第二話 幸薄き少女

― 王国歴1020年-1024年


― サンレオナール王都



 アメリの父ミシェルはとりあえず屋敷を売った金で借金は返済し、王都中心部の借家に子供二人と移り住んだ。以前の屋敷とは比べようもなく狭く質素だったが、それなりに快適だった。三人家族は心機一転、新しい場所で生活を始めた。


 フェリックスやアメリも家計を助ける為に学業の合間を縫っては働いた。内職やパン屋の店番、配達などである。近所の教会に併設されている孤児院の子供達の世話もした。




 ミシェルは貿易業の仕事で、時々自らも船に乗り北部の街へ物品を買い出しに行く。フェリックスが十五になった頃からは彼も父親を手伝い、時々二人航海で長く家を空けることが多くなった。



 その度にミシェルは幼い娘を一人残して行くことに大層不安を覚え、不本意だったが留守の間は祖父のデジャルダン子爵の所へ身を寄せたらどうか、とアメリに提案してみた。


 アメリにしてみれば、今更よく知りもしない祖父の家に行っても肩身が狭いだけということが分かっていた。


「私はここでパパとフェリックスの帰りを待つわ。何かあったら角のパン屋のおじさんとおばさんか、牧師さまに相談するから大丈夫よ」


「そうか、まあデュプレさんや牧師様は頼りになるからね。いつも世話になりっぱなしで申し訳ないけど私も安心だ」




 そして七月のある日アメリは港まで二人を見送りに行き、ミシェルは乗船前にアメリをぎゅっと抱きしめた。


「私の小さな姫君には何をお土産に持って帰ろうかな? んー、でも馬車やお城と言われてもちょっと予算が……」


「もう、パパったら!」


「じゃあ行ってくるよ、美しいお姫様」


「早く帰ってきてね、パパ、フェリックス……」




 それを最後にミシェルとフェリックスは還らぬ人となってしまった。夏の嵐に巻き込まれ、船が遭難、沈没してしまったのである。アメリはたった十二歳だった。




 一人残されたアメリは教会の孤児院に転がりこもうとしていたところをデジャルダンの祖父に引き取られることになった。


 父方の親戚は遠方に叔母が居るだけで、ミシェルが景気のいい時だけはしょっちゅう連絡をよこしていたのに、事業が傾きかけてからは音信不通となっていた。


「パパ、ごめんなさい。ガニエの名前を捨ててしまって……今日からアメリ・デジャルダンと名乗ることになったわ……」



 屋敷を手放した後の環境の変化と、家計を助けるために働いていたこともあり、アメリは学校へはあまり行っていなかった。そして祖父の家に引き取られた後、一年遅れてやっと初等科を修了することができた。



 元々勉強は好きだったアメリである。しかし祖父は彼女がたかが初等科で留年したことに立腹していた。


「あの男は結局子供にろくな教育を受けさせなかったな」


 確かに少々いい加減なところはあったし、商才もない人だったがアメリにとってはたった一人の愛する父親であった。


 実の母親など、アメリ達を置いて出て行ったきり何の連絡もよこしてこないというのに。母は祖父とも縁は切ったままらしく、アメリは子爵家の使用人から後妻に入ったテリエン伯爵との間に二人子供ができたということを聞き出したくらいである。


 貧乏になってしまった平民の元夫との子供より、伯爵家の血を引く子供の方がよっぽど可愛いのね、とアメリは一人毒づいた。




「お前は年を追うごとにあの男に似てくる」


 祖父が時々アメリの顔を見てこう吐き捨てることが何よりも悲しかった。彼女自身は父親譲りの濃い茶色の髪とはしばみ色の目は誇りだったからである。




 アメリはいつの日か、デジャルダン子爵家を出て自立したいと考えるようになる。祖父もただ頑固なだけで根は悪い人間ではないのは分かっていたが、このままずっと子爵家の娘として暮らしていくことはアメリには出来なかった。


 ある日アメリは祖父に話がある、と彼の書斎の扉を叩いた。


「あの、六月に初等科をやっと修了できるので、次の学期からは王宮侍臣養成学院に進みたいと考えています」


「何? 貴族学院ではなく?」


「はい。先日侍臣学院の試験を受けて合格いたしました。成績が良かったので学費を一部免除してもらえることになりました。それから学院へはこの屋敷からでなく、学生用の宿舎から通いたいと思っています」


「お前は私に何の相談もなく勝手にそこまで! それ位の好成績なら貴族学院へもたやすく入学できるだろうが」


「いえ、私は生まれも育ちも卑しいので侍臣学院が身の丈に合っております。今までお世話になった子爵さまの意に沿わないかもしれないのは申し訳ありませんが」


 アメリはデジャルダン子爵のことをどうしてもお祖父さまと呼べなかった。十二歳で引き取られる前は幼い頃に一度会ったことがあるだけである。いつも子爵さまと呼んでいた。


「子爵さまには保護者として、こちらとこちらの書類にどうか署名をしていただきたいのです」


「好きにしろ!」


 声を荒げながらも子爵は署名してくれた。




 学院の宿舎に越す前日、アメリは子爵に最後の挨拶をした。


「今まで大変お世話になりました。子爵さまに引き取って頂けなければ私はあのまま学校にもろくに行けないままでした。どうかお体お大事になさって下さい」


「ああ……いつでも帰ってきていいぞ」


 アメリは驚き目を見開いた。


「え……はい。そうおっしゃってくださって……ありがとうございます」


 実際アメリはもうこの屋敷に戻るつもりはなかったのだが、純粋に子爵の言葉には胸を打たれた。




 翌朝、小さい鞄一つを持ったアメリは二年間世話になった子爵家を出た。その時に屋敷の執事であるベルナールから小さな茶封筒を渡される。


「お嬢様に、使用人一同から餞別でございます」


「餞別?」


 アメリはその茶封筒を手にし、すぐ悟った。


「先立つものはいくらあってもいいくらいだから遠慮せず受け取っておくわ。皆さま、特に子爵さまによろしくお伝えください。ありがとうございます」


 アメリを見送った後、ベルナールは一人呟いていた。


「旦那様、完全にばれておりますよ。それにしてもアメリお嬢様も旦那様に似て筋金入りの意地っ張りでございますね」




 それからアメリが学院を卒業するまでの間、季節ごとに子爵はベルナール経由でささやかな金銭を送り続けた。いつも使用人一同からの心付けという名目である。


 その都度アメリも気づかないふりで、使用人一同に礼状と子爵には近況報告の手紙を書いたのだった。

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