Chapter 6:闇の女神と昏木まりあ

Chap6-1


 ――夢を見ていた。


 正確にはそれは夢ではなかった。

『太陽と月の乙女』で実際にあった出来事イベント――。




『ん? まあ、そうだ。あいつは純血の《光の眷属》ってわけじゃない』


 ヴァレンティアの出自を問うた聖女に、ヘレミアスは至極あっさりと答えた。


『でもそんなの関係ないよな。生まれは本人じゃどうにもできないし、生まれがそいつのすべてを決めるわけでもないだろ。いちいち気にしたってって何もいいことはないぜ』


 聖女は目を丸くした。

 神官であれば、《闇の眷属》に関するものは特に《穢れ》として忌避し、嫌悪感を示しそうなものだ。

 だがここでもやはりヘレミアスは異端であるらしい。


 聖女があまりにも率直に不思議そうな顔をしていたからか、ヘレミアスは笑った。


『聖女殿は本当に素直だな。なんでヴァレンを引き取ったのか不思議で仕方ないって顔をしてる』


 ずばり指摘されて、聖女は少し慌てた。

 だがヘレミアスは朗らかな声で言った。


『放っておけなかったからだよ。あいつはまだ小さくて孤独だった。ただの子供だ。誰が見捨てておける?』


 異端の神官はまったく気負いなく、ただそれが彼にとって当然のことであるかのように言った。


『それに、俺はそこまで《闇の眷属》に思うところはないしな。鈍いせいか、穢れだの悪だのと言われてもいまいち実感できないんだよ』


 ――優しい人だ、とあのときまりあは思った。慈悲深い神官なのだと。


『……戦ってのは、いただけねえな。大きな戦ってのは本当に……』


 負傷した騎士たちの手当てに奔走しながら、ヘレミアスはそうこぼした。

 他の神官たちとは違い、ヘレミアスの声に《闇の眷属》への怒りや嫌悪は感じられなかった。


『早く収束するといい。もっと被害が出ない方法があればいいんだが……』


 ――戦の収束を望む声。

 まりあはそこに、希望を見出した。

 きっと話し合えると思っていた――。


(ヘレミアス……!!)


 泣き叫びたかった。血を吐くほど謝りたかった。

 こんなはずじゃなかった――。




 鏡の中に、腫れぼったい瞼にくわえて陰鬱な顔をした女が映っていた。

 力なく波打つ、肩までの黒髪。

 顔色が悪いせいか黒いドレスのせいなのか、肌が不健康なほど青白く見える。

 まりあは鏡から目を逸らした。


(ヘレミアス……ヴァレンティア……)


 泣きはらした後で、不安ばかりが増した。

 二人はどうなっただろう。

 癒やしの力を持つ神官や《陽光の聖女》なら、きっと仲間の傷を治してくれるはずだった。


 しかしいまのまりあは主人公プレイヤーでもなく《陽光の聖女》でもない。


 きっと向こうは、不信感どころか激しい怒りを覚えているだろう。

 そう思うとうずくまって動けなくなる。


 だが、このまま何もわからず過ごしていては不安でおかしくなりそうだった。


 まりあは重い体を引きずるようにして鏡台に背を向ける。

 突然部屋の扉が開け放たれた。

 目を見開く。


 眉をひそめた紫の瞳の少女が立っていた。


「そろそろいい加減にしろ、《闇月の乙女》!」


 まりあを見るなりラヴェンデルはそう言い放った。

 だがまりあの顔を見ると目を丸くし、凝視した。

 それからおもむろに怯む様子を見せた。


「な、なんだそのような顔色の悪い……!」


 まりあは目を伏せた。

 いまはラヴェンデルの説教や叱責を聞く余裕はなかった。


「う、うぬ……っ! ぐ……。ちょっとそこで待っておれ!」


 反応しないまりあにそう言い捨て、ラヴェンデルは姿を消した。

 まりあがぼんやりしていると、ラヴェンデルは息を切らして戻ってくる。

 その両手に、巨大な水晶の器が抱えられていた。

 水晶の器には、銀色に光る丸い果実らしきものが山をなしている。


「食え!」


 まりあは鈍く目を見開いた。

 ラヴェンデルはぐいぐいと器ごと押しつけてくる。


「何か気分が落ち込むのも腹が立つのも悲しいのも全部空腹のせいだ!! 《月精》が足りないからだ!! そうだ!! 《闇月の乙女》ともあろう者がしけた面をするでない!!」


