第十八章

第十八章

会議場の敷地内に、小さな石塔が立っていた。石塔には「万霊供養塔」と書かれていて、具体的に誰のものであるのかは、すぐに予測はできないが、ビーバーたちは、またはちを火葬して、そこに葬ったのである。

ビーバーは、時折石塔の前に、花を供えて、合掌していることがあった。みわは、殺人者をなぜ敬うのか、不思議だと言っていたが、それを容認せざるを得なくなった。

その日も、ビーバーは、石塔に花を供え、合掌していた。

水穂たちも、その日は花をもって石塔の前に参列した。

ビーバー「罪人であるから、初七日も何もしてやれないですけど。せめて花だけは出してやりたいと思いましてね。」

懍「もう、初七日ですか。まだあの時の辞世の句が、頭に残っているようです。」

蘭「せめて、反歌を聞いてみたかったですね。磔に処されたとはいえ、かなりの才能を持っていたのかもしれません。」

水穂「あの後、目安箱には、彼を殺さないでという意見が大量に集まりましたね。十人殺しは確かに大罪かもしれませんが、彼の主張したことは、正しかったのではないかという意見が多数寄せられましたよ。」

ビーバー「ええ、それが、一番後悔しているところなのです。彼は確かに十人殺しをしたわけですけれども、住民たちが、一度や二度は思うことを、ああして歌いだすということは、相当、生活が苦しかったのでしょうな。それを、もっと早く気が付けば、私どもは、対策を立てることだってできたでしょうし。」

水穂「それに、彼は歌の才能もあるわけですから、歌人としてやっていくことも可能だったかもしれないですよね。それを認めれば、彼は十人殺しをしなくても、よかったかもしれない。」

懍「処女作を、磔台の上で歌いだすとは、なんという皮肉なことですね。」

ビーバー「これでは、政治家としても、才能は有りませんね。」

懍「いけないですよ。そんな風に自分を責めては。それより、教訓を得たと解釈し、対策を取りましょう。」

ビーバー「そうですね。でも、正直に言ってしまうと、前向きになるのは、非常に難しいことであると感じております。」

水穂「確かに、お辛いと思います。何とかしろというほうがむしろ酷かもしれないです。」

蘭「水穂は、そうやって寄り添う才能があるんだな。それ、誰にも真似はできないぞ。素直にすごいと思う。」

ビーバー「ええ、間違えてはいけないのが政治家という物で、それを修正するということは、はるかに難しいことであるのは、知っていますよ。」

水穂「だからこそ、間違いをしたときの衝撃は大きいのだと思いますよ。それに、偉くなればなるほど、慰めたり、叱ってくれる人もいなくなりますもの。」

と、そこへみわが急いでやってくる。

ビーバー「みわ殿、どうしたのですかな?」

みわ「のんびりとしている暇はありません!早く会議場に来てください!」

ビーバー「いったいどうしたのです?」

みわ「あのうるさい目時の会長がまた来ているんです!」

蘭「追い出せばいいじゃない。」

みわ「それができれば、皆さんを呼び出したりはしませんよ!早く来てください!」

蘭「なんだろう。」

ビーバー「すぐに行きましょう。」

全員、会議場に向かう。


会議場

千鶴子と眞砂子がきている。今回明美の姿がない。

ビーバー「なんですか。もう、目時会の皆さんには用はないとお伝えしたはずですが?」

千鶴子「用はないって、用があるのはそちらではありませんの?」

蘭「は?なんのことだ?」

千鶴子「この間の、大事件は利用者さんから聞きましたよ。なんでも、ビーバー様が善良と信じ切っていた住民の一人が、十人殺しをしでかして、磔にかかった事件でしょ。」

蘭「ああ、またはちの事ね。」

水穂「それで何の用なんです?」

千鶴子は、水穂の顔をしばらく見る。

水穂「だから、なんの用なんですか。黙られたら困ります。」

千鶴子「綺麗な人ね。」

眞砂子「会長、己に負けてはいけませんよ。」

千鶴子「ああ、ごめんなさい。ここからが本題です。その十人殺しの下手人は、確かにひどいことをしたのかもしれませんが、中には義民として英雄視している人もいるそうじゃないですか。そして、彼にそのような行為をさせたのは、皆さんであると、責任を問う声も非常に多く出されているそうですね。」

