第十九話 思いもよらない見舞客
アメリの病室へは意外な人々が次々と訪れた。一人目はジェレミー・ルクレール中佐だった。公爵家の婚姻の儀も終わった今、彼とはもう縁が切れてしまったとばかり思っていたアメリは驚いた。
ジェレミーはなんと庶民の間で人気の娯楽小説など、本を山ほど持って来てくれた。
「寝たきりで退屈だろ、こんなのでも読んで気を紛らわせていろ」
「わぁ、こんなに沢山! このシリーズ、好きだったのです。懐かしい。いいのですか? ありがとうございます」
「もっと読みたければ姉上に頼んでやる、あの人の方が色々持ってるし、これらも全部姉上のものだ」
「でも王妃さまやジェレミーさまのような高位の貴族の方がこのようなものどうやって入手されたのですか!?」
「内緒」
「まさか繁華街の本屋に自らお出かけになるなんてことは……王妃さまならあり得ますね……」
「まあな。いやだから秘密だって」
王妃はこのような本を読み漁っていたから、あれほどまで俗語の語彙が豊富なのだとやっとアメリは分かった。男で騎士であるジェレミーの言葉遣いの悪さはギリギリ許容範囲内だとしても、王妃の発言には時々アメリでさえギョッとさせられる。
そこでふとジェレミーにビアンカの婚姻の日に言われたことを思い出した。
「ジェレミーさまがおっしゃった通りでしたわ。ああ、もったいないことしちゃった。人生で一番美しく着飾っていた婚姻の儀のあの日に……」
アメリはため息をついた。
「リュックともっと色々シておけば……彼だったら初めてを捧げても良かったのに。今の私はこんな姿に成り果てて、あんな機会はまずもう訪れないでしょう」
アメリがリュックを名前で呼び捨てにしていることにジェレミーは少々驚いた。
(既に名前で呼び合う仲かよ。姉上が首突っ込まなくても良かったんじゃねぇの?)
「何を弱気になってるんだよ。髪の毛は伸びるし、怪我は治る。そもそも人は見た目だけじゃないだろう。大丈夫、ちゃんと勃つもんは勃つ。自信がなければ灯りは消しておけ」
アメリの長く豊かな髪は魔法攻撃の熱で焼けてしまい、今は短く耳の下で切りそろえられていたのだった。
「あはは、ジェレミーさまと話していると気が晴れるし、元気が出ます」
「サヴァンのバカ、どこまで猪突猛進なんだか。見舞いにも来ずに突っ走っているらしいな。でも団長によるとほぼ首謀者は確定、もう少しで捕らえられるらしいぞ」
「リュックにはくれぐれも無理はして欲しくないのに」
アメリは窓の外、遠くを眺めながらつぶやいた。
「心配するな。サヴァンだって折角アンタに助けてもらった身で無謀な行動には走らないだろう。アンタの務めはアイツが帰ってくるまでに少しでも元気になっておくことだ」
「ジェレミーさまが私を気遣って普通に優しいことをおっしゃっている、変」
「言ってくれるじゃないか。エティエンを、幼いあの子を守ってくれてありがとう。じゃあな、アメリ」
ジェレミーはエティエン王太子を始め、甥や姪を可愛がっている。彼が特に王太子に懐かれているのは、アメリも侍女として王妃に仕えていた頃から良く知っていた。王太子が無事で良かったとつくづく思うアメリだった。
「今日はわざわざ来てくださってありがとうございました。貴方さまのお顔を見てお喋りできて良かったです」
短くなったアメリの髪をぐしゃぐしゃとして、病室から出て行ったジェレミーを見送った後、アメリはボソッと呟く。
「しかも初めて名前で呼ばれたわ、ますます変」
ところでジェレミーが貸してくれた本の中には、非常に良からぬ内容のものも含まれていたのにアメリが気づいたのは数日後のことだった。
更に意外だったのは母親のフランソワーズの訪問だった。
「久しぶりね、アメリ。元気、そうじゃないわね」
「久しぶり、じゃないわよ。アンタ今更どの面下げてやって来ているのよ」
「確かにね。ミシェルが亡くなってからは約束も反故だろうけど、お父さまの所に引き取られたから勘当された身としてはさすがにね。まあどう言っても言い訳にしかならないけど」
「約束って何よ」
「私が貴女とフェリックスを置いて屋敷を出るなら貴方たちには二度と会わないって約束。ミシェルから聞いてなかったの?」
「いいえ」
「フェリックスには本当に二度と会えなくなってしまったわね……可哀そうな子」
「……そんな約束なんて全然知らなかった」
「ところで、風の噂で貴女が侍女になったということは聞いていたわ」
「王宮の舞踏会で何度か見かけたわよ。私のこと分からなかったの?」
「すぐに分かったわよ。ますますミシェルそっくりになってきているのだもの。でも、夫のテリエンが一緒だと何となく話しかけづらくて。貴女、あのハゲエロガッパの好みど真ん中だから」
アメリは反応に非常に困った。
「そんなハゲエロオヤジでもパパを捨ててまで再婚する価値があったって言うの?」
「正直、ミシェルに会って貴女たちが生まれた頃が私の人生でも一番いい時期だったわ。本当に今更だけど。フランソワーズ・デジャルダンの座右の銘はね『ためらわない、振り返らない、愚痴らない』よ。だからもうこれ以上はやめておくわ」
「パパと結婚したこと後悔してないのね」
「するわけないわ」
「じゃあ『悔やまない』も座右の銘に加えときなさいよ」
「そんなことどうでもいいでしょ。私のことより貴女の怪我よ。ゆっくり休んでちゃんと養生しなさい。貴女のその真っ直ぐで正義感の強いところは、私でもミシェルでもなくて貴女のお祖父さま譲りね。こんな母親だけど貴女のことは誇りに思っているのよ」
フランソワーズが帰ろうとして扉を開けようとした時に、アメリは彼女の背中に向かって言った。
「ママ、ありがとう」
「その庶民的な呼び方されるのも嫌いじゃなかったわ。もし良ければまた来るわ。その時には家族皆が好きだったロシェのチョコレート菓子をたくさん持ってね。まあ食べ過ぎたとしてもダイエットは怪我が治ってからでいいわよね」
振り向かずそう言った彼女の声は少し震えていた。
アメリは祖父の他に時々父と兄の墓に供え物をしてくれていた人物が誰だか分かった。フランソワーズは自分たちの好物をまだ覚えていたのだ。
***ひとこと***
アメリママ、悪い人ではないのです。少し奔放すぎるだけなのです。でも再婚相手は最低なオヤジです。
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