第二十六章

第二十六章

北方にあるあおいの屋敷。

明美「い、印刷屋が取り壊し?」

しんぺい「はい。なんでも、道路を建設するので、印刷屋は取りやめにしろというのです。なんで、この地域に何十年も暮らしてきて、印刷屋をやってきたのに、急にこうなるとはどういうことでしょうか。名前を付ければ、建物疎開というらしいのですが。」

明美「建物疎開?」

しんぺい「そうなのです!道路にして、野分の被害を必要最小限にするというのです。まあ確かに、自然災害の多いところではあり、落雷で家がつぶれたという事例はありましたけど、

まさか避難場所を作るためとして、うちの印刷屋を潰すというのは思いませんでした。これからさき、どうやって生活していけばいいのでありましょうか!」

慶紀「まあ、建物疎開なんて、ただの言いがかりのようなもので、実際は出版を取りやめにさせる一つの手だてに過ぎないと思います。建物疎開の対象に選ばれるのは、確かに立地条件が悪いという建物もあるけれど、ほとんどは周辺住民の噂話から選ばれますから、その中に、誤解や偏見も多数含まれていると聞きましたよ。」

しんぺい「うちの印刷屋が、そういう悪いことをしてきましたかね。」

明美「僕が会長に文句を言いましょうか?何か言えるかもしれない。」

しんぺい「そうしてください。印刷屋がなくなるなんて、私たちは本当に生活できません。それに、私だけではなく、うちで働いてくれた従業員もみんな仕事をなくすことになる。」

秀子「建物疎開をした後の、生活については何も言われなかったのですか?」

しんぺい「はい、何もありませんでした。住むところくらい、探せと言われました。」

秀子「まあ、ひどいわ。それって単に、災害からどうのこうのではなく、単に印刷屋を取りやめにさせたいだけよ、きっと!」

淑子「ほかにも、建物疎開を申し付けられた人はいますか、しんぺいさん。」

しんぺい「はい。うちの印刷屋だけではなく、隣の芝居小屋と、公会堂も建物疎開にあたるそうです。」

とし子「ああ、やっぱりね。つまり、不都合な情報を流すきっかけを作るかもしれないから、

強制的に取り壊すってわけね。それを自然災害にかこつけて、建物疎開と名付けただけですよ。」

しんぺい「ですけれども、うちの印刷屋がつぶれたら、本当にどうやって生活していけばいいのか!せっかく、これまで先祖代々、この地域でやってきた印刷屋だったのに!」

ひろし「しんぺいさん、そこに固執したくなる気持ちはわかりますが、たぶんですけど、この建物疎開は効力を持ちません。だって、印刷屋だけではなく、隣の芝居小屋と公会堂が選ばれたのなら、利用者さんたちが、黙ってはいないでしょう。」

とも子「そうですよ。だって、そういう建物は、個人の建物ではなく、いろんな人が利用する公共の建物なわけですから、利用者はたくさんいるはずです。だから、簡単に撤去されることはないのではないでしょうか。大丈夫ですよ。きっと、抵抗運動が激しくなって、取りやめになります。」

明美「そうですね。確かに個人の家ではないですよね。しかし、なんでいきなり会長はこのような命を出したのでしょうかね。」

慶紀「まあ、災害には誰だって勝ちたくても勝てない物ですからね。」

明美「それは確かにそうなんですけど、どうも会長は、どこかずれてきているように見えますね。何かおかしいんじゃないかな。」

しんぺい「そうですね。ありとあらゆるものが急激に変わっていって、ついていけないですよ。」

明美「まあしんぺいさん、その気持ちもわかりますが、情報に流されず、慎重に行動してくださいね。」

しんぺい「はい。」


数時間後。道路を歩く明美。以前は、会話しながら女性たちが歩いている光景や、子供が遊んでいる姿などが見られたが、今は全く見られず、しいんとなっている。

と、そこへ数人の女性が、歩いてくるのにぶつかる。彼女たちは、木でできたハンマーなどを手に持っている。

明美「あ、すみません。」

女性「すみませんではないですよ。一人で道路の真ん中をぼんやり歩くのは、危険ですよ。」

明美「危険?」

女性「そうですよ。不審者に対抗するため、これからは女性が外を歩くには、集団で歩かなければならないと、会長がそう決めたじゃないですか。」

明美「そうなんですか。すみません。僕も知りませんでした。」

女性「へえ、幹部なのに知らなかったんですか。やっぱり、こういう人は何も知らないのね。」

明美「ええ、そうです。知りませんでした。ずっと、こちらに降りてくることはなく、鉄の研究をしていましたので。それより、皆さんどこへ行くんです?」

女性「あーあ、全く、偉い人は言いなりになって自分のやりたいことに精いっぱい打ち込めるから楽よね。私たちは、逆に今から建物疎開の手伝いにいかなきゃならないのよね。」

