグの身体と心のケアだ。最新の注意を払って、あの子を見守ろう。
ふと、物音がした。メグの眠る部屋からだ。目を覚ましてしまったのだろうか、と部屋へ向かうため足を向けた時、そのメグ本人が扉を開けて出てきた。
「どうしたんだい、メグ? お手洗いかな?」
私がそう尋ねたものの、メグから反応はない。……それどころか、どこか様子がおかしい。
「メグ……?」
もう一度、今度は少し大きめの声でその名を呼ぶも、反応がない。何かを探している様子でフラフラと覚束ない足取りでうろついている。
もしや、と思ってメグの顔を覗き込んで見ると、予想通り目は開いているものの、完全に無表情であった。耳元で手を打ち鳴らして大きな音を鳴らしてみる。……やはり反応がない。
『睡眠時遊行症』
頭に浮かんだ1つの病名。原因は明らかにされていない病気だが、メグに関しては強いストレスによるものかもしれない。
「どうかしたですか?」
音で気付いたのだろう、同じく夜勤だったメアリーラがこちらに早足でやってきた。そこでメグの姿に気付き、私と同じように声をかけて反応がないことに驚いている。
「
「ああ、恐らく睡眠時遊行症だな」
「俗に言う夢遊病ってやつなのです……放っておいていいのでしょうか……」
「ああ見えても熟睡している状態だからな。危険がない限りは見守ろう。もしかすると、メグの失われた過去に関する何かがわかるかもしれない」
こういう無意識下の行動に、真実が隠されている可能性は高い。この状態の時は深く眠っている状態と同じだから、無理に起こすのも良くないのだ。
「ただ、夜驚症も併発する可能性が高い。心しておいてくれ」
「突然泣き叫ぶかもしれないって事ですね? わかったのです!」
かなり特殊な環境にいたメグだ。恐怖心を感じて夜驚症も引き起こす事は大いにあり得た。
「あ……カルテに!」
暫し様子を見ていると、メグはおもむろにペンを取り、カルテに何かを書き殴り始めた。……カルテは後で書き直せばいい。今は引き続き様子を見る。
5分程だろうか。一心不乱に何かを書いたメグは、納得したのか再びフラフラと歩き出し、危なっかしい足取りながらも自ら眠っていたベッドへと横になり、目を閉じてスースーと可愛い寝息を立て始めた。その様子にホッと安堵のため息が漏れる。
「ルド医師! 見てくださいなのです! これ……」
私のデスクから小声ながらも焦ったようなメアリーラの声が聞こえてきたので足早に戻る。手に持っているのは、先ほどメグが何かを書いていたカルテ。彼女からそれを受け取って見ると、そこには何とも言えない、少々不気味な絵が描かれていた。
「……人の顔、なのです」
「ああ。かなり怖い顔をしているな」
子どもらしい独特な絵でありながら、特徴をよく掴んだそれは、確かに人の顔だった。髪は少し長めかもしれない。目が吊り上がり、口は大きく開いていて、何かを襲っている人のような、モンスターと呼べるような顔が描かれている。
「……メグちゃんの周りにいた人が、メグちゃんにはこんな風に見えてたのですかね? それとも、何かの恐怖の表れ……?」
「どうだろうな。だが1つ言えるのは、メグは心に大きな闇を抱えている、ということだな」
何とも言えない沈黙が流れる。記憶がない分、その闇は表立って見える事は今の所ないようだが……
「思い出させずにいるのが幸せなのか、事実を知ることがこの子のためなのか……」
「難しいのです……」
小さな身体に抱える大きいであろう問題に、気分が落ち込むのを感じずにはいられない。だが。
「無理に思い出させる必要はないさ。私たちは、この子の心が平穏でいられるよう手助けをしよう」
「そうですね! まだ幼いですし……私、この子の笑顔がみたいのです!」
そう、私は医師なのだ。今はこの子の心を守ることを考えよう。
その後、メグは明るくなって元気に目覚めるまで特に異変なく夜を過ごせたようだった。「おはよう」というこちらの挨拶に、ニコッと笑って「おはよーごじゃいましゅ!」と返したメグは、思っていた通り昨夜の事など何1つ覚えていないようだ。
メグにとって今日という1日が良いものであるよう祈ろう。
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