水穂「確かに、そうかもしれませんね。彼の高い感性は、認めざるを得ません。あの、辞世の句が、その証拠です。」

千鶴子「ビーバー様、その責任を感じて、落ち込んでいるのではありませんでしょうか?」

懍「ええ、確かにそうなったこともありますが、今は気にしていたら、前には進みませんから、教訓を得たものとしています。」

千鶴子「私は、ビーバー様に聞いているのです。皆様は、外国から来られたわけで、ここの統治者は仮とはいえ、ビーバー様なんですから。ご本人様から答えをいただきたいわ。どうなんですか?」

ビーバー「そうですね、正直に言えば、辛い気持ちにもなりますが、それではいけないと思っております。」

千鶴子「でも、お辛い気持ちはどうして抜けきらないのではありませんの?それが人間という物じゃないですか。人間は、道具ではないのですから、何があってすぐにこうだと、切り替えができるものではありませんよ。」

懍「女性らしいセリフですな。」

眞砂子「女性らしいって、女性という物はそういうもんですよ。男性が、大掛かりなことをやってのけるのに優れているのであれば、細かいところを丁重に処理していくのが女性です。そして、他人の気持ちを読み取って、助言を出すのに優れているのも女性です。それなのに、歴代の政治家は、そういうところを一切無視して、女性を蔑視するような教育しか施してこないから、世の中がおかしくなるのではありませんの?」

懍「まあ、それは認めますよ。しかし、女が戦うときの戦は醜いものであるという言葉もありますよね。」

ビーバー「こなごな島時代には、女性の役員もいたんですけどね。こちらでは、そうはいかないようになっていますから。」

千鶴子「では、提案があるのですが。」

ビーバー「なんでしょう?」

千鶴子「私たちも、こちらに参加させていただけないかしら。だって、ここでは、女性にはまるで参政権などありませんでしょうに。それでは、あまりにも不平等すぎます。女性だって、重大な役目を持っていることを、はっきりとさせておくために、私たちも、統治者の一人として、一緒にここを再生させることへの、お手伝いをさせていただきたいわ。どうでしょう?」

懍「はあ、そうですか。でも、大都督が聞いたら、きっと激怒されるでしょうな。今までの伝統を全部変えてしまうことになるでしょう。」

千鶴子「てん様は、北方へ静養に行かれたのですから、事実上不在なわけですし、それに、そうやって、職務を放棄したわけですから、ある意味無責任ともいえるわけで、最高権力者としては、ふさわしくありません。だって、現実を見てください。あのような事件が起きているほど、社会は腐敗していると言っても過言ではないでしょう?二度とあのような事件を起こさないために、即急に何か対策をとることが求められているのに、職務を放棄された方の許可を取る必要があるなんて、なんという矛盾と言わざるを得ません。私たちから見れば、なぜ、職務を放棄した方が、最高権力者として、あがめられる必要がございましょう?」

懍「まあ、確かにそうなんですけどね。でも、崩御したのではありませんからね。」

眞砂子「ですから、そうやって、過去にこだわることも、皆さんの悪いところですよ。過去にこだわりすぎて、今ここで起きている諸問題を解決できないじゃありませんか。それをはっきり示されたのが、あの事件でしょう。だから、ここは、あきらめて、誰かほかの有力な人に、統治をゆだねるという手もないわけではないと思いますけど?」

