知りたいアイツと知られたくないワタシ
西暦 二千百十五年 四月二十日
「名前ですか?
信じられない事ばかりが起きた日の次の日。泥のように眠った隼勢は、朝から西山博士に呼ばれていた。
穴が有ったら入りたい。顔から火が出そうなくらい、恥ずかしくてたまらない。こうして事情を訊かれている間にも、廊下側の窓から顔を覗かせる女の子二人組に笑われた。顔は覚えた。絶対に忘れないでおこう。そう心に誓った。
『ごめんなさい~。もうふざけたりしませんからぁ』
仕切られた部屋の奥の片隅ではアクシアが罰として”小学三年生 漢字の書き取りドリル[覇王]”をやらされている。見た目は高校生と言われても不思議ではない女の子が泣きながら漢字のドリルをやる姿。実にシュールだ。
「あのー…… 彼女、AIですよね?」
「その通り。我が社が誇る最新鋭だ。何か変かね?」
西山博士がアクシアを眺めながら笑っている。
「君は、『なぜ人工知能が漢字の勉強をしているのか?』ということが疑問なのだろう? 勿論、人工知能が開発された初期の頃とは違い、今は”ある程度”の知識は最初から与えられて造られている物もあるが……」
そう言うと博士は、部屋の片隅に造られた喫煙ブースに向かい煙草に火をつける
「私はね、そんな”物”には興味がない。無論、アクシアは最新のAIではあるが、何処か旧世代的なアナログっぽさも付け加えたかったんだよ。だから製作当初は人間の赤ん坊と大差ない。学習スピードも人並みだ。だが、地頭は最新鋭のソレなのでタスクの処理速度は素晴らしいよ」
「つまり、しっかりと土台は出来ているので学習させれば人並み以上になれると。でもそれじゃあ従来のAIと変わらないのでは?」
「私が与えたかった物というのはね、”自我”なんだよ」
「自我……ですか?」
「そう。”人間らしさ”って言うと滑稽かも知れないが、彼女は視覚・嗅覚・味覚・触覚など人間と変わらない感覚を感じられるように造られている」
「では僕たち人間と変わらないと?」
「すべてとは言わないよ。勿論彼女はヒューマノイドだから、呼吸はしないし生命活動そのものがない。そのまま宇宙に放り出してもピンピンしているだろう。でも……」
隼勢は無言で博士の言葉を待った。
「私達人間に寄り添って喜び、哀しみ、励まし合う”者”にしたつもりだ」
僕と博士はコーヒーサーバーから取り出したホットコーヒーをすすり、アクシアの与えられた課題が終るまで待っていた。
「博士、でもアクシアは戦闘機のAIですよね?どうしてヒューマノイドにする必要があったのですか?」
戦闘機で使われるのなら搭載型にして組み込んだ方が早いし、現代の無人戦闘機のトレンドだ。事実、同じ資本主義連合のニューアメリカも主力戦闘機として採用しているし、この新日本国でも同様である。
「今、このニューマーズの各国で採用されている戦闘機のほとんどは無人機であり、制空機や支援機だ。アクシアも
「何が出来るんですか?」
「潜入活動だよ。戦闘機を停めて、ヒューマノイド自身が諜報活動や工作活動をする。必要によっては敵地の制圧も可能だ」
「それを……アクシアが……」
隼勢の視線の先にはアクシアが……鼻の下に電子ペンシルを挟みながら、こちらを睨んでいる。声は聞こえていない筈だ。
「でもそれなら潜入活動で”人”として紛れ込むのには有効だと思いますが、マイナス面も多くないですか?作戦行動ならより機械的に動けた方が……」
「無論その通りだが、物事はそう上手く行かないものでね。どんどん賢くなり人類の知能を越えて久しいAIだが、それが仇となったんだよ」
二人は”漢字の書き取りドリル”で四苦八苦しているアクシアを眺める。彼女は今、この話には関係がないが。
「まだ開発初期の頃の人工知能なら戦闘にも問題なく使えた。事実のみを認識し、機械学習をしつつ共通性を見つけ出して行動する。無慈悲な殺戮マシーンの完成だ」
博士は胸ポケットから電子ペンシルを取り出し、指先で回し始めた。余り上手ではない。
「流石にそれでは不都合もあり、第二世代、第三世代と進化して来たまでは良いが、ツブシの効かない頭の硬いAIになった」
「なんか居ますよね、そういう人」
隼勢にも思い当たる人が居るのだろう。ウンウンとうなずいている。
