第二章

客用寝室。

蘭が布団で寝ている。

水穂「蘭、起きろ!起きるんだ!」

はっと目を覚ました蘭。

蘭「あ、もう最初のお客さんが来るんだった。急いで針とのみを消毒しなきゃ。」

水穂「刺青のことじゃないよ。ここは、橘族の村だ。」

蘭「へ?あ、そうか。ここは松の国か。昨日、ビーバーさんと話して、夕食にすいとんを食べさせてもらって、早々寝たのか。」

水穂「ボケてないで、さっさと会議室へ来てくれ。ビーバーさんが僕らの意見を聞きたいと。」

蘭「あれ、杉ちゃんは?」

水穂「杉ちゃんは、大都督の部屋にいる。そのほうが勝手がいいだろ。もしかしたら、政治関係の話をするときは、あの二人は不在のほうがいいのかもしれないよ。」

蘭「そうだよな。で、話って何なんだ?」

水穂「まあ、ビーバーさんに聞けばわかるさ。」

蘭「教授は?」

水穂「もうビーバーさんのところにいるよ。」

と、二人の男性が現れる。

男性「お手伝いをする必要がありましたら、なんでも言ってください。皆さん、お体が不自由ですから、手伝えとビーバー様より命を受けてまいりました。」

蘭「はい、ありがとうございます。」

水穂「じゃあ、僕は先にいくから、早く身支度をして、会議室に来てくれ。」

蘭「わかった。」

蘭が小さな窓から外を見ると、高く日がさしていた。かなり遅くまで寝てしまっていたらしい。

水穂「よろしくな。」

と、ふすまを閉めて部屋を出る。


会議室。入り口に、かいぎしつと書かれた木簡が置かれている。

蘭「すみません、遅れました。」

と、軽く敬礼する。

ビーバー「ああ、蘭さん、ある程度お話はまとまったのですが。」

蘭「ああ、すみません。遅くなってしまって。」

懍「大体のことは決まりましたが、蘭さんはどう思うのか、言ってみてくださいね。」

蘭「何が決まったんです?」

ビーバー「ええ、これから、回覧板を禁止にしようかと思うのですが、どうでしょう。」

蘭「回覧板を?」

水穂「そうですね。回覧板を禁止にしてしまうのは、確かに良いことかもしれませんが、その回覧板というものがどうしても必要になる人たちがいることも、また事実でしょうね。」

懍「回覧板は、若い人の道具になっているようですからね。」

水穂「だから、むやみに禁止してしまうのはいけないと思うのですが。」

蘭「そもそも回覧板はなぜ作ったのですか?そんな危ない道具なら、作らないほうがいいでしょう?」

ビーバー「ええ、三つの種族がここで共同生活していくためには、やっぱり文字は必要だろうと思い、文字だけのやり取りは残しておいたのですよ。歴史を記録させるためにもそうしたほうが良いと思いましてね。」

懍「まあ、あったほうが良いでしょう。文化の違う種族が共存するわけですから、共通の道具があったほうがいいですね。確かに、僕たちの世界でも、共通語として英語を用いて、それ以外は独自の民族の言葉を使わせるという国家はよくあります。それとおんなじだと思えば。」

水穂「それで、伝達を効率よくするために、回覧板を作ったわけですね。」

ビーバー「ええ、そうです。」

懍「そして、その回覧板が自殺の道具になってしまったというわけですね。それを、どのように使ったのか、事件の概要をもう少し詳しく伝えていただけないでしょうか。」

ビーバー「こういうことです。その女性が、いつまでも帰ってこないので、お母様が、私たちのところへ相談に来られました。お母様は、あまり文字のことに対して詳しいわけではないようで、回覧板に書かれた文字を読めなかったのです。私が、代読したのですが、そこに、死にたいという文字と、じゃあ助けてあげるから、まんどころ大瀧へと書いてあったのですよ。私たちがまんどころ大瀧へ行ってみますと、十人の遺体が見つかったというわけです。」

懍「じゃあ、お母様は、まんどころ大瀧へという文字を読むことはできないわけですね。」

ビーバー「ええ、そういうことです。文字を学ぶか学ばないかは、住民の意思に任されているわけですから。」

蘭「なんだ、必要なのに、文字を学ぶかは自由なの?」

ビーバー「ええ、強制にしてしまうと、また問題が勃発してしまいますからな。」

水穂「そうですね。学校というものを立てても、あまり役には立たないことのほうが多いですよね。やっぱり、誰かに身に着けさせるというのは、本当に難しいものですな。」

懍「ええ。皆さん、本当に必要性を感じる人と、そうでない人とがいますからね。それを、全員に必要と感じさせることはまず、不可能でしょう。多民族というのは、そういうところが本当に難しいものですよ。自由って言いますけど、果たして役に立つのかは、まだわからないですね。」