懍「事実上では無血開城ですか。」

水穂「そうなると、また歴史が変わるというわけですか。」

蘭「でも、住民の皆さんが、したがってくれるでしょうか。」

千鶴子「当り前じゃないですか。だって、住民のみなさんは、これ以上このような事件を起こされては、不安で安心して生活ができないでしょう。それを取り除いてやるのも政治の役割という物ではありませんか。それができないというのは、政治の手腕が不足していると言わざるを得ませんよ。住民が、安心して生活を維持できることこそ、平和というものですし、それこそ、理想の形態というべきではありませんの?そして、政治家の一番の仕事といいますのは、それを、住民の皆さんに提供していくということではございませんか。それができないというのなら、素直に認めて明け渡してもいいとおもいますよ。それに、安心した生活が保障されれば、住民の皆さんは喜んでついてきてくれますよ。それは、統治者という職務に就かれている方々であれば、一番よくわかるでしょう?」

しばらく、沈黙が流れる。

懍「どうします?」

ビーバー「わかりました。」

蘭「と、いう事はついに?」

水穂「政権が変わる、、、?」

ビーバー「ええ、お二方にも、参加していただきましょう。」

千鶴子たちは、勝ち誇った顔をした。

千鶴子「ええ、わかりましたわ!私たちは、二度とあのような大量殺人の起こらない世の中を、築いてみせますから!」

翌日。

村の中心にある掲示板に、ある貼り紙が貼りだされた。

住民「へえ、目時会が、この村の近くにやってくるとは、、、。」

住民「これからは、目時会も統治に加わるのか。」

住民「まあ、いずれにしても、もう二度とこれ以上世の中が良くなることはあるまいな。」

住民「そうだな。ある意味、またはちさんの主張したことは、正しいのかもしれないよ。」

住民「あーあ、昔のような穏やかな村は、どこへ行ってしまったのだろうか!」


北方にあるあおいの屋敷。

杉三「志願者はやはりないか。ビラなんか配っても仕方なかったかな。」

かぴばら「で、でもですよ。い、印刷物なんですから、口で伝えるより、頭に残るんじゃないでしょうか?」

慶紀「そうですかね、目時の洗脳術は強力ですから、簡単に解くのは相当難しいんじゃないですか?」

杉三「でも、諦めたりはしないよ!これしかないんだからね!」

かぴばら「す、杉ちゃん偉い。」

と、玄関の戸を叩くおと。

杉三「誰だ!こんなときに!」

声「明美です。お客さんをつれてきましたよ。」

杉三「お客さん?」

声「のこのこ入りこんで来るのはいけないことであるのは、わかっているのですが。」

杉三「誰だろ?」

慶紀「とりあえずお入りください。」

明美「はい、わかりました。」

数分後にふすまがあき、明美がやってくる。後ろには、中年の男性が一緒にいた。

明美「印刷屋のしんぺいさんです。」

しんべいと紹介された男性は深々と礼をした。

しんぺい「はじめまして、印刷屋をやっております、しんぺいともうします。」

慶紀「で、なんのようで来たんです?」

しんぺい「はい。要請していただきました、平仮名五十の印鑑、完成できましたので、もって参りました!」

そういって、持っていた箱の蓋を開けた。中には、丁寧に彫刻された、石の印鑑がしっかりと入っていた。

杉三「よし!これで活版印刷ができるわけね!これができたら、もっとはやくビラが刷れるぞ!」

慶紀「しかしよく、協力していただけましたね。」

しんぺい「ええ、うちも目時には騙されましたからね。あれは救済組織のようにみえますが、まさか、息子が帰らぬひとに変貌するとは、思いませんでしたよ。」

杉三「そうだよね。まさか、更正するというのが、死ぬということには、ならないよねえ。やっぱり生きて帰って来てほしいよね。親であれば。」

しんぺい「そうですよ。他の従業員たちにも、同じ被害にあったものがたくさんいましたので、皆さんが目時に対抗しようとしていると話しますと、喜んで協力してくださいました。今までの印刷と比べてみますと、一一版を作らなくてもよいことから、平仮名だけの文書であれば、早いこともよくわかりました!」

