一犬が去ってまた一猫②




 唐突だが、こんなことわざをご存知だろうか。

《犬も歩けば棒に当たる》諸説はあるが、何かをしようとすると、思いがけない災難に直面するという事らしい。コッファーシュがバビロニア軍の”犬”なら棒は自分達の事だろうか。さて、果たして災難だったのはどちらだったのだろう。

 こんなことわざも有る。《猫の前の鼠》これは、猫の前では逃げることも戦うことも出来ない鼠の様子を表現している。これが表す意味とは……


「隼勢っ! ちょっと聞いてる?」

「うぉっ! …………スマン、考え事してた」


《新日本国・国防軍サヌーキー病院》

 意識不明の状態で此処に担ぎ込まれて、はや二日。死の淵より舞い戻ってきた隼勢を待っていたのはアクシアの抱擁と明日香の涙、そして理不尽すぎる修羅場だった。


「えいっ」

「あいたっ!」

 明日香が手に取った紙コップの束を、隼勢に投げつける。紙コップは隼勢の左顔面にヒットした。

「まったく! 隼勢もボーッと生きてたんじゃ駄目だよ!」

「すいません……」


 明日香が怒っている。


「今回は間一髪助かったから良かったけれど…… もう少しで死んでたんだよ、隼勢!」

「ハハッ…… そうだね、死にかけたよ」

「笑い事じゃ無いよ。貴方もそう、アクシア! 下ばかり見てないで何か言いなさいよ!」


 悲しげな顔で俯くアクシア。隼勢がヨアンから聞かされた事の顛末はこうだ。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 時系列は二日前にさかのぼる。アクシア達がバビロニア軍のコッファーシュ部隊と、遭遇してから反日が経とうとしていた。国防軍のサヌーキー基地へ、無事に支援機と物資を届けた明日香とパートナーのヨアンは隼勢達の到着を祈る様に待っていた。到着後、検品を待たず直ぐにでも捜索に出ようとした明日香とヨアンだったが、西山博士からの許可は下りず基地の休憩室でやきもきしていた。

 つい先程、一号機が見つかったとの報告が、別の作戦で行動していた国防軍よりもたらされた。一緒に帰還するとの事に一度は安堵の息を漏らした明日香達ではあったが……


 休憩室に兵士の声が響く。

「おい、一号機が戻って来たぞ!」

『あっ! 明日香、ちょっと待って』

 その刹那、制止を促すヨアンを気にも止めず、明日香は休憩室を飛び出していた。

「隼勢、アクシア!」


 安堵の笑みを浮かべ滑走路の脇へ駆けつけた明日香。

 その目に飛び込んで来たのは…… 機体の所々を撃ち抜かれ、白煙をなびかせながら着陸するアクシア姿だった。アクシアはふらつきながら着陸体勢に入り、ライディングギアを降ろさぬまま胴体から着陸した。激しく火花を上げながら滑走路を滑る様に現場の誰もが凍りつく。明日香とヨハンは唖然としめ立ち尽くしていた。百メートル程滑り、最後は斜め前に機首を向け停止したアクシアは、たちまち炎に包まれる。


「嫌ぁああああ!」

「どけっ! 邪魔だ!」

 発狂する明日香を耐火服に身を包んだ兵士が突き飛ばす。よろよろと振らつく明日香を慌ててヨアンが受け止めた。


「消火班急げ!」

「はい!」

 科学消防車が赤灯を回しながら猛スピードで迫って来た。

「消化剤散布初め!」

 消防車の上部に備え付けられている放水銃が、アクシアを捉える。管制塔より消火班の指揮官の元に、アクシアとの交信について連絡が入る。

「搭乗員の安否不明。同乗のヒューマノイドは錯乱状態との第一報」

「救急隊、何時でもどうぞっ!」

「よし、消化剤散布止めッ! 整備班、キャノピーは開けられそうか? 」

「駄目だ! 電源ロスト、反応無し」

「油圧スプレッダーを使え」

 消火班が巨大な工具でキャノピーをこじ開ける。機内から助け出された、ぐったりとした隼勢と泣きじゃくるアクシアが救急車に、乗せられた。


「隼勢っ、隼勢っ、目を覚まして隼勢!」

 救急車が病院に到着すると、隼勢を乗せたストレッチャーを看護師達が手際良く収容する。その傍らでアクシアが必死に声をかけ続けている。院内に入ると照明に照らされた短い廊下だった。その突き当たりに救命処置室が有り、隼勢を乗せたストレッチャーが滑り込んで行った。

 呆然と処置室の前で立ち尽くすアクシア。後から追いついた明日香達に気付いて、ゆっくりと振り返る。その表情は泣き疲れて、視線には生気も感じられない。ツカツカとアクシアの前に明日香が歩み寄る。


 パン!


