貴方の隣に立つために 王国物語2

合間 妹子

再会

第一話 幼馴染は騎士志願

― 王国歴1015年-1020年


― サンレオナール王都



 アメリがまだ小さい頃、ガニエ一家は幸せな家庭だった。父と母、三つ上の兄が居て王都の片隅の屋敷で楽しく穏やかに暮らしていた。



 アメリの父ミシェル・ガニエは貿易業を営む裕福な商人だった。母フランソワーズは子爵令嬢だったが、彼女は平民との結婚を父親であるデジャルダン子爵に反対され勘当されていたのである。


 それでも二人の結婚後数年の間、ガニエ家は笑いの絶えない普通の仲の良い家族だった。




 アメリが隣に住むリュック少年に出会ったのは五歳の時である。リュックの家はれっきとした伯爵家で、ガニエ家との付き合いはなかった。


 ある日アメリは兄のフェリックスと庭で遊んでいた。そして隣家の庭からせり出していたりんごの木から果実をもぎ取ろうとして塀によじ登っていたところ、隣の飼い犬に吠えられてしまう。


「アメリー、大丈夫か? 待ってろ、今何か踏み台になるものを探してくる!」


「大丈夫じゃない、落ちちゃうよう……」


 忠実な番犬に今にも飛び掛かられそうになり、慌てたアメリが足を滑らせて今にも隣のサヴァン家の庭に落ちる、という時に現れたのが庭で剣を振っていたリュックだったのだ。


「ランス、どうかしたのか?」



 動きやすい稽古着に、肩の下まである金髪を簡単にまとめただけの彼だというのに、アメリの目にはまるで父親が語ってくれるおとぎ話の中の王子様のように映った。同時にこうして犬に吠えられている情けない自分が恥ずかしかった。



 彼は犬のランスを鎮め、塀にぶら下がっている涙目のアメリを抱きかかえて、そっと地面に下ろした。


「隣に住む子だね。僕はリュック」


「あ、ありがとう。アメリです」


「さあ父や母に見つからないうちに裏口から出ていった方がいいかな。もうこんな無茶はしたら駄目だよ。りんごなら、ほら」


 リュックは果実をいくつかもぎ取ってアメリに持たせてくれた。彼の碧い目は優しく微笑んでいた。



 リュックは自分の母親が隣の一家のことをよく思っていないのを知っていた。伯爵夫人の彼女にとっては、子爵令嬢が商人ごときと結婚するなど汚らわしい、の一言に尽きるのだった。彼自身は子供心ながらに何がどう汚らわしいのか理解できなかった。



 それからアメリはリュックが庭で剣の練習をするのを塀の上からよく眺めていたものだった。犬のランスは直ぐにアメリに懐き、もう吠えられることもなくなった。


 アメリも幼いながら自分たち一家が周りからどう見られているか何となく理解していたので、リュックとあまり仲良く出来ないと遠慮していた。いつも梯子をかけた塀の上から顔を出すだけで、もう決して隣の庭に入ることはなかった。


 アメリが居る時にはリュックは練習の合間に必ず一言二言話すために、塀から顔を出している彼女の所までやって来てくれた。




 父親ミシェルの貿易業は結婚した頃一番利益が上がっていて、それからはどんどん低迷していく一方であった。二人の子供が生まれた後は借金とまではいかないが、やり繰りが段々と難しくなっていた。



 今までの贅沢な暮らしが出来なくなった母親フランソワーズは、日々ミシェルと口喧嘩をするようになる。そしてアメリが六歳のある日遂に子供二人を置いて家を出て行ってしまった。



 本来が我儘で自分本位で子供への愛情の薄い母親だったのだ。アメリやフェリックスは幼くして『金の切れ目が縁の切れ目』という言葉の意味を身にもって知る。



 フランソワーズはてっきりデジャルダン子爵に許しを請い、実家に帰ったものとばかりとミシェルは思っていた。ところが、しばらくしてやもめのテリエン伯爵の所へ後妻として入ったというのを風の噂に聞いた。




 ミシェルは度々アメリに呟いていた。


「フェリックスと君が居るだけで十分だよ、私の美しいお姫様」


「姫とフェリックスだけが私の生き甲斐だ」


 しかし、彼の寂しそうな様子は誰が見ても明らかだった。




 一度だけアメリの祖父、デジャルダン子爵が孫二人のことが心配で訪ねてきたことがあった。フランソワーズがミシェルと結婚して以来縁は切っていた子爵であったが、一応自分の血を引くフェリックスとアメリの存在は気になっていたのだ。



 アメリが初めて会ったモーリス・デジャルダン子爵は気難しく恐ろしそうな老人だった。この経済状態でミシェル一人では子供の面倒は見られないだろう、二人の子は引き取る、と申し出た子爵に対し、ミシェルは涙ながらに頼んだ。



「私にはもうこの子達しか残されておりません。子爵、事業も立て直し、子供には然るべき教育も受けさせます、どうか私から彼らを取り上げないで下さい」


「勝手にしろ!」


 子爵は呆れ顔でその一言を残し帰ってしまった。




 その夜ミシェルはアメリを寝かしつけながら彼女の長い豊かな茶色の髪をなでていた。


「アメリはいつまでも私の小さな姫で居てくれ。パパは心を入れ替えて働くよ」


「私もパパとずっと一緒に暮らしたいわ」


「そうだね。でも姫が王子様の許に嫁ぐ日までかなあ」


 茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせるミシェルだった。




 リュックは貴族学院に通い始め、将来は騎士になるために屋敷でも日々の鍛錬は欠かさない。アメリもいまだに彼が剣を振るっているのを塀の上からよく見ていた。



 サヴァン家は代々多くの文官を輩出してきた家であったが、リュックは剣や槍を持つ方が向いているのと、勉学の方は文官レベルには少し及ばないという理由で騎士を目指している。


「文官には弟のクリスがなるからいいんだ」


 ある日そうアメリに教えてくれたのだった。




 ガニエ家の財政は上向きになるどころかどんどん追い詰められていき、ついに屋敷を手放さなければならなくなった。


 子供心にも、今ここで引っ越してしまったらもう二度とリュックには会えないだろうということが分かる。アメリはリュックが鍛錬する姿を見られなくなるのが悲しかった。


 相手はきっと将来王宮に勤める騎士様で、片や自分は貧しい商人の子である。リュックは多分我が家の事情も知っているだろうと思いながら、アメリはただ報告するだけにした。


「今度引っ越すことになったの。今度の住まいは王都の中心部に近いところよ」


「そうか。俺は来年の春から王宮に騎士として勤めることが決まってね」


「まあ、おめでとう! 将来は近衛騎士さまね」


「ああ、最初はただの護衛からだろうけど、絶対近衛になってみせるよ」


「私、応援しているわ!」




 アメリはその後、家に帰ってから思いっきり泣いた。初恋の相手のリュックには子供っぽいと思われたくなくて、彼の前では涙を見せなかった。努力が報われて見事騎士になるリュックのことは純粋に嬉しいが、自分自身の惨めな境遇との差を恨んだ。



 実年齢よりも随分と成熟していたアメリとは言え、まだ初等科も終えていない子供では運命に逆らえなかった。アメリ十歳、リュック十七歳の冬のことだった。


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