幸せの肖像
妻が家を出てからどれくらいになるのだろうか、ふとそんなことを考えていた。気がつけばすれ違っていたふたり。いまは連絡もとれない妻を、私はただ待っているしか方法がなかった。
クリスマスイブの夕暮れ。家々の庭に飾られた電飾が光を放ちはじめる。雪だるまをかたどったもの、サンタとトナカイとソリを描いたもの、英語でメリークリスマスとだけ綴ってあるもの。
工夫を凝らし、それぞれ家庭の幸福を誇るかのように輝きを見せる。私は灯りのない我が家の庭を見てため息をつき、思わず言葉をこぼした。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」
そもそもクリスマスイブなんかに仕事を入れてしまったのがいけなかった。忙しさに我を見失い顧みることを忘れてしまっていたのかもしれない。 そんなつもりはなくとも、結果ぞんざいに扱っていたのだろう。
どこに原因を探したとしても、いまのこの状況を生み出してしまったのは私の過ちによるものだ。
失ってしまってから無くしたものの価値に気づく自分の迂闊さを、私は悔いた。
「あなたって本当にだらしがないんだから」
妻は私によくそう言っていた。
「無くしてからじゃ遅いんだからね」
思い出される妻の言葉はいつも小言ばかりだった。 言われる度に聞き流していたそんな言葉を、もっと真面目に聞いておけば良かったと、いまはそう思う。
隣の家からは夕食の匂いが漂ってくる。クリスマスパーティーが始まったのか、時おり楽しげな笑い声が漏れ聞こえてくる。
「確か小学生のお子さんがいたっけな」
そんなことを考えながらタバコに火をつけた。
食卓に並ぶご馳走とそれを囲む家族の風景。
端整な顔立ちの旦那さんと美人の奥さん。そして利口そうな顔をした男の子。 絵に書いたような幸せの肖像に、私たち夫婦とまだ見ぬ我が子のイメージを塗り重ねてみる。
妻は隣の奥さんを羨ましいといつも言っていた。 私への不満もあるのだろうが、やはり子供の存在も大きいのだろう。
寒さに澄み渡る夜空のなか、月が孤独に輝いている。私はタバコの煙をそっと空に向かって吐き出した。
「ちょっと、あなた何してるの?」
聞き慣れた声の方を向くと妻が両手に荷物をいっぱいに持って立っていた。
「玄関の前でタバコ吸わないでって言ったよね! 匂いが家のなかに入ってくるんだから!」
「やあ、遅かったね。おかえり。もう帰ってきてもいいころなのになぁなんて思ってたところだよ、家を出たのが遅かったのかな?」
私は慌ててタバコを消し、媚びるようにそう答えた。
「予約しておいたのにケーキ屋さんですっごい待たされたからね。それよりなんで電飾つけないの? うちだけ真っ暗じゃない!」
「いや、君の帰りを待っていたんだよ。実はその……家の鍵を落としちゃってね……中に入れないんだ。はははは……」
妻の顔色が変わっていく。
「はあ? また? この間は財布、今日は家の鍵! あなたって本当にだらしがないんだから!」
「いや、今日はイブのせいか忙しくてね。いつもは大事にポケットにしまっているのに、どこに落としたんだろう?うっかりしてたよ」
「忙しいかどうかは関係ないでしょ! 常にポケットの中を確認する! 自分の行動を顧みる! 無くしてからじゃ遅いんだからね! 」
思っていた通りに小言が始まる。私は話題を変えた。
「それより、携帯電話は直ったの?」
「直ったよ。原因はよく分からないけど夕方には使えるようになったから。もう繋がるよ」
「そう、よかった。ねえ、とりあえず家に入らない? 寒くて凍えそうだ。 今回は鍵のありがたさを思い知ったよ。鍵がないだけで、まるで他人の家だ」
「もう。しっかりしてよね。本当に。来年はもうお父さんになるんだからね」
妻は小言を残しさっさと家に入っていった。
そう、私は父親になるのだ。
借家住まいのストレスからかはわからないが、なかなか子供ができなかった私たちも、中古の建て売りを購入し、 新居に越してしばらくするとようやく子供を授かった。 そうだ。もっとしっかりとしなければならないのだ。生まれてくる子供の為にも。
私は妻へのクリスマスプレゼントをぐっと握って決意を新たにした。
ここに越してきてから度々壊れる妻の携帯電話。連絡が取れなくなることも少なくない。 少し値は張ったが最新のモデルを購入した。妻はプレゼントを喜んでくれるのだろうか。 隣からはまた、楽しげな笑い声が漏れ聞こえてきた。
私は私たちの幸せな家庭の風景を再び想像してみる。 けれども、その子供の映像だけは何故か、お隣さんの子供のイメージを拭うことができなかった。
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