リライト
死神の通告 (原作:陽月さま)
(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885330674 )
腕時計を何度目か、覗き込みながら、イライラと体を揺する。駅は何時にも増して喧騒に呑まれていた。というのも、
「繰り返し、お客様にお詫び申し上げます。ただ今○○方面行き列車は、車両点検の為、△△駅で緊急停止しております。お急ぎの処…」
まただ。グモ、所謂人身事故は最早季節の風物詩。年度替わりが近づくこの時期、格段に増える。遅延証明を持って出社する度、危機管理がなってないだなんて、会社から5分のところに住む上司にどやされる羽目になる。冷たいようだが、迷惑な話だ。
諦めてタクシーに乗るか。でもそうそう捕まるとは限らないし、何より自腹になるのがキツイ。悩みつつ、恨みがましい目で電車が来るはずの方向を見やると、不意に反対側のホームに立つ人物が目に入った。
ひょろりと背が高く、全身黒づくめで、遠目にもにやにやと笑っているのが判る。確りと目が合っているのに逸らそうともせず、じっとこちらを見ながら――。
「あと、23時間59分と25秒です」
不意に耳元に届いた声は低く、どこか耳障りなものだった。ぎょっとして振り返ると、目の前に件の黒づくめの男が立っている。慌てて元の方向を向き直るが、対岸のホームにその姿はない。どうやって一瞬でここに?と思う間もなく、彼はもう一度、期限を繰り返した。
「あと、23時間59分と5秒です」
まじまじと見上げるが、本当に気味の悪い面相をしている。血の気が感じられない白い肌に、柘榴のような毒々しさの赤い唇。どこか作り物めいた、生きた気配のない、質感からすると素肌であろうに、お面のような顔。そんな印象を受けた。
宗教の勧誘か何かだろうか。この笑顔は尋常ではない。どうにかやり過ごさねば。そう思ったが、
「桑原真澄さん」
その唇は、名を呼ぶ。それが自分のものだと知っているから、真っ青になって硬直した。何者なのだろう。何故自分を知っているのだろう。ぐるぐるとそんなことを考えながら、蛇に睨まれた蛙よろしく一言も発せずにいる、と。
「身辺の整理をお勧めいたします。どうぞあと一日、お元気で」
彼は満面の笑みでそう締めくくり、ゆっくりと踵を返した。ひょい、と不格好に一歩を踏み出すその背に、慌てて問い返す。
「明日、何があるっていうんですか?」
黒づくめの男はぴたり、と足を止めた。そして、酷く気持ちの悪い動きでぐるりと振り返った。両手両足に芯のない操り人形を、急に反転させたような、四肢がバラバラに動いているような奇妙な動きで。
「貴方の命運が尽きます」
ぐにゃり、とその首が右に傾ぐ。男は少し面倒臭そうにその首を右手で立て直しながら、にっこり、と口角を上げた。
「これは善意のお知らせです。信じる、信じないは貴方シダ…ィ」
声は急に近くなったり、遠くなったりと電波の入りの悪いラジオのように、不気味に歪んで、ぱちん、と消えた。ぱちん、なんて音がしたわけではないが、本当にスイッチを切ったように唐突に、男の姿は消えてしまった。
慌てて辺りを見回す。誰もこちらに注意を払う人間はいない。人一人が消失したというのに、なぜなんだ。
きょろきょろとあたりを見回して、結局それも徒労に終わり、真澄は結局、そのまま電車を待ち続けた。
◇
人間、どんなに不思議な事に遭遇しようとも、それを現実に嵌め込もうとしてしまう。この時がまさにそれで、5分もすれば ”白昼夢を見た"と結論付けていた。
その後、1時間30分遅れで出社して、バーコード頭に参拝するように上司に頭を下げ、夜半も過ぎてから退社した。まさにいつもと変わらぬ社蓄の生活である。
そうして迎えた朝。
家を出る瞬間、一瞬だけあの男の事を思い出してぞっとしたが、結局いつもの通り、駅へ向かった。今日も数分だが電車が遅れていると聞いて思わず苦笑する。毎日毎日、怒鳴られる駅員も堪ったものじゃないだろう。
ホームに着く。思わず恐々、反対側のホームを見るが、男が居たあたりにはマフラーを巻いた女子高生が居るだけだった。
やはり、ストレスが見せた幻覚だったんだろう。無意識に時計を見ると、そろそろ24時間が経つ頃だ。けれど、体に変調はない。当たり前といえば当たり前だ。過労気味と言え、まだ20代も半ば、今まで病気らしい病気もしたこともないのだから。
ホームに聞きなれた音楽が流れ始める。次いで、
「○○行き、快速が通過いたします。足元の黄色いラインの内側までお下がりください」
お決まりのアナウンスが流れはじめた。この快速をやり過ごした次が、いつも乗る電車だ。顔を上げると、ホームの先の大きなカーブを曲がって、電車が滑り込んでくるところだった。
(あ、やべ。昨日納期連絡忘れたわ)
不意にそんなことを思い出した瞬間、ドン、と背中に衝撃があった。瞬時に悟る。ああ、こういうことだったのか…、と。
宙に浮いた体はそのまま自由落下を開始する。横から迫りくる見慣れた薄いグリーンの車両。驚く運転士と目があった。ホームは背後で視界に入らない。でも確信があった。
あいつは、そこにいる。
そこに――。
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