sideルドヴィーク前編


 その子がやってきたのは突然だった。


 医務室に誰かがやってきた気配を感じていつも通り返事をした。きっと訓練中の誰かが怪我でもしたのだろう、と。しかし、やってきたのは医務室に来る事自体珍しいシュリエレツィーノ、いつも貼り付けたような笑顔を絶やさない、ギルドでも1、2を争う曲者エルフだった時には軽く驚いた。


「こんにちは、ルド。お邪魔しますよ」

「こ、こんにちはー」


 そう言ってシュリエに手で示された方にいた小さな存在に目を向ける。その子が、珍しいピンクゴールドの髪がよく似合う、とても可愛らしいエルフの子どもだった時はさらに驚いた。その可愛い子が、少し緊張した様子で挨拶をしてくる。とてつもなく、可愛い。癒された。

 さらに衝撃的なのはシュリエの反応だった。……それがお前さんの本当の笑顔か。こいつは貴重なものを見た、と思わずにはいられなかったよ。


 それから、後で詳しい事はサウラが話すからと診察を頼まれる。可愛さに目を奪われてしまったが、医者として改めてその子を見ると……痛々しいほどに痩せていた。平均的な体重に戻ればもっとふっくらして可愛さも増すだろうに。ここまで痩せさせるとは、保護者は何をしていたんだと怒りを覚えた。子どもは宝だぞ。

 しかし「ルドせんせ」か。もう何度か呼んでくれないだろうか?


 シュリエによる簡単な説明だけで、これはきちんと診てやらないといけない、と理解した。子どもにはなかなか疲れる作業だろうが、仕方ない。出来るだけ負担をかけずに終わらせてやろう。




 結果としては、目立った問題は見られないようだった。あちこちに擦り傷や打撲の後はあったが、子どもの身体だし、すぐに治るだろう。

 採尿で恥ずかしがる姿には癒されたな。自分はレディーだと言い張る様子に、思わずシュリエと顔を見合わせて声を上げて笑ってしまった。こやつと笑い合う日がこようとは。人生何があるかわからないな。


 メグを診て思ったのは、どちらかと言うと問題は内面にある気がする、ということだ。どれほどの経験をして、ここまで痩せてしまったのか。幼い心に深い傷を残しただろう事がやるせない。だというのにこの子の瞳は淀みがなく、キラキラと輝いている。おそらく、辛い記憶を忘れているのだろう。

 記憶喪失、か。厄介な症状だ。油断なく様子を見てやらなければ。


 自身の中での考察はさておき、2人には注意点だけを述べてから解放してやる。しまったな、今日は医務室に泊まるように伝えるのを忘れてしまった。まぁいい、後で伝えに行こう。そう考えていたのだが、しばらくした後にサウラが同じ事を言いに来たので、せっかくだから夕飯も一緒にと提案させてもらった。……1人では味気ない食事も、可愛い子と一緒ならさぞ楽しかろうという打算があったのは認めよう。




 仕事を一段落させたところで白衣を脱ぎ、医務室を出る。ホールに着くと、つかみ所のない事で有名なケイとメグが談笑しているのを見つけた。……ケイが楽しそうだな。これは面白い。メグは、人を素の状態にさせるのかもしれない。


 私に気付いたメグだったが、少し私であるというのに自信が持てなかったようだ。仕方ない。私はその辺に埋没出来そうな地味な顔立ちだと自覚している。白衣がなければ通りすがりの1人と思われるのもよくある事だった。気付かれずに声もかけない人も多い中、恐る恐るでもちゃんと私の名を呼んでくれたのだから、メグはちゃんと人の顔と名を一致させている。そのことに喜びを感じた。


 その後シュリエと合流し、1人去っていくケイはいつも通りの飄々とした様子を見せていた。やはりつかみ所のないヤツだ。


 それから3人で食堂に向かい、夕食を共にした。この街特有の不思議な料理に目をパチクリとさせた姿は可愛らしく、色々と教えてあげたくなる。メグ用に小さく切り分けられたチークカツを、ほっぺをモクモク動かしながら食べる様子は小動物のようで実に癒される。


 メグは味噌のスープを手に取ると、器を持ち上げて飲もうとしていた。子どもならスプーンで掬うより確かに飲み易いだろうが、少々お行儀が悪いかもしれない。しかし、今はメグの好きにさせてやろうとそのまま様子を見ることにした。シュリエも特に何も言うつもりはないようだった。

 メグが一口スープを飲んだその時。大きな藍色の目が揺れるのを確認した。……何があったのだろうかと少し焦る。泣きそうで、でも嬉しそうな……懐かしさを感じているかのような、そんな表情。幼子がこんな顔をするものだろうか? この食事にメグの過去を揺さぶる何かがあるというのだろうか。


 だが、それはあり得ない。なぜならこの食事はこの街、もしくはこの国のどこかでしか食べられない。レシピも門外不出となっているのだ。この国にメグくらいのエルフがいると聞いたことはないし、この料理を懐かしむなどある筈もない。万に一つの可能性として、このレシピを生み出した人物と同郷である可能性があげられるが……それも考えにくい。そもそも、その人物すら秘匿されているため調べようもないのだが。

 そんな可能性の低い事より、みんなで食事を共にする、というこの状況に懐かしさを感じているのだろう、と考えた方が納得がいく。……だとしても、こんな幼子にそんな顔をさせる状況があり得なくもあった。


 一体この子は、どんな生活を送ってきたのか。

 それを考えずにはいられなかった。


 深刻な考えに支配されながらも、その後は問題なく美味しそうに夕飯を食べるメグの姿に釘付けとなる。ふと見れば、シュリエも幸せそうに微笑みながらメグを見ていた。

 ……なんとなく嫌な予感がして、それとなく周囲に目を配ると、やはり食堂にきている連中みんながメグを見てその顔をだらしなくさせていた。まあ、確かに可愛い。が、少しは取り繕ってもらいたい。特にそこの馬鹿面男、涎はやめろ。脳内で危険リストに入れておく。


「ごちしょーしゃまでした!」


 元気に手を合わせて挨拶したメグ。食べ方が綺麗だと褒めると、メグは胸を張って誇らしげに笑った。……ああ、幼い子というのはいいものだな。こんな些細な動きだけで心が洗われるようだ。

 周囲で呻き声が漏れる。確かに可愛いから悶絶する気持ちもわかるが、お前らのそのだらしない顔は見るに耐えないから絶対に顔を上げるんじゃないぞ。メグの情操教育によろしくないから。だがまあ、このギルドの者がメグの味方となってくれるのは間違いないだろうが。


 この日、特級ギルドオルトゥスに、変態が多数生まれた気がしないでもない。

 我々は、その魔の手からメグを必ずや守ってみせよう。




 それからのメグは、非常に危なっかしい様子だった。満腹になったからか、眠くなってきたようだ。それでも食器の片付けをすると言って聞かなかったのでやらせたが、側に付いているこちらがヒヤヒヤするほど危なっかしかった。医務室へ行こうと声をかける時には、半分以上意識が夢に旅立っていたが、しっかりとシュリエに挨拶している様子に、この子の律儀さを感じた。

 流石に歩かせるのは可哀想だと思い、抱っこで医務室へと向かう事にする。向かっている途中眠ってしまったが、お風呂で起こす事になってしまうので、今はそのまま寝かせておく事にしよう。

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