明美「待ってください。今から何をしに行くんですか?」

女性「ええ、建物疎開として、すでに住んでいる人が出て行ってくれたので、取り壊しに行くんです。」

明美「取り壊し?女性の皆さんがですか?」

女性「当り前じゃないですか。女性のほうが有利だということを示すために、建物疎開における、建物の取り壊しは、女性の仕事と、会長は決めたようですよ。」

明美「そうですか。わかりました。もう一つだけ聞きますが、建物疎開に当たらせる建物の基準は誰が決定したのでしょう?会長ですか?」

女性「ええ、選んだのは私たちです。」

明美「それでは、どういう基準で建物疎開に当たらせるのですか?立地条件が悪く、公共の建物や道路を建てるのに邪魔になるからですか?」

女性「それを聞いてどうします?」

明美「どうしても知りたいからです。」

女性「でも、聞いたって無駄になるだけでしょう。それに、答えは見えているじゃありませんか。もうすぐ冬も終わります。そうなれば、雨が降れば鉄砲水、晴れれば日照りになる季節が必ずやってきます。それを防ぐために道路を作ったり、川の氾濫を防ぐ遊水地を作ったりする必要もあるでしょう。その妨げになる建物を撤去するのが建物疎開です。」

明美「わかりました。では、私も立ち会わせていただけませんか。」

女性「またどうしてですか?」

明美「いえ、私も、鉄の研究こそ任されていましたが、そのような事業を会長がやっていたことは全く知らなかったので。」

女性「まあ、いいんじゃないですか。どうせ、この人は、私たちと違って、事業にはかかわれないんだから。」

明美「ええ、私自身も、自分の性別は知っています。」

女性「ほら、それを心得ているんだから、大したことはしないわよ。」

明美「はい。ただ作業を眺めるだけでかまいません。」

女性「わかったわ。じゃあ、こちらにいらしてください。」

再び女性たちが歩き出したので、明美はそのあとについていった。

女性「ここです。」

と、ある家屋の前で止まる。

見ると、特に何も悪いところはなさそうな普通の家屋である。特に周辺に大きな川があって、堤防を建設するとか、道路を作れそうな場所でもない。ただ、周りには、ススキが生えているのみである。

女性「行きますか!」

と、その家屋の玄関の戸をがらりと開ける。

中には人がいる。まだ十代後半と思われる若い男性である。

女性「早く出なさい!この建物は、建物疎開で壊されるんだから!」

すると男性は、次のような言葉を口にした。

男性「いいえ、ここは生まれてからずっと住んでいた家です。勝手に出て行けと言われる筋合いはありません。」

女性「何を言っているの!道路ができるのに、邪魔になるから出て行ってもらうのよ!」

男性「そんなことないでしょう。ただ、僕らをこの地域から追い出すために、そうやって口実を作って、建物疎開としているだけですよ。」

女性「ここは、災害から逃れるための道路を作るのよ。事実、土砂崩れが起きた時に、このようなススキが原では、どこにも逃げる場所がないでしょうが。それを確保するための道路ができるんだから、自分の身の安全を確保するためにも、建物疎開に応じてもらわねば!」

男性「いえ、それには応じられません。そんなことはただの口実で実際には、僕たちをどこかへ追い出すつもりなんだ。そうして、僕らのような人間が二度と現れない社会にするつもりなんでしょう!それが、本当の目的だ。そんなこと、応じられるものですか!なんで、住んでいるだけで出てかなければならないのです!僕は何も悪人ではありませんよ!ただ、自分のつらさを主張しただけの事です!それがなぜ、いけないというのですか!それだけでなぜ、この家も取られなければならないのですか!決して、道路を作るからという理由ではないでしょう!それくらい、いくら馬鹿でもわかりますよ!もし、本当に道路を作るのであれば、ちゃんと、僕が納得できる説明をしてからにしてください!」

女性たちは、一瞬ひるんだが、すぐに態度を取り戻した。

女性「ああ、やっぱり、こういう病気の人は、自分が病んでいるという自覚がないんだわ。そして、平気でまちがったことを言いふらして、家族にいくら迷惑をかけて、家族が本当に苦しんでいることにまるで気が付かないのね。あなた、家族はいる?」