杉三「ようしわかった!これで、目時の被害を思いっきり書いた、本を大量に出版することもできるわけね!」

慶紀「でも、誰に執筆してもらいましょうか?」

杉三「そりゃあ勿論、しんぺいさんだ。はじめの事は、ある程度の肩書きがある人がやったほうが、人がついてくる。」

しんぺい「そんな文才はありませんよ。平凡な、印刷屋なんですから。」

明美「いや、かえってその方が早いかもしれませんよ。事業というものはある意味では後継者が必要なんだから、それを盗られてしまったということを打ち出せばよいのです。その平凡な幸せを奪われたと書いていけば、心を打つ可能性はありますよ!」

かぴばら「そ、そうですね。へ、平凡に、幸せに暮らしていたということを強く打ち出して書いて、それを全部盗られたということをうんと打ち出せば、読者に届く確率はより高くなります!」

しんぺい「しかしですよ。ただの印刷屋としてずっと生きてきたわけですから、誰かの心を打つ表現など、まるでわかりません。文章と言いましても、ただ、用件を伝える技術しかないわけですし。」

慶紀「そうですね。確かに文を書くというのは、ただ用件を書いただけでは印象に残ることはありませんね。例えば歌であれば、体言止めや枕言葉、掛詞など、印象付けるために様々な技法が取られます。」

しんぺい「そうですよ。ただの印刷屋なんですから、そういう技術は一切知りませんよ。」

杉三「誰か知っている人はいないかな。」

慶紀「一人おりますが、彼にやらせるのは、ちょっと無理なんじゃないですかね。」

杉三「誰だよ。」

慶紀「ひろしさんです。著作を出版したことはないとしても、以前から、かなり旺盛な創作活動をやっていました。しかしですね、彼は失明しており、執筆させるのは不可能ですよね。」

杉三「善は急げだ。彼に、一本書いてもらうように頼めないだろうか。」

かぴばら「だ、だから、無理なんですよ、杉ちゃん。目が不自由なんだから、紙に文字を書くなんてできないじゃないですか。」

杉三「いや、大丈夫だ。口で述べて、誰かに書きとってもらえばいい。日本の滝沢馬琴だって、あの大作『南総里見八犬伝』を、途中で目が見えなくなったので、息子さんのお嫁さんに書きとらせていたんだから、それと同じだと考えればいいんだよ!」

かぴばら「す、杉ちゃんは、よく知っていますね。ま、まあ、勿論、僕らはそちらの歴史は全く知らないけど、そうやって歴史的なことをぽんぽんぽんぽん口に出せる人は、そうはいないんじゃないですかね。」

杉三「だって、事実日本であったからだ。それを口にして何が悪い?それを変な奴と馬鹿にするほうがおかしいよ。日本がどういう生い立ちをもって成立しているのかを知っていて、偉そうにとからかわれたり、変な奴だといじめられる風潮が日本にはあるが、そんなにばかばかしいことが平気で行われるなんて、本当にあきれてものが言えない!」

慶紀「まあ、話がずれてしまいましたが、私も、今回は杉三さんに賛同したいと思いますよ。ひろしさんの作品は、確かに文学性には優れていると思いますので。彼は、曼荼羅華で自決しようとした際、著作物をすべて焼いたと述べていますが、私はこっそり、彼の机の中に眠っていた、議案書だけは保管しておいたのです。それを後で読み返しても、優れた風刺精神を持っていると思います。そのようなことからも、彼であれば、しんぺいさんの単なる苦労話を優れた文学に変えることはできると思います。活版印刷で、本がより早く作れるようであれば、高価な本をより安く販売することも可能でしょう。やってみてもいいのではないですか。」

