第三章

村の中心部にある会議場のある建物。その奥にある小さな部屋。

声「死にたいんです。」

水穂「一体なぜ?」

彼と話しているのは、まだあどけない顔をしている、十代の女性である。

部屋には机が一台置かれていて、水穂と若い女性が、向き合って座っている。水穂は、石板に彼女の発言を記録しながら、彼女の話を聞いている。

女性「だって、私なんていても意味のない存在だし。」

水穂「意味がないって?」

女性「事実、その通りだからですよ。」

水穂「どうしてそう思うの?」

女性「はい。だって、大人になったら、皆、工場で働く人にしかなれないでしょ。だから、私は嫌なんです。」

水穂「工場で働く人にしかなれない?」

女性「それが、正しい生き方だから。それができないやつは死ねって、言われたことあるんです。」

水穂「誰に言われたんですか?」

女性「はい、学校でもそういわれたし、家でもそういわれるし。私、思うんですけど、若いってことは、それだけでもう罪だと思うんです。だって、若いからってよい評価をもらうことはないでしょ。若いからこそ、仕事を多く課せられて、自分のことは後回しにするのが美徳なんですよ。そして、静かに年老いて行って、惜しまれながら死んでいく。私は、そんな生き方はしたくありません。だから、そうなる前に死んでおきたいんです。と、いうより、私、大人の呪縛から逃れるには、そうするしかないと思うんです。」

水穂「なるほど。理論としては通ってますよ。でも、不思議なもので、命というものは、喜びでもあるんですよね。多かれ少なかれつらいことはあるかもしれませんが、」

女性「その先は言わなくていいです。どうせ、生きて入ればいい事が、とかいうんでしょ。それじゃなくて、私の気持ちは、このつらさを、誰かに聞いてほしいということです。だって、生きているだけで、苦しくて仕方ありませんもの。それを楽にしてほしいから、私は話に来ているのに。」

水穂「他力門ではなりませんね。」

女性「また格好いいこと言うのね。そんなに奇麗な顔しているんだから、私たちみたいな一般人の話なんて分からないんじゃないですか。」

水穂「まあ、そうかもしれませんね。確かに、そういうセリフを吐く人は、本当に苦労人ではないのかもしれません。ごめんなさい。」

女性「だったら、死ねる方法教えてくださいよ。」

水穂「僕は教えられませんね。」

女性「何でですか?私が、こんなに苦しんでいるのに?」

水穂「ええ、だって、ご家族とかね、ひどく悲しむでしょ。」

女性「家族こそ、私が死んで、私にどれだけひどいことをしてきたか、思い知らせてやりたい相手ですわ!」

水穂「思い知らせる?」

女性「ええ。私が、もっと文字を勉強して偉くなりたいと主張しても、そんなものは必要ないという年寄りと、その年寄りに逆らえない親たちが、どんなに邪魔してきたことか!」

水穂「文字に興味がおありですか?」

女性「ええ。わたし、学校で松野さんの友達ができて、彼女が漢字を教えてくれたんです。」

水穂「なるほど。漢字を習うのは、面白かったですか?」

女性「ええ、とてもとても!だから私は、漢字を習おうと思ったんですよ。だって、平仮名でいちいち書く必要もないもの。本当に便利ですよ。私、回覧板やってるけど、それにだって使えるもの。だから、学びたいと思ってたのに、年寄りが、そんな勉強よりも、工場でしっかり働けとうるさいの。」

水穂「そういうことが根底にあるんですね。」

女性「そうなのよ!私は、勉強したい。でも、うちの家族は誰一人許してくれなかった。工場で働けってうるさくて、誰も、許してなんかくれないわ。だから私、こんな家から逃れるには、死ぬしかないんだって確信したのよ。」

水穂「そうですか。でも、一番大切なものをもっていってしまうのは、どうかと思います。今は、できなくても、いつかやれる可能性もあるでしょう。」

女性「じゃあ、今ある時間を無駄にしろっていうの!年を取ってからでないと、やりたいことをやってはいけないというの!」

水穂「まあ、そうしなければならない時期もありますよ。でも、いつか、やれるんじゃないかって、待つことも大切だと思いますけどね。」

女性「へ!どうせそれくらいしか言えないと思ったわ!相談にいけって言われたけど、何も答えが得られないんじゃ、死んだほうがやっぱりましね。私は、あの人のところへ逝くわ。」

