第二十三話 人には添うてみよ

 アメリがリュックの求婚を断った数日後である、デジャルダン子爵が物凄い剣幕でやって来たのは。


「お前は何を考えておるのだ! サヴァン中佐に聞いたぞ。身分の低いお前の方から縁談を断るとは無礼でないか! 願ってもない良縁だというのに」


「お祖父さま、そんなに興奮されては心の臓に良くありませんわ。まあお座りください」


「これが落ち着いていられるか!」



「お断りしたのは私には身の程に余り過ぎる良縁だからです。サヴァン中佐には私が怪我を負ったことについてご自分を責めないで欲しいのです。それに世間では襲撃の責任を取って私をめとらされたと言われるでしょうし」



「お前も彼のことを好いているのだろう?」


「それは……」



「それに向こうもそうだ。あの襲撃事件が起こる前、サヴァン中佐からお前と結婚前提の交際許可を求められていた。公爵家の晩餐会の時だ。お前たち、子供の頃からの知り合いだそうだな。もちろん父親が平民だという事情もご存知だった」



「そんな……リュックが既に?」


「そうだ。中佐はお前の怪我は関係なく、前からもう交際を申し込むおつもりだったのだぞ」


「ぞ、存じませんでした」


「お前はいつも好き勝手やっておるだろう。私の許可の有無にかかわらず、うちの孫娘は嫁ぎたい所へは嫁ぐだろうし、嫌ならば梃子てこでも動かんだろう、と中佐に言ったら笑っておられた」


「そうですか……でもお祖父さま、惚れた腫れただけでは夫婦は上手くいかないこと、私たちは身に染みて分かっているではないですか」


「お前の両親のことはまた別だ」


「サヴァン伯爵夫人は昔隣に住んでいた私たち一家のこと、あまり良く思っていらっしゃいませんでした。伯爵家の方が私の様な者など、嫁として認めることはないでしょう」


 デジャルダン子爵は一瞬言葉に詰まってしまう。


「私は彼のことがたいそう気に入ったのだが。しっかりしたいい青年だ。まあ何だ、とりあえず今は怪我を治すことに専念しろ」


と残念そうに漏らした。




 そしてアメリが言った通りだった。リュックの母親ジョアンヌ・サヴァン伯爵夫人が直々にアメリの病室を訪れたのだ。


「申し訳ないのですけれど、先日息子が申し出たことは白紙に戻していただきたいのです」


「白紙に戻すも何も、私の方から無礼と承知ではっきりお断り申し上げましたが」


「それでも息子は貴女のことを諦めていないようですわ。あれ以来、食事もろくに取らず根を詰めて仕事に行っているようで、心配なのです」


 それはアメリの本意ではない。リュックには幸せになってもらいたいのだ。しかし何故伯爵夫人自ら医療塔の自分の所まで来るのか、アメリには理解しかねた。


「別に貴女に意地悪で申しているのではありません。ただ息子にはサヴァン家の長男として、それに相応しい人生を歩んでもらいたいだけなのです」


「ええ、お母上として当然の思いですわ」


 アメリは彼女の顔から目を逸らして続けた。


「では私に手切れ金を要求された、とご子息におっしゃってはどうでしょうか? 彼は日頃から私の拝金主義なところを非難しておられますから。それできっと私など愛想もついて吹っ切れることでしょう」


「……ではこれを。謝罪替わりですわ」


 伯爵夫人は小さな手提げバッグから何やら取り出した。アメリは自分がひどい顔をしているのが分かっていたので病室から出ていく彼女には顔を向けることなく、窓の外を見ていた。




 その日の夜、心配そうな顔のビアンカが訪れた。


「ビアンカ、こんな遅くにどうしたの? お屋敷に戻らなくていいの?」


「今日は主人が忙しくて残業しているから私も残っているの。貴女の様子はついでに見に来たのよ。何かあったの?」


「ねえ。私もう馬車で旅に出られるくらいには元気になったわよね?」


「距離にもよるけれど、まめに休憩して無理しなければ」


「そっか、じゃあ乗合馬車はもっと良くならないと無理ねえ」


「どこか気分転換に出かけたいの? そろそろ医療塔を出て自宅療養できるから、それもいいかもね。ねえアメリ、宿舎に戻る前にしばらく公爵家の屋敷に来ない?」


 ビアンカのその問いには答えず、アメリは続けた。


「ビアンカ、少し前にボション領のジェラール牧師さまが手伝いを探しているって言っていたわよね。まだ松葉杖をついて歩いている私だけど、出来ると思う?」


「アメリ、どうして今ボション領まで行きたいの?」


「ここだけの話、貴女の働きかけが実って王宮から十分な生活保障に見舞金まで頂いたの。ボションのおじさまのお屋敷に居させてもらえるなら滞在費は払えるし、小さな馬車と馬を向こうで調達すれば私一人で移動出来てご迷惑にはならないわ」


「お金や私の家族の心配ではないの! 私はどうして今ボション領へ行かないといけないのって聞いているの!」


「……そこの小机の上に置いてある紙切れを見てよ。金貨五十枚、サヴァン家の小切手よ。良くある展開だわ。大体こんなもの渡されなくっても身の程はわきまえてるっつーの! あのクソババアの前で格好良く破り捨てても良かったけど……世の中先立つものはお金なのよね……」


「アメリはそれでいいの? ここで逃げ出してしまって」


「ビアンカ、私は常々思っているのよ。結婚も事業も就職も、双方の需要と供給で成り立つものでしょう? 結婚の場合、経済的な安定、跡継ぎを産むこと、屋敷の切り盛り、身分の保証とか、お互い得るものがあるわよね」


 アメリは一息ついた。涙が出そうになったがこらえた。


「私の場合、リュックに与えられるばかりで何が出来る? 跡継ぎどころかこんな体じゃねやの相手も務まらないわよ。名ばかりの妻の座に収まって彼が外に愛人を囲うのを、指をくわえて見ていないといけないの? 愛人たちに対しても失礼よね」


「アメリ、よくそこまで悲観的な面ばかりを挙げられるわよね……」


「リュックの足手まといになりたくないの。それに、親に反対されて一緒になった夫婦の行く末は身をもって体験しているわ」


「そんな後ろ向きにならないで、馬には乗ってみよ、って言うじゃない? 何事もやってみないと分からないわよ」


「もう色々疲れちゃった。冬が本格的に厳しくなる前にボション領へ行きたいわ」


 ビアンカはアメリの手を握ってしばらく黙っていたが、ついに口を開いた。


「アメリ……冬もそう厳しくない南部で過ごすのは私も賛成よ。そうね、向こうでしばらくのんびりするのも体にいいかもしれないわね」




 その夜一人になったアメリは、


「さて、折角だからこれを有効利用しなくてはね」


と小切手を眺めながら呟いていた。

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