杉三「よし!こうなれば決定だ!これが成功したら、すごいことになると思うよ!」

明美「じゃあ、僕、ひろしさんに話してみます。」

杉三「頼むよ!」

明美「はい。」

数分後。

ひろし「えっ!ぼ、僕が?」

明美「そうです。あのしんぺいさんたちの、息子さんを盗られたことを、できるだけ詳しく書いていただきたい。」

ひろし「でも、もう、書けませんよ。だって、文字も書けなくなりましたし、筆を握ることだってできなくなりました。そのような人間が、どうやって読本などかけましょうか?」

明美「ですから、口頭で陳述していただいて、それを誰かに書いてもらうようにすればよいのかと。」

ひろし「そんな事したら、書く方に負担がかかりすぎて、申し訳なくてできませんよ。だって、書く方の顔を見ることもできないんですよ。」

お茶を運んできたとも子は、その言葉を立ち聞いてしまった。

とも子「失礼いたします。」

何も断りもないのに、とも子は勝手に入ってしまった。

とも子「お茶を持ってまいりました。」

と、正座で座り、明美の前に置く。

とも子「単刀直入に言わせてください。廊下で、お二人が読本を出そうとしているのを聞いてしまいました。無礼すぎるかもしれないけど、私、お手伝いに立候補してもよろしいでしょうか!」

ひろし「と、とも子さんが?」

明美「いいじゃないですか!こうして協力してくれる方もいるんですから!僕も、これまでに様々な本を読ませていただきましたが、優れた本という物は、やっぱり心の中に残るものですし、そういう物が書けるというのは、本当にすごいことだと思いますので。」

ひろし「そうでしょうか。僕は、ただ楽しみで書いていただけで、たいしてすごいものを書いたわけでもございません。」

明美「でもすごいものだったと、慶紀様がおっしゃっていましたよ。過去にはどのようなものを書いていたのでしょう。」

ひろし「ええ、自決しようとするときに、すべて焼却してしまいましたけど、どうしても、世の中に馴染めない人間だったので、それをせめて自分の世界ではなかったことにしたいという思いが出て、それを、紙に書きなぐっておりました。学がないので、文字は平仮名程度しか書けませんでしたが、文字を書いていると、やっとこの世で生を受けたのを許されたのではないかと思いました。」

明美「すごいですね。代表作は?」

ひろし「あの、自決する前に書いたのは、ある政治家が、女性を求めながら政治家としても苦悩するというもので、もうとにかく、徹底的に政治の悪いところを抉り出すようなつもりで書きました。きっと、出版されたら磔にでもなるだろうとは思っていましたけど、どうしても書いておきたかったし、読本は、虚構ではあったとしても、世の中を皮肉りたい気持ちを伝える唯一の手段と思っていたので。ただの、誰かを楽しめるための、つくり物語とは、そこが違うと思うんです。まあ、これを書いておけば、もう自分のすることは終わりだと思っていました。いくら書いても、一般的な人が目を付けるのは作り物語のほうばかりで、こういう読本には目を向けない人のほうが多いから、読んでもらって、そこで縁を切られたことしかありませんでしたけどね。」

明美「その原稿は実存しないんですか?」

ひろし「しません。一切ありません。みんな焼却してしまいました。」

とも子「あたしは、教育者であったから、確かに演劇にも読本にも触れてきましたけど、演劇では、肝心の内容ではなく、役者の顔とか衣装を見るためにやってくる人のほうが圧倒的に多いことは知ってます。そういう事になれば、肝心の作者の主訴というものはどこかへ消えてしまいます。そうなるのなら、わざわざ演劇にするよりも、読本として出したほうがよっぽど確実に伝わると思いますよ。子供にわかりやすく伝えるためには、演劇化させるほうがいいと、私たちサン族の間では言われていましたけれども、私は、読本は読本として残しておくべきだと思うんですよね。演劇にするのは、読本作者の書いたものを、すべてセリフに書き直すという作業が必要になって物語が変わる可能性があり、役者の解釈で、セリフの内容が、読本作者の主訴を大幅に変えてしまうことだってあります。演劇化は、確かに現場そのものの臨場感を見せられるという利点もありますが、読本では文字だけでそれを再現させるわけですから、そのほうがよほど子供は能動的に鑑賞できると思いますよ。私、何回もそれを学校の上級教師に訴えましたが、採用されたことは全くありませんでしたわ。ですから、私は、読本作家の人って素直にすごいと思うんです。あああ、ごめんなさい。読本のことになると、ついつい熱が入ってしまって、まるで弁論するようになってしまいましたね。だから、私、ひろしさんが、読本を書いてくれるなら、心から協力しようと思いますよ!」