水穂「あの人?誰の事ですか?」

女性「あなたに話す必要はないと思うから、話さない。じゃあ、もう二度と来ませんから。ごめんあそばせ。」

女性は立ち上がって、そそくさと建物を出て行ってしまった。同時に、松野族の女中が入ってくる。

女中「お食事の時間です。」

水穂「あ、ありがとう。」

と、言い終わって咳をする。

女中「大丈夫ですか?」

水穂「ええ、気にしないでください。すぐ行きますので。」

と、立ち上がって、女中と一緒に、食堂へ移動していく。


食堂

水穂が入ると、蘭と懍がすでに食事をしている。

蘭「お前、どうしたんだ?顔色悪いぞ。」

水穂「いや、何でもないよ。」

蘭「仕事、大変すぎるんだろ?」

水穂「でも、ビーバーさんとの約束だからね。」

懍「僕は思うのですが、この国は産業革命を起こして、文明化することには成功しましたが、社会は劣化したように思いますね。だから、若い人の自殺が後を絶たないのでしょう。」

水穂「そうですね。僕もそれはすごく感じています。同時に、生きることの大切さといいますか、なんといいますか、それが酷く欠落している気がするのです。」

懍「ええ、若い人たちは、ただ、働かせされるだけだということを、すでに見抜いているのでしょう。以前のように、働けば何かを得られるという社会ではなくなったのでしょうね。」

水穂「そうですね。次の依頼人が待っているから、急いで食べなくては。」

蘭「お前は、大変な仕事してるんだから、食事位、ゆっくりしろ。」

水穂「わかった。」

と、箸をとり、すいとんを口に入れるが、急に激しくせき込んでしまう。

蘭「お、おい、大丈夫か?お前、前に来た時は、一回も咳をしなかったのに。」

懍「そういえばそうでしたね。おそらく、食べ物も、品質が劣化したのでしょうかね。」

水穂「いえ、何でもありません。」

と、汁を飲もうとするが、さらにせき込んでしまう。

懍「水穂さん、もう今日は切り上げて休んだほうがいいでしょう。ビーバーさんには僕が伝えておきます。」

水穂「でも、依頼人の皆様は待っているでしょう。」

懍「急な政務のため、本日は休止すると言っておけばいいのです。決して、健康ではないのですからね。」

水穂「申し訳ありません。でも、教授、ビーバーさんにぜひ伝えてほしいことがあるのですが。」

懍「なんですか?」

水穂「ええ、さきほど、依頼人からお話を伺ったときに、彼女が、あの人の下へ行ったほうがいいと発言をしました。ですから、僕らだけでなく、若い人たちの悩みを聞くのを生業にしている人間が、他にもいるということではないでしょうか。」

蘭「それは本当か?」

水穂「ああ、そうだ。直に聞いたから。」

懍「わかりました。では、お伝えしておきます。」

蘭「教授も忙しいでしょうから、僕がお伝えしておきますよ。それでいいだろ?お前はしばらく休んだほうがいい。」

水穂「ありがとう。じゃあ蘭。よろしくな。」

蘭「女中さん、お願いしていいですか?」

女中がやってくる。

女中「水穂さん、しばらくお休みしましょう。」

水穂「ありがとうございます。」

と、女中に連れられて立ち上がる。

懍「次の食事からは、彼にすいとんではなく、コメの料理を与えてください。」

女中「わかりました。とりあえず、お布団は敷いてお休みさせて差し上げますので。」

懍「よろしくどうぞ。」

女中「はい。」

水穂「すみません。」

女中に連れられて居室に戻っていく水穂。


てんの居室。

七輪で松茸を焼いている杉三。

杉三「ビーバーさんが、女工さんたちのカウンセリングをするように、水穂さんに言ったんだって。なんか、僕らの世界の商売を、ビーバーさんは巧みに取り入れているようだ。」

みわ「杉ちゃん、もっとわかりやすく話してください。なんのことなのか、まったくわかりませんよ。」

杉三「カウンセリングというのはね、だれかの話をずっときいてあげる商売のことだ。悩んでいることや、つらかったことなんか。それで、悩んでいる人が何とかなるようにもっていくんだ。」