蘭「よくわからないけど、多様な価値観を持てる国家になったということですよね。でも、それが、かえって有害になってしまったと。」

水穂「それで、うまく順応できる人もいるかもしれないけど、そうでない人もいますし、そういう人を厄介者扱いして、いじめたりしてしまうケースも、多かれ少なかれ発生するわけでしょう。それでは、本来いけないんですけれども、どうしても発生してしまうんですよね。完全無欠な人などいるわけないですから。」

蘭「難しいところだな、、、。」

懍「いずれにしろ、僕たちも協力しなければなりませんね。まず、その回覧板だけが、助ける道具がないという概念を払拭しなければなりません。僕たちの世界でも、試行錯誤の段階なので、まだ決定してはいないのですが、」

ビーバー「はい、なんでしょう?」

懍「まず、これだけ救ってくれる人がいることを証明することが必要でしょう。そのためには、誰でも気軽に話せる場所を作ることです。それを聞く人を用意しなければなりません。僕たちの事業所では、水穂がその役目を担っているのですが。」

ビーバー「では、ぜひこちらでもやっていただきたいのですが?」

水穂「ああ、いいでしょう。立候補しますよ。」

蘭「お前大丈夫なのか?」

水穂「ああ、ここでは、倒れたことは一度もなかったし。」

蘭「あんまり無理するなよ。」

水穂「ああ、分かっている。」

ビーバー「では、今日の決定を、掲示板に貼りだすことにしましょう。」

水穂「掲示板があるのですか?」

ビーバー「ございます。重大な決定事項は、掲示板に貼りだして伝えることになっております。」

懍「わかりました。じゃあ、こうお書きください。もし、ここから消えてしまいたいほどつらい気持ちを抱えているものは、村の中心部にある、会議場に来るように、」

水穂「そして、会議場でそのつらい気持ちを何度でも話してよい場所があると。」

ビーバー「わかりました!ありがとうございます。では、今日の会議はこれまでにしましょう。」


村の中心部。木製の小さな掲示板が置かれている。通りかかった人々は、真剣な顔をしてその掲示板を見ていく。


一方、てんの居室。

布団の中ではらはらと泣きはらすてん。

杉三「そんなに自分を責めなくていいんだよ。」

てん「杉ちゃん、ありがとう。」

杉三「じゃあ、マツタケ食べにいこうよ!」

てん「そこまでの体力は、ないです。」

杉三「まだ駄目か。」

てん「外に出たら、ご遺族の方々が、わたくしに詰め寄ってくるでしょうから。」

杉三「でも、多少のことは仕方ないんじゃないの?」

てん「まだ、それに耐えられる自信が。」

杉三「それだからダメなんだ。」

てん「本当に、今は無理なので。」

杉三「でも、本当に、てんのせいじゃないんだからね。それだけはわかってね。」

てん「ええ、ええ。」

杉三「僕はずっとそばにいるから。」

不意に、外から人の泣き声が聞こえる。

杉三「あれ、なんだろ。」

てん「誰かが会議場にいらしたみたいですね。」

杉三「様子見に行ってみる?」

てん「きっと、わたくしを非難するご遺族の方の声でしょう。」

杉三「違うかもしれないよ。」

てん「いえ、ああいう声であれば、きっとそうです。」

杉三「気にしなければいいんじゃないの?」

てん「でも、まだ自信がありません。」

杉三「それじゃだめだ。」

みわ「杉三さん、あんまり焦らせないほうがいいでしょう。」

杉三「僕は動いたほうがいいと思うけどね。」

みわ「でも、無理はさせないほうがいいですから。」

杉三「そうかなあ。」

みわ「今回はおやめください。」

杉三「じゃあ、ここでずっといてもいい?てんが、変なことをしてしまわないように。」

みわ「ええ、それは、それはかまいません。」

杉三「よかった!」


村の中心部の会議堂。

懍「村の様子がどうなっているのか、ちょっと出てみてもいいですか?」

ビーバー「はい。では、手伝い人を付けさせましょうか。」

懍「ああ、そういう人も雇うようになったのですか。以前は、なんでも自分でやることを美としていたようですが?」

ビーバー「ええ。そうすることによって生きがいを持つ種族もいるのに気が付きましたので。」

懍「そうですか。確かにそういう人もおりますな。それは一体だれが担っているのです?」

ビーバー「ええ、松野族の生き残りです。」

懍「生き残り?」

ビーバー「ええ。あの時の戦闘のあと、松野族がいかに貧しい生活を強いられてきたのか思い知りました。ですから、とりあえず、病んでいたり、不自由なところがある者のそばにつかせて、世話をさせることで、生きがいを再発見してもらおうという魂胆なのです。」

