第二十四話 善因善果

 翌朝、アメリは本宮の給与担当の部署に使いを頼んで文を出した。先日の書類を提出するためである。


 やってきたのはアメリと同じくらいの歳の若者だった。紺の文官服姿が初々しい。


「わざわざここ医療塔までお越しいただいてありがとうございます。アメリ・デジャルダンです。以前は王太子さま付きの侍女でした」


「はい、存じております。怪我の具合はいかがですか? 財務院所属の文官、アントワーヌ・ペルティエと申します」


「まあ、ペルティエさまはその若さで高級文官として就職されたのですか? とても優秀でいらっしゃるのですね」


 アメリは素直に感嘆したまでだったが、アントワーヌは少し驚いた。実年齢の若さに加え、優し気な容貌の彼はたいてい馬鹿にされて甘く見られるのだった。


 アメリはもしかしてこの少年が侍女仲間の噂していた人物かと推測する。いつの時代も女性は噂話が好きなのだ。


 王宮内での御三家と呼ばれる、いわゆる人気の男性のことである。


 それぞれの正装の色より黒の君は魔術師ジャン=クロード・テネーブル副総裁(残念ながら既に売却済み)、白の君は近衛騎士リュック・サヴァン中佐(次点はジェレミーらしい)、青の君は文官だが長い間空席だった。


 彼女らの会話はいつも下品な話に発展してしまう。


『文官では目ぼしい男性がずっと居なかったけれど、何とこの夏学院を出たばかりのピチピチ、すっごく可愛い男の子が配属されたのよ! 母性本能をくすぐられるとは正にこの事よね』


『お姉さまが手取り足取り教えましょう、って気になっちゃうー! 筆おろしして差し上げたいわ!』


『私は□□□□やXxXしてあげたいわぁ。OOOOooOでもいいわよー』


『やだぁ、貴女マニアックー!』


 アメリも経験は無いのに、周りの先輩侍女のおかげですっかり耳年増になってしまった。名前も確かペルティエで合っていたと思う。




 アメリは考えていたことはおくびにも出さず彼に尋ねた。


「てっきり先日この書類を持ってきてくださった方がいらっしゃると思っておりました」


「彼は別件で手が離せず、私が代わりに参りました」


 たかが書類一件のためだけに医療塔まで移動するのが面倒だったから、新人にアメリの件を押し付けたのがおおむね正しいだろう。


 アメリとて自由に動けるなら病室に呼びつけずとも自ら本宮に出向いた。なにしろ杖をついてよろよろと歩いて医療塔から出ようものなら、看護師かビアンカに捕獲されてしまうのがおちだ。


 この類の書類は専門用語で簡単な内容を無駄に難しく書いてあるので、署名をする前に数か所説明してもらってはっきりさせておきたかった。


「ペルティエさまもお忙しいところ申し訳ありません。この書類、恥ずかしいことに少々意味が分からない箇所があるのです。ちゃんと内容を理解してから署名したいと思いましたから」


 アントワーヌは書類にざっと目を通した。


「この、後遺障害認定後の異議申し立ての部分と、復帰支援支給金の給付の部分がちょっと」


「こちらの項はですね、例えばデジャルダン様が職場復帰不可能な障害が残ってなおかつ……」




 彼の説明により、何度読み返しても意味不明だった事柄がすんなり頭に入ってきてアメリは感心した。


「わあ、ありがとうございます。頭脳明晰な方に限って一般人には何が分からないかが理解できない人が多いのに、貴方の説明はとても分かりやすかったです。ただ敬語はやめて下さい。私は一介の侍女、でもなかったわ、今無職ですし」


「いえ、男爵家出身の私が子爵令嬢にそのような口をきくことはできません」


「え……? 私先ほどただのアメリ・デジャルダンと名乗っただけで我が家の爵位は申しておりませんよね」


「ええ。でも子爵家のご令嬢であることは存じておりました。私は王都近辺の貴族の方々のお顔とお名前くらいは覚えているだけですよ。一般的な常識として。それにデジャルダン様は先日の事件で少々有名になられましたから」


 穏やかな笑みを浮かべているこの少年はその若さゆえ、純真で経験不足に見えるだけだった。


「そうですか。それでもアメリと呼び捨てください。事情により侍臣学院を出て侍女として働いていたため、余りその、貴族としてかしずかれたり敬われたりには慣れておりませんので」


「はい。ではアメリさん、私のこともアントワーヌとお呼びください」


 何となく、アントワーヌには相談を聞いてもらえるような気がしたアメリだった。


「あの、アントワーヌ、あと五分ほど時間が取れるならもう一つ個人的な事柄で聞きたいことがあるのです」


「私でよければ何なりと」


「こちらなのですけど。他者には口外しないでもらえますか?」


 アメリはサヴァン家の小切手を見せた。アントワーヌの表情からは何とも言えないが、彼にはアメリが何故金貨五十枚もの大金を受け取ったかまでお見通しかもしれない。


「発行は王都銀行ですね」


「実は私、こんな大金の小切手を手にするのは初めてなのです。折角ですから有効に利用したいと思っているのですけど、どうしたらいいか分からなくて」


 アメリがそのお金をどう使いたいか言うと、アントワーヌはいくつか提案をしてきた。彼の助言により、アメリの心は決まった。


「我が家でも王都ではこの銀行と取引きしておりますので、うちの担当者にアメリさんのご希望の指示をしたためた紹介状を書きましょう」


「それは大変助かります。ありがとうございます」


「移動がお辛いかもしれませんが、アメリさんご本人が銀行に出向いてください。小切手に期限はありません。もう少し怪我が良くなってからでも大丈夫です。良かったら私か、我が家の執事が同行いたしますが」


「いいえ、私一人で大丈夫です。でも、どうしてここまでして下さるの?」


「アメリさんと親しいテネーブル公爵夫妻には、公私に渡り大変お世話になっているのです」


(私の交友関係まで知っているのね、もう驚かないけど。それにしてもビアンカたちと文官の彼、何の繋がりがあるのかしら?)


 アントワーヌは続けた。


「それに因果応報と言いますよね、善行にも同じことが言えるのです。人に親切にすると、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくると」


「アントワーヌ、貴方その歳で結構渋い事言うのね」


 アメリの言葉にクスっと微笑んだアントワーヌは、年相応の顔をしていた。



***ひとこと***

年上のお姉さま方に人気、やり手のアントワーヌ君の登場です。前作「世界」の『第十九話 惚気』ではまだ貴族学院に通っていました。この夏に卒業して王宮に就職した新人さんです。

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