みわ「それが、商売になるんですか?」

杉三「よくわからないけど、受けた人は一番楽になるらしい。僕も受けていないから、わかんないけど、水穂さんは、カウンセリングの達人だって、青柳教授は言ってた。」

てん「商売というからには、お代がでますよね。」

杉三「うん。滅茶苦茶高いらしい。そういう商売はね。」

てん「そんなこと、家族と話せば、一番始めに解決できることなのに?何で他人に話すのですか。それに、他人の悩み事で商売をするとは、その方の生活にまで入り込むことになりますから、わたくしは、良い商売とは思えません。」

杉三「かえって、家族以上に、お客さんのことをしっているよ。カウンセリングの先生は。そういう人がいないと、家族は崩壊してしまうと訴える、家族だって後を絶たないんだよね。」

てん「おかしいですね。」

と、いいながら咳をする。

みわ「大丈夫ですか?大都督。」

てん「そういうことは、本来家族にはなして、家族自信が解決させるべきものですよ。素性もなにも知らない人物に話すべきではありません。そのような人物が、なんの力になるのでしょうか。悩んでいることは、自分自身で解決することです。他人の手を借りるべきではありません。」

杉三「本当はね、てんのいうとおりにすべきなんだけどね。今はそれも効かなくなってきてるみたい。僕らの世界ではとっくにそうなってるよ。それどころか、解決させてあげられない相談員も星の数ほどいる。」

てん「そうですか。そのような事業をここで取り入れたらどうなるのでしょうか。」

杉三「うーん、僕は、水穂さんの体が心配だ。」

てん「わたくしは、良い結果にはならないのではないかと思います。」

杉三「まあねえ。ビーバーさんが決めちゃったからねえ。僕は馬鹿だから、逆らうこともできないし。まあいいじゃないの。しばらく成り行きに任せてみよう。じゃあ、マツタケ食べな。」

と、てんの枕元にマツタケを乗せた皿をおく。

てんは、寝たまま箸をとり、松茸をくちにする。

てん「おいしい。」

杉三「よかった。それができれば大丈夫。食べられれば、病は必ずよくなる。」

声「てん殿、お体はいかがですか?」

と、いいながら、ビーバーがやってくる。

杉三「ああ、ビーバーさんか。」

ビーバー「てん殿、杉三さんから聞いたかもしれませんが、回覧板を回させるのを、取り止めにすることにしました。そうでなければ、新たな犠牲者が出ることも考えられますからね。」

てん「そうですね。やむを得ないと思います。回覧板なんて、作らなければよかったかもですね。」

ビーバー「まあ、すべてのものが全部良い結果になるとは限りませんからね。」

てん「そうですね。わたくしの責任でもありますね。」

ビーバー「まあ、責任は気にしないでいいんじゃありませんか。私も、回覧板制度をよくわからないまま、承認してしまったので、てん殿ばかりが悪いということはないでしょう。」

てん「そうでしょうか。」

みわ「気を弱くしないでください、大都督、必ずなんとかしようという気持ちにならなくては。」

ビーバー「なんでも一人で責任を取らないでください。回覧板は正しく使えば便利なものであるという一面は確かにあります。それより、お体の方はどうなんですか。まだ、起き上がるのは難しいですか?」

