喫茶カテドラル (原作:戸松秋茄子さま)

(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885331548 )


 シャララン、と。ドアに結いつけられたベルが鳴る。

 喫茶カテドラルで思い思いの時間を過ごしていた面々は、反射的に戸口の方を見た。男が二人、入ってくる。黒装束の二人――どうやら喪服だ。葬儀明けだろうか。或いは葬儀を生業とするものかもしれない。

 二人は、ひと目を憚る様な素振りを見せながらカウンター近くのボックス席にかけた。店主は氷と、レモンを浮かべた冷水をグラスに継ぎ分け、おしぼりを二つ用意して接客に向かう。

 その手元でカラン、と氷が鳴った。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」

 問いかける。片方の男は渋面のまま、もう一人を見た。

「さあて…」

 俯いたままの男は応えない。男は向き直ると、

「じゃあ…コーヒーを二つ」

と注文した。店主は愛想よく頷いて引きあげたが、カウンターにいた常連客には思うところがあったらしい。不躾に声を掛けた。

「あんた。珈琲専門店で、”コーヒー”なんて注文の仕方は頂けねぇな」

 その眼には怒りがある。注文をした喪服の男は憮然としたまま、助けを求めるように店主を見た。

「伊藤さん、失礼ですよ」

 のんびりとした口調で、店主はそう諌める。常連の男は伊藤というらしい。連れ合いらしい隣に座る男は、とりなす様に言った。

「この人はね、コーヒーにもいろいろあるから、ちゃんと注文しないと何が出るかわからないって、そう言いたいんだよ」

 喪服の男はどうも釈然としないようだ。

「俺に拘りはないし、この人にもないんだよ。マスターはそれをわかっているから、気を利かせておすすめを出してくれる気なんだろう?」

 男が顎で示した通り、店主は豆を挽き始めている。それに気づいた伊藤はハン、と鼻を鳴らした。

「そこがアンタのダメなトコだよ、二代目。バリカンだか何だか知らないが…」

「バリスタだね」

 連れ合いの男は絶妙なタイミングで補足をくれる。

「…とにかく。客の人とも知らずにおすすめもクソもあったもんか。先代はそんな適当な事はしなかった。コーヒーが判らないような人間はすぐに見抜いて――」

「でも今は坊ちゃんが店主だよ」

 ちゃんと勉強もしてねェ、と、連れの男は伊藤の暴言を抑えにかかる。店主は困ったように笑いながら、喪服の男達に会釈をした。

 ほどなくして、店内は平穏を取り戻す。伊藤とその連れ合いの低く抑えた会話も、控えめに流れるジャズも、そう耳につくものではなかった。

 店主は入れたてのエスプレッソをトレイに乗せ、ゆっくりとブースを出る。喪服の男たちの席に出されたそれは香り高く、コーヒーを注文した男は、ほぅ、と息を吐いた。

「さあ、アンタも飲みなさい」

 ゴツゴツした手で小さなカップを持ち上げながら、男はもう一人の、一言も口を利いていない男に言う。

「少しは楽になるはずだ」

 店主は踵を返そうとしたが、結局止める。無言でいる男は、見た所ピクリとも動かない。カップに口をつける気はないようだ。

「失礼ですが、どこかお体の具合が悪いのでしょうか?」

 店主がやんわりと問いかけるが、件の男はやはり答えない。受け答えをしたのはもう一人の男だった。

「多分、身体はどこも悪くないんだよ。ここの問題だな」

 言いながら、男は自分の胸を指して見せる。そして心なしかトーンを落として呟いた。

「…まあ、これから自首をするんだから判らんでもないがね」

 これには流石の店主も驚く。思わず声が上擦った。

「自首…ですか」

 男は面倒臭そうにちらり、と店主を見上げ、溜息を一つ吐くと、浅く何度も頷いた。

「ああ、そうだ。なんでも、他人に危害を加えたらしい」

 店主は驚いたように目を見開く。悄然とした傍らの男は俯いたまま、否定することはない。

 そこに、

「どうも怪しいと思ったら…お前ら犯罪者か」

どうやら耳をそばだてていたらしい伊藤が、横から口をはさんだ。喪服の男は慌てたように否定する。

「いや、俺はただの通りすがりだ」

 伊藤は胡散臭げにジロジロの二人を見る。

「揃いの恰好でか?」

