第九章
第九章
ふすまが開いて、かぴばらが戻ってくる。
かぴばら「や、やっと終わりました。ぼ、僕らの名前と、職種も伝えてまいりました。か、会員の皆さんも、皆さん揃って、聞いてくれました。」
杉三「で、理事長は、僕らを滞在させてくれるって?」
かぴばら「は、はい。お、お話はできましたが、理事長も、皆さんも、僕たちのことを、届け出をしなかったせいで、取り潰しにやってきたのだと勘違いされてて、そうではないと、信じてもらうのに、時間がかかりました。そ、それに、僕は、」
杉三「ああ、その先は言わなくていいよ。吃音症であって、うまくしゃべれなかったと言いたいんだろ。それはね、安禄山、かえって本当のことを伝えるのに邪魔になるから、捨ててしまいな。」
かぴばら「は、はい。あ、ありがとうございます。り、理事長が、無断でこの同盟を組んでしまって、届け出をしなかった罰で、磔になるのではないかと、皆さん不安がってましたけど、」
てん「ええ、確かに、任意団体を作るには、団体の設置目的の確認のため、届け出をすることは義務付けられています。」
かぴばら「じゃ、じゃあ、やっぱり、、、。」
てん「いえ、そのようなことは致しません。」
と、またせき込んでしまう。
秀子「咳止めの薬草とかあるといいんですが、、、。」
淑子「ここでは、薬物の持ち込みはいけないのよ。前に、ひろし君のことで、理事長がそう決めたでしょ。」
杉三「ひろし君?」
秀子「ええ。曼陀羅華の根を食べちゃって、、、。」
杉三「曼陀羅華?ああ、だちゅらの事ね。確かにあれは、覚せい剤よりも怖いというよね。」
秀子「はい、気ちがいなすびともいうでしょ。」
杉三「うん。確かに。」
てん「しかしなぜ、そんな危険なものを口にしたんでしょうね。」
杉三「うん、まんどころ大瀧に行ったのと同じ目的だね。」
秀子「よくわかりますね。だからあたしたちも、二度とそうならないように、ここに生えていた曼陀羅華の木を全部伐採しなきゃならなかったんですよ!」
杉三「なるほど。ちゃんと対策を取れるところが、またすごい。で、そのひろし君という人は、今どうしているのかな。」
秀子「いるんですけどね。時々ねえ、、、。」
淑子「ほら、また、余分なことを言う!」
てん「あってみたいですね。」
淑子「てん様が、お会いしても、彼にはてん様のかおを見ることは、できないでしょうね。」
杉三「なるほどね。そういう事ね。なんだか、そうなると、かわいそうだなあ。まあ確かに、自殺を図った罰かもしれないが、、、。」
てん「いえ、そういう方こそ、国家的な弱点をもろに受けているはずですから、わたくしたちが、気が付いてこなかったことを知っているはずです。」
廊下を歩いてくる音がする。
淑子「ああ、会合が始まるんだわ。私たちも出なくちゃ。会員であれば、必ず出席しなければならないのよね。」
杉三「会合ってなんだ?」
淑子「ええ、あたしたちが、過去に困っていたことを語り合うものです。」
杉三「なんだそれ?」
秀子「そういう時間を設けてあるんです。話しあって、お互いの傷というのかな、それを確認というか、一緒に解決していくというか、そうやって話していかないと、解決できないと理事長が言ってますので。」
杉三「自助会みたいなもんか。」
てん「わたくしも、出席させていただけないでしょうか。」
杉三「てんはよせ!その体で無理をするな。」
かぴばら「じゃ、じゃあ、僕が行ってきます。」
てん「よろしくお願いします。どうか、わたくしが参りましたのは、皆さんを取り潰しに来たわけでもなければ、磔にかけるということも致しませんからと、、、。」
また、せき込んでしまう。
杉三「それじゃあ、絶対に休んでいたほうがいいな。僕も心配だから、こっちにいるよ。じゃあ、安禄山、代表としてあとを頼む!」