 食え食え、とラヴェンデルは器を押しつける。

 その勢いに押される形でまりあは器を受け取り、果実に視線を落とす。

 だがいまは空腹どころか、何も口にしたくはなかった。

 鈍く頭を振って、食欲がないことを示した。


「な、なら何だ……!?」


 ラヴェンデルの怒ったような、狼狽したような声にまりあは答えなかった。

 唐突に、小柄な王姉は背後を振り向いた。


「おいなまくら!! 主を鼓舞しろ!! なんのためにずっとそこに突っ立っているのだ!!」


 まりあは息を飲んだ。顔を上げる。

 扉の向こう、部屋の外に影となって立つ姿があった。


 アレスは赤い瞳をまりあに向けていた。

 傷一つない褐色の滑らかな肌――いまは腹立たしいほど端整な顔。夜色の艶やかな髪。


 その燃えるような両眼は餓えたように鋭い光を放ち、まりあを凝視していた。


 ――ずっとそこにいたのか。

 まりあの中でまた怒りと不信が強くなった。


 部屋の中に閉じこもっていた間、アレスは扉の向こうにずっといたというのだろうか。

 ただ黙って、部屋の中の人間が出てくるのを待っていたのだろうか。

 謝罪の言葉一つ伝えようともせずに。


 まりあはアレスから目を逸らした。


「……レヴィアタンさんと話します」




 ラヴェンデルと共にまりあは玉座の間に向かった。

 両開きの扉の前でいったん立ち止まり、振り向いた。

 少し離れたところに、アレスがついてきている。


「――ついてこないで」


 低く乾いた声でそれだけを言って、背を向けた。

 扉が開かれ、足を踏み入れる。背後で扉が閉まる。

 もう一度振り向くと、かたく閉ざされた扉に隔てられてアレスの姿は見えなかった。


 玉座に向き直る。

 そこに、長身の主が座っていた。

 足を組み、肘置きに腕をつき、手に顎をもたれさせている。

 閉じられた瞼の縁に、黒々と長い睫毛が生えそろっている。

 そして、頭部の艶美かつ威厳に満ちた角――。


 まりあは息を呑んだ。

 まどろむ王の身の周りに、紫と蒼の光が鬼火のように浮かんで遊ぶ。

 妖しくも儚い残光を曳き、男を中心とした銀河をなしている。


《夜魔王》レヴィアタンは、緩やかに瞼を持ち上げた。

 回遊していた光たちがふっと消える。

 蒼と紫の双眼がまりあを見た。


「次に泣くときは俺の寝所に来い」


 からかうような口調に、まりあは一瞬息を呑んだ。

 わずかに顔に熱がのぼる。

 ――むしろいまは、レヴィアタンのこの態度が少し、近しく感じた。


「それで、次はどうする」

「……向こうと連絡をとりたいです。ヘレミアスとヴァレンティアの……、安否を、知りたい」


 まりあがかすれた声で答えると、隣のラヴェンデルが顔を向け、なるほど、と声をもらした。


「正しく息の根を止めたかどうか確かめたいのだな。それはいいが、相手にそれを確認するというのは愚直にすぎ……」

「――っ違います!! 生きていること、怪我を治してもらっているかどうかを知りたいんです!!」


 まりあが声を荒らげて遮ると、少女は紫の瞳を見開いた。

 レヴィアタンは片眉を上げた。


「知ってどうする。たとえお前が、ご無事ですかなどと文を送ったところで、ただ挑発しているとしか思われんぞ。剣を振るって奴らを斬ったのが誰だか忘れたわけではあるまい」