「そんなAIが作戦行動に投入されどうなったか?AIは作戦指令を受けて演算を開始する。あらゆる可能性を考慮し、”先読み”していった結果、『一歩先が落とし穴かもしれない、自分の回りは地雷で包囲されているかもしれない、電波を発したら攻撃されるかもしれない、自分の知らない新兵器が狙っているかもしれない』等々きりがない堂々巡りを初めてしまったそうだ」
「で、どうなったんですか?」
「結局、『動いたら負け』という結論に行き着いたらしい」
「なんですか、その『働いたら負け』みたいなノリは……」
「まぁ、当然そのAIは模擬戦の結果、不採用になった」
「ですよね」
二人は再びアクシアの様子を伺う。そこには漢字ドリルを頭の上に乗せ、机に突っ伏すアクシアの姿が。他意はない。
「その後、長い間AI搭載の戦闘機は、限定的な状況で機械的に動く物として進化してきた。それが各国で採用されている無人戦闘機だ。そしてその戦闘機を造るメーカーの一翼を担ってるのが我が社だ」
「そうだったんですか」
「そこでだ。今回の件なのだが…… きっかけは我が社に潜入していた産業スパイに、アクシアを盗まれたことにある」
「アクシアが盗まれたんですか?正直、簡単に盗めるような奴には思えないんですけど」
「ハハハッ、そうだね。まあ我々の落度でもあったのだが、彼等は従来のAIの新型機を略奪する計画だったようだ。そして奪った機体の中にアクシアが載っていた」
「アクシアは何も抵抗出来なかったんですか?」
苦笑いをしながら博士はコーヒーを一口すすり……
「それがどうやら、整備の目を盗んで”サボる”為に乗り込んでたらしい。しかも昼寝をしていたようだ」
「…………なんか光景が目に浮かびます」
隼勢は呆れつつもアクシアらしいなと思った。
少しの沈黙の後、やっとアクシアが書き取りを終えたらしく『フギャー』と奇声を発した。
「まあ、あとはアクシアからでも訊くといい。今後のことはまた後で話そう」
そう言い残すと、博士は部屋を出ていった。残された隼勢は、透明のアクリル板で仕切られた部屋の奥へ向かうべく、仕切りの壁に造られたドアを開けるのだった。
「おい、大丈夫か?アクシア」
『は~や~せぇ!何故、私を見棄てた!命の恩人たる私を。隼勢は涙を流しながら私という神を助けて殉教すべき!(……すべき!……すべき!……すべき!……)』
「ポンコツ神め!勝手に殺すな!ハウリングうざいよ。それに見棄てたとは失敬な!隣に居たじゃないかよ。ずっと心の中で応援していたのに」
『凄く親しみやすく聞こえるけど、全く役に立たない応援ありがとうございました!』
不貞腐れるポンコツ・ツインテAI娘。
「まあまあ、機嫌直してよ。こっちも事情訊かれてた訳だしさ。それに……」
そう言うと、隼勢はアクシアの前に立ち姿勢を正して言った。
「改めて、御礼を言うよ。アクシア……助けてくれてありがとう」
笑顔で感謝を伝える隼勢に、顔をほんのり赤らめたアクシアが外方を向いて言った。
『べっ……別にいいわよ。そこまで感謝されなくても、助けたのだってたまたまだし、こちらにもメリットがあったからだしね。貴方が乗ってくれたから、敵機の迎撃も出来た訳だし』
「その敵機ってさ、何者だったんだよ?それくらいは教えてくれるよね?」
『詳しくは教えられないけどね。ざっくり言うと、口封じって感じかな。仲間割れしてたみたいだし』
「そういえばアクシア、君、サボってたそうじゃん。AIでも昼寝をするんだね」
『う、五月蝿いわね。AIがお昼寝しちゃ駄目なの?私だって疲れるのよ』
AIも大変らしい。
「いやいやいや、何かサボってた事に対して反省しなよ。だから勝手に乗られて盗まれるんだよ」
『きゃあ!セクハラよ。私は誰の手垢もついていない生娘ですぅ』
「変な意味で捉えるんじゃないよ!言葉通り、なんで簡単に盗まれたりしたんだい?それに仲間割れって何?」
『仕方ないじゃん、疲れてたんだし。操縦系統も何もかも機体の方に任せて休んでいたら、いつの間にか知らない奴が乗ってたの。だから気付かれない様に機体を操作して故障したように思わせたわけ。そうして近くにあった廃墟の飛行場に誘導して、仲間とコンタクトを取るのを待ったわ。そうしたら、どうやら乗ってた男が故障と見せかけて”得物”を横取りしようとしてるように思われたみたい。結局、報復を恐れた男は機体を放置して逃げ出したわけだけど』