かぴばら「は、はい!わ、わかりました!じゃ、じゃあ、行きますので!」
淑子「かぴばらさん、こちらにいらしてください。」
かぴばら「わ、わかりました!」
秀子「怖いところではないですから、安心してくださいね。」
かぴばら「は、はい!」
三人、立ち上がって、部屋を出ていく。
足音が遠くなっていくのが聞こえてくる。同時にピーという、風が吹いて、建物を打ち付ける。
杉三「寒くなったな。」
てんは、返事の代わりに咳をした。
杉三「ここは毎年こうなのかな。それにしても、変な木枯らしだなあ。なんか、どうも好きになれない。この音。」
てん「これは、木枯らしではありませんね。」
杉三「木枯らしじゃないの?」
てん「違いますね。木枯らしではありません。たぶん笛か何かでしょう。」
杉三「尺八かなあ?でも、尺八ほど柔らかくないや。」
てん「ええ。わたくしたち橘にも笛というものは存在するのですが、音から判断すると、松野のものかもしれませんね。松野の笛であれば、歌口のすぐ近くに、紙を一枚貼り、その原理で、かなり強い音が得られます。」
杉三「へえ!明笛みたいだな。そういう楽器があったんだねえ。」
てん「ええ。しかし、笛を吹くものは、松野では、あまりよい立場ではなかったようですね。女であればせいぜい女郎か、男であれば、大体が日雇いの労働者でしかないと、先代が言っておりました。」
杉三「じゃあ、あの、二人の松野の姉ちゃん、淑子ちゃんか秀子ちゃんが吹いているのだろうか。」
てん「でも、着ているものや、態度から判断すると、彼女たちは、女郎には見えませんね。」
杉三「そうか。でも、あの姉ちゃんたち以外、松野はここにはいないよね。一体だれが鳴らしているんだ?」
てん「誰でしょう、、、。わたくしも、見当がつきません。」
同時にせき込む。
杉三「どうしても薬はだめなのかあ、、、。何か役に立つもんでもないのかなあ。このままじゃ、最悪の結果になるかもしれないぜ。」
てん「仕方ないじゃないですか。ここの規律なのですから、従わなければならないでしょう。それにわたくしたちは、ここでは警戒されていることと思いますから、指示に従ったほうがいい。」
杉三「でも、君が消えちゃうんだよ!」
てん「わたくしは、そういう事は致しません。」
杉三「てんも、前よりも強い男になったね。」
てん「ええ。」
杉三「すごいや。僕ももう少し強い男にならなきゃな。」
てん「ええ。負けてはいられませんね。」
と、軽く笑顔を見せるが、すぐにせき込んでしまった。
杉三「そういうときこそ、文献ではみんなかっこいいセリフを言うけれど、それって、後世のひとの作りもんだからねえ。」
てんの背をまたたたいてやる杉三。
その間にも、不思議な笛の音が、鳴り響いていた。
一方、てんたちが、そんな雑談をしている間に、隣の部屋ではテーブルを囲って、会員たちが集まり、茶を飲みながら「会合」を始めていた。秀子の話の通り、テーブルには、二人の女性と、一人の男性が座っていた。女性二人は、いずれも身長が五尺と四寸程度でサン族であり、男性の身長は四尺にもなかったため、橘族とわかった。そして、男性の目は、常に上を向いていた。その隣には、また別の男性が、竹の棒のようなものをもって、座っていた。
淑子、秀子が、かぴばらと一緒にやってきた。
淑子「理事長、先ほどのかぴばらさんが、この会合に出てみたいというのですが。」
二人の女性たちはすぐに、恐怖の表情を見せた。
かぴばら「あ、あの、本当に、取り潰しに来たわけじゃありませんから!そ、それだけは、安心してくださいね!」
女性「で、でも、あたし、知ってるけど、その着物は、橘の将軍家のものじゃないですか。」