 明日香の右手がアクシアの左頬を打った。


 明日香の目にも涙が溢れていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 そして今に至る。


「おしゃべりは済んだかしら?」

 明日香が語気を荒げる。

「あ、ああ……」

 明日香の視線に気圧されてしまう。

「アクシア、私、前々から言ってたわよね。真面目にやってって」

『…………』

「また黙り? あなた何時も都合悪くなると黙り込むよね」

『ごめん……』

「自覚はあるんだ? だったら学習しなさいよ。あなたAIなんだから」


「明日香」

 たまらず隼勢が間に割り込む。

「何? 隼勢」

「言い過ぎだ。 AIは関係ないだろ」

「関係あるわよ!」

 明日香の厳しい視線が隼勢を射抜く。ただ厳しいだけではない、見た者を萎縮させてしまう威圧感と、何でも見透かされてしかまうような洞察力を伴って、隼勢の追撃を封じ込める。

「貴方は人間だからとか、AIだからとか、差別するなと言いたい訳? するわよ、アクシアは友でもあり、仲間だけどAIはAIなのよ。ヨアンだってそう。大事なパートナーだけど、人間だとは思ってないわ」

「おい!」

『良いんだ。隼勢!』

「良くないだろ! 悔しくないのかヨアン!

 仲間だろ! 」

 ヨアンは静かにがぶりを振った。


『NHIでは僕らヒューマノイドも、人間と同様分け隔てなく接してもらえてるよ』

「でも!」

『だけどね、僕らはとは思っていても、思っていないんだ』

「えっ……」

 隼勢が唖然とする。アクシアに視線を向けるがアクシアは俯いたきり此方へ振り向こうとしない。ヨアンが続ける。

『当然僕達はヒューマノイドだから人間では無いのだけれど。メンタルの話でって言うのかな…… 隼勢は今NHIで活動しているヒューマノイドがどれだけ居るか知ってる?』

「えぇっ!? ……いや、そのっ…… アクシアとヨアンの他には……」

『気付いて無かったんだね。彼処あそこには二百体程のヒューマノイドが居るんだ』

「二百体も!」

「そうよ。アクシアやヨアンの様な戦闘機を統制している”コンダクター”の他にも、昼夜問わず激務に晒される整備士や、他のセクションのクルー、レストランのスタッフにだって彼等は居るのよ」

『ここだけじゃないよ。国防軍にも居るそうだし、他の国にも勿論居る。軍事秘密で詳しくは解らないけどね』

「そ、そうなのか」

 唖然とする隼勢。アクシア達の存在でさえも最初は正直驚いたし、戦闘機と一体となっている事で《科学の粋を集めた最先端の軍事機密》なのだろうと勝手に理解していた。


「彼等は自分達の仕事に誇りを持っているし、ヒューマノイドや人間の得手不得手を理解しているわ」

『棲み分けっていうのかな。少なくともNHIの中では、お互いの立場を尊重し上手くやれていると思う』


 確かにそうなのかもしれない。実際、隼勢は何の違和感も無くNHIで数日過ごしていた訳で、人間と多数のヒューマノイドが混在しているなどとは夢にも思っていなかった。

勿論もちろん、僕にも他のヒューマノイドがどんな思考をしてるかまでは解らないけどね。だからこの考え方は僕の身の回りの、彼女やNHIで働くヒューマノイド達で共有されている物と断っておくよ』


 ヨアンがアクシアを一瞥いちべつする。


「アクシアと同じ……」

 隼勢は胸にモヤモヤとした息苦しさを感じた。それが何なのか解らないもどかしさを残して。

『問題はね…… アクシアはAI搭載型の戦闘機として、作戦任務の遂行と、搭乗していた隼勢を無事にサヌーキーまで送り届け、状況によっては再度NHIまで連れ帰る義務があった』

「しかし実際は私達が率いる輸送部隊の護衛任務を放棄し、あろう事か隼勢が搭乗しているにも関わらず戦闘事態にまで至った」

「あれは仕方なかったんだ。バビロニア軍の編隊に囲まれて……」

「だから攻撃したと?」

「先に仕掛けてきたのは向こうだ!」

『確かに仕方が無かったのかも知れない。でも隼勢は軍人でもなければNHIに属している訳でも無い。一般の高校生だよ』

「ヨアン……」

「だからアクシアは攻撃を受ける前に、いや受けた後でもいいから空域を離脱すべきだったの。そしてアクシアにはそれが出来た」

「……」

 隼勢がアクシアに視線を送るが彼女は顔を上げようとはしない。


「その軽率な判断が輸送部隊の全滅の危機や、隼勢の生命に関わる事態にまで及んだわ。

 いい? ……輸送部隊が壊滅したら、サヌーキーで医薬品を待つ傷ついた人達はどうなった?

