第八話 給仕係の災難
大広間中の注目の的、ビアンカとクロードは国王夫妻に挨拶をし、ビアンカは最初クロードの父親と、次はクロードと踊っていた。その後はバルコニーにでも出たのか、姿が見えなくなった。
そこでアメリは黙々と仕事をこなす。
しばらくして彼女に声を掛ける者が現れた。
「おい、そこの女中、向かいのバルコニーに葡萄酒と水を持ってきてくれんか!」
なんと母の再婚相手、テリエン伯爵だった。連れも居ず一人で、かなり酔っている様子である。
母の方は先ほど若い男といるところをアメリは見かけていた。
「かしこまりました」
アメリはグラスを乗せた盆を持ってテリエン伯爵に続き、バルコニーに出た。大広間の熱気と対照的に春の爽やかな風が気持ちいい。
「グラスはそこのテーブルに置いてくれ」
「はい。では失礼いたします」
そこでアメリは腕をつかまれる。
「おい待て、お前いい体つきをしておるな。グフフ、銀貨五枚でどうだ?」
アメリは耳を疑った。
「はい? 何のことでしょう。私は大広間に戻らせていただきます」
「一晩可愛がってやると言っておるのだ、じゃあそうだな、金貨一枚やろう」
「ご冗談を、腕をお放し下さいませ」
「まあそう嫌がるな、フフフ」
アメリは盆を落とし、腕を振り払おうとするが伯爵は酔った老人のくせになかなか力強く、もう片方の腕も取られて壁際に追い詰められる。
そして酒臭いオヤジに抱きつかれてしまい、今度は自由になった両手で必死に押しのけようとしてみた。
「イヤだ、やめて!」
そこへ誰かがアメリの落とした盆でボッコンと彼の頭に一撃を加え、ひるんだところに腕をねじって押さえつけた。
「テリエン伯爵、ご無体が過ぎませんか」
リュックだった。
「イテテテ、この無礼者め」
「無礼なのはそちらでしょう。侍女に暴行をはたらくとは。この場に奥方をお呼びしましょうか?」
「リュック、それは止めて!」
「フン、あいつはあいつで若い男とよろしくやっとるわ!」
テリエン伯爵はそそくさと逃げて行ってしまった。
リュックは近くの椅子を持ってきて、その場に力なくへたり込んでいたアメリをそこへ座らせた。
「丁度通りかかったところで良かった。何かお前がお盆を持って酔っ払いについてバルコニーに出たからもしかして、と様子を覗いてみたんだよ」
「ご、後妻の娘に金貨一枚で夜の相手をさせようだなんて、知らないとはいえ悪趣味よ、へ、反吐が出るわ……」
アメリはガタガタと震えていた。リュックは彼女の背中を優しくさする。
「えっ、あのテリエン伯爵の今の奥方って」
「そう、私の母よ。パパを捨ててまで爵位とお金の為にあんなエロオヤジと結婚したのよ!」
アメリの目には涙がたまっていた。彼女は瞬きをして泣き出すのを堪えようとしているのがリュックにも分かった。
彼女が子爵令嬢という身分でありながら昼夜懸命に働いているのは母親の生き方に反発してなのだろうか、とリュックは推測する。
リュックは女性の流す涙というものが苦手だったが、この幸薄いアメリは自分の胸で思う存分泣かせてやりたいと思った。この気持ちがただの同情ではなく、恋だということを彼が自覚するのはもう少し後のことになる。
「あのクソオヤジはお前が何者か知らずに声を掛けてきたのか?」
「ええ、知らないと思うわ。私は母が出ていって以来もう十二年も会ってないもの。祖父のデジャルダン子爵も母とは全然連絡取ってないわ」
アメリは深呼吸をした。涙はもう乾いていた。
「それよりリュック、ありがとう。助けてくれて。まだお仕事中でしょう? お互い持ち場に帰りましょう」
「いや、今日はもう仕事は終わったんだ。さっき王太子殿下を部屋までお送りして、長剣は置いてきた。実はヘマをしでかしてね、王妃さまに今晩はもういいとおっしゃられてさ」
そう言われて改めて見ると、リュックは騎士服の上着は着ていなかった。
「それよりお前は大丈夫じゃないだろ、まだこんなに震えていて。責任者は誰だ? リゼットか、料理長か? 言っておいてやるからもう部屋に帰って休め」
「駄目よ、リュック。早退なんて出来ないわ。今晩の給金が入らないだけじゃなくて、今後仕事をもらえなくなるかもしれないから。私は平気よ」
「お前なあ、わずかな給金を稼ぐより自分をもっと大事にしろ。無理しすぎじゃないのか?」
アメリは目を見開いて思わず反論しそうになった。
『貴方にとってははした金かもしれないけど、私にはそうじゃないの。だいたい伯爵家の令息で近衛中佐のリュックには分かるわけないわ!』
ぐっとこらえて言葉を飲み込んだ。しかし、顔に言いたかったことが全部表れていたのだろう、リュックが気まずそうに謝ってきた。
「悪かった、言い過ぎた」
そして二人はしばし黙り込んでしまったが、その沈黙をすぐにアメリが破る。
「ところでリュックでもヘマすることがあるのね。何をやらかしたの?」
「王妃さまに副総裁とあの銀髪の令嬢を見張って二人きりにさせないようにしろ、と言われたのだけどね、副総裁が彼女と二人で瞬間移動を使ってどこかへ消えてしまって」
「あはは、そんなこと。貴方のせいじゃないわよね」
「その彼女だけどさ、何度も俺とは会ったことがあるんだってさ。でもどうしても思い出せない、この俺としたことが」
アメリは思わずぷっと吹き出してしまった。
「プレイボーイがかたなしね。銀髪の彼女の正体は良く見たら分かるけど?」
そしてアメリはちょっと変形してしまったお盆を拾い上げ、仕事に戻っていった。
「じゃあね、リュック。今夜は助かったわ。本当にありがとう」
リュックはアメリの後姿を見ながらつぶやいていた。
「ああ、気になる。どうして俺だけ分からないんだ?」
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