女性「あたしたちは、偉い人から見たら、ただのダメな女性に過ぎないし、、、。無許可でこの建物を作ったのがばれて、お怒りになって取り潰しに来たのでは?」
かぴばら「きょ、極端すぎです。そ、それに、主君は取り潰しをするつもりもないし、皆さんを捕縛することもありませんよ!」
すると、頭上ばかりを見つめていた男性が、
男性「いえ、この人の発言に間違いはないと思います。発言を聞けばよく分かりますよ。そうですね。」
と、隣の男性に声をかける。
男性「ええ、ひろし君。皆さんも、怖いという気持ちはあると思いますが、ここは落ち着いて話すことを目的としましょうね。」
こう発言したので、この人物が理事長であるとわかった。
かぴばら「よ、よかったです。あ、ありがとうございます!」
男性「構いません。かぴばらさんも、仲間の一人として、席についてください。」
秀子が、仲間だよ、と示すように、座布団を一枚出してくれたので、かぴばらはそこへ座った。
男性「では、新しい仲間も来たことですし、まずは、一人一人自己紹介をしてもらいましょうか。軽く、何が原因でここに来たのかも聞かせていただけるとありがたいです。まず、私は、名を慶紀と言います。平仮名でけいきと書きますが、慶事の慶と、糸へんに己の、漢字名も持っております。ここでは、理事長と呼ばれるだけでなく、慶紀さんとも呼ばれております。私の事はその程度にしておいて、淑子さんから、」
淑子「松野から来ました、淑子です。一応、会員の代表になっています。もともとは、松野の中で、介護人を目指していましたが、なぜか仕事がうまくできなくて、それでこっちへ来させてもらいました。」
秀子「えーと、同じく松野から来た、秀子です。いわゆる、お付けだったのかな。まあ、子供のころから変な奴でした。それが、エスカレートしたのかな、まあ、いきなり親がね、顛狂院に入れて、二年間隔離されて、戻ってきたんだけどうまくいかなくて、結局また顛狂院に行かされる羽目になって、それでは嫌だからといって、勘当同然で連れてきてもらいました。」
女性「私は、とも子と申します。血統的に言うとサンではあるんですけど、今は、こなごな島ではなく、事情があって橘さんの村で暮らしていて、それにどうしても馴染めなくて、こっちに来ました。」
女性「あたしは、とし子と言います。こなごな島から来ました。理由は、あたしは、歌を歌うのがものすごく好きだったから、本格的に歌い手になりたかったんですけど、こなごな島では、理解されることがなかったからです。それで、こちらにきて、歌を学ぶために生活を始めましたが、やっぱり、とも子さんと同様に馴染めなくて、こちらに住まわせてもらっています。」
慶紀「では、ひろし君もどうぞ。」
ひろし「はい、僕は、橘からまいりました、、、。名前はひろしです。でも、定かではありません。理由は、僕を産んだ母が、勝手に僕を捨てて行ったからです。今の家族は、僕の事を、河原で拾ってきたと教えてくれました。だから、正式な名前も、知らないのです。その後も不要品として扱われてきて、もう、必要のない人間だと確信して、曼陀羅華の根を食べて自殺しようと思ったけれど、ここで拾ってもらいました。助かったときに、永久に目は見えないといわれました、、、。」
かぴばら「な、なるほど、、、。も、もし、杉ちゃんや、大都督が今のひろしさんの話を聞いたら、おそらく倫理的に違反するとして、激怒するかもしれないな、、、。」
ひろし「はい。でも、それが一番いい方法だと、確信してます。だって、僕は、戸籍すらないんですから。そのような人間が果たして生きていて何があるでしょうか。ここに来る前は、もう、誰かから食べ物を分けてもらって暮らしていました。働くことも当然できませんでしたし。戸籍がない人間を雇うと、雇い主のほうが、規律に違反するとして捕縛されるようになってますから。こっそりやとってくれた人もいたけれど、それが発覚しそうになって、僕は雇い主にお礼を言って、自ら逃げるを繰り返しました。」
