第十二話 飛んで火に入る夏の虫

 ある日の夕方、アメリの宿舎に王妃の侍女であるレベッカが訪ねてきた。彼女の何とも呆れたような表情から何となく用件が推測できた。仕事帰りに王妃からの手紙を届けに来てくれたのだった。


 臣下の婚姻ゆえビアンカとクロードの式には出席できない王妃も、何かしらお節介を焼きたいらしい。


 その手紙には『マル秘! じぇらしーめらめら作戦の書』とあり、中を読むと王妃の命により、アメリは明日、騎士団にいるジェレミー・ルクレール中佐に手紙を届けないといけない羽目になった。


 侍女の制服ではなく、暖色で明るい色のドレスと服装まで指定されていた。髪型もひっつめ髪ではなく少しは華やかさを出せ、とのことである。


 そして手紙の最後はご丁寧にも妙な指示までされていた。


『このメッセージは五秒後に自動的に消滅しない。自分で燃やして処分するように』


 アメリはため息をつきながらそのマル秘手紙を燃やした。


「これって残業代つくのかしら? き、聞けない……」


 仕事の後、侍女の制服ではなく私服に着替え髪も少し下ろした。先日いただいたフロレンスのお古を手直ししていたので丁度良かった。


 簡素だが質のいい美しいピンクのドレスはアメリに良く似合った。


「テレーズさまも、もしかしてグルなの? 丁度タイミング良くドレスをくださったわよね……」




 王宮騎士団の稽古場等は東宮にある。そこへ出向き、本日の仕事が終わって戻っているはずのジェレミーをつかまえろ、との指令であった。


 稽古場にはお目当ての騎士を見にくる女性も少なくないので目立たなかったが、執務室や控室のある塔の方へ向かうとアメリは場違いもはなはだしかった。


 思わせぶりな視線を送ってくる若い騎士にやむを得ずジェレミーの居場所を尋ねた。


 多分執務室だろう、ということで案内までしてくれ、ついでに扉まで叩きアメリの来訪を告げてくれた。


(野次馬第一号ね。王妃さまの思惑通りだわ)


「ルクレール中佐、若い女性の方が火急のご用件でいらしてますが……」


「俺には用はない、追い返せ」


 ここで引き下がるわけにはいかない。


「中佐さま、私です、アメリ・デジャルダンです」


 王妃さまからの書類を、と言いかけたアメリをさえぎり再び中から声がした。


「なんだ、貴女か、入ってくれ」


 驚く若い騎士に得意げな笑みを見せてアメリは部屋に入り扉を閉めた。


「お仕事中失礼いたします。王妃さまから重要な書類を届けに参りました」


「書類自体は重要でも何でもないんだろうよ。アンタがそれを持って俺の所まで来ることが重要なんだろ」


「そのようですね。必ず中佐さまご本人にお渡しして読み終わられるまで帰るな、とのご指示です」


「読み終わってもアンタ帰れないぞ、次の指示がここに書いてある」


「はい? 今日のこの残業代は?」


「そんなん知るか。さあ行くぞ、晩飯は奢ってやる」


「夕食って、ど、どちらへ? まさか騎士団の食堂でございますか?」


「そのまさかだ。二人で周囲のさらし者になれ、との命令だ」


 何故か楽しそうなジェレミーとは裏腹にアメリは頭を抱えた。


 仕事を終えた騎士や護衛の者で賑わう食堂に二人が入ると案の定一瞬ざわっとして、皆が一斉にこちらを向いたようにアメリには思われた。もう腹をくくるしかなかった。


 一般侍臣のための食堂と変わらず、並んで自分の食事を選んで取り、支払いを済ませてから座る仕組みである。ジェレミーはためらわずに食堂ど真ん中の席に着いた。アメリもその向かいに座った。二人のすぐ側の席には誰も座らず、少し遠巻きに見られているようだ。