 揃いの恰好と言っても喪服である。絶対被らないとは言い切れない。案の定、

「偶々だ」

 男はそう返しつつ、改めて自らの事情を話した。

「俺は弟の葬儀の帰りだ。この人は公園で行き逢ってな。俺の話を聞いて、一緒に泣いてくれたんだ」

 男はそう言い終えると、そっと連れ合いに問いかけた。

「あんた…それはあんたの服か?」

 問われた男は、静かに首を横に振る。店主は驚く。それは、その男が初めて見せた反応だった。

「現場からくすねたみたいだな」

 溜め息がちに喪服の男は言う。そのどこか平然とした態度に、どうにも抑えきれなくなった様子で伊藤が

「二代目、一一〇番だ」

「自首するって言ってるだろう」

 ぴしゃり、と喪服の男が一喝すると、流石の伊藤も首を竦めた。静かな声ではあったが力がある。

「ア…アンタらが本当に自首するかどうかわからんだろうが。わし等市民にも身の安全と社会秩序の維持のため、通報の義務が…」

「義務じゃないねェ、敢えて言うなら権利だねェ」

 伊藤の連れの男が訂正を入れる。喪服の男は伊藤を正面から見据えると、静かに返した。

「自首する気がないなら黙っている。姿を見ただけじゃあ何をしたかなんてわからんだろう」

 伊藤はぐ、と黙る。確かにその通りだ。

 その時不意に、件の男が口を開いた。全く唐突に、呻くような声で。

「…殺した。…あの子」

 しん、と。水を打ったように、沈黙が訪れる。皆、固唾を飲んで二の句を待った。何か切欠があったのかもしれないが、憔悴しきった男は両腕をわなわなと震わせ、頭を庇い込む様な仕草をした。

 誰が見ても思ったであろう。怯えている、と。けれど、理由は分からない。切欠も判らない。男はがたがたと震えながら、ガチガチと音を立てる。歯の根が合っていない。舌でも噛みそうな有様で、男は突如、饒舌に話し始めた。

「じっと、俺を見ていたんだ。声もあげずに…。怖かった。その目が…その目に見られるのが。だから――」

 続きはない。

 ヒッ、と悲鳴にも似た呻きを漏らして、男は震え続ける。そして急に弾かれたように立ち上がると、店主の方をぎ、と向いた。

「あんた」

「…私、ですか?」

 店主は訝しげに問い返す。男は酷く興奮した様子で、痙攣でも起こしてるかのように大きく体を揺すりながら何度も大きく頷く。

「あんた、俺の代わりに、あの子を供養してやってくれ…名前はタミカだ。首輪に書いてあった。それから――」

「首輪ぁ?!」

 頓狂な声を上げたのは伊藤だ。彼は掴みかからんばかり、大声で、わめく様に男に問いかける。

「おいおい、アンタが殺したのはペットか?!人じゃなくて?それでそんな大騒ぎを――」

「犬でも余所のを殺すと、器物損壊やねェ」

 伊藤の威勢をくじく様に、その連れ合いが合いの手を入れるが、男は突然ぴたり、と震えるのを止めて、こともなげに言った。

「人ならば、五人バラしたよ。親二人、その親二人に、子一人だ」

「…な」

 伊藤は呆けたように口を開けて硬直した。男はにへら、と締まりのない顔をしてから急に口元を引き結ぶと、「そんなことはいい」と切り捨てた。

「この人は大事な弟を失って辛いんだ。こんな…二度も悲しませるようなことは頼めない。あんたは元気なんだろ?だからあの子を…」

 掴みかからんばかりの男を、喪服の男が慌てて留める。男はハッとした様に目を瞬かせ、元のように腰を下ろした。

 糸が切れた操り人形のように、男は再び沈み込んだ顔をする。伊藤は念を押す様に喪服の男に声を掛けた。

「自首、するんだよな」

「ああ。連れて行く」

 返事は明瞭だ。伊藤は少し言葉を探す様に唇を動かしてから、ふい、と背を向けた。

られんなよ」

 伊藤を宥めるように、連れの男がその背中を叩いている。喪服の男は口元を少し緩めて、その背に小さく頷いた。

 そして向き直ると、連れ合いに問いかける。

「あんた、コーヒーは苦手かい?」

 萎れたように俯く男が、頷いたかどうかは判然としなかったが、喪服の男は店主の方を向いて言う。

「マスター。この人に…そうだな、ミルクたっぷりのココアを出してくれないか。弟が小さいとき、よく飲んでいたんだ」

 弾かれたように、男は顔を上げる。そして喪服の男に深く、頭を下げた。

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