かぴばら「ぼ、僕も、吃音の貧乏たれと言われてきましたが、上には上がいるんですね。も、もっと壮絶な人生だった人がいるとは。」
慶紀「ここでは、他人と比べるのはやめましょう、かぴばらさん。大きかろうが小さかろうが、皆さん何かに苦しんでここにきているのですから。」
とも子「そうですよね。私は、親にこれだけ苦しいと伝えたんですが、何もわかってくれませんでした。私は、子供に文字を教えるのを頼まれてこちらに住むようになりましたが、やっぱり、控えめを好む橘の皆さんと、一緒にやっていくのは正直つらかったです。」
秀子「そうですねえ。確かに黙っていられたら、いいのか悪いのかわからなくなりますね。はっきりダメと言ってくれたほうが、かえっていいわよね。」
とも子「それに、橘の人たちは、そういってくれと言いますと、周りを読めないのかと言って、すごく嫌そうな顔をしますよね。上の人が、何をしているのか読み取れと言いますが、私にはさっぱりわかりませんでした。」
とし子「私は、歌にばっかり人生かけてきてるから、歌の事ばっかりになるけれど、松野の皆さんは地声、つまり表声で歌いますよね。でも、サンの間では、そういう歌い方は汚いとして、教わってきませんでした。私が初めて松野の前で歌わされたときは、なんだこの気持ち悪い歌い方とさんざんののしられて、罵倒されました。しかし、私は歌う直前まで、自分の歌を美しいと思っていたので、これをされてしまったときは、死にたくなるほどつらかったです。それから、私、何も自信がなくなってしまって。ほかの仕事もできたかもしれないけど、仕事をできなくなってしまったんです。女中奉公もやりましたが、歌を歌いすぎてしまったせいか、仕事が全然できなくて、やっぱり歌の世界のほうが、居心地がいいんですね。でも、ここでは、私の歌を求めている人なんて誰もいない。だから早く、女中奉公に慣れようと思いましたが、そうすればするほど、歌を歌いたくてたまらなくなってくるんです。必要のないものにこうして憧れるなんて、なんてばかな奴だと思うでしょ。でも、早くこの村に馴染めと言われればいわれるほど、私は歌に対して、美しさを感じてしまうのですよね。」
かぴばら「そ、そうですか?そ、その、しゃべっている声も十分きれいだと、思いますけど?」
とし子「いいえ、かぴばらさん。そのようなほめ言葉は私、もはや信じることはできなくなってしまいました。そうやって励ましていただいても、ダメな歌い手だといわれてしまうほうが、何十倍も多いのですから、一人か二人の方にそうやってほめられても、何もうれしくはありません。それに、批判されたほうがかえって楽になりました。ほめられると、まただまされるのかと怖くなるわ。」
秀子「へえ、とし子ちゃん、だまされたの?」
とし子「ええ。一度、女中奉公していた時の仲間から、楽団に入らないかと誘われたこともありましたが、それは、私を追い出すための作戦だったのです。」
ひろし「つまり、あなたを持ち上げて、良い気持ちにさせて、そのあとに現実を突きつけて、陥れる作戦だったわけですね。まあ、女の人の良くやりそうなことですね。」
秀子「女の魅力は嫉妬であると、ある書物にも書いてあったわ。」
なおも、会合は続いていく。そのうち、理事長の慶紀は、あの変な形の棒をもって、部屋の外へ出て行ってしまった。
かぴばら「ど、どこに行くんですか!」
淑子「いいのよ。理事長は、私たちが話し始めると、邪魔をしてはいけないと言って、ああして部屋を出て、一人で笛を吹くのが好きなのよ。」