てん「ええ、夕食を食べれば少し楽になり、明日には持ち直すかと思うのですが、翌日になれば、また体が重く、起き上がれなくなるを繰り返しております。」

ビーバー「そうですか。てっきり、労咳が再発したのかと思っていましたが、また違うようですね。いったい、何が悪くなったのでしょうか。」

てん「わたくしにも、わかりません。単なる怠け者になったのではないかと、自分を責めております。」

みわ「様々な薬草を使いましたが、全く効かないのです。労咳の薬と呼ばれるものも、頂いたのですが、全くダメでした。」

ビーバー「鼈の生き血を飲んでも、効果なしですから、これ以上、私たちも、なにもできないですよ。」

てん「そうですよね。申し訳ありません。」

ビーバー「現在、一番つらい症状は何ですか?てん殿。」

てん「疲れはてたような辛さが、ずっと続いているのです。咳は薬草をいただければ、少し軽減しますけど、すぐにつらい気持ちになって、もとに戻ってしまう。」

ビーバー「そうですか。でも、具体的にどこが悪いかわからないなら、私たちにもわからないですなあ。ましてや、様々な薬を飲んでも効かないとは。」

杉三「わかった!」

みわ「どうしたの?」

杉三「ぼく、思い当たる節があるんだ。青柳教授を呼んでくる。」

と、何かを思いついたのか、急に部屋を出ていってしまう。

みわ「どうしたんでしょうね?」

ビーバー「わからない。」

数分後。杉三は、懍をつれてもどってくる。

懍「どうしたのですか、杉三さん。いったい何があったのです?」

杉三「あのね、てんが、夕飯を食べると少しよくなるけど、朝になるとまた起きれなくなるの繰り返したというんだけど、これって。」

懍「なるほど。」

杉三「教えてあげてよ。」

懍「僕は、精神科医ではないですが、そのようなパターンは、日内変動というものであることは知っています。それは、うつ病というものだと考えられますね。」

みわ「うつびょう?」

ビーバー「懍さん、それはどのような病なのですか?」

懍「ええ、いつまでも悲しい気持ちが続いて、なにもする気がしなくなる、精神疾患のことですよ。」

ビーバー「それは、体のどの五臓六腑が悪いのでしょうか。」

懍「五臓六腑ではごさいません。五臓六腑を検査しても異常はみつかりません。問題は、心というものがやむのです。これについては、僕らの世界でもはっきり解明されておりません。うつ病の治療も決定してはいないのです。」

みわ「なおるものなのでしょうか?」

懍「そうですね、必ず治るといったら嘘になるでしょうね。僕らの世界でも、うつ病を抱えて、何十年も生きている方は、たくさんおられます。」

みわ「では、大都督の職務に戻ることもできないと?」

懍「わかりません。誰かが補佐すれば可能になるかもしれませんが。しかし、以前のように全く同じものをこなすことはできなくなるとは思われます。具体的にこうだという、はっきりとした答えが言えず、申し訳ありません。」

てん「ひとつききますが、わたくしは、怠け者になったということなのでしょうか?」

懍「いえ、大都督、それは違います。鬱になる方は、頭も体も疲れはてている状態ですから、全く怠け者では、ございません。むしろ、頑張りすぎていることを考えますと、褒めなければならない方々です。今はとにかく休むということが肝要でしょう。」

ビーバー「では、補佐をするものを作りましょう。橘族の象徴である大都督が不在というのは、やはり危険です。私たちサン族ではなく、同じ橘から、補佐官に立候補してもらい、てん殿にかわり、私たちと一緒に政治をしてもらう。しかし、立候補すれば誰でもよいのではなく、国民に認めてもらう必要もありますから、国民によい候補者を選ばせるのです。」

懍「ああ、いわゆる選挙ですね。確かに合理的な方法ではありますよ。勝手に世襲制ではなく、国民が委託するわけですから、当然のことながら、責任も多いですしね。」

ビーバー「私は、基本的に世襲制というものは得意ではないのです。世襲されると、どうしても、感情が入ってしまいますからね。」

懍「そうですね。地位をめぐって、骨肉の争いが出るのもまれではありませんね。」

杉三「僕は嫌だね。選挙なんて、ただ票をえるために、綺麗事をいい、人を騙すだけじゃない。」

ビーバー「しかし、それしかないでしょう。」

杉三「そうかな。」

みわ「ビーバーさまの部下もそうやってえらんでいるようですよ。

懍「杉三さん、今の発言は、ビーバーさんに失礼です。」

ビーバー「ありがとうございます。では、立候補者募集の貼り紙をしましょう。」

てん「でも、わたくしは。」

みわ「どうしたのですか?」

ビーバー「てん殿、仕方ないこともありますよ。今は、とにかく体を治すことに専念いたしてください。」

てん「しかし、」

杉三「この際だから言ってみては?」

てん「ええ、わたくしたちの伝統を壊してしまうことになりかねないかと。」

と、再びせき込む。

ビーバー「そのようなことは一切しないようにさせますので、てん殿は気にせず休んでいればよいのです。そうやって、何でも一人で考えてしまうのも、よくないところですよ。」

てん「しかし、」

みわ「いいんですよ。私もおりますし、こうして、ビーバー様もおられます。蘭さんや、水穂さん、青柳さまもおられます。皆さんいらっしゃるんですから、大丈夫ですよ。」

てん「そうでしょうか。」

みわ「ええ、私は、新しい時代のものを取り入れることを支持いたします。」

てん「そうですか。不安がないわけでもないのですが、そうするしか、なさそうですね。」

翌日。村の中心部にある掲示板に、政務補佐官募集とかかれた、紙が貼り出された。

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