 執務室を出てからジェレミーは始終微笑んで、というよりはニヤニヤしているのに対し、アメリの方はどうも動きも表情もぎこちない。


「アンタな、そんな態度じゃ後で姉上に叱られるぞ。ここで二人仲良く食事を取れとの仰せだ」


「申し訳ありません。私には中佐さまの執務室まで参るのでいっぱいいっぱいでした」


 アメリにはリュックにばったり会うのを恐れていた、という理由もあった。この調子では彼にもすぐ知られてしまうだろう。


「あの、王妃さまは何を企んでおいでなのでしょう? 前回お部屋に呼ばれた時は私に花婿側の付添人を指名させようとなさいました。結局中佐さまに決まったようですが」


「俺を当て馬にして、アンタの相手の男を嫉妬させる作戦だとさ」


(そう言えばジェラシーなんとかって書かれていたわ、あの手紙)


「嫉妬作戦でございますか?」


「姉上によるとアンタは相手の名前を言わないし、ビアンカさんに聞いても知らぬ存ぜぬの一点張り、俺を使って奴をあぶり出したいんだってよ」


「嫉妬というのは私が恋するお相手が仮に居たとしてですね、その方が少しでも私に気持ちがある場合だけに起きる感情ではないのでしょうか?」


 リュックに迷惑を掛けたくない、彼はこんな周りから勝手に押し付けられる状況を良しとはしないだろう、という思いが顔に出ていたのか、ジェレミーはこう言った。


「俺が思うに、アンタまあまあイケてないこともないし、相手が誰か知らないけど姉上がここまで画策しなくても上手くいくんじゃないの? かえって姉上が介入してくる方がこじれるって」


「あの方を慕っておられる数多あまたのご令嬢を差し置いて、彼がわざわざ私を選ぶ理由が全くございません」


 自分が想う相手が居ると認めてしまったアメリだった。


「惚れた腫れたに理由なんかいらないし、それに仮にもアンタ子爵令嬢だろ? 子爵家から手を回して縁談をまとめてしまうことだって出来んじゃないの?」


「いえ、そんなとんでもない。私には幸か不幸か、いい縁談を取り付けようと姿絵を持って東奔西走する保護者はおりませんしね」


「じゃあ既成事実を作ればいい。惚れ薬でも睡眠薬でも盛ってヤッてしまえ」


 アメリはここで東宮に来て初めて笑った。目の前に居る彼は見た目だけは金髪に緑色の瞳を持ち、美しく上品である。見目麗しい彼には似つかない言葉遣いの上、この会話の内容だ。


「周りの野次馬の方々、まさか私たちがこんな内容のことを話しているとは思ってないでしょうね」


「二人でにこにこしながら他の男に夜這いをかける計画を立てていようとはな」


「とにかく、王妃さまの策略が上手く行こうが行かまいが、私たちは彼女の気のお済みになるように動くまでですね。そろそろ私失礼してもよろしいでしょうか?」


「よろしくない。一時間はここで仲良さげにしゃべくって、それから俺はアンタを西宮の入口まで送っていくというのが次の指令」


「えっ、そこまで。しょうがないですね。何のお喋りをしましょうか? あ、今お茶のおかわりをお持ちしますね?」


「アンタ今、侍女じゃないだろ。俺が行く」


 王妃の命令だろうか、今日のジェレミーは意外と優しい。アメリは一人になると自分の周りがヒソヒソと話しているのに気づく。


「もう、なるようになれ、だわ」


 周りを見回してもしリュックが居たら、と思うと気が気ではなかった。そこへお茶を持ってジェレミーが戻って来る。


「私、この王妃さまの計画は中佐さまだけに大いに利があるように思えてきましたわ。この目撃者の数ですよ、あっという間に中佐さまには私という意中の人が居るという噂が広まってしばらく心穏やかにお過ごしになれますわよ」


「少しの間だけはな」


 それから二人は婚姻の儀のことや、クロードがいかに骨抜きになったか、などと他愛のない話をして一時間食堂で粘った。


 そして二人席を立ち、一緒に西宮へ向かった。西宮の入口で別れるとアメリは宿舎へ、ジェレミーはその後王妃の部屋へ報告のため向かった。


「もう中佐はやめてジェレミーと呼んでくれ、だいたい中佐はもう一人居るだろう、ややこしい」


 別れ際にジェレミーはそう言うものだからアメリは自分が誰のことを考えていたか、彼にばれてしまったのかと少々慌てた。


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