第二十六話 隣の芝生は青い

 サヴァン家の次男、クリストフは帰宅するなり不穏な空気を感じ取った。執事に聞くまでもなく両親と兄は居間にいるのが分かった。何やら言い争っているのが聞こえてくるからである。母親ジョアンヌのキンキン声がするだけでなく、いつもは温厚な父親のマルセルまで声を荒らげている。


「またやり合っているな」


 とばっちりを食らうのが嫌で自室へ直行と思ったが、たった今自分の名前が聞こえてきた。


「ですから伯爵位はクリスに譲ってください。彼は貴方達の望み通り文官になったではないですか。跡継ぎだって私の様な筋肉バカから生まれる子よりは、将来有望な優れた文官の子供の方がふさわしいでしょうに」


「それとこれはまた別です!」


「自分を卑下しすぎだ、リュック」


 欠席裁判で伯爵位を勝手に譲られてはたまらないと思い、クリストフはそこで会話に割り込む。


「そうですよ、私に文官職に就くことを丸投げして自分は好きな道に進んだ兄上が、今度は伯爵の責任まで押し付けてくるなんて」


「クリストフ、お前文官には希望してなったかと思っていたぞ」


「マルセル、今はクリストフの話ではございません」


「すまん、クリス。お前に全部負担させて。でもな、アメリとの結婚を許してもらえないなら爵位を継ぐ気もない」


「ですから、正妻は然るべき貴族の娘を娶って、あの娘は愛人か妾にでもすればよろしい」


「母上! 貴女がそれをおっしゃいますか? 然るべき貴族とは何ですか? アメリだって子爵令嬢ですよ」


「父親は平民ではありませんか! それにあんな体では……」


「えっ、兄上の恋人はアメリさんとおっしゃるのですか? もしかして昔隣に住んでいた、あの可愛い女の子ですか? ああ、いいなあ。さぞかし美人になっているでしょうねえ、モテる兄上が羨ましいです」


「クリストフ、話の腰を折るのはやめろ」


「父上、全然折っておりませんよ。だって、私まで貴方たちの親子喧嘩に巻き込んでおきながら、事情を知らされていないなんて不公平です」


「うん。アメリはお前も知っている、昔隣に住んでいたアメリだ。父親が亡くなった後、祖父のデジャルダン子爵に引き取られて今はアメリ・デジャルダンだ」


「あ、今分かりました。彼女って、王太子殿下を命がけで守ったあの勇敢な侍女ですね。へえ、縁は異なもの味なものとは良く言ったものですね。良いご縁ではないですか?」


「だが、あの隣に居たガニエという商人が父親なのだよ」


「アメリの優しそうなお父さんですよね。私たち兄弟も一緒に遊ぼう、と何回か誘ってくれたことがありましたが、父上と母上が怖くて泣く泣く断っておりました」


「おぅ、クリスお前もそう思っていたか」


「ええ、隣が羨ましかったですよね、兄上。貴方たちは一度も子供とそうやって触れ合うことはなさらなかった。それが貴族の教育方針なのだと言われればそれまでですけれど」


 普段は大人しいクリストフがここまで本音をぶちまけていることに両親は少々戸惑っている。


「私は貴方たちの望み通り文官になり、役目は果たしました。将来有望とまではいきませんけれどもね。今上陛下の御代に変わってから、文官も身分より実力主義にかなり移行してきています。サヴァンの名前だけで宰相室まで行けたのはもう過去のことですよ」


 クリストフは一息ついて続けた。


「と、少し話が逸れましたが……爵位は継ぎませんと申し上げたかったのです。兄上の結婚をお認めにならずに駆け落ちでもされたら、私も家を出ますので親戚からどなたか養子でも迎えてください」


「クリス、さすが文官。いざというときは能弁だな。とにかく父上母上、私も自分の想う相手と結婚できないなら爵位なんていりません」


 ショックを受けた伯爵夫人だったが負けじと反論した。


「あの娘は私に手切れ金を要求してきたのですよ! 貴方に近付いたのも最初からそれが目的ではないのです?」


「母上、いくら何でも言って良い事と悪い事がありますよ。最初に縁談を断ったのはアメリです。それにしても母上、まだ療養中の彼女のところまでわざわざ行かれたのですか?」


「ええ、それで小切手を渡しました。昨日銀行に確認したらとっくに換金されておりました」


「私は断じて信じませんよ。確かにアメリは金に執着するところがありますが、それは幼い頃から苦労を重ねてきたからです。だいたいそんな金目当ての女だったら、わざわざ学院まで出て侍女として地道に働いていませんよ。子爵令嬢でその必要も無いのに?」


「そ、それは……」


「母上、まだ傷も癒えてないアメリの病室に押しかけて、彼女に何をおっしゃったか知りませんが、事によっては母上でも許せませんよ。アメリの状態をご覧になりましたよね。彼女が助けたのは殿下だけではないのです。それだけが取り沙汰されておりますが」


「兄上も彼女に助けられたのですよね」


「そうです。私はあの魔術攻撃の直前に王太子の馬車の傍におりました。そこを彼女に咄嗟に突き飛ばされて無事だったのです。でなければ私も今頃医療塔で寝たきりですよ!」


 そこまでリュックはまくし立てると居間を出て自室に籠ってしまった。クリストフも同様に去った。夫人と二人になったマルセルは言った。


「ジョアンヌ、私たちの負けだ。といっても勝ち負けではないね、こういうことは。私たちが折れるしかないだろう」


 ジョアンヌは何か言いかけるが結局黙り込んでしまった。




 翌朝リュックはクリストフと共に屋敷を出て二人である所へ向かった。


 用事が済んだその後、アメリの様子を聞くために医療塔に寄った。母親のしたことを考えると今はまだアメリに合わせる顔がなかった。


 看護師の一人から彼女は既に出て行った後だと聞かされた。急いで西宮の宿舎にも行くが、何とそこは部屋の荷物の全ても持ち出されて完全に引き払われていた。


 リュックは少し嫌な予感がしたが、きっと彼女は子爵家に戻ったのだろうとその時は考えていた。アメリが子爵と一緒だと余計に合わせる顔がない、まだ何も解決していないのに彼女には会えない、とも。



***ひとこと***

リュック、貴方は偉いですよ。クソババア、じゃなかった失礼、サヴァン伯爵夫人の言葉を信じなくて。弟のクリストフ君は絶賛彼女募集中です。

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