最終話 春の海風に寄せて

 アメリとリュックは正式に婚約、結婚式は次の年の初春に決まった。


 リュックの両親やデジャルダン子爵は一年も待たなくてもいいのではないかという意見だった。しかし、アメリはどうしても祭壇の前で待つ花婿の隣まで杖無しで歩きたかったのだ。それに髪ももう少し伸ばして美しく結ってもらいたい。リュックも賛成してくれた。


 本当のところ、特にデジャルダン子爵は早く式を挙げて欲しかったようだ。


「お前が歩けるようになるまで待って、私の足腰が立たなくなったらどうする? だいたい私は来年まで生きているかどうかも分からんぞ。誰がお前を祭壇まで連れて行くのだ?」


「子爵にはひ孫に剣の手ほどきをしてもらわないといけませんからね。来年と言わずいつまでもお元気でいてください」


 リュックはこう言って子爵を取りなしていた。




 アメリが王都に戻ってきて初めてサヴァン家を訪ねた時、屋敷には新しい番犬が居るのに気付いた。


「ああ、やっぱりランスはもういないのね?」


「うん。もうだいぶ前にね。アメリが居た頃もう既におじいちゃん犬だったから。あのりんごの木の所にお墓があるよ。おいで、彼に報告しに行こう。俺たちが出会えたのってランスのおかげだものな」


 リュックは意外とロマンティストなのね、とアメリが初めて思った瞬間だった。りんごの木は今も変わらずそこにあった。


「懐かしいわ、子供の頃が。良くここで貴方と話したわよね。私が塀の上から覗いて」


「今は隣の家には引退した貴族の老夫婦が住んでいるんだ。小さい子供は居ないから、誰もこの塀に上って落っこちそうになることもないよ」


「もう、リュックったら」




 時々リュックと二人きりになって、キス以上の雰囲気になってしまう時に彼はいつも理性を総動員してくれる。アメリはその度に何だか申し訳ない気がした。彼女自身はいつでも彼に全てを捧げる準備は出来ていたのだ。


「私は構わないのよ、あの本の第二章を実践しても。式間近になったら特にね」


「ちゃんと待つよ。お前だってさ、今までみたいに王宮の庭や教会の離れなんかでコソコソするんじゃなくて、いい思い出にもしたいだろ。天蓋付きの寝台で、絹の寝衣をまとってさ」


「貴方のそんなところも好きよ。そこまでロマンティストとは知らなかったわ」


「実は俺自身も知らなかった」


「私はね、相手が貴方だったら納屋だろうが、屋外だろうが場所や時はどうでもいいのよ」


「アメリー、そんな自制心がかなり揺らぐようなことを言われると……でも騎士に二言はない」


「何よそれ、そんな言葉初めて聞いたわよ」


 結局、二人は式まで第二章に入ることはなかった。そしてリュックの言う通り、初夜には天蓋付きの寝台と絹の寝衣も準備されていて最高の記念日となるのはもう少し先のことである。




 婚約成立後、アメリはリュックと父親と兄のお墓にお参りした。王都に帰ってきたと報告しに来て以来である。アメリは万感の思いでお墓の前に座って祈った。


「パパ、フェリックス、なかなか来られなくてごめんね。今日はリュックと一緒よ。私たち色々あったけれど、この度正式に婚約が決まって来年の春結婚することになりました」


 リュックも二人の墓の前で最敬礼をしている。


「ガニエ様、フェリックスさん、アメリさんを幸せにすると誓います」


 その時海からの心地よい風がアメリの頬を優しく撫でたと同時に、アメリの耳にどこからともなく父親ミシェルの声が聞こえてきた。


『私には分かっていたよ、私の勇敢なお姫様。王子様と幸せにおなり』


 アメリは涙ぐんで思わず周りを見回した。


「うん、パパ。ありがとう。これからも私のことずっと見守っていてね」


 アメリはそっとささやいた。そして立ち上がろうとする彼女をリュックが支えて松葉杖を差し出した。


「さあ参りましょうか、姫」


 アメリは目を丸くした。


「まあリュック、私ね、昔パパに良くそう呼ばれていたのよ」


「知ってるよ。隣の庭から楽しそうに家族で遊んでいる声がいつも聞こえてきてたから」


 その時再び海風がそっと吹いた。


『良かったね、私のお姫様』



     ――― 完 ―――

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