第二十八話 逃がした魚は大きい

 その頃、アメリに王都銀行の担当者を紹介したアントワーヌはその担当者アランから報告を受けていた。


「申し訳ございません、お坊ちゃま。昨日サヴァン家のご長男とご次男のお二人がいらして、同僚が口止めされていた件を洩らしてしまいました。何でもご長男に脅されたとかで」


「ふうん、意外と早かったですね。やり方がかなり強引だけど。クリストフさんがついていたって言うのに」


 アントワーヌは苦笑した。


「口止めされていようがいまいが、顧客情報を他にばらすとはお恥ずかしいことです」


「大方、サヴァン家から一切の取引を引き上げるとかなんとか言われたのでしょう。金貨五十枚の個人口座とは比べ物にならないですからね」


「私はデジャルダンのご令嬢に申し訳なくて」


 アランは銀行に一人、松葉杖をついて思いつめた表情で現れたアメリを思い出した。気丈に振る舞っていた彼女は何とも痛々しかった。


「気にしなくても大丈夫ですよ。この調子なら近いうちに大団円を迎えることでしょう」


「あの、お坊ちゃまはこうなることを分かっておいでだったのですか?」


 アントワーヌはそのアランの問いには答えず、代わりにニコニコと笑っているだけだった。


(僕からの結婚の祝儀は王都銀行の小切手にしてやろう……)


「ところで、デジャルダン様から丁寧なご礼状を頂きまして、それから頼まれごとをされました。うちの銀行前の階段で、彼女が大層親切にしてもらったご令嬢のお話を聞いて欲しいそうです。他の担当者に追い返されて途方に暮れておられたとか、お名前はええと……」


「ボルデュック侯爵令嬢ですね。私への礼状にも書かれていました」


「侯爵家の方にしてはあり得ない程身なりが粗末だとかで、同僚は取り合わなかったそうですが」


「ボルデュック侯爵家は確か領地が数年前から不作続きで、経済的に困っていらっしゃるようです。アメリさんの頼みなら、少し調べてみます」




 その翌朝早くリュックは魔術塔へ行った。他にはアメリの行き場所は考えられない。丁度ビアンカの執務室の扉を叩こうとしたところだった。


「おい、お前そこで何をしている」


 仏頂面のクロードがいきなり現れた。


「何って、この執務室の扉を叩こうとしているのですよ」


「私の妻に何の用事だ?」


 リュックは心の中で悪態をつき、舌打ちをした。


(ちぇっ、なんでこの人わざわざ絡んでくるんだよ。あまり無下にも出来ないし)


「奥様にお聞きしたいことがありまして」


「フン、二兎を追う者は一兎をも得ず、と身をもって知ったか」


(二兎も三兎も追ってねぇよ! ってここでこの人の機嫌を損ねて魔術塔から放り出されるわけにはいかないし。全くもう、公爵家よりは魔術塔に来る方がビアンカさんに会うのは簡単だろうと思ったのに)


「いえ、そういうわけでは……あの、とにかく奥様に至急お会いしたいのです」


「大切な妻をな、お前みたいに女と見れば見境なく声をかけるような男と二人きりにさせる馬鹿がどこにいる? 身から出た錆だ」


(何でそこまで節操なしのように言われるんだよ。俺、泣きそう)


「ですから……」


「用件は? 俺が後で伝えておいてやる」


 そこで中から扉が開き、ビアンカが顔を覗かせた。


「サヴァンさま、お早うございます。どうぞお入りください」


 そしてクロードの方に目をやると


「クロードさま、廊下でご歓談もよろしいですけど、今日くらいは早くお仕事終わらせて夕方には帰宅いたしましょうね。久しぶりにゆっくり夕食をご一緒したいですわ」


と有無を言わせず彼の背中を押して追い払おうとしている。


「うんそうだね、じゃあまた後で」


 クロードは打って変わって大人しくデレデレと微笑み、ビアンカの耳元で何か囁いてから彼女に軽くキスをし、しかし最後にリュックを一睨みするのは忘れずに去って行った。


(今彼女に何言ったか大体想像つく。夕食よりもビアンカをゆっくり味わいたい、とか? ああ、嫌だイヤだ、職場でイチャつくんじゃねぇよ!)


 ビアンカは真っ赤になりながらも、


「ああ、やっと行かれたみたいですわ」


とリュックを振り向いた。


「見事な手綱さばきですね」


 この夫婦はどちらが主導権を握っているか明白である。ビアンカは少し恥じらうように笑った。


「あのように見えて実はサヴァンさまのこと、尊敬しているのですよ」


「はい? 尊敬? どうみても軽蔑されているとしか思えませんが」


「間違いではありません。魔力の強さは生まれ持ったものですけど、剣の腕は才能よりも日々の努力がものを言いますよね。主人は騎士の方々には一目置いているのです」


「全然そんな素振りは見られません」


「敬意の裏返しと申しますか、彼がああして突っかかってくるのは、相手をして欲しいからなのですよ」


 リュックは何だか解せなかった。


「曲解でしょう」


「以前ほどではありませんが、周りの方々からは怖がられて敬遠されているので寂しいのでしょう。サヴァンさまなどには遠慮なくちょっかいを出しているのですよ」


「いえ、ぜぇったい違うと思います。断言できます」


「それでもまあ、あまり呆れずにこれからも辛抱強く付き合ってやって下さいませ」


(泣く子も黙るあの副総裁に対して結構手厳しいし。でもこれくらいじゃないとあんな人と結婚できないか)


「ではご用件をお聞きしましょうか?」


「私が何故来たかもう分かっておいででしょうが、アメリは公爵家にかくまわれているのですか?」


「もしそうだとしたらどうなさいます?」


「彼女に会わせて下さい。改めて結婚を申し込みたいのです」


「改めて、とおっしゃると言うことはもう既に一度求婚されているのですか?」


「はい。速攻断られましたが。でも今度こそ、うんと言わせてみます」


 リュックは手にしていた書類をビアンカに見せた。それをちらりと見たビアンカはくすっと笑って言った。


「そうですね、このくらい周りからがっしり固めてかからないと駄目ね。でも、あの頑固なアメリを説得して『うん』と言わせるのはまた別の話ですわ」



***ひとこと***

ビアンカが あらわれた!

クロードは でれでれしている。

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