 救援物資を今か今かと待っている人達はどうなった?

 残された機体で基地や避難所を護り、戦闘機の補充を受けるはずだった国防軍の兵士達はどうなった?

 そして隼勢、貴方が死んでいたら……」


 重苦しい空気が病室を支配する。


「また、やっちゃったわね」


明日香の手は膝の上で小さく震えていた。彼女の「また」が何を示しているのか解らなかったが、隼勢には返すことか出来なかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 同時刻、サヌーキー沖 五十キロ地点


 倉庫の様な広い空間で一人の男がかぶりを振る。

「おい、ちょつと手を貸してくれ」

「ああっ?何だよ」

 男に呼ばれ、面倒くさそうに奥から別の男が歩いてくる。

「俺も忙しいんだぞって…… おぅ、俺はパスな。アジア人の女は抱く気が起きねぇんだ」

「くだらん冗談言ってないで、運ぶの手伝えよ」

「あと、少女趣味でも無い」

「五月蝿い。お前が酒場で口説いてた娘と変わらねぇよ」

「そうなのか? ……本当だ、これで十六歳か。アジア人は幼く見えると言うがホントだな」

「早くそっち持てよ」

「で、この娘は……」

 少女の身体には至る所に火傷があった。辛うじてブレザーが焼け焦げてはいるが制服の体をなしている。

「ああ、もう駄目だ。長くは持たんから【アイスボックス】へ送っとけとさ」


 男達は虫の息の少女を荷台に載せると、倉庫の奥へ少女と共に消えていった。


 洋上に黒光りする大きな船が浮かんでいた。地球で云う”船”とは程遠いエッジの効いた武骨な姿の船である。そして一目瞭然で解る従来のそれとの違いは洋上でも海面ではなく空中に浮かんでいる事なのである。


 バビロニア空軍・第三機動艦隊 輸送艦〔ファルハ〕、

 全長・二百五十メートル

 全幅・四十八メートル

 全高・五十二メートル

 アラビア語で『雌鳥』と名付けられた輸送艦の上部甲板に続々と小型の強襲揚陸挺〔ゴラーブ〕が着艦している。

 艦内にはゴラーブから下ろされた大量の物資が積み込まれていた。破壊されたサヌーキーの街から強奪してきた物である。

 そしてその中には捕虜として捉えられたサヌーキー市民二百余名の姿もあった。


 輸送艦ファルハのブリッジ内はピリピリとした緊張感に包まれていた。


「艦長、〔 グニック〕より収容作業を急ぐようにと」

「わかっとるわい!」

「はっ!」


 その中でも一際目立っているのは、艦長席にて足を組みふんぞり返っている大男、シャワディヒン=アブドゥッラーである。二メートルはあろうかという体躯に整えられた口髭、目深にかぶった軍帽は彼のトレードマークだ。そんな如何にも堅物そうな大男は上半身を少し起こすと、鋭い目線で巨大なモニターを注視した。

「あとどのくらいかかる?」

「はっ! 最後の急襲挺が間もなく着艦するとのことで、十分程かかると……」

「遅い! 五分で済ませろ」

「はっ!」

「総員、発艦準備」


 アブドゥッラーの号令により、ブリッジ内が一気に騒がしくなる。そこへ副艦長のザヒードが現れた。

「艦長、〔ディーク 〕より報告です。数日前より行方不明となっていたコッファーシュとみられる機体を一機回収したとの事です」

「ハァン? 敵の揺動に使ったアレか」

「御意。フライトレコーダーに記録されていた画像によりますと、揺動に失敗した模様で……」

「もうよい! あんな骨董品など初めからあてにはしておらぬわ!」

「解りました。あと艦長、画像の中に未確認の敵の戦闘機とみられる機体が確認出来たのですが」

「捨ておけ。リンデマンがどうにかするだろ」

「はっ!」



 随伴している軽空母〔 ディーク雄鶏〕・駆逐艦〔シャーヒーン〕・同〔ニスル〕を引き連れて、輸送艦〔 ファルハ〕が動き出す。



 轟音を響かせ、艦隊は一路バビロニアへ移動を始めた。







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