sideギルナンディオ 中編


「んむぅ……」


 どれほどの時間が過ぎただろうか。夜も更けきった頃に子どもが目を覚ましたらしい。驚かさないように出来るだけ静かに声をかけることにする。


「……起きたか」

「!?」


 俺の声にビクッと身体を震わせる子ども。恐る恐るといった様子でこちらにゆっくりと顔を向ける。

 寝ている顔から整った顔をしていると思っていたが、目を開けたその容姿はより可愛らしい。零れ落ちそうな大きな紺色の瞳は、一見するとキツい顔立ちに見られがちだが、綺麗に弧を描く眉により優しそうな印象を受ける。

 子どもを観察していると、突如子どもがプルプルと震えだした。む、こ、これは……


「ふ……う、うぇ……」

「なっ……待っ……」


 案の定子どもは泣き始めた。しまった、怯えさせたか。よくよく考えてみれば、俺は全身黒尽くめだし、顔もフードとマスクでほとんど見えない。怖がらせるのも無理はなかったと、己の失敗を悟った。

 しかし、どうすればいいのか。思えば子どもの扱いなど経験がない。泣いた子どものあやし方はおろか、接し方すらわかっていない。空間魔術を行使し、しまってあった新しいタオルを取り出す。すぐに子どもに渡そうと思ったものの、渡すタイミングを計りかねていた。余計に泣かせてしまうかもしれないと、俺とした事が怖かったのだ。……意外なところで自分の恐れるものが判明する結果となった。


 しばらく泣き続けた子どもをどうする事も出来ずにオロオロしていたら、自然と子どもは泣き止み始めた。何となく沈黙が流れる。そろそろ声をかけても良いだろうか。……っと、その前にマスクくらいは外そうか。久しぶりに人前に素顔を晒すのに少し躊躇ったが、相手は子ども。それにまた泣かせるよりは良い。不思議と素顔を見せるのに不快感はなかった。


「……使うか?」

「……ありがとーごじゃいます……」


 一言声をかけてやれば、可愛らしい小さな桃色の口から鈴のなるような声で子どもがお礼を言った。その声を聞いただけで衝撃が走る。

 なんだ、これは……思わずこの子どもが魅了の魔術でも使ったのかと調べるも、全くそんな様子はない。純粋な可愛さだけでここまでの破壊力を見せるのかと恐れおののく。子どもってみんなこうなのか……?


 いや、今はそれどころではない。また泣かせてしまわないようにタオルを渡したらすぐに手を引っ込めた。……なんとも情けない。


 せっかくの整った顔が腫れてしまってはなんだか勿体無い気がして、温タオルと冷タオルを子どもに渡す。子どもは怖がる事なくそれを受けとり、交互に顔に当てていた。……時折こちらをチラチラ窺う様子が小動物のようで癒される。でも恐らく、俺の顔を見ているのだろう事がわかった。

 

 自分の見目が整っていることは自覚している。嫌という程に。どこへ行っても女が寄ってくるのは鬱陶しいことこの上ない。もちろん、皆が皆そういうわけではないのもわかっている。ギルドの仲間はこの見目をネタにからかう事はするが擦り寄ってくることはないし、利用しようとしたとしてもあくまで依頼の作戦の上だけだ。

 だがそれ以外は擦り寄ってくるのも事実。女の場合、見目のいい男が近くにいるのを見せつけたいだけなのが多いように思う。人をアクセサリーか何かと一緒にするなと言いたい。そこに見当違いな嫉妬を向ける男に関しては問答無用で殴っていいと思う。


 情報収集するにあたってこの見た目は人の印象に残りやすい。だからこそ日常で顔を隠すようになった。どのみち怪しいやつとして印象に残るのだが、そっちの方が都合が良かった。任務時に必要な時は幻術で見た目を誤魔化すから問題ない。外を歩くだけで気分が悪い思いをするより、怪しいやつとして遠巻きにされる方がずっと良かった。

 全く……人の見た目を利用しようとする奴が多いのが悪いんだ。軽く人間不信になっている。


 だから、惚けたようにこちらを見つめるこの子も同じなのだろうかと一瞬落胆しかけたのは仕方ない事だった。だが、見ているとどうも違うようだ。

 この子の瞳には、美しい景色を見たのと同じような光しか感じないのだ。純粋に俺の見た目を良い、と思っただけに過ぎず、だからと言って態度を変えることもましてや利用しようとも思っていないように見えた。実際、態度が変わっていない事が証明している。


 これはこれで稀有な存在だ。見た目が整っていることを理解した上で、好意のみを向けてくれる。まぁ、子どもだからかもしれかいが、その事に悪い気はせず、むしろ心地良いと感じた。……あとはこの警戒心を無くしたいという欲求が生まれる。警戒されるのは当然だし、その点については褒めるべき事なのだが。


 その後、子どもにアプリィ水を飲ませたり、用意しておいた野菜スープを食わせてやった。手が小さいために、とても危なっかしくてつい手を出してしまった。その際怖がる素振りを欠片も見せなかったため、これ幸いとあれこれ世話をする。

 どことなく遠慮がちなところを見ると、自分である程度は出来るのだろう。だがこういう状況だ。もっと頼っても良いという事を知ってもらうためにもこれでもかと言うほど甘やかしてやる。……案外楽しい。


 満腹になったからか、子どもが舟を漕ぎ始める。寝ても良いと言うのに我慢しようとしてるから、遠慮せず寝られるよう声をかけてやるとあっという間に眠りに落ちた。


 ……なんだろうな、この気持ちは。生まれて初めての感情。子を持つ親の気持ちというのがこれなのか、判断は出来ないが、悪くはない。一通り片付けを済ませ、念のためにしっかり結界を張ってから自分も仮眠をとった。




「にょっ!?」


 子どものおかしな奇声で目覚める。夜中何度か起きて警戒しながら細かい仮眠を取っていたが、子どもに寝顔を見られる失態を犯してしまった。子どもの高めの体温に心地良さを感じて寝過ごしてしまったようだ。


 気を取り直して朝の身支度を促すと、予想外の、そして嫌な可能性が浮上する。子どもは魔術の使い方を知らないようなのだ。

 これくらいしっかりした子どもなら、簡単な生活魔法くらい息をするように出来て当たり前だ。そう、記憶喪失でもない限り。


 まさかとは思いつつも、その可能性が高い事を頭に入れて接する事にする。魔術の使い方を知らない事がおかしな事ではない、と思わせるように。記憶を刺激して混乱させることのないように。

 他者に対してこれほど気を使ったことは未だ嘗てないだろう。軽い朝食を終えたら簡単な自己紹介をして、さっさとダンジョンを去ろうと頭の中で計画を立てた。

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