第十四話 すれ違う二人

 騎士団に戻ったリュックは午後の剣の稽古で大いに荒れていた。確かに自分が悪かったとは分かっている。無理矢理アメリにキスしてしまったのだ。


「次、何をモタモタしている、かかってこい!」


 若手の部下達はこてんぱんにやられて全くいい迷惑である。


「よう相棒、どうした? 剣の筋が乱れまくってんなー」


 そこに呑気に現れたジェレミーだった。


(コノヤロー、人の気も知らないで! 全部お前のせいだぞ!)


 責任転嫁も甚だしい。リュックはウォーと叫びながら彼に立ち向かうが、もともと互角の腕前の二人である。集中出来ないリュックはあっという間にジェレミーに負かされてしまった。


 ジェレミーは地面にのびているリュックを助け起こそうと手を差し伸べるが、その手を借りることなく彼は立ち上がる。


「珍しいな、お前がそんな不調なのは。どうした?」


 何食わぬ涼しい顔で尋ねるジェレミーに、アメリとの関係を男のプライドが邪魔をしてどうしても聞けなかった。


「別に何でもねえよ!」


 自分でも大人げないと思いながらもフイとそっぽを向いてその場を去ったリュックだった。


「何なんだ、あいつ?」




 そしてその夜、行きつけの飲み屋でリュックは飲んだくれていた。同僚の騎士たちもちらほら居たが、虫の居所の悪そうなリュックには近寄り難く、彼は終始一人だった。


 飲み屋のおかみが見かねて声を掛ける。


「サヴァン中佐、もうそのくらいにしておきなさい。明日もお仕事でしょう?」


「イザベル、放っておいてくれ。今夜飲まずにいつ飲むんだよー」


「そんなことおっしゃっても。同僚の方々も何人かいらしたけど、皆さんとっくにお帰りです。リュックをよろしく、って言い残されて。私にこんな酔っ払い押し付けられてもねぇ」


 イザベルは店のピアノ弾きの少年に話しかけた。


「ねえニッキー、何かこのお方の気が鎮まるような曲弾いてくれる?」


「畏まりました」


「酔えないんだよ、今日ばかりはいくら飲んでも」


「十分酔っていらっしゃいます」


「新しいピアノ弾きか? ほら、酔ってないだろ。周りがちゃんと見えている」


「ええ、可愛い子でしょ?」




 リュックはぼそっと呟いた。


「自己嫌悪にどっぷり陥っているんだ、アメリに完全に嫌われた……」


「あら、今お付き合いされている方がいらしたの? 王宮一の人気を誇るサヴァン中佐をふる女なんて珍しいわね。やめて次行きなさい、次」


 リュックは酔っているが、恥ずかしくて誰にでも言えるようなことではないのは理解していた。イザベルの口の堅さは知っていた。


「いや、付き合ってるわけじゃない。幼馴染で少し前に再会したばっかりなんだ」


「ふうん、それでも彼女に嫌われたと落ち込んでいらっしゃる」


「色々苦労してるんだよ、彼女。だからかな、いつも心配になって俺余計なこと言ってしまって。それで今日何だかお互い喧嘩口調になってしまってさあ……」


「まあ、結構気の強い方なのね」


「そうなんだよ! 俺もちょっと頭に血が上ってたんだけど、減らず口ばかりたたくし、怒った顔もあまりに可愛くて……それでその、いや何でもない」


 イザベルは吹き出すのを辛うじてこらえた。


(幼馴染の女の子に嫌われたかもしれないって悩んでいるサヴァン中佐の方が可愛いわ)


「本気で怒ってたんだ。『リュックのバカー!』って叫んで走り去って行った。次に会った時になんて言ったらいいか分からない」


「素直に自分のお気持ちを伝えたらどうですか?」


「うーむ」


「このイザベルさんの言うことをお信じなさい。さあ、お水どうぞ。これ飲んでもうそろそろお帰りにならないと。馬車をお呼びしましょうか?」


 いつの間にかピアノは子守歌のアレンジになっていた。もう閉店時間のようだ。


「いや、いいよ。酔い覚ましに歩いて帰る。イザベル、世話になったな」


 リュックが去ってからイザベルはニヤニヤしながら独り言を言った。


「へーえ。あのサヴァン中佐もついに恋に落ちたのね」




 同じころ、アメリはアメリで眠れない夜を過ごしていた。一人宿舎の自分の部屋で悶々と呟いていた。


 口喧嘩というか、言い争っていたのに何故あんなことになってしまったか理解できなかった彼女である。


 アメリも学院時代からキスは何度か経験していて初めてではなかった。


「でも何て言うか、リュックとのキスは……体から力が抜けてしまうくらい素敵だったわ……でも彼にとってはキスなんて何でもないことだろうし、きっと呆れているに違いないよね」


 直前までは威勢よく文句を言っていたアメリなのに、リュックが口付けた途端に真っ赤になって大人しくなってしまって、その上『バカーッ』と叫んで走り去ってしまったのだ。


「はぁー、仕事で顔合わせるのが気まずいよー。でも、きっと私だけよね。リュックは絶対キスなんて日常茶飯事だから気にしてないわよね!」


 アメリは今晩床に入ってからもう何度目か分からない寝返りをうった。


「もっともバカ呼ばわりされることはそうそうないでしょうけど……」




 婚姻の儀が間近に迫ってくるとアメリも何だか慌ただしくなってきた。少し前にビアンカの母親スザンヌも南部から出て来ていた。


 ビアンカと共に再会を喜び、休みの度にルクレール侯爵家に滞在中のスザンヌに会いに行っては、買い物に出かけたり王都を案内したりと充実した日々を過ごすことができた。


 リュックのことはできるだけ考えないようにして、あれから仕事で顔を合わせても努めて何事もなかったかのように挨拶程度しかしていなかった。一方リュックは何か言いたげにしているようにも見えなくもなかった。


「何もなかった、何もなかった。自意識過剰よアメリ、あくまで自然に……」


 アメリはそうブツブツ呪文のように唱えるのだった。




 挙式一週間前にはビアンカの残りの家族全員が王都に出て来て、ボション一家との賑やかで楽しい時はアメリの気を大いに紛らわせてくれた。リュックとのことを忘れられるわけはなかったが、それでも少しずつ悩んで考え込むことも少なくなってきていた。

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