懍「ああ、いわゆる、福祉教育ですな。」

蘭「でも、そういう教育をして、かえって逆効果になることもあるんじゃないでしょうか。日本では、それが高じて、恐ろしいジェノサイドが起きてしまったことがありました。」

ビーバー「そのようなことは今のところありませんので。」

懍「まあいい。変な議論をしていると、かえって時間がなくなります。それでは、村の様子を視察に行きましょう。」

水穂「僕は残ります。」

蘭「え、なんで?」

水穂「仕事があるかもしれないので。」

蘭「お前、無理しすぎるなよ。」

水穂「わかってる。」

懍「水穂さんも、体に障りのないように仕事をしてくださいね。では、蘭さん、行ってみましょうか。」

ビーバー「わかりました。では、この二人の、手伝い人を付けさせますので。」

二人の女性が、蘭たちの下にやってくる。松野族らしく、身長は五尺三寸を超えている。

懍「では、よろしくお願いします。」

女性たちに車いすを押してもらって、蘭と懍は玄関から外へ出ていく。

玄関から出て、しばらく行くと、そこは、長屋のような竹の建物が連なっている。

女性「ここは、私たち松野の居住地なのです。かつては寧々様の下で生活していた私たちでありますが、もう統治者もいないので、ここに住ませてもらっています。」

蘭「へえ、ではなんで一軒一軒つながっているのです?」

女性「ええ、私たちは、これまで個別に暮らしてきた種族ですが、貧しい生活を生き抜くためには、一人一人で生活するのではなく、こうして協力することを学ばなければならないといわれましてね。」

懍「それは誰が言った言葉なのでしょう?」

女性「てん殿がそういいました。」

懍「なるほど。かれらしい発言です。で、皆さんはどうやって暮らしているのでしょう?暮らしていくためには何か職業に就くことが必要になる。」

女性「ええ、橘の皆さんのお手伝いをさせてもらっています。」

懍「では、回覧板を届けるのは?」

女性「ええ、それもやります。回覧板は種族を超えて、言葉を交わせる大事な道具だって若い人たちは言ってますよ。」

懍「なるほど。では、松野の皆さんは、それに満足して生活しているのですかな?」

女性「ええ、だって、何もかも全部失ってしまいましたし、私たちは、その仕事に頼るしか生活できないのですから、そうするしかないと、あきらめています。」

懍「あきらめるとは、明らかに認めるという意味もあります。それは賢明な判断であると思いますよ。」

蘭「確かに理想論といえばそうですが、それをはっきりとあきらめきれない人もいるんじゃないですかね。」

女性「ええ、でも、それしかないと思えば、それも忘れますよ。それが、私たち松野族であると思えば。」

女性「それに、こうして弱い方の手伝いをすると、自分の心も楽になる気がするんですよ。」

懍「そうですか。でも、世話をされる側も、あんまり過剰に世話をされると、かえって重荷になりますから、それもわきまえておいてくださいね。」

女性「わかりました。私も、気を付けます。」

女性「でも、どんどん手を出してあげたくなってしまうのが、私たちの性格なんですけどね。」

懍「まあ、それは各々の考えにもよりますからね。では、松野の居住地を、少し拝見させていただきましょう。」

女性「わかりました。」

と、さらに、二人の車いすを居住地の中に動かしていく。長屋では、洗濯物が干されていたり、窓から料理のにおいがしたりする。

懍「変ですね。」

女性「なんですか?」

蘭「子供さんの声がしないなと思って。」

女性「ああ、子供さんは橘族やサン族の皆さんと共同で、文字の読み方を習っております。」

蘭「え、学校を作ったの?」

女性「いいえ、青空教室です。学校という建物は、すべて倒壊してしまいましたから。まだ、あの時の戦争の後片付けが、終わってないのですね。」

蘭「そうなると、義務教育も当然あるわけですか。」

懍「じゃあ、その青空教室を見学させてもらえませんか。」

女性「わかりました。」

と、車いすの方向を変える。

しばらく移動していくと、子供たちの声が聞こえてくる。

声「これを読める人。」

声「たらい。」

声「では、これは?」

声「ほうちょう。」

もうしばらく進めると、小さな広場のようなところがあって、十人ほどの子供たちが、土の上に敷いたござの上に座っていた。正面に、教師と思われる女性が、縦に置かれた大きな石板に文字を書いて、一つ一つ読みを教えているのが見えた。

