永日掌編

ロム猫

禍福の縄

 「おはよう」そう声をかけると「おそよう」と返ってきた。夜更かしのせいで昼まで起きられなかった。

「昨日、遅くまでパソコンやってたでしょう? だから朝は起こさないでおいてあげたよ」

寝ぼけまなこでリビングに降りてきた私を責めるでもなく、妻はそういった。

「ああ、ごめんね。ありがとう。お掃除してくれてるの?」

忙しなく動き、キッチンを綺麗に片付けていた。

「うん、だって優くん寝てるし、ボーっとしてるのも勿体ないじゃん」

手を止め、私に笑顔を見せた。

「綺麗だね」

「まぁ、朝から頑張ったからね」

「いや、君がだよ」

そういうと顔を赤らめた。色白の妻はこころの変化が顔に現れやすい。

「もお! なに昼間から馬鹿いってんの! いまごはん作るから、座って待ってなさい!」

照れ隠しに怒ったふり。けれども、まんざらでもなさそうに、ふふっと笑いながら、私に紅茶を入れてくれた。

 お腹の子が安定期に入ったせいか、じっとして居られない性分の妻は、大事を取って安静にしていた時間を取り戻すかのように、テキパキと家事をこなしていた。レンジフードを掃除し、コンロを綺麗に拭き、シンクを磨き上げていた。

 私は紅茶をローテーブルに運びソファーにもたれ、手持ち無沙汰の慰みにテレビをつけた。時間帯のせいか、どのチャンネルもワイドショーばかりで、不倫と五輪の話題で持ち切りだった。他人の不幸も余人の栄光もいまの私には関心が持てない。居たたまれなくなり、テレビを消して窓の外を眺めた。三月の澄んだ空に日差しはあたたかく、時おり雀の鳴く声が聞こえる。背中からは音程を少し外した妻の鼻歌が、まな板に刻む包丁のリズムとともに流れてくる。しあわせだった。

 美人は三日で飽きる、そんな揶揄をした友人もあった。けれども、結婚をして五年がたつ今も、飽きるどころか日に日に妻を愛するこころは募る。朝目にすれば美しく、夕帰宅すれば愛おしい。器量も気立ても申し分ない。冴えない男である私が彼女と結婚できたことは僥倖という他なかった。妻という宝物を手にした私は冒険の人生をやめ、そのしあわせのうちに穏やかな余生を過ごせばいい、そのはずだった。

 欲目が出た。最初は小遣い稼ぎのつもりだった。友人から勧められFXなる金融取引に手を染めてしまった。失っても構わないほどの少額から始め、あれよあれよと貯金が貯まった。面白かった。才があると過信した。子供も授かり、ローンを組んでマイホームも建てた。金はあればあるほど良いに違いなかった。けれども私は金に対する感覚が麻痺していた。自分がしていることのギャンブル性を疑わず、錬金術のように金は生み出されるものと勘違いしていた。

 気がつけば、自分の裁量を遙かに超えた金を動かし、その金は昨夜の相場の乱高下に消え、負い切れない負債を抱えてしまったのだ。

 「ねぇ、お昼食べたらさ、買い物に出かけない」

 何も知らない妻は無邪気にいった。ああ、とだけ生返事を返す。

 私は死ぬつもりでいた。抱えた負債は努力でどうにかなるものではなかった。金融取引での負けはギャンブルのようなもの、破産申請は認められない、ネットにはそう書かれていた。八方塞がりだ。けれども自業自得だった。それはそれで仕方がなかった。ただ妻のことを思うと戸惑った。私を失い、家はローンだけが残り、女手ひとつで子を育てていく。突然姿を見せるこの世の地獄を彼女はどういきろというのだ。妻は私を憎むのだろうか。生計はどうしていくのだろうか。他の男と生きていくのだろうか。それとも、身体を売るまでに身をやつしていくのだろうか。考えるほどにそのどれもが耐えられるものに思えなかった。妻を残して死ぬべきか、そのことだけを私は思い悩んでいた。

 庭先に一羽の雀が舞い降りる。続いてもう一羽、その隣にやって来て、しきりに小石か何かを啄ばんでいる。チョコ、チョコと場所を移動し、小さな首をかしげるふりを見せ、やがて一緒に飛び去っていった。

 禍福のあざなえる縄。私は幸福のうちにその縄を切ってしまいたい。妻とのしあわせな休日の午後。それを過ぎ越せば地獄のような督促が始まるのであろう。

 「今日はいい日だね」

 何となしに妻を振り返り、私はそんな言葉を口にしていた。

 「そだねー」

 流行り言葉で私に微笑み返す。愛おしい妻。やはり私は彼女を、誰にも渡せない。


 今日はいい日だ。もう一度つぶやいた。


 今日は死ぬのにとってもいい日だ。



 あとがき


 お題掌編。5ちゃんねる某スレッドのコンペ参加作品。

 条件:二千字程度

設定

休日の午後、主人公は安らいだ顔でソファーに座っていた。後ろから洗い物の音が聞こえる。

オープンキッチンの向こうでは身重の女性が忙しなく手を動かしていた。鼻歌のような物も耳に届く。

振り返った主人公は心に思った。こいつを殺そうと?その動機とは。二人の過去に何があるのか。



ネイティブ・アメリカンの詩「今日は死ぬのにとってもいい日だ」の題名を借りました。本来は、美しい世界と愛する家族に囲まれ、天寿を全うする、そんな幸せな人生の終焉を迎えるなら、今日のような美しいいちにちのうちに迎えたい。

そのような意味あいの詩だと記憶しています。

様々な価値観のなか現代を生きる我々は、その幸福、不幸はめまぐるしく入れ替わり、ひょんなことで絶望の淵に立たされることもあります。

「禍福はあざなえる縄のごとし」その幸福の絶頂に、人生の終焉を迎えたい。それは、人間のもつエゴかも知れませんが、正直な気持ちでもあると思います。






 

 


 

 


 

 

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