 冷静な言葉が胸を貫き、まりあはぎゅっと喉を詰まらせた。

 目の裏に、赤い飛沫がよぎった。頬にかかった生温かい滴。


「ち、違……あれは……アレスさんが無理矢理……っ」

「相手がそれを信じると思うか? 諦めろ。経緯はどうあれ、話し合いとやらは失敗した。向こうはもう乗ってこない」


 まりあは愕然とする。

 レヴィアタンの声は落ち着いて諭すような響きさえあった。

 だがその声に、ひどくたれた。


 どうしてこんなことを言うのか。

 ――惨めに泣いたときに胸を貸してくれたのはこの男だったのに。


 だが裏切られたように感じる一方、その言葉は理解できた。

 それでも認めたくなくて、泣きはらして涸れたはずのものがまた喉にこみあげる。

 唇を引き結んで耐える。


「だが嘆く必要はない。道具が出過ぎた真似をしたが、お前は《闇月の乙女》としてことをした」


《夜魔王》の声は一際優しく、ほのかな賞賛を滲ませた。

 その声と肯定は、ふいに温かな水となって痛みで痺れた心を侵食する。

 ――正しいこと。


「抗うから小賢しい悩みに振り回される。己の宿命を受け入れ、認めろ。《闇月の乙女》は王と共に《闇の眷属》を守り、先頭に立って光の狂信徒どもを殲滅する定めだ」

「……ち、がう……っ!」


 まりあは反発する。

 だがその声はずっと弱く、力を失っていた。


 かつてない無力感が心を蝕み、脆くする。

 レヴィアタンの言うように、諦めて《闇月の乙女》の設定さだめを受け入れてしまったほうが楽なのではないか。


 そのほうが正しいのではないか。


(でも……、でも、アウグストたちを傷つけるのはいやだ……!)


 その一念だけが最後の砦となってまりあを堰き止めた。

 何度も呼吸し、歯を食いしばる。


「――今回は……アレス、さんが暴走したのが原因です。もちろん、それを抑えられなかった私にも責任があります」


 手を握る。

 声に出すと、心が寸前で踏み止まる。

 ヘレミアスやヴァレンティアをあんなふうに傷つけたくなどなかった。

 二度とあんなことをしたくない。


「レヴィアタンさんの言う通り……私の、アレスさんへの態度が間違っていたのだと思います」


《夜魔王》は瞬く。

 だが少女の高い声が割って入った。


「あのなまくらは我が強すぎるが、敵を斬ったのなら結果として正しいことだろう。そんなことよりも――」

「まあ、姉上。そうやってあの道具を放っておくと増長するだけですよ。己の分際を弁えない愚か者には躾が必要です」


《夜魔王》が鷹揚に答えると、王の姉はむうっと不満げに唇を閉ざした。

 そのやり取りを聞きながら、まりあの思考は不安定に揺らいだ。


(道具……躾……)


 そんな言葉は違和感と躊躇しか生まなかった。

 アレスは剣であっても、まりあにとって一人の人間、一人の青年だった。

 頼りに思ったことはあっても、道具として見たことはない。


 ――だが、そんな接し方自体が間違いだというなら。


(……じゃあ、どうするの?)


 この怒りに任せたまま、アレスの存在などなかったかのように振る舞うのだろうか。

 アレスは何の悔いも謝罪も見せない。だから怒りもおさまらない。

 だが――それでは何の解決にもならない。


「……私の意思を無視して、私の体を動かすなんてことができないようにする方法はないですか」


 まりあがそうこぼすと、先に声をあげたのはラヴェンデルのほうだった。


「何を弱気な! あのなまくらが暴走したというのもお前が不甲斐ないからだ! お前の力に不安や不満があるから自分で動いたのだろう! 剣ごときに認められぬでどうする!! 力で従えろ!!」


 その叱責は、思いがけずまりあの横面をはたいた。

 かっと顔に熱がのぼる。


 ――認められていない。


 そんなことを、考えもしなかった。


 だがレヴィアタンが再び姉を制止し、まりあに答えた。


「方法はある。あれを完全に道具としてしまえばよい」

「それは……どういう意味ですか」


 玉座の《夜魔王》は微笑して告げた。


「あれの意思を消してしまえばよい。ただの剣、ただの武具とすれば全て解決するだろう」


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