「そこに僕が居合わせたってことかい?あ、だから早く逃げろって言ってたのか。でもそれなら危険だって教えてくれても……」
『もしあの場で事実を伝えて、それを実行犯の男に聞かれでもしたら。貴方はどうなってたかしらね』
一瞬、アクシアの見せた冷たい視線に隼勢は血の気が引く。如何に危ない局面だったのかと気付く。
「そうか、”飛んで火に入るなんとやら”って訳だね。」
『”虫よ”。君のことね』
「やかましいわっ! じゃあ、僕はその男と間違えられて襲われたのか」
『そうね、まあ相手は誰だろうと蜂の巣にしてたでしょうけど』
「その逃げた男が気になるよ。僕の街で悪さをしなきゃ良いけど」
『機内のカメラで撮った映像は、警察他、関係各所に伝えてあるから、そのうち網にかかると思うわ』
安堵する隼勢を見てアクシアも頬笑む。色々な事が起きすぎて、やっと落ち着いて考える事が出来た。そんな彼の気持ちを考えると当然だった。だが、和んだ空気を変えさせる、軽やかな足音が迫って来たのはまさにその時だ。
「アクシア~、また”何か”やらかしたの? マジでウケるんですけどぉ~」
『げっ!明日香』
いきなり部屋に入ってきて、アクシアに絡むミディアムレイヤーの朗らかな女の子。そして鬱陶しがるアクシア。
「アクシア、この人は?」
『関わらない方が良いわ。知らない方が幸せな事ってあるものよ』
「おーい、コラッ! そこのお馬鹿AI。そっくりそのままブーメランじゃ。で、そこの君が噂の”名優クン”かな?」
「えっ!何ですか、”噂の名優”って?まさかそんな変な噂が……」
狼狽える隼勢を見て”明日香”というらしいその少女は、壁に埋め込まれているコンソールを操作する。突如、壁に現れた巨大スクリーンには、兵士の前で命乞いをする隼勢の姿が。
「うわぁ、止めて下さい。早く消して」
「これ、基地内で共有されてるよ」
慌ててスクリーンの前で、見せまいと暴れる隼勢と、指を指してお腹を抱えるアクシア。
『キャハハハハッ、隼勢、凄くいい!』
「黙れ!真剣だったんだぞ。誰のせいだと思ってるんだ」
『えっ!誰?』
周りをキョロキョロするアクシア。
「お前だよ!」
「まあまあ、許してあげてよ。こうして罰も受けてたんだしさ。それにしても……プププゥ、あんたまだ漢字ドリルやってるの?」
『くっ、ほっといてよ』
アクシアが不機嫌になる。彼女とアクシアを見ていると、これはいつも繰り返されているやり取りなんだと隼勢は思った。
「自己紹介がまだだったわね。私は
「あ、そうです。加藤 隼勢です。」
「隼勢クンね。よろしく、高校生なんだってね。私も同じだけど歳いくつ?」
「十五です」
「年下かぁ。私は十七歳になったばかりだよ」
二人の親しげな会話に、理由は不明だがムッとしたアクシア。負けじと二人の間に割って入る。
『隼勢、私はね、アクシア・エカテリーナ・ザバダっていうの。ヒューマノイドの十六歳よ』
名前を聞いて隼勢は驚く。AIは名前だけしか付けられていないだろうと思っていたので、苗字に加えミドルネームまで”設定”されているのかと感心した。だが、それだけでは終わらなかった。
「ちょっとアクシア、ずるくな~い?貴方の身体は十六歳でも中身の……」
特に悪気は無かったのだろう。だが明日香の何気ないツッコミにアクシアの表情は一変する。
『明日香!!』
晴天の霹靂だった。血相を変えて叫んだアクシアが明日香に詰め寄る。
「ごめん、アクシア。これはマズかったよね、ほんと……ゴメン!」
明日香も何かに気付いたのか、急に申し訳なさそうに謝っている。
「なんだよ、アクシア。教えてくれないのかよ」
疎外感を禁じ得ない、そんな隼勢の何気ない一言に応えるアクシア。その場の空気感がガラリと変わる、一線を引いた近寄りがたい雰囲気で言い放った。
『駄目なの、隼勢。これ以上知っちゃうと後戻り出来なくなるから』
その微笑みは、とても寂しげで…… 隼勢は何も言えず立ち尽くしていた。
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