男性「みんな出ていきました!でも、僕はこの家にいたいから、残っているんです。それの何が悪いのですか!」

女性「あはははは!全く馬鹿だわ。家にいて、ご家族はさぞ困ったでしょうね。それで家を出ていったのに、それについて謝罪もしようとはしないで、そのまま居続けるなんて、これは馬鹿は馬鹿でもひどすぎる。あなた、目時会で雇ってもらって、少し家族のありがたみを学ぶことさえもしなかったのね。あーあ、本当に、ひどいもんだわ。今頃、あなたのご家族は、どこかで幸せに暮らしているわよ。あなたから、離れることができたんだから!」

女性「どうして、この家に残ったのか、こっちが理由を知りたいものだわね!」

男性「はい!この家は、亡くなった祖母との思い出がいっぱい詰まっているからです!それに、最近貸本屋から借りた書物で、目時に志願しても意味がないと知ったから、」

女性「あの書物を出した印刷屋もそのうち、同じ目に会うのよ!あなたのような人を匿ったとしてね。それはもう、会長がそうしろと言っちゃったから、今更変更はできないわよね。」

女性「おばあ様との、思い出のために出て行かないなんて、あなた、まだまだ子供だわ!自分が何をしでかしてきたのか、まるでわからないのかしら!」

男性「ええ、わかりませんとも!だって、学校や仕事でうまくいかないことを表現しただけだったのに、なぜみな誰も聞いてはくれなかったのですか!それを唯一聞いてくれたのが祖母だったんですよ!すでに高齢だったから、数年で亡くなってしまいましたけど、そういう人が一人でもいてくれたことには、感謝しています!確かに、両親の行方は分かりませんけど、たった一人でも優しかった人の記憶があれば、生きていけると思うから、こうしてここに住んでいるんじゃありませんか!そのどこがいけないというのです!」

女性「それをどうやって表現した?お父様やお母さまに向かって暴言を吐き、時には手を出すこともいとわなかったのでは?きっとそのせいで、二人はとても苦しんで、家を出ていったのだと思いますよ。おばあさまだって、きっと、あなたが一人では暮らしていけないことを知っていたから、いやいやながらにお宅に残ってくれただけのことで、内心では早く逃げたいと思っていたのよ!早く死ねて幸いだったわね。その謝罪の気持ちはない?口で言っても文字で書いても、通じないことぐらいわかっているでしょう!だったら、ここから早く立ち退いて、ごみ焼き場でも行って働くか、死体運搬人にでもさせてもらいなさいな!そして、早く、人間が生きていくにあたって、何が一番大事で、そして、あなたの両親へのありがたみと、人生の立ち位置を踏み間違えたことに気が付いて、真人間に戻りなさい!それが、おばあさまにとって、一番の供養になるのよ!」

男性「そうですけど、あの書物に書いてあった、食事を制限したり、結婚も禁止されたり、病んでも医療を受けてはいけなかったり、着るものを長時間汚いままでいるような生活を強いられるのでは、とてもありがたみなどわかるものではないでしょう!」

女性「全く馬鹿ね!毒をもって毒を制すという言葉を知らないわね!あなたみたいな人間は、いかにこの世界で不要品になるのか、全く気が付いてないんだわ!いい、あなたたちみたいに、甘やかされて自分が一番だと思い込み、そのせいで自尊心だけがやたら強くて、権利意識しか頭にない人間には、言葉だって効かないし、文字だって効力はないわ!それに、あなたが引き起こした暴力への恐怖から救うためには、それ以上の力で抑えるしかないでしょう!それを具体的にしたのが目時の制度で、あなたがいかに間違えたか、教えてくれているんだから、ありがたく思いなさい!まあ、こんな馬鹿を相手にしていたら、たんがいくら出ても足りないわ!さあ、やってしまいなさい!」

女性「はい!」

男性「待ってください!」

女性「うるさい!」

と、その家屋に飛び込み、窓やドアや、その他の家財道具を、持っていたハンマーでことごとく破壊しはじめた。家にあった家財道具は、金でできたものは家の外へ運び出され、木製のものは、すべてたたき壊されてしまった。

男性「やめて!」

女性「止める権利なんてないわよ!」

明美「待って!」

と叫んだが時すでにおそし。彼は、女性にハンマーで後頭部を強打され、そのままばったりと倒れてしまった。と、同時に、床柱が倒れ、家は瓦礫の山に変貌してしまった。

女性「終了よ。はあ、今日もいい仕事だったわね。」

明美は、声が出なかった。

女性「次があるから、このくらいにしておきましょうか。」

女性「そうね、余分な体力は使いたくないわ。」

女性「この仕事をしていると、息子にされたことをそのまま仕返ししているようで、気分がいいわね。会長もいい制度を作ってくれたものだわ。じゃあ、次へ向かいましょうか。」

