第三十三話 ごまめの歯ぎしり

 王都にもまた春がやって来た。再び騎士道大会の季節である。


 今年の大会へはアメリは祖父やサヴァン一家と闘技場に来た。王族桟敷の向かい側、一列目と二列目で賑やかに観戦していた。


 まだ松葉杖は必要なアメリだったが、傷は随分と良くなってきていて、もう長いこと歩いたり立っていたりも出来る。




 今年もリュックは二回戦からの出場で、順調に勝ち進んでいる。彼の出番の合間にアメリは席を立ってお手洗いに行った。その途中で声を掛けられた。


「アメリさん、お久しぶりです。お帰りなさいませ、そしておめでとうございます。以前よりずっとお元気そうになったし、お幸せそうですわ」


 以前アメリが王都銀行に行った時、まだ松葉杖に慣れてないアメリに手を貸してくれたアナ=ニコル・ボルデュック侯爵令嬢だった。彼女とはボション領から時々手紙のやり取りをしており、王都のデジャルダン家に戻ってからの近況も報告していた。


「アナさん、こちらこそご無沙汰していました。またお会いできて嬉しいわ」


「手紙にも少し書きましたように、あれからアメリさんのお口添えもあって色々なことが好転し始めました。今ちょっと人を待たせているので失礼いたしますね。お互い王都に居る今なら、またお会いできる機会もあると思いますし」


 そう言ってお辞儀をするとアナはアメリの席からは反対の方へ去っていった。




 そしてアメリが一人で女性用の手洗いに入ったところ、先に居た数人の令嬢たちが何か話していたのをピタッと止め、お互い目配せしている。


 アメリも伊達に女ばかりの職場で働いていなかったので、この後の展開が手に取るように分かった。アメリが個室に入ると案の定、わざと聞こえるように彼女たちは話し始めた。


「悔しいですわ。私、彼が近衛騎士になられた当初からずっと応援しているのに」


「リュックさまがあんな下賤の女を本気で相手にするわけありませんわ。あの難攻不落のルクレール中佐とまで噂になったりして……どんな手管を使ったのやら……」


「誰彼と構わずねやでの技を磨いているのではなくて?」


「まあ、はしたない。サヴァンさまも騙されているのですわ」


「少々お情けをかけられて、勘違いしているだけでしょう。誰にでもお優しい方ですもの」


 個室から出るとアメリは言った。


「おっしゃりたいことがあるなら私に直接どうぞ。それでも、私だけでなくサヴァンさままでおとしめているのがお分かりでないの? 彼やご家族のことを悪く言ったら承知しないわよ!」


「な、何を偉そうに!」


「まあせいぜいリュックさまにすぐに飽きられて捨てられないようにお励みなさいませ、オホホ」


「ご忠告ありがとうございます。それから、私はサヴァンファン第一号だから。かれこれ十三年、騎士になる前から応援しているのよ」


 そう言うとアメリは手を洗って外へ出た。そして出口で眉をひそめて心配そうに中を覗き込んでいた、リュックの母親ジョアンヌにばったり会う。


(ゲッ、一番聞かれたくなかった人が……ついてないー)


 ジョアンヌには再会した時に無礼を謝られ、リュックを助けたお礼までも言われた。しかし、実はこれから彼女と上手くやっていけるのかどうか、少々不安だった。


「心配になって見に来たら、案の定ですわ」


「あの、伯爵夫人、私が至らないばかりに、申し訳ありません。気分を害されるようなことをお聞かせしてしまって」


「卑屈になるのはおやめなさい。顔を上げて堂々としていれば良いのです。まあ貴女のその気性だと心配することもないでしょうけれど」


「はい、ありがとうございます」


 ああ、この義母とも案外仲良くやっていけるかも、とアメリが思った瞬間だった。


「それにしても昔を思い出しますわ。若い頃のマルセルも騎士のあの子ほどではありませんが、女性に人気がありましたのよ。だから雑魚どもが周りでウロチョロとうるさかったのなんのって」


 ジョアンヌ、ひどい言いようである。


「ざ、雑魚でございますか……ああ、でもお義父さまがおモテになるのも分かります。リュックさまのお顔立ちはお義父さま譲りですものね。髪と目の色はお義母さまと同じですけれども」


「それにしても、さっさと正式に婚約してしまっておけばやっかみ等も減るでしょうに。貴方たち、何をやっているのですか」


「それが、リュックさまが騎士道大会と同時に婚約したいから、と今日付けで書類は既に提出致したところなのです。何としても今日好成績を修めて最高の記念日にしたい、と」


「普通記念日にこだわるのは女性の方ですのに」


「はい、意外とロマンティックでいらっしゃいます」


 二人の女性は連れ立って観客席に戻った。




 アメリは去年の騎士道大会のことを懐かしんでいた。あの時はたった一人で見に来ていた。あれから色んなことがあり、親友のビアンカは結婚、彼女自身は婚約した。そして今年は家族と呼べる人々と一緒だ。


 アメリの祖父の方は、先ほどテリエン伯爵夫人と会ったと言っていた。自分の娘なのに称号で呼んでいる。


「十数年ぶりに声を掛けてきたと思ったら『あら、お父さまお久しぶりです。アメリが帰ってきたそうですね。一安心だわ』とまるで友人に対するような態度だった、全くあの娘は!」


 口調は怒っていたが、何となく嬉しそうだった。テリエンとの間にできた二人の子供も今日は一緒に来ていて、紹介されたらしい。祖父と母も直ぐにとはいかないだろうが、少しずつ関係を修復していけるかもしれない、とアメリはそんな期待を初めて抱いた。

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