明美「とも子さんすごいじゃないですか。そういう思いを持っているのなら、代筆はきっとできると思います。どうでしょう、お二人で、印刷屋のしんぺいさんのお話を聞き、目時会に騙された者の存在を白示すため、読本として執筆してくれませんか。」

ひろし「そうですね、、、。」

とも子「やってみましょうよ!ひろしさんの感性を示せるかもしれませんよ!」

ひろし「わ、わかりました、、、。」

明美「原稿を書く紙は、こちらで用意しますから。」

ひろし「お願いします。」

とも子「頑張りましょうね!」

と、目の見えないひろしの肩を叩く。

その日から、ひろし、とも子は、印刷屋のしんぺいの自宅に泊まり込みをさせてもらいながら、しんぺいの一人息子が精神障害を発症し、目時会に預けられ、結果として焼却炉に送られる羽目になったいきさつを丹念に聞き取り、それを文章として書き著した。聞き取りと、成文化を担当したのはひろしで、とも子は彼の口から出てくる文書をそのまま平仮名で書きとるだけであったが、それでも、二人の息はぴったりで、比較的短期間でこの読本は書き上げられ、タイトルは「ある男の一生」とされた。

印刷屋しんぺいは、杉三たちが考案した活版印刷を使って、この文書を印刷し、袋綴じ装丁として、製本した。


北方のあおいの屋敷。

奥の間。

てん「今日は、布団のまま応対することをお許しください。本来は、すぐに書評を出さなければならないところでしたけれども。」

ひろし「いえ、とんでもございません。こんなへたくそな文書が、世に出るとはまさか思わなかったので。」

とも子「何を言ってるんです。そこらにいる著述家よりすごいものがあると思いますよ。」

ひろし「でも、こんなものが本になって、果たしてどうなるのかという不安もありますけど。」

てん「いや、良いと思いますよ。何も飾らずに、しんぺいさんの事を正直に書いているわけですから、率直に伝わるのではないですか。」

ひろし「だって、文学的な技法は何一つないんです。ただ、事実をそのまま、書いただけで。」

てん「ええ、それが、人間の汚いところまで丁寧に書けるということにつながっているのではないですか。」

ひろし「そうでしょうか。」

てん「そう思いますよ。なかなか書物に人間の現実を赤裸々に描くということはそうはできないでしょう。一見するとくどい描写に見えますが、露骨に描写することでかえって衝撃的な内容だと思います。」

ひろし「ここまですごい評価を出されたことは初めてです。本当に、時代遅れとか、あまりにも暗すぎて読めないなどの評価しかもらえなかったので、、、。」

てん「本当は、わたくしが書評でも書いて、終わりに載せればよかったかもしれないですけど、申し訳なかったです。」

ひろし「いいですよ!そんなもの求めてはいませんから!本当に、へたくそな文章なので!」

とも子「あんまり卑下しないほうがいいですよ。ひろしさん。でないと、書きとった私も、意味がないじゃないですか。」

ひろし「は、はい!ほ、本当に、今になって顔が見えないのがすごく、口惜しいところであります。いま、自決は何ももたらさなかったのだと初めて分かりました。そして、生存ということの、ありがたさもよくわかりました。」

生還者は見えない目に涙を流した。

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