非常に背が小さい子供もいれば、五尺近い身長がある子供、その中間の子供もいる。三種族があつまっておなじことを学んでいるのだ。

蘭「みんな、楽しそうだね。」

懍「まあ、中にはそれがだんだん苦痛になってくる子もいるかもしれませんね。」

教師「はい、これを読める人。」

と、石板に、一つの文書を書く。

子供「はい、僕僕!」

教師「ちょっと待って。君は何回も手を挙げてるでしょ。そうじゃなくて、新しい子を探そうよ。」

子供「でも、俺たちは、漢字も習わなきゃいけないんだぜ。」

蘭「漢字を習うのは、義務ではないのですか?」

女性「ええ、松野族では漢字を習いますが、橘族やサン族では習いません。」

蘭「へえ、理由があるのですか?」

女性「これは民族の個性として自由にさせているのです。」

懍「二重統治みたいなものですな。」

蘭「まあ、こちらの世界でもそういう国家はありました。」

女性「でも、いろんな民族が共存しているわけですから、子供の間では教えあうことも多いようですよ。」

懍「ああ、多民族国家であれば、多少異民族からの影響もあるでしょう。特に子供はそれが顕著にでます。彼らは何も憎しみもないのですが。単に面白いだけで。でも、それがどう影響してくるかは、個別に寄りますけど。」

蘭「そうですねえ。それが悪いほうへ行かなければいいのですが。」

女性「でも、今までそれが原因で何か悪いことがあったということは一回もありません。」

蘭「そうですか。」

懍「多民族国家に生まれ変わったわけですから、それも、うまくやらないと、大変なことになりかねません。法を整備し、きちんと決着をつけたほうがいいでしょう。」

女性「そうですね。いずれはそうなるかもしれないですが、私たちは今のところ平和に暮らしておりますよ。」

懍「そうですか。じゃあ、次のところにいきましょうか。もっと、多民族が共存しているところを、見学してみたいですな。」

女性「わかりました。じゃあ、どこがいいかな?」

女性「じゃあ、工場へ行けばいいじゃない?」

蘭「工場とは?」

女性「ええ、食べ物を作ったり、着るものを作ったりなどです。」

蘭「へえ、工場で作るようになったの?」

懍「産業革命でしょうか。」

女性「まあ、行ってみればわかります。」

懍「じゃあ、連れて行ってください。」

女性「はい。」

再び、車いすを動かし始める。

しばらく行くと、大きな竹製の建物が、なん軒か連なっているところへ出る。

蘭「これ、みんな工場ですか?」

懍「ああ、機を織っている音がしますね。」

蘭「はた?」

懍「中に入ることは可能ですか?」

女性「まあ、少しなら。」

懍「じゃあ、見せていただけますか?」

女性「どうぞ。」

二人、車いすでその建物の入り口から中に入る。

と、中にはたくさんの高機が置かれていて、女性たちが一心不乱に機に糸を通し、織物を織っている。その女性たちも、背が小さい人、大きい人、中間の人、いろいろいる。三種族がどの種族に関係なく、機を織っているのである。

懍「ほかにはどんな工場が?」

女性「ええ、あとは男性の皆さんによる、荷車の製造工場だったり、、、。」

女性「すいとんの工場もありますよね。」

蘭「すごいな、一気に近代国家になったんだ。」

懍「衣食住をこうして工場で制作するようになったのなら、完全に産業革命が起きたということになりますね。ただ、産業革命は、同時に悪い影響もあります。それを肝に銘じておかないと、大変なことがおこるかもしれないので、気を付けて。」

女性「まあ、私たちは、意識していません。そんなこと。」

女性「きっと、上の人たちが、何とかしてくださるでしょう。」

懍「そうですか。」

蘭「それじゃあいけないような気がするんだよなあ。」

と、軽くため息をつく。

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