第十三話 遠くて近きは男女の仲

 王妃の作戦はアメリが思っていたよりもずっと功を奏した。


 アメリが東宮に行った日は休みだったリュックが翌朝出勤すると、騎士たちは噂話に花を咲かせていた。


「サヴァン中佐、昨日休みだったでしょう、惜しいことしましたね。この騎士団全体を揺るがす大事件を見逃しましたよ!」


「どうした、お前が昇進したって言うんなら大いに驚いてやるよ」


「中佐、それどころじゃないです、いや私の出世も大事と言えば大事ですが」


「お前の昇進以上に珍事って一体何だ?」


「あのルクレール中佐が、昨日美しい令嬢と食堂で二人楽しそうにお喋りしていたのですよ! あの女性ファンを全く寄せ付けないルクレール中佐が、です!」


「は? なんだそんなことか。あいつが女と一緒に居ただけで大騒ぎするようなことか?」


「どんな美人にも無表情で厳しいルクレール中佐が、彼女にだけは満面の笑顔を向けていて、食堂を出ていかれる時なんて二人寄り添って手をつないでいたとか!」


 噂に少々尾ひれがついているようであった。



「で、怖いもの知らずの某御仁が食堂の外で中佐に声を掛けて聞いたのですね。『お連れの方はどなたですか?』と。そしたら中佐はなんでもニヤッと笑って『デジャルダン子爵令嬢だ』と答えて彼女を引き寄せて肩を抱いたそうです!」



 ますます尾ひれがついている。興味を失っていたリュックだが、アメリの名前を聞いて手に持っていたコーヒーのカップを落としそうになった。


「おい、今何と言った?」


「はい、ルクレール中佐が彼女の肩を抱いて……」


「その前、女の名前!」


「確かデジャルダン子爵令嬢と。実は誰も彼女のことは良く知らないのです。どこかで見かけたこともあるような気がするのですが」


 それもそうである。アメリは社交界には縁がないし、騎士たちとは同じ学院には行っていない。侍女の制服を着てなかったからなおさらである。


「お前も見たのか、その令嬢とやら? どんな女だった?」


「私は食堂で見かけましたよー。長身で結構細身なのにグラマーで、茶色の豊かな髪の美人です。ドレスは桃色だったかな」


(アメリに違いない、でも何故だ?)


 デジャルダン姓の人間は他に知らなかったし、ましてや子爵令嬢となるとアメリ以外考えられなかった。リュックは慌てて長剣を取り、東宮を後にした。




 今日の王太子は午前中剣の稽古の為、朝からリュック・サヴァン中佐がついていた。


 同じく王太子のお供をするアメリは何となくリュックの視線を感じていたのだが、気にしすぎだと自分に言い聞かせていた。王太子に剣の稽古をつけているリュックは、子供相手でも剣の動きが冴えてないのがアメリには分かった。


(うわっ、今日のリュックは何をそんなにイライラしているのかしら?)


 その後、本宮で両親の国王夫妻と昼食を取る王太子にリュックとアメリもお供をした。


 そして西宮に戻る道を歩きながらアメリは王太子の話し相手をしていたのだが、ずっと押し黙っているリュックのただならぬ気配が気になっていた。


(何なのよ、朝からずっと不機嫌で!)


 西宮の入口にさしかかった時に彼がやっとぶっきらぼうに口を開き言い放った。


「アメリ、お前この後殿下をお部屋までお送りしたら休憩だろ、ちょっといいか、話がある」


「いいけど……」


「じゃあ俺も殿下のお部屋までお供するよ」


 王太子は自室に戻り、その後二人は西宮の庭に出た。


「あのさ、昨日ルクレールと東宮の食堂でイチャついてたのお前だろ?」


「イチャつくって何よ、私たちはただ夕食を一緒にとっていただけよ。リュック、貴方もあそこに居たの?」


「いや。あのルクレールが女と一緒に居るだけでも珍しいんだから、人の噂になるのは当たり前だ」


「だって私たち公爵家の婚姻の儀で一緒に付添人をするから、その打ち合わせっていうか」


「お前たち付き合ってんの?」


「だからただの打ち合わせだってば。何しろ女嫌いで有名なジェレミーさまですからね、付添人役もあまり乗り気じゃなかったみたいだし」


「おい、あいつはな、ただ面倒だから女嫌いな振りしてるだけだぞ」


「まあ、似非えせ女嫌いのジェレミーさまと仲良く出来て光栄だわ」


「なあアメリ、相手は次期侯爵で王妃の弟だ、お前なんか本気で相手にするわけないだろ」


 リュックはアメリがジェレミーさまと名前で呼ぶことが気に入らないのである。


 それに彼女のことが心配で頭に血が上ると、思わず言ってはいけない言葉を口走ってしまう。先日の舞踏会でもそうだった。


「私みたいな下賤の者はヤり捨てられて当然って言いたいわけね」


「ヤ、ヤりって、そこまで言ってないだろ!」


 リュックは生々しい想像をしてさらに頭に血が上った。アメリも売り言葉に買い言葉である。


「身の程は嫌というほどわきまえているわよ、私も! 仮に誰かとお付き合いして上手くいかなくてお払い箱になっても、私自身の責任でしょう?」


 だから付き合うんならルクレールなんてやめて俺にしておけ、と素直に言えないリュックだった。その代わりに庭の大木を背にした彼女の両肩をガシッと掴んだ。


「何言ってんだよ、お前!」


 そして思わずアメリの唇を奪ってしまったのである。


 驚いたのはアメリである。怒りに燃えるリュックの顔が突然彼女に近付いて来るので『何なのよ!』と言い返そうとしたところ、唇が塞がれてしまった。


 先程までの激しい口調とは裏腹な優しいキスを受けながら、アメリの頭は混乱していた。が体は正直で、彼の逞しい腕の中でとろけそうになってしまった。


 そしてアメリが両手を彼の胸板にそっと添えるとリュックは我に返り、小さくため息をつきながら唇を離す。アメリの両肩を軽く押して体も少し距離を置いた。


「ごめん……悪かった」


 アメリはハッとして彼の胸をどんと突き放す。


「リュ、リュックのバカァ!」


 その叫び声とともに駆け去ったアメリだった。一人残されたリュックは大木をげんこつでドンと叩き、うなった。


「クソッ!」




***ひとこと***

「ねえねえビアンカさん、ちょっと聞いてください! 私、先程近衛騎士の方にお腹を殴られて結構これが痛かったのです」

「まあ、大丈夫だった?」

「私たちも見たわよー。ビアンカさんのお友達のアメリさんが彼にキスされていたところもねー。チュンチュン」

「それでアメリさんが怒って逃げたので、私に八つ当たりです」

「えっ? その騎士の方ってどなたかしら?」

「長い金髪を束ねた人だったわ」

「アメリさんが『リュックのバカー!』って走り去る前に言ってたわよねー」

「あらあら……もう少し詳しく教えて下さる? うふふ」


以上、大木さんと小鳥たちがビアンカを囲んでの報告会でした。

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