こそROMねこ



 ねこが死んだ。享年21歳。老衰だった。

 出会いは偶然だった。道を歩いていると脇の草むらから突然、にゃあ、と 這い出てきた。親からはぐれたのか、そこに捨てられていたのかはわからない。ただ、拾いあげてみると、ヤニで目を開けることができないほどの仔猫だった。私の温もりに安心したのか、いっぱしにゴロゴロと喉を鳴らしている。

 当時私は生き物を飼う気などさらさらなかった。けれどもこの掌に乗る小さな命のゆく末を案じ、家に連れ帰ってきて貰い手を探す事にした。結局、 貰い手を探し得ないまま今日にいたり、そして最期を迎えたのだ。事情で外に出してやれず、室の中で過ごさねばならない苦労を強いた。気ままに走り回れない不自由もあったろう。それでも、苦楽を分かちともに暮らしてきた。よく21年も生きてくれた、そう思う。


 遺体を斎場まで連れて行く。事務手続きを済ませたあとそのまま火葬場までねこを運び込む。ダンボールに入れたねこの遺体を職員に渡すと、最期のお別れは良いか、と尋ねられた。例え死骸であったとしても、もう姿を見ることが出来なくなる、そう思うとやはり名残り惜しい。5分だけ、と時間をもらい、私はねこの遺体を再びダンボールから取り出した。

 かちかちに固まった遺体は触れば冷たく、否応なしにねこが死んだ事実を私は突きつけられた。けれどもその姿、丸くなって眩しそうに顔を前足で覆う様子は、生きているときのねこの寝姿そのものだった。呼べば、面倒くさそうに尻尾で返事を寄越す。身体を揺すって無理に起こそうとすれば、腹を立てて噛み付いてくる。そんな、錯覚を起こしそうな程、変わらないねこの姿に、きっと眠るように死んでいったのだなとの思いが浮かび、知らず涙が零れ落ちていった。痛い思い、苦しい思い、そんな時間がなかったであろうことだけが、少し私を慰めた。


 斎場を後にして、私は目的もとくにないまま、ふらふらと自宅近所を歩いていた。どうしてもまだ、ねこのいない家に帰る気が起こらなかったのだ。

 近くのコンビニでワンカップを買い、公園のベンチに座りちびちびと酒を飲む。休日を遊び過ごす元気な子供たちの声にいたたまれなくなり、すぐに公園を後にして再び道を歩く。ふと、側溝から私のねこに似た猫が飛び出してこちらを見ているのに気付いた。


「チッチッチッ」


 試しに猫を呼んでみたが、プイと何処かに走っていってしまった。

 いつかは人に譲ろうと名前を付けずにおいた私の「名無しのねこ」。道を歩けばどこにでもいそうな、普通の雑種の猫。それでも私が呼べば寄ってくる、ただ一匹だけの猫だった。

 当たり前の事実ほど、失うまで気付けないものなのかも知れない。私はなんとなしに空を仰いでいた。


 魂、という言葉がある。私はふと考えた。魂はひとがそれを発見して名付けた言葉なのだろうか、あるいは、死別の淋しさを少しでも紛らすために発明した概念なのだろうか。

 ねこの命はこの世で終わりを迎えた。けれどもその魂は呼び合い触れ合うことはなくとも、私の周りにいるのであろうか。聞こえなくとも、いっぱしに、ゴロゴロ喉を鳴らしているのだろうか。私に噛みつこうとして、噛みつけずイライラ尻尾を振っているのだろうか。


 本当のところはどうか分からない。それでも私は切に願う。


 ねこよ、互いに干渉し合えぬ身になったとしても、その魂は、草むらの中から、公園の木陰から、薄汚れた道の側溝から、おまえを亡くした私の余生を、どうか、こそこそROMっていてくれ。

 魂が実在するのか迷信であるのかはわからない。それでも、今日、明日、明後日と、こちらの事情もお構いなしにやって来る毎日を私はやり過ごさなければならないのだ。


 冬の夕暮れは足早に過ぎていく。まるで夜に変わるのを拒むかのように、陽の名残りが赤く空の端に留まっている。公園に戻るといつのまにか子供たちはいなくなっていた。先程の騒がしさが嘘のように、いまは静まり返っている。


「こそROMねこ」

 私は呟いてみた。


「名無しのこそROMねこ」

 再びそう呟いてみた。


 呟きは消えていく。風が吹き、散らされた落ち葉を舞い上げている。カサカサ、という音をその時、私は確かに聞いた。




 あとがき


条件:二千文字程度

課題:「こそロム」をテーマに落ちをつける


 「ROM」とは5ちゃんねる用語。リーディング・オンリー・メンバーの省略です。掲示板に書き込みをしないで、レスポンスのやり取りを見ることに専念する行為のことをいいます。

 つまり「ロムる」というのはネットスラングで、傍観するという意味合いが強いかと思います。

 本来、傍観という行為にこそこそも堂々もありません。けれども、掲示板の画面からは「ロムっている」状態を確認する術はなく、特定の人物が見ているのか見ていないのか、判断できる根拠はありません。推測の上での話となります。

 「こそこそロムる」というのは、「見ていない振りをして、本当は見ていたんだろう」という侮蔑を含んだ言葉になります。


 私が「こそROM」をテーマに何かを書いて見ろと課題を出されたとき、悩みに悩みました。そもそもネットにあまり詳しくないところに初の課題掌編への試みです。難航しました。そんな折、この作品にもある通り、私の飼っていた猫が死にました。このお話は脚色はあるにしろ実話なんです。


 掲示板の画面に言葉を綴る。すると、あたかもその画面に人物が宿っているような錯覚をおこします。画面の中にいる人物とそれを「こそこそロムる」存在。私はその関係性が

「この世」を生きる人間と「あの世」の住人である魂の存在に似ていると考えました。

 互いに干渉し得ぬ世界。その世界に存在を見い出すのは推測の域を出ない。けれども、推測であったとしても、そこに存在していて欲しい。私は「ねこ」の魂を「こそROM」者として見立てることで想いを描きたかった。


 この作品以降、私は「ロム猫」と呼ばれ、私もそれを気に入りペンネームに採用しました。

 私が「ロム猫」を名乗っている限り「ねこ」の魂は私の周りをうろついているに違いない、そう思っているからです。

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