かぴばら「そ、そうですか、、、。」
すると、外から、なんとも奇妙な笛の音が聞こえてきた。ビーという鋭い、きつい音で、尺八のむら息のような優雅さではなく、直に激しい悲しみを表しているようだった。
杉三とてんの部屋。
かぴばらが戻ってきた。
杉三「おかえり。」
かぴばら「た、ただいまです。」
杉三「どうだった?」
かぴばら「い、いや、どこまでも平行線のまんまですよ。た、ただ、皆私はこうだった、ああだったと繰り返すだけで、解決方法なんて何も出て来はしません。り、理事長は途中で席をはずして、奇妙奇天烈な笛を吹いていますし。」
杉三「大方そんなもんだと思った。そういう会議は、ただの傷のなめあいと、政治批判を繰り返すばかりで、進歩も何もないから、僕は好きじゃないな。」
てん「あの音は、理事長が鳴らしていたということですか。」
かぴばら「き、聞こえてたんですか?」
てん「ええ。杉ちゃんが木枯らしと間違えて気が付きました。それで、次回の会合は、いつ開催されるのでしょうか?」
かぴばら「あ、す、すみません。き、聞くのを忘れました。い、いま、理事長を呼んで聞いてみましょうか?」
てん「ええ、次回こそ、わたくしも出席させていただけるよう頼んでください。」
杉三「よせ!きっと、てんにとっては、悪口ばっかりだ!きっとまた、衝撃で倒れるぞ!」
かぴばら「は、はい。ぼ、僕も、杉ちゃんのほうが正しいと思います。き、きっと、大都督に対して、憎しみの気持ちを強く持っている会員もいます。も、もし、会いにいったら、怒涛のように、悪口が飛び出してくると思いますよ!」
杉三「だからね、てんは、しばらくここで横になっていてもらうほうがいいんだ!薬も何もないんだから!」
てん「そうですか、、、。」
杉三「そこで落ち込んじゃダメだろう。」
てん「ごめんなさい。」
と、涙を手で拭く。
杉三「そこで泣いちゃだめだ。もっと強い男になるんだねえ!」
かぴばら「と、とにかくですね、ここで、もう少し体を回復させることに努めてください。ま、まあ、横になっているしかできないかもしれないですけど、無理して体を動かすと、ほんとに、ろくなことがないですよ!が、外部的なことは、僕ができますから!」
てん「はい。」
杉三「じゃあ、何も言わず、しばらく休むんだな。」
てん「はい、、、。」
その後、杉三たちは、淑子と、秀子が持ってきてくれた簡素な食事を食べて、早めに消灯してしまうことにした。やがて、すべての部屋が消灯の時間になり、雪の降っている音だけが聞こえてくる夜になった。
しかし、杉三は、なぜか眠れないで、布団の上で天井を見つめていると、隣にいたてんが、深くため息をついた。
杉三「寝れないのか?」
てん「ええ。わたくしは、なんのためにこの職務に就いたのか、どうしてもそればかり考えてしまって。」
杉三「あんまり自分を責めるなよ。でも、歓楽街の出来事と言い、ここでの出来事といい、確かに衝撃的だったかもしれない。」
てん「ええ。この職務についたのに、住民の現状を知らなかったわけですからね。今思えば、ビーバー様の考えた制度に切り替えたほうが、よかったのかもしれないと、少し後悔しているのです。」
杉三「確かに悩むよなあ。でも、こうして悩んでくれる政治家はそうはいないぞ。松野の姉ちゃんがそう言ってたじゃないか。だから、そこだけは自信持てよ。」
その時、あの不思議な音が再び聞こえてくる。
杉三「誰だよ。こんな時間に笛なんか吹いて。あ、あの理事長だな。笛を持っていたのは理事長だからな。」
てん「そうですね。」
杉三「僕、文句言ってくる。こんな時間にあのビーという音を出されたら、うるさくて仕方ない。」
と、縁側のふすまを開ける。
