南部
第二十五話 重荷を負うて遠き道を行く
アメリはその後すぐ医療塔を出られることになった。アメリをボション領へ送り出すための手配は全部自分に任せろ、とビアンカは有無を言わせず彼女を公爵家へ連れて帰った。
「うちで数日ゆっくり休んでね。その間に旅行の準備をしましょう」
「ビアンカ、王都を離れる前に祖父のデジャルダン子爵に挨拶して、父とフェリックスのお墓にお参りしておきたいわ。それともう一か所だけ寄っておきたいところがあるの。出来れば馬車をお借りしたいのだけど」
冬もそろそろ近づき、肌寒い朝のことだった。公爵家から出してもらった馬車の中から眺めた王都の街中は年末の賑わいを見せていた。
(そういえばリュックと年末の市を見に行く約束していたわ)
何もかも遠い昔のことのように思えた。アメリは御者に王都銀行へ向かうように頼んだ。銀行前の大通りは大変混雑しており、その上歩道の街灯を取り替え中で馬車が止められなかった。
「デジャルダン様、なるべく近くに馬車を付けますから」
「ええ。この様子じゃ停車していたら迷惑ね。大丈夫よ、私一人で何とかなります」
「申し訳ありません。ご用件がお済みの頃に迎えに参ります」
アメリは馬車を降り、片手に小さな鞄を下げ松葉杖をつきながら銀行入口前の階段を上っていたが、鞄を落としてしまう。そこで銀行から出て階段を下りていた若い女性が駆け寄って鞄を拾ってくれた。
「あの、手をお貸ししましょうか? お一人ですか?」
「あ、ありがとうございます。松葉杖にまだ慣れていないものですから。この大通りだと御者も馬車を止められなくて、しょうがなく一人で馬車を下りてきたのです」
「では、入口までご一緒します」
アメリはその女性に丁寧にお礼を言い、銀行に入り用事を済ませた。滞りなくアメリの希望通りに事が進んだのはアントワーヌの紹介状のお陰に他ならない。
そして銀行から出て、階段を下りようとしていたアメリに声を掛けたのは先程の女性だった。
「また鞄をお持ちしましょうか?」
少し驚いたアメリに、その女性は少し恥ずかしそうに言った。
「えっと、歩道の長椅子に座ってボーっと考え事をしていたら貴女が出てこられたので……」
「度々ありがとうございます」
「馬車はお迎えに戻って来てくれるのですか?」
「はい。あと数分で来てくれると思います」
「寒いですけど、そこにお座りになりますか? お怪我ですか? あの、痛みますか?」
「いえ、大丈夫ですわ」
彼女とアメリは長椅子に腰かけた。
「アメリ・デジャルダンと申します」
「アナ=ニコル・ボルデュックでございます。もしかして貴女は、王太子殿下を助けられたという……」
「ええ。何だか無駄に有名になってしまって。ボルデュックさまも銀行に来られたのですか?」
「どうぞアナとお呼びください。ええ。実家が資金繰りに困っておりまして融資を、要は借金ですね、お願いしようと参りました。この格好では領地を持っている貴族とは信じてもらえなくて。当たり前ですけど」
アメリは何だか思いつめた様子のアナを放っておけなかった。アナは質素な服を着ているが、言葉遣いや身のこなし方からある程度の家柄の出身だろうとは察していた。
「私のことはアメリとお呼び下さい。やはり貴族の方だろうとは思いました」
「申し訳ありません。全然関係のないアメリさんに我が家の事情をペラペラと、お恥ずかしいですわ。少し一人で思いつめてしまって、思わず口が滑ってしまいました」
誰かに聞いて欲しかっただけなのかもしれないが、アナは赤くなって恥じ入ってしまう。
「連絡先を教えてくださいますか? 私、今会った銀行の担当者の方と、彼を紹介して下さった方にアナさんのお話だけでも聞いてもらえるよう、お願いしてみますわ」
「まあ、そこまで」
「私も彼らにはただ一方的にお世話になっているだけだから、図々しいと思われて放っておかれるだけかもしれません」
「そのお気持ちだけでも大変ありがたいです。アメリさんの連絡先も教えていただけますか?」
「ええ、もちろんよ。実は私、数日後に王都を離れてしまうのですけど」
アメリは少し寂しそうに
「送ってさし上げたいのはやまやまですが、この馬車は友人の好意で使わせてもらっているものなので」
「それには及びませんわ。あの、ご自分のことで精一杯なのに私のことまで気にかけて下さって、何ともお礼の申しようがありません」
「それはお互い様じゃないですか?」
「お体お大事になさって、怪我が早く治りますように」
王都銀行前でアナと別れたアメリはその後デジャルダン子爵の所へ行き、医療塔を出られた報告をした。とりあえずは住み慣れた王宮の宿舎に居ることにしておいたが、祖父に内緒で南部へ行くことに心が痛んだ。
その後は父親と兄のお墓に寄った。
「パパ、フェリックス、しばらく来られなくなるけど……ごめんなさい。それに、いつ帰ってこられるかも分からないの」
海沿いの小高い丘の墓地に吹く風は冷たく、まるでアメリの心情を現しているようだった。
南部へは乗合馬車で行くというアメリに対し、ビアンカは公爵家から馬車を出すと言いはり、旅の間もしもの時のために年配の侍女まで一人つけてくれた。しかも旅程に余裕を持たせ、途中で一泊することとなった。
クロードが旅費は全て公爵家が出すと言ってくれ、アメリが少しでも反論しようものならビアンカが自分も一緒に南部へ行くと言い出したりもした。
「アメリは遠慮し過ぎるし無理するから、やっぱり何だか心配だわ。私も同行します。休みが取れるかしら。ついでに久しぶりに実家でゆっくりしたいわ」
するとクロードが飼い主に置いていかれる犬の様な、何とも情けない表情をするのだった。アメリは新妻と少しでも引き離されるクロードが気の毒になり、結局折れて全て二人の手配に任せた。
(ジェレミーさまの言う通りだわ。副総裁さま完全にビアンカのお尻に敷かれているし……まあその、Mかどうかはともかくとして……)
出発前にアメリは怪我をして以来、新婚夫婦の邪魔ばかりしてしまったことをクロードにしっかり詫びておいた。
「私が出発したら、ビアンカとゆっくり二人過ごせますね。今まで大変お騒がせしました」
「まあそうなのだが、いや貴女が邪魔だと言っているわけではなくて、その。貴女が元気にならないとビアンカも心配ばかりするから、ええと……」
クロードは少し赤面しながら最後は尻すぼみになってしまっていた。アメリは微笑んだ。
「はい、何がおっしゃりたいかは分かります。お世話になりっぱなしでお礼の申しようもありません」
公爵家の馬車に揺られながら王都を去るアメリは、万感の思いで小さくなっていく街並みを眺めていた。
「さようなら王都、私の生まれ育った街……逃げるのではないのよ、私はいつも前を向いて生きていくわ」
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