よるのうみ
木牌子
よるのうみ
近所の公園のブランコに腰かけ、足をぶらぶらと揺らしながら夕焼けの空を見上げる。今日は晴れていてよかった。傘をさすのは億劫だし雨に濡れるにはまだ寒い。家にはまだ帰れないのでいつも通りスマホゲームを開く。これがここ数日の私の放課後のルーティンだった。公園で夢だけを描いて無邪気に遊ぶ子どもたちを見ていると、何も考えずに幸せだった頃を思い出す。
「久しぶり、こんなところでどうしたの。」
いつもとはイレギュラーにかけられた声に振り返ると、中学で離れてしまって久しい幼馴染がいた。
「びっくりした。そっちこそどうしたの。」
「ただの学校の帰り道だよ。久しぶりに見かけたら思いつめた顔してるし寂しそうだったから声かけちゃった。」
「寂しそうだった?」
「うん。すごく寂しそうに見えた。で、何かあったの?」
寂しそう、という言葉に驚きはあったけれど、今の自分を的確に言い表している気がして、ついするっと口から言葉が出てしまう。
「……家に帰れないの。居場所がなくって。」
彼女は少し驚いた様子で目を開き、そして悪戯っぽく輝かせる。
「ね、一緒に遠くまで逃げてみようよ。私も丁度嫌になってきていたところだったんだ。」
「遠くってどこまで?」
「うんと遠く。まずは海を目指そうか。」
彼女の提案はとても魅力的に思えて、気がつくと私は首を小さく縦に動かしていた。
私は家から財布とスマホだけを持って家を出てきたが、彼女は自転車に乗っていた。交代でこげば疲れない、という彼女の提案に私は自転車の後ろにのり彼女の腰に手を回す。月が明るく見えはじめていた。
自転車は夜風を受けてぐんぐんと加速していく。風になびく彼女の髪からほのかに香るシャンプーの匂いと自転車の心地よい揺れに酔いながら、私の中でうごめいていた黒っぽい何かが綺麗になって流れていくような感じがした。
海の匂いがしてきたのはもうすっかり暗くなって星が瞬く頃だった。
「真っ暗で海なんか見えないね。」
「見えなくても匂いがするし音も聞こえる。連れてきてくれて、ありがとう。」
彼女はまじまじと私の顔を覗き込む。
「その様子だと大分すっきりしたみたいだね。」
「うん。」
私は心の中の『黒っぽい何か』だったものを少しずつ言葉にして吐き出す。
三年前に父が亡くなり、母はついこの間再婚をした。母の幸せを祈る気持ちも、私のためであることもわかっているけれど、気持ちの折り合いをつけることができなかった。
「海を感じて、沢山の星を見て、お父さんに背中を押されたような気がした。ここまで来れてよかった。」
彼女はにやっと笑う。
「それで、今日はこのあとどうする?」
私は海の匂いをすっと吸い込んだ。
「家に帰る。そうして、ちゃんと話すよ。私の居場所はあの家にしかないから。」
「それがいい。私もあなたと一緒にここまで来れてよかったよ。」
自転車に戻ろうとする彼女の腕を思わず掴む。
「もっと大人になって、もっと自由になれたら、もっともっと遠くまで連れて行ってよ。」
彼女の目が『逃げよう』と言ったときと同じように悪戯に輝く。
「今度は連れて行くのでも逃げるのでもないよ。二人で一緒に遠くまで行こう。」
まだ見ぬ未来の約束になんだかおかしくなって、私たちは思わず吹き出した。
よるのうみ 木牌子 @wooden_doll
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