明美は驚いた。つまり彼女たちも、子を持つ母親であったのである。それが、このように、他人の家屋をことごとく破壊し、ましてや殺人をして、気分がいいと口にしている。恐ろしい制度だ、と、明美は思った。

明美「どうもありがとうございました。素晴らしいお働き、感動いたしました。」

女性「ええ、この程度で終わってくれるなら、ちょろいもんですよ。」

女性「一時私たちのほうが、やられるんじゃないかってびくびくしていましたけど、今はだいぶ度胸がついてきて、こうして仕事がまたできるようになりましたわ。こうして、私たちに恐怖を与えてきたものに復讐することを許可してくれたなんて、会長も本当にお優しい方ですわね。」

明美「そうですね。ある意味では。」

女性「私たちは次の家もあるから、もう退散しますけど、どうします?」

明美「ええ、次の作業もぜひ拝見したいところではありますが、残念ながら、私は別の用事がありますので、別の道を取ります。では、今日はどうもありがとうございました。」

女性「幹部なんですから、もう少し、会長の方針をありがたく思ってくださいよ。」

明美「はい。わかりました。これからはそうします。」

女性「ええ。まあ、会長はすでにあなたにはもう用なしなのかもしれないですけどね。なんだか、別の人がその地位にあるみたいですし。」

明美「そうみたいですね。」

女性「まあ、あなたも、幹部についているわけですから、生活は保障されているでしょうけど、性別によっては、すぐに極刑が待っていることを、お忘れなく!」

明美「はい。そうしております。いつでも。」

女性「それならいいわ。行きましょ!」

女性たちは、何事もなかったように立ち去ってしまった。

その場に残った明美は、女性たちの姿が見えなくなったのを確認すると、がれきを移動させ始めた。何十分作業をしたのかわからないが、倒れた床柱の下から、頭から血を流している青年の遺体を見つけ出すことに成功した。明美は、彼を瓦礫から出してやり、外の土の上に寝かせてやった。そして、持っていた手拭いで、頭についた血液を丁寧にふき取った。改めてその顔を見ると、どこにも悪人らしいところはなく、純朴な穢れのない顔であった。

明美は、彼が右手首にはめていた金の腕輪を静かにはがし、自身の着物の袖の中に隠した。

そして、ススキを一本折ってきて、彼の胸の上に乗せた。

明美「本当は、お花を乗せるべきでしたが、これで勘弁してくださいよ。」

ポツン、と涙が土の上に落ちた。しかし、反応はなかった。

明美「熱いですが、我慢してくださいね。」

近くにあった石ころを持ってきて、それをカチカチと打ち合わせ、彼の着ていた着物に火をつけた。本来、この作業は誰も見ないところで、専門の処理者が行うところであるが、明美はなかなか目を離せなかった。明美は、火が、青年の昇天を無事に手伝ってくれるように、数珠こそないものの合掌し、静かに念仏を唱えた。


北方のあおいの屋敷。

てん「そうでしたか。建物疎開と言いますものは、母親たちの復讐というか、殺人行為の事をさすのですか。」

慶紀「なんだか、会長らしい手立てですな。」

ひろし「僕が、少し油断しすぎたのでしょうか。そうなったら、印刷屋さんも、芝居小屋も、公会堂も、皆壊されてしまうばかりか、しんぺいさんたちが命を落とすのも、時間の問題と言えるかもしれませんね。」

とも子「でも、恐ろしいわ、、、。そうやって、平気で簡単に殺害を起こすというのは。」

とし子「あたしたちが乗り込んでも、効果はないとしか思えませんね。」

淑子「そうですよ。そうしたら、もう思うつぼになってしまって、、、。」

言葉を止めてしまう淑子。

秀子「邪魔者がいなくなって、より、ひどいことを平気でするようになると言いたいんでしょ、淑子ちゃんは。でも、心が優しいから、口に出せない。」

明美「どうしたらいいでしょう。杉ちゃんも、かぴばらさんも、南方へ行ってしまったし、力のある人は誰もおりません。」

てん「どうするって、すぐにわたくしたちは行動を起こすしかありませんね。といっても、鉄も何もありませんので、武力では全くかなわないと思いますが。」

と、言いながらもまたせき込むので、隣の淑子がそっと背を叩いてやる。

明美「つ、つまり、謀反を起こす。そういうことですか?」

てんは黙って頷いた。

慶紀「でも、具体的にどうすればいいのですか?武器も何も私たちは所持していないのですよ。」

てん「いえ、もう一つ、というか、最後の手段なのかもしれないですが、」

全員、てんのほうを見る。

てん「鉄砲水です。」

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