すると、雪は止んでいて、月が出ている。縁側から、庭に出られるつくりになっていたが、庭の池の前で、慶紀が横笛を吹いているのが見える。
杉三「ちょっと、うるさくて寝れないんだけど!」
慶紀は、笛を吹くのをやめて杉三たちのほうを向く。
杉三「だからうるさいんだってば。そのビーという音は、気持ち悪くてたまらない。」
てん「理事長の、慶紀様ですね。名前は、かぴばらさんに聞きました。ずいぶん不思議な音ですね。」
慶紀「すみません、ご迷惑でしたか。」
てん「いいえ、しかし、わたくしたちの間では、笛に紙を貼りつける形式はまずありません。それは松野のものですね。あなたは、その背丈から判断すると、橘であると思うのですが、なぜ、松野ものをそうして愛好しているのですか?」
慶紀「申し訳ありません。もっと早くお伝えするべきでしたが、私は、橘でもなければ、松野でもないのです。」
杉三「ど、どういう事だ!」
慶紀「ええ。父は松野でしたが、母は橘なんです。本当は、両部族で姦通してはならないという規定があるのはご存知だと思いますが、私の母が遊郭で働いていた際、泥酔した役人であった父が、無理やりおぞましいことをして、生まれたのが私であると聞いております。この、笛は、父が悔い改めのつもりで母に差し出したものだそうです。母は、絶対に父を許すなと言っていましたが、私は、そういう気持ちにはなれなかったのです。」
てん「そうですか、、、。届け出をしなかったのは、そういう事情があったからですか。」
慶紀「ええ。いずれにしても、私は、どちらでもないわけですから、どちらにも属すことはできません。あの、ひろし君のように、私もまた、戸籍なしで生きてきたのです。」
てん「そうなのですね、、、。わたくしは、やっぱり、政治にかかわるのは無理だったのでしょうか。だって、住民一人も、幸福にすることはできなかったわけですから。」
慶紀「いや、てん様は、少しご自身を責めすぎだと思いますよ。」
てん「そういわれても、わたくしが、しっかりと取り締まりをしていれば、あなたは不幸な人生にはならなかったのかもしれないのですから。責任は、全部、わたくしにあるでしょう。」
慶紀「てん様は、今は、お体がそのような状態なので、なかなか前向きになるのが難しいかもしれませんが、私は捕縛される前に、一言お伝えいたしましょう。私たちは、従う事しかできませんが、てん様はその作り手です。つまり、その気にさえなれば、新しいものを生み出すこともできる立場なのです。」
てん「わたくしが、作り手?」
慶紀「そうですよ。てん様は、長年の橘としての倫理観と、そのお体ですから、きっと、取り潰しにするしかできないだろうなと思っていますし、私も無届でこういう事業をしてしまったことは、やはり規律を破ったことで罰せられるでしょうとは、思いますよ。まあ幸か不幸かその頂点であるてん様に、こうしてお会いできてしまいましたので、言わせてもらいました。」
杉三「だったらよ、何か体にいいものを出してやってくれ!ひろし君のように、自殺を図るようなことはしないから!このままだと、どんどん悪化して、最悪の事態に至ることになる!それじゃあ、かわいそうだ!」
慶紀「わかりました。明日、何か持ってこさせましょう。」
杉三「頼むよ!頼むよ!てんは、まだまだ、僕にも、他の住民さんにも必要なんだからね!」
慶紀「了解です。しかし、ここまで忠義を示す部下をお持ちになったとは珍しい。」
杉三「僕は、てんの部下じゃないよ。友達だからな!」
てん「ええ、そういう事になっています。」
再び、笑みを浮かべる。
慶紀「はい。では、ゆっくり休んで下さいね。」
と、庭